礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20130818
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信仰の弱い人を受け入れなさい
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は力ある神、恵みと誠に満ちた方。
王の王。主の主です。
この方を覚えて御言葉を開いてまいりましょう。

まず、最初に東日本の為に祈りましょう。
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<東日本大震災の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
(・石巻市立湊小学校・女川町立女川第二小学校・石巻市立渡波小学校・南三陸町立志津川小学校)
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では、聖書の通読箇所を見て見ましょう。
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8月18日(日)[ ]詩64-67/[ ]ロマ12
8月19日(月)[ ]詩68-69/[ ]ロマ13
8月20日(火)[ ]詩70-72/[ ]ロマ14
8月21日(水)[ ]詩73-76/[ ]ロマ15:1-13
8月22日(木)[ ]詩77-78/[ ]ロマ15:14-33
8月23日(金)[ ]詩79-82/[ ]ロマ16
8月24日(土)[ ]詩83-87/[ ]Tコリ1:1-17
8月25日(日)[ ]詩88-89/[ ]Tコリ1:18-31
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旧約聖書が詩篇、新約聖書がローマ人への手紙です。
詩篇は力強い歌、心を注ぎだすような歌が続きます。
ローマ人への手紙はお話しの中で見てまいりましょう。

では、本日の聖書箇所を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ローマ人への手紙14章1-14節
・新改訳Up285(贈呈p250、英対p477)
・新改訳Vp311、英対p347(贈呈p285)
・口語訳p250
・新共同訳p293 (贈呈p293、英対p446)
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朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】ローマ人への手紙14章1-14節
14:1 あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
14:2 何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。
14:3 食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。
14:4 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
14:5 ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。
14:6 日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。
14:7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
14:9 キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。
14:10 それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。
14:11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」
14:12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
14:13 ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。
14:14 主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
ローマ人への手紙14章1節
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これらの所から、
「信仰の弱い人を受け入れなさい」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

まず、皆さん。
タイトルにある信仰の弱い人とはどんな人でしょう。
また、逆に、信仰の強い人とはどんな人でしょう。

ここで、私たちはつい、間違ってしまうことがあります。

信仰が強いとは、意思が強いとか、性格が強いことではありません。
声が大きい事でもありません。まじめな事でもありません。
社会的に立派であることでもありません。頭がいい事や、知識が多いことでもありません。

逆に信仰が弱いとは、意思が弱い事でも、性格が弱い事でも、声が小さい事でも、不真面目な事でも、社会的に弱い事でもありません。知恵や知識に乏しいことでもありません。

一人の信仰の強い人が、聖書に出てきます。
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41 それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。
42 そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。
43 すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。
44 みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」
マルコの福音書12章41−44節
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皆さん。献金の時にいつも祈るのですが、神様は、私たちの信仰を見ておられます。
この時、イエス様が見ておられたのは、人々の信仰、この女の信仰でした。その信仰の大きさを見て、この女はだれよりもたくさん投げ入れたと言われたのです。

次の御言葉は前回開いたところです。
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信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
ヘブル人への手紙11章1節
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信仰は神様に期待し、目に見えぬものを信じ、感謝します。これが、信仰です。

このことをしっかりと押さえた上で、今回の箇所に入りたいと思います。

パウロは、このローマ人への手紙の中で、信仰の弱い人を受け入れるようにと言います。
信仰は教会における一つのバロメーターになっています。
そのため、あの人は貧しいけれども信仰深いとか、性格が弱いけれども信仰が深いとか、そういった事が言われるときがあります。
それで、そのような人は信仰のゆえに受け入れられます。

ところが、ここで、パウロが言っているのは、社会的な弱さではなく、信仰が弱い人なのです。
そのような信仰の弱い人、しっかりとした信仰を持っていない人をも受け入れなさいとパウロは言うのです。

ここであげられているのは、まず、食べ物の事です。
律法には食物に関する厳しいルールがあります。
ですから、ユダヤ人は豚を食べません。馬刺しなどは美味しいものですが、それも食べてはいけません。
ひずめが分かれていて、反芻する動物の肉しか食べてはいけないからです。
豚はひずめは分かれていますが、反芻しません。
馬はひずめが分かれていません。
律法からすると、イカやタコも食べられません。水の中にいてうろこの無いものは食べてはいけないからです。
それらは聖くないものです。そして聖くないものを食べてはならないと教えているのです。

ところが、それに対してイエス様は言われました。
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14 イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「みな、わたしの言うことを聞いて、悟るようになりなさい。
15 外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです。」
マルコの福音書7章14−15節
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このことについて弟子達が理解できずたずねたのでイエス様はその解説をして下さいました。
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18 イエスは言われた。「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない、ということがわからないのですか。
19 そのような物は、人の心には、はいらないで、腹にはいり、そして、かわやに出されてしまうのです。」イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。
マルコの福音書7章18−19節
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それで、すべてのものはきよいのです。

この続きにイエス様は、人を汚すものについて言われます。
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20 また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。
21 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、
22 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、
23 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」
マルコの福音書7章20-23節
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食べ物ではなく、むしろ、自分達の中から出てくる悪い考えこそが人を汚すのです。

テモテへの手紙第一にはこう書いてあります。
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神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。
テモテへの手紙第一4章4節
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何一つ、捨てるべきものはないのです。

しかも、マルコの福音書にはこう書いてあります。
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蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
マルコの福音書16章18節
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もし、信仰が強いなら、毒を飲んでも害を受けないのです。

と、ここまで来て、私などは、毒でなくても、40を過ぎた頃から、果物アレルギーで、スイカ、メロン、きゅうり、トマトが食べれません。
好きだったのに食べれなくなってしまいました。

毒どころか、本来よい物も、害を受けてしまう。不信仰な事だと思います。

誰かが、あなた、信じて食べなさいと言って下さっても、それで倒れたりしたら回りに迷惑もかかりますので、食べようとは思いません。
教会にいて、それを無理やり食べさせようとする人にまだであっていないので感謝ですが、誰かが無理やり食べさせようとしたら困ってしまいます。

さて、自分自身の弱さをお話ししましたが、誰かがなんでも食べて良いと信じているなら、それは主が言われる通りです。
しかし、誰かが食べないとき、その弱さを裁いてはならないと言っているのです。
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2 何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。
3 食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。
4 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
ローマ人への手紙14章2−4節
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ここにクリスチャン同士争っていけないと思わせる一つの言葉があります。
他人のしもべをさばくのですか。という言葉です。
わたしたちは皆、神様のしもべです。
もし、誰かが誰かをさばくなら、その主人に敵対することになります。
あなたが、教会の中で誰かをさばくなら、あなたは神様に敵対することになるのです。
どんなに自分にとってそれが正しいと見えてもです。

そして、その人を立たされるのはその主人である主なる神様なのです。
ですから他の人を裁いてはいけません。そうではなく、愛さなければなりません。
なぜなら、主人の命令は、こうだからです。
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わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
ヨハネの福音書15章12節
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愛とは裁く事ではありません。

確かに聖書には、こうも書いてあります。
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あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。
箴言27章5節
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しかし、私達が注意しなければならないのは、人を責めるとき、自分の中に「言ってやって、すかっとした。」というような思いがないかどうかです。
それは自分の怒りをぶつけただけで、愛ではありません。

主の祈りの中で、このように祈るように教えられています。
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私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
マタイの福音書6章12節
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ここで、赦しを受け取る事と、他の人を赦す事は一つになっているのですが、それだけでなく、私の負い目ではなく、私たちの負い目となっているのです。
私たちの負い目をお赦し下さい。自分達の罪をお赦し下さいと祈るのです。

わたしたちが互いに愛し合う上で、一番大切な事は祈りあうことでしょう。その祈りの中で、とりなしは最も大切です。

そのとりなしは、人を見下すのでなく、人の罪を自分の罪として、神様に赦しを願う事です。
その一番のお手本がイエス様の十字架です。
イエス様は、罪人の一人の姿をとって、彼らをお赦し下さいと祈られたのです。
もちろんイエス様は罪の無い方でしたので、私たちの罪をとは言われませんでした。
しかし、わたしたちは、互いに罪があることを知っています。だから、わたしたちの罪をお赦し下さいと祈るのです。

ところで、私達がこだわるもの、何があるでしょう。時や日についてこだわる人もいるでしょう。
もしかしたら、イエス様を信じていても、仏滅などの言葉にひっかかる人もいるかも知れません。

クリスチャンのくせに馬鹿馬鹿しいと言うことも出来るでしょう。
しかし、そのような時、その信仰の弱さを赦し合い、受け入れあうのです。

パウロは言います。
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7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
9 キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。
ローマ人への手紙14章7−8節
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このように見るとどうですか。
あの人のほうが立派だとか、神様を証しているとかいろいろ考えるかも知れません。
しかし、そんなことは関係なく、全ての人が、神様のものだとパウロは言うのです。
なぜなら、全ての人の為にキリストは死なれたからです。

それなのに、なぜ、とパウロは言います。
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10 それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。
11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」
12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
ローマ人への手紙14章10−12節
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全ての人は、共に神様の前に立つのです。

ですから、私たちは、互いにさばき合うことのないようにしましょう。
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13 ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。
14 主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。
ローマ人への手紙14章13-14節
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食べ物の事で人を滅ぼすことの無いようにしましょう。
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15 もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないで
ください。
16 ですから、あなたがたが良いとしている事がらによって、そしられないようにしなさい。
ローマ人への手紙14章15−16節
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そして、こう書いてあります。
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17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。
18 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。
19 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。
ローマ人への手紙14章17−19節
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義と平和と聖霊による喜びだと聞くとその通りだと思います。
しかし、わたしたちは、それ以外の事、食べ物の事、目に見えるさまざまな事で互いに裁きあってしまうのではないでしょうか。

そのような食べ物のことで裁きあってはいけません。
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20 食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人のばあいは、悪いのです。
21 肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。
ローマ人への手紙14章20−21節
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わたしたちは、すべての者がきよいのです。

どこまでも、神様の前でよいか悪いかを決めるのは信仰です。
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22 あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。
23 しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。
ローマ人への手紙14章20-23節
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しかし、その信仰には強い弱いがあります。
コリント人への手紙にはこう書いてあります。
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20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。
コリント人への手紙第一12章20-21節
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全ての器官が必要なのです。

電車に乗ったとき運転席に乗りますか?そうではありません。それでも、電車はあなたを目的地に運んでくれます。
教会は、一つのキリストの体です。誰もが教会を前進させる信仰を持っているのではないかもしれません。
しかし、ことさらに弱いと思える部分こそ、重要だと言われているように、信仰が弱いと思える人こそ、重要かもしれないのです。

電車はどうやって動きますか?それは、電気で動くでしょう。でも、電車に誰一人乗らなかったら電車は動けるでしょうか。
もし、10日間電車に誰も乗らないと決めたら、電車を動かしている会社はこまらないでしょうか。

だれも、「私はあなたを必要としない。」とは言えないのです。
++++++++++
ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです。
コリント人への手紙第一8章13節
++++++++++
これは、肉を食べてはいけないからではありません。

むしろキリストの自由の中で、ひとをつまづかせないためにその自由を用いないとパウロはいっているのです。

あれをしていいか、これをしていいか、その全てが信仰によります。
しかし、わたしたちの中の誰かが、もし、信仰が強いというなら、その人は、自分の信仰の強さをひけらかすのでなく、
まあ、そんな人はいないと思いますが、毒をのんでもしなないぞと、いうような事をひけらかせてもしょうがないのです。
++++++++++
22 あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。
23 しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。
ローマ人への手紙14章20-23節
++++++++++
信仰から出ていないことは罪です。
基準とするものが二つあります。
一つは信仰です。そして、もう一つは、人をつまずかせないこと、それは、結局のところ、その人を愛する愛です。

弱い人には弱い人々を獲得するため。しかし、すでにイエス様によって一つの体とされたわたしたちが互いに赦しあう事が大切なのです。
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弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
コリント人への手紙第一9章22節
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信仰の弱い人を受け入れなさい。
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【 主題聖句 】
あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
ローマ人への手紙14章1節
++++++++++
お祈りしましょう。


<祈り>



[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ20130818 信仰の弱い人を受け入れなさい
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