礼拝でのお話
テキスト版
画像がある場合
クリックで表示されます
※携帯で表示できない
物もありますので
ご了承下さい
トップページへ


音声ファイル(作成日8/11)

(PC用:MP3形式)
ワーシップ/メッセージ
※原因不明のエラーによりメッセージの音声ファイルが再生できない場合があります。
※音声ファイルの拡張子をMP3からmp3に変更しました。(20130728)
※メッセージの音声ファイルは、原稿と若干違う場合があります。
御了承下さい。

テキストの終わりへ



−−−−−−−−−−
シティーチャーチ
メッセージ20130811
−−−−−−−−−−
あわれんでくださる神によるのです
−−−−−−−−−−

++++++++++
28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は全能者力ある神。恵みと憐れみに満ちた方です。
この方を覚えて御言葉を開いてまいりましょう。

さて、金曜日の朝、8時10分に、濱本聖一先生が召天されました。
非常におだやかな笑顔でした。
まだまだ、先生にはお働きがあったとも思えたのですが、主がお定めになったことです。

わたしは、ここのところずっと日曜の夕方から月曜の夕方まで断食をして祈っていたのですが、今週それが出来ませんでした。
そのため、先生がこのようになられたとき責任を感じました。しかし、主は、引き止めているものを止めたのだと言われました。

先生は、まさに走るべき道を走り終えられたのだと主がお語りになりました。
走るべき道を走り終えて天に帰られた先生とご家族を覚えてお祈りします。

<いのり>

では、続いて、いつものように東日本の為に祈りましょう。
−−−−−−−−−−
<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
−−−−−−−−−−

では、聖書の通読箇所を見て見ましょう。
−−−−−−−−−−
8月11日(日)[ ]詩36-38/[ ]ロマ8:1-17
8月12日(月)[ ]詩39-41/[ ]ロマ8:18-39
8月13日(火)[ ]詩42-45/[ ]ロマ9:1-18
8月14日(水)[ ]詩46-49/[ ]ロマ9:19-33
8月15日(木)[ ]詩50-53/[ ]ロマ10
8月16日(金)[ ]詩54-58/[ ]ロマ11:1-24
8月17日(土)[ ]詩59-63/[ ]ロマ11:25-36
8月18日(日)[ ]詩64-67/[ ]ロマ12
−−−−−−−−−−
旧約聖書は詩篇、新約聖書はローマ人への手紙です。
今回のところには、さまざまな苦難の中でのダビデの賛美や罪の苦しみの中でのダビデの賛美が書かれています。
ダビデは罪の苦しみの中で歌います。
++++++++++
1 神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。
2 どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。
3 まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。
詩篇51篇1−3節
++++++++++
私のそむきの罪をぬぐい去って下さい。神様を信じる者。しかし、自分の罪を認めざるを得ない全ての者の祈りです。

これに対する神様の答えが、ローマ人への手紙の通読箇所のはじめ、8章の1節にこう書いてあります。
++++++++++
こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
ローマ人への手紙8章1節
++++++++++
イエス様にある者は罪に定められません。イエス様の命と言う代価による、神様からの完全な赦しがあるからです。

これらのところ是非お読み下さい。聖書を読むときあなたは神様に触れ、あなたの信仰が成長します。
そして、それが霊の成長なのです。

では、皆さん。聖書を開きましょう。
−−−−−−−−−−
【 聖書箇所 】ローマ人への手紙9章1-16節
・新改訳Up277(贈呈p243、英対p465)
・新改訳Vp303、英対p338(贈呈p278)
・口語訳p244
・新共同訳p286(贈呈p286、英対p436)
−−−−−−−−−−

朗読をお願いします。
++++++++++
【 聖書箇所のテキスト 】ローマ人への手紙9章1-16節
9:1 私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。
9:2 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。
9:3 もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。
9:4 彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。
9:5 先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。
9:6 しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、
9:7 アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」のだからです。
9:8 すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。
9:9 約束のみことばはこうです。「私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます。」
9:10 このことだけでなく、私たちの先祖イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。
9:11 その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行なわないうちに、神の選びの計画の確かさが、行ないにはよらず、召してくださる方によるようにと、
9:12 「兄は弟に仕える。」と彼女に告げられたのです。
9:13 「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」と書いてあるとおりです。
9:14 それでは、どういうことになりますか。神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありません。
9:15 神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました。
9:16 したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。
++++++++++

主題聖句を言いましょう。
++++++++++
【 主題聖句 】
すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。
ローマ人への手紙9章8節
++++++++++

では、これらの所から、「あわれんでくださる神によるのです。」
と題しまして御言葉を開いて参りましょう。

ローマ人への手紙は、福音とは何か、救いとは何かをどんな解説書よりも明確に説明してくれる書です。
パウロは、ガマリエルのもとで律法の書、旧約聖書を徹底的に学びました。その聖書知識をもとに、福音以外に救いはないという事をしっかりと捉え、それを伝えてくれています。

今回の箇所の最後がこの御言葉です。
++++++++++
したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。
ローマ人への手紙9章16節
++++++++++
事は、あわれんでくださる神によるのです。人間の願いや努力ではありません。
そのように聞くと、わたしたちは、神様に対して不満をもちます。

こう書いてある通りです。
++++++++++
18 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。
19 すると、あなたはこう言うでしょう。「それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。」
ローマ人への手紙9書18−19節
++++++++++

そのことについて、イザヤ書はこういいます。
++++++++++
ああ、あなたがたは、物をさかさに考えている。陶器師を粘土と同じにみなしてよかろうか。造られた者が、それを造った者に、「彼は私を造らなかった。」と言い、陶器が陶器師に、「彼はわからずやだ。」と言えよう
か。
イザヤ書29章16節
++++++++++
ここで、粘土と書いてあるのは、人間のことです。
私達人間は土から造られたのです。
土から造られたものと、それを造るものが同じだろうか。
造られた器が、陶器師に文句をいうだろうか。

先ほどの質問をもう一度出しますが、ここにあげるような神様への不満。
++++++++++
18 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。
19 すると、あなたはこう言うでしょう。「それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。」
ローマ人への手紙9書18−19節
++++++++++
それに対して、イザヤ書を引用しつつ、パウロは答えます。
++++++++++
20 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。
21 陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。
22 ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。
ローマ人への手紙9章20−22節
++++++++++
皆さん。その滅ばされるべき怒りの器とは誰の事ですか。
それは、全ての人間です。本来尊い器でした。しかし、堕落してしまいました。
神様が人間を造られたとき、それは良かったのです。
そして、人間は命の根源である神様にしっかりと結びついていました。
神様からの命が人を通してこの世界に流れました。

蛍光灯の光が、今ここで光っていますが、もし、後ろでつながっている線を切ればこの蛍光灯は光りません。
光っていれば、蛍光灯は綺麗な照明ですが、もし、光が失われたら、この蛍光灯が綺麗だとはあまり人は言わないでしょう。
人間は神様の命で輝いていました。しかし、罪によって神様との関係が切れたとき、滅ぼされるべき器、もう意味のないものとなりました。
そのような私たちの所に、イエス様は命をつなぎに来て下さったのです。

そもそも、私達人間は、アダムとエバが罪を犯したとき、アダムとエバが死んで、完全に滅んでいてもおかしくなかったのです。
しかし、神は、豊かな寛容を持って忍耐して下さったのです。そして、神様は、人を造りなおそうとしておられるのです。

わたしたちは、神様から造られたものです。エレミヤ書にもこう書いてあります。
++++++++++
2 「立って、陶器師の家に下れ。そこで、あなたに、わたしのことばを聞かせよう。」
3 私が陶器師の家に下って行くと、ちょうど、彼はろくろで仕事をしているところだった。
4 陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた。
5 それから、私に次のような主のことばがあった。
6 「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。――主の御告げ。――見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中
にある。
エレミヤ書18章2−6節
++++++++++
陶器師は、その器を作り直しました。

皆さん。私たちは、神様から造られたものです。
ですから、神様はわたたしたちをどのように扱ってもよいのです。
では、神様はわたしたちをどのように扱おうとされるのですか。
++++++++++
さあ、今、ユダの人とエルサレムの住民に言え。『主はこう仰せられる。見よ。わたしはあなたがたに対してわざわいを考え、あなたがたを攻める計画を立てている。さあ、おのおの悪の道から立ち返り、あなたがたの
行ないとわざとを改めよ。』
エレミヤ書18章11節
++++++++++
ここに書かれていることは厳しいです。主は悔い改めよと言われます。

しかし、主がそのように言われる本当の目的はこちらにあります。
++++++++++
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
エレミヤ書29章11節
++++++++++
主は、平安を与え、将来と希望を与える計画を持っておられるのです。

そして、そのように言われる神様が人類のために計画し、すでになされたことについて、この御言葉は伝えています。
++++++++++
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
++++++++++
一人として滅びる事無く、永遠の命を持つ。
これが、本来の神様のご計画なのです。

金曜の深夜から土曜日の早朝、濱本先生の棺のそばで、義実先生といっしょに一晩祈りました。
本当はそのような事は考えていなかったのですが、先生の顔を見たいと仕事のあとにこられた兄弟と一緒にグレイスチャペルに行き、一緒に祈ることになりました。
それは、濱本先生が残されたテープの中に、天国から戻ってくることが出来たら天国の素晴らしさを教えると、先生がおっしゃった所があったからです。
暁を呼び覚まそうといいながら、恥ずかしい事に、わたしは、最後のほう、眠ってしまっていて暁の中、義実先生に起こされたのですが、義実先生は、濱本先生が起きるようにずっと命じておられました。
どこまでもあきらめずに祈っておられる姿を見て、義実先生は本当に濱本聖一先生の後継者だと思いました。
葬儀があり、ダニエル書には火の中でも焼けなかったと書いてありますので、お骨をひらいに行った時ですら、棺は焼かれても本人はそのまま元気になって出てこないだろうかとまで思っていたのですが、そこには
先生の骨があり、その霊は神様の元に帰られました。
先生のそのお働き、それを受け継ぐものとして、私たちはしっかりと立たなければなりません。その最も受け継ぐべきものは信仰です。

さて、わたしたちが、深夜祈ったとき、その遺体、そこにはすでに霊はありません。
しかし、その遺体を見ながら神の宮ということについて考えさせられました。私たちは、生ける神の宮なのです。
++++++++++
16 神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
17 それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、
18 わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」
コリント人への手紙第二6章16−18節
++++++++++
神様の霊が入るべき入れ物としてこの肉体は作られているのです。それだけにこの体は尊いのです。
ソロモンが造った神殿、イエス様のおられた頃、エルサレムにあった神殿。
その神殿よりも、わたしたちの体は尊いのです。この身体こそ、神の宮、神殿なのです。
葬儀と言うのは、役目を終えたその神殿を取り壊すための儀式です。そういう意味で、葬儀という事をいい加減には出来ません。

また、わたしたちの体は神の霊のやどられる神殿です。
エルサレムの神殿には穢れたものを持ち込んではなりませんでした。
ですから、この神殿はよい行いの為に用いなければならないのです。
それは、神を愛し、隣人を愛することです。

さて、神様は、私達を高価だと言われます。尊いと言われます。わたしたちは、神様の栄光を表す神殿なのです。
++++++++++
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。
イザヤ書43章4節
++++++++++
ところで、この神殿、この身体に神様の霊がやどります。
この体と霊を結びつける。この体と霊の接点にあるのが魂です。
ですから、魂は霊でも肉体でもありません。
わたしたちに霊である神様が働かれるとき、この魂を通して、身体にその働きが現れます。
また、わたしたちは聖書を肉の目で読み、肉の耳で御言葉を聞きますが、それが魂を通して、霊に伝えられるのです。
ですから魂は非常に大切です。

罪のために人の魂は正しく機能しなくなってしまっています。
++++++++++
――たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない。――
詩篇49章8節
++++++++++
それを取り戻すこと。それは、神様との関係を取り戻すことにつながりますが、それは、永久にあきらめなければならないのです。

ところが、神様は、その関係を取り戻すために、イエス様をお与えになりました。
++++++++++
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
++++++++++
高価であきらめるしかない魂のあがないしろとして、神はご自身の一人子をお与えになったのです。

神様が、ひどい方なら、あなたは自分の人生をおまかせすることは出来ないでしょう。
しかし、神様は、このようなかたなのです。神様は良い方です。
++++++++++
18 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。
19 すると、あなたはこう言うでしょう。「それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。」
ローマ人への手紙9書18−19節
++++++++++
みこころのままにと書いてあります。
そうすると、すぐ、かたくなにされるほうに自分をおいたり、そのような人はどうなるのかと言う人があります。
しかし、神様のみこころはどこにあるのですか。それは、全ての人が救われることです。

頑なにされる人、あわれみを受ける人。しかし、神様は全ての人をあわれみ。すべての人が救われる事を望んでおられるのです。

肉の子どもが神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とされます。
では、肉の子どもとは誰ですか。罪の中にある全ての子どもです。ただ一人、約束の子どもはイエス様です。
そして、わたしたちは、そのイエス様のあがないによって救いの中に入れられているのです。
それはただ、そのことを信じる信仰によります。

さて、神はどんな方ですか。聖書ははっきりと言います。
++++++++++
私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
ヨハネの手紙第一4章16節
++++++++++
神様は愛です。そして、神様は良い方です。

だから、この方に信頼し、この方におまかせしてよいのです。
++++++++++
聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
ローマ人への手紙10章11節
++++++++++
この方に信頼するなら失望はありません。

私たちは、この方を信じる信仰によって神様の恵みの中に生きるのです。
++++++++++
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
ヘブル人への手紙11章6節
++++++++++
この方は良い方です。信じる者に報いて下さる。良くして下さる方です。
神様は良い方です。しかし、悪魔に騙されて、神様が意地悪だというなら、その信じた通りになります。神様が人間に与えられた信仰が働くからです。
神様は良い方です。この方が良いことをされると信じるなら、本来神様があなたの為に用意しておられるよい物がその信仰によって引き出されて貴方に与えられるのです。
あなたはその全てを信仰によって受け取ることが出来るのです。
皆さん。神様は良い方です。そのことを益々。知るために、私たちは、聖書を読み祈るのです。
この聖書はその全てを通して、神様は愛に満ち、憐れみ深い、恵み深い良い方だと教えています。信じて受け取りましょう。

この御言葉にもどってきました。
++++++++++
したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。
ローマ人への手紙9章16節
++++++++++
事は人間の努力や願いでなく、あわれんでくださる神によります。
人間の努力や願いでなく、神によると書いてありません。
あわれんで下さる神によるのです。
皆さん。この神様はあわれみ深い神様です。

濱本先生の人生も、この神様に信頼する人生でした。
自分が頑張ったと思ったことはないと先生は良く言われました。
いつも、先生は、神様に信頼し頼って生きておられました。
そして、素晴らしい働きをなしとげて天国に帰られました。

わたしたちも、どこまでもこの神様に信頼し、全てをゆだねて参りましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。・濱本先生の癒しの為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

−−−−−−−−−−
シティーチャーチメッセージ20130811 あわれんでくださる神によるのです
−−−−−−−−−−




最新の音声ファイルはこちら
(MP3形式.PCのみ再生可)
※拡張子をMP3からmp3に変更(20130728)
・ワーシップ
http://www.cityc.net/weekly/worship.mp3

・メッセージ
http://www.cityc.net/weekly/message.mp3


テキストの先頭へ
INDEXへ
TOP Pageへ