礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20130616  
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わたしの霊をすべての人に注ぐ。 
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
イエス様は十字架で死に蘇えり天に昇り、聖霊様を送って下さいました。
今、聖霊様は信じる者と共にいて下さいます。
この事を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

では、いつものように、東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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続いて、聖書の通読箇所を見て見ましょう。
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6月16日(日)[ ]T歴代11-12/[ ]ヨハ21
6月17日(月)[ ]T歴代13-15/[ ]使徒1
6月18日(火)[ ]T歴代16-17/[ ]使徒2:1-28
6月19日(水)[ ]T歴代18-20/[ ]使徒2:29-47
6月20日(木)[ ]T歴代21-22/[ ]使徒3
6月21日(金)[ ]T歴代23-25/[ ]使徒4:1-22
6月22日(土)[ ]T歴代26-27/[ ]使徒4:23-37
6月23日(日)[ ]T歴代28-29/[ ]使徒5:1-16
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旧約聖書が歴代誌第一
新約聖書がヨハネの福音書が終わって使徒の働きとなっています。

歴代誌第一の通読箇所は、ダビデ王の時代です。
その治世、礼拝の様子などが書かれています。
新約聖書、ヨハネの福音書21章は、蘇えられたイエス様と弟子たちの出会いと会話です。
そして、使徒の働きへと入ります。

皆さん。聖書を読みましょう。
毎日聖書を読むときに、あなたはイエス様の命に触れるのです。
では、今日は、使徒の働きから2章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】使徒の働き2章14-28節
・新改訳Up210(贈呈p186、英対p343)
・新改訳Vp229、英対p256(贈呈p213)
・口語訳p182
・新共同訳p215 (贈呈p215、英対p328)
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朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
使徒の働き2章14-28節
2:14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私の
ことばに耳を貸してください。
2:15 今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。
2:16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
2:18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
2:19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
2:21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』
2:22 イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと、不思議なわざと、あかしの奇蹟を行なわれました。それらのことによって、神はあなたがたに、
この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。
2:23 あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。
2:24 しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。
2:25 ダビデはこの方について、こう言っています。『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。
2:26 それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。
2:27 あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。
2:28 あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。』
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
使徒の働き2章17節
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では、これらの所から、
「わたしの霊をすべての人に注ぐ。」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

さて、今回から使徒の働きです。
使徒の働きは、ルカの福音書の続きとして、ルカが書いたものです。
そんなことどうしてわかるんですか。
それは、聖書に書いてあるとおりです。

聖書は、聖書だけ読めば考古学の本など引っ張り出さなくても良いように、時代背景や著者などが結構ちゃんと書いてあるのです。
そういう意味では、聖書は不思議な本ではありません。
しかし、この本は、信仰を持って読むときに神様の命に触れることの出来る本です。

さて、今回はこの使徒の働きの最も重要なテーマである。
聖霊降臨。ペンテコステについてお話しします。

ペンテコステは、5旬節と言う意味です。
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五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
使徒の働き2章1節
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この五旬節と書いてある言葉が原語のギリシャ語では、
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πεντηκοστη ペンテーコステー
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と書かれています。

この五旬節はユダヤの三大祭の一つです。
それは、五旬節と言われたり七週の祭りといわれたりしますが、旧約聖書を見ると、七週の祭りといわれています。
五旬節は五十日目。
七週の祭りは、49日が過ぎた日という意味です。
今日から二日後と、今日から三日目が同じ日になるように、五旬節と七週の祭りは同じ日をさしています。

ユダヤ教では、その日は初穂の祭りといわれますが、同時に、モーセが神様から律法を受け取った日とも言われます。

旧約聖書では、石の板に律法の中心となる十戒が刻まれました。
しかし、ペンテコステにおいては、聖霊様ご自身が、私たちの中に来て下さったのです。
これは、大いなる喜びの日です。
その日聖霊様が注がれました。
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3 また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。
4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
使徒の働き2章3-4節
++++++++++
聖霊様によって、私たちは力を受けます。私たちは、ペンテコステ派や聖霊派と呼ばれます。
キリスト教のプロテスタントにある教派すべてを説明しませんが、
私たちは、この使徒の働きにおいて起こった聖霊様の注ぎとその力ある働きが今もあると信じています。
そして、その中心に他国の言葉。すなわち異言の祈りがあると信じているのです。

皆さん。この聖霊様が注がれる事は、十字架の目的です。
イエス様が十字架で支払われた代価によって聖霊様は与えられたとも言えるからです。

また、聖霊様が注がれることは、神の創造の目的でもあったのです。

皆さん。創世記にこう書いてあります。
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神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
創世記1章27節
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神様は、人を神様の形に創造されました。

イエス様は、こういわれました。
++++++++++
16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなた
がたのうちにおられるからです。
18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
19 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。
20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。
ヨハネの福音書14章16-20節
++++++++++
聖霊様がこられるとき、私たちの内にイエス様がおられ、イエス様の内に私たちがいて、父なる神様とイエス様と私たちが一つとされるのです。

私たちは神の器です。神の形とは、この神の器なのです。

私たち人間は、本来、神様が共におられて、この地上において神様の栄光を表す存在だったのです。

しかし、アダムとエバの罪によってその関係は失われました。
その関係がイエス様の贖いによって取り戻され、その結果聖霊様が与えられるのです。
そして、父なる神様と、イエス様と、私たちは、聖霊様によって一つにされるのです。

では、誰に聖霊様は注がれるのですか。
先程のところではこう書いてあります。
++++++++++
17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
使徒の働き2章17-18節
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すべての者です。
老いも若きも男も女も、どんな身分でも聖霊様は注がれるのです。

ただ、そのためには、人は、救われなければなりません。
しかし、その救いは福音を信じるすべてのものに与えられているのです。
++++++++++
私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
ローマ人への手紙1章16節
++++++++++
ですから福音を信じる全ての者に聖霊様が注がれます。

では、聖霊様が働かれるとどうなりますか。
++++++++++
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
使徒の働き1章8節
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聖霊様によって力を受けます。

また、マルコの福音書には、信じるものにしるしが伴うと書かれていますが、そのしるしも、聖霊様の力によります。
++++++++++
17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
マルコの福音書16章17-18節
++++++++++
これらを見ると、聖霊様は宣教のための力のようです。
しかし、本来はそうではありません。
神と私たちが一つとなることは、宣教の為の方策ではなく、人間が創造された本来の姿なのです。

とはいえ、聖霊様によって歩むなら、この力が働きます。

そして、力以上に大切なのは実です。
聖霊の実についてこう書いてあります。
++++++++++
22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
ガラテヤ人への手紙5章22-23節
++++++++++

聖霊様によって、神の愛が注がれます。
そして、受けた神の愛を感謝をもって表すのです。
ですから、自分はこんなに立派な事をしたと人に示すのが愛ではありません。
主にしっかり結びつきましょう。そして、主の愛を表すのです。

また、主を信じるものには心の中から喜びがわきあがります。
それは、神様に与えられる喜びです。
人はどんなに状況が良くても、不満ばかりいう事も出来ます。
しかし、聖霊様によるなら全てのことについて、主に感謝することが出来ます。
そこに喜びが沸き起こるのです。

平安もそうです。どんな状況でも、あなたが主に向くなら主は平安を与えて下さいます。

主への感謝と平安があるから、わたしたちは、寛容であることが出来ます。
また、親切であることが出来ます。
不安で不満だらけだったら、自分の事ばかり考えてしまうでしょう。
しかし、わたしたちは、主への感謝と平安の中を歩むことが出来ます。

誠実もそうです。
嘘は何のためにつきますか。
それは、結局、自分を守る為、自分の利益の為です。
しかし、主が守って下さるなら、私たちは嘘をついたりだましたりする必要はありません。

そして、主の愛の中で、わたしたちは柔らかな心を持つことが出来ます。

自制という時、日常的な問題として上がるのが言葉ではないかと思います。
人の悪口や不満がつい口からでてしまいます。
しかし、この主の愛と平安の中で、わたしたちは、忍耐を持ち、また、正しい言葉を語ることが出来るのです。

では、この聖霊様に私たちが満たされるためにどうしたらいいでしょう。
++++++++++
この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。
使徒の働き1章14節
++++++++++
イエス様が天に昇られ聖霊様が注がれるまでの間、使徒たちは祈っていました。

また、ペテロがコルネリオの所に行った時にはこんなことがありました。
++++++++++
43 イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」
44 ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
使徒の働き10章43-44節
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彼らは御言葉を聞いていたのです。

ですから、祈りと御言葉が大切です。

また、ヨハネの福音書にこうかいてあります。
++++++++++
風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
ヨハネの福音書3章8節
++++++++++
文語訳では、風はおのが好むところに吹くとなっています。

聖霊様は何を好まれるでしょうか。

皆さん。私たちが聖霊を受けることがイエス様の目的です。
++++++++++
しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わた
しは助け主をあなたがたのところに遣わします。
ヨハネの福音書16章7節
++++++++++
そのため、イエス様は天にあげられたとも言えるのです。

イエス様が聖霊を受けなさいといわれました。
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そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
ヨハネの福音書20章22節
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このイエス様が天に上げられる前に、一つだけ戒めを残されました。
それが、これです。
++++++++++
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネの福音書13章34節
++++++++++
互いに愛しあいなさい。
イエス様の目的は私たちが聖霊様を受けることです。
ですから、その戒めは、聖霊様を受けやすくする事であるはずです。
もし、聖霊様が律法で裁きあうことを好まれるなら、イエス様はそう言われたでしょう。
しかし、イエス様は、互いに愛し合いなさいといわれたのです。
それは、その事が聖霊様の好まれる事だからです。

皆さん。わたしたちが互いに愛し合うことに聖霊様が働かれるのです。
私たちは愛し合うためには許さなければなりません。
違いを認めあわなければなりません。
受け入れあわなければなりません。

そうでなければ愛し合うことは出来ません。
あの人は私と違うから嫌だといっていたのでは愛することは出来ません。
ですから赦すということが重要になります。

ところで聖霊様は、そもそも誰に注がれるのでしょうか。
++++++++++
17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
使徒の働き2章17-18節
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それは全ての人です。
神は全ての人に聖霊様を注ごうとされます。
それは信仰によって受けるものであり、罪の赦しと贖いによって受けるものなので、イエス様を信じるものしか受け取ることは出来ません。
しかし、その恵みは全人類に与えようとして用意されたものなのです。

ですから、私たちは裁きあうことは出来ません。

互いが信徒ならなおさらです。
神の霊の注がれた神の器をさばくことになってしまうからです。
だからわたしたちは赦しあわなければなりません。

では、許しとはなんでしょう。
赦しとは。罪を覆うことです。

ダビデは罪を覆われたものの幸いを歌いました。
そして、私たちは、イエス様の身代わりの死によって罪が赦されたものです。
裁きではなく赦しをイエス様は与えて下さいました。

前にもいいましたが、アダムとエバは何をしましたか。
二人は、お互いを、そして、自分自身を裸だと裁いたのです。

創世記1章には神の創造された世界は全て良かったと書いてあります。
そこに悪いものはありませんでした。
すべてが良かったのです。
悪いと判断されるべき物はありませんでした。
隠すべきものなど無かったのです。
しかし、蛇の姿をした悪魔に騙されたアダムとエバは、善悪の知識の木の実を食べた結果、自分達を、お互いを、恥ずかしいと判断したのです。
良くないと宣言したのです。
良くないというレッテルを貼ったのです。
その瞬間。アダムとエバの裸は悪いものとなりました。
神様の作品に大きく×印をつけたのです。
すべてが良かった世界のその最も良い神様の傑作を悪いと宣言したのです。
信じたとおり、告白したとおりになります。

その宣言はその通りになりました。それは呪いです。

皆さん。あなたの見るものを悪いと宣言するときあなたはそれを呪っているのです。

神の創造された完全な世界をアダムとエバは、悪いと宣言して呪ったのです。

ノアの箱舟の話でも同じことが起こります。
大洪水の後、裸のノアを見てハムが裸だと他の兄弟に告げたのです。
お父さんは裸だ。悪いと宣言したのです。
ですから、その裸を、セムとヤペテは覆ったのです。

悪いと宣言し呪う者を神は裁かれ、罪を覆うものを神は喜ばれます。

ですから、私たちにとって一番目に大切な事は、互いを裁かない事です。赦し合う事です。
常識的に見て、とか、裁いているわけではないけど、と言いながら、私たちは人の悪口を言ってしまいます。
そのように、人の悪いところをあげてしまうことの無いように気をつけなければなりません。

わたしたちは、自分が律法の守り主であるかのように考えていないでしょうか。
++++++++++
4 兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。
5 偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。
マタイの福音書7章4-5節
++++++++++
マタイの福音書でイエス様は言われました。
自分の目から梁を取り除けなさい。
これを言われたものは、イエス様から、偽善者たちといわれています。
まず、自分の罪を取り除いてから人の罪を裁きなさいという意味ですか。

自分の罪は、自分で取り除けるのですか。それはイエス様の十字架無しに解決出来ないのです。

だとしたら、ここで言われているのは何ですか。
裁くなという事、裁くのではく謙り赦せということではないでしょうか。

もちろん、互いに勧め励ましあえとも書かれています。
しかし、自分の心がどうか良く見なければなりません。
自分の嫌なものを否定するために人を罪に定めていないでしょうか。
人を裁いて自分が喜んでいないでしょうか。
私たちは、まず、赦し合い、愛し合うのです。
そこに聖霊様が働かれると期待するからです。

自分が上手に助言したから人は変わるのですか。
聖霊様が働かれた時人は変わるのです。
そしてそれこそが主の栄光です。

どうであっても一つはっきしているのは、聖霊様は、罪の赦しに働かれるのです。
罪を赦し、愛し合うことに働かれるのです。

皆さん。御言葉を読みましょう。信仰を持って父なる神様に祈りましょう。そして、互いに愛し合いましょう。
そこに聖霊様は働いて下さいます。お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。・濱本先生の癒しの為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。
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シティーチャーチメッセージ20130616 わたしの霊をすべての人に注ぐ。 
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