礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20130602
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わたしを愛する人
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、聖霊様によって、私たちと共にいて下さる方。
私たちをいつも守り、導いて下さる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、いつものように東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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では、聖書の通読箇所を見て参りましょう。
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6月2日(日)[ ]U列王3-4/[ ]ヨハ13:1-20
6月3日(月)[ ]U列王5-6/[ ]ヨハ13:21-38
6月4日(火)[ ]U列王7-8/[ ]ヨハ14:1-21
6月5日(水)[ ]U列王9-10/[ ]ヨハ14:22-31
6月6日(木)[ ]U列王11-13/[ ]ヨハ15
6月7日(金)[ ]U列王14-15/[ ]ヨハ16:1-16
6月8日(土)[ ]U列王16-17/[ ]ヨハ16:17-33
6月9日(日)[ ]U列王18-19/[ ]ヨハ17
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旧約聖書が列王記第二
新約聖書がヨハネの福音書です。
列王記第二は、エリヤ、エリシャといった預言者たちが登場します。
そして、アッシリヤによるイスラエル王国の滅亡が書かれています。

この17節にはこう書いてあります。
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6 ホセアの第九年に、アッシリヤの王はサマリヤを取り、イスラエル人をアッシリヤに捕え移し、彼らをハラフと、ハボル、すなわちゴザンの川のほとり、メディヤの町々に住ませた。
7 こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王パロの支配下から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、
8 主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習に従って歩んだからである。
列王記第二17章6-8節
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イスラエルの罪がイスラエルを滅びに導いたのです。
わたしたちも、悔い改めとへりくだりを持って主の前に出ましょう。

また、ヨハネの福音書は、お話しの中で見てまいりましょう。

聖書は生ける神の言葉です。
この言葉に触れるとき、私たちは今も生きて働かれるイエス様に触れます。
その事を、あかしして下さるのが聖霊様です。
皆さん。聖書を読みましょう。

では、ヨハネの福音書14章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ヨハネの福音書14章12-21節
・新改訳Up191(贈呈p171、英対p315)
・新改訳Vp210、英対p234(贈呈p195)
・口語訳p165
・新共同訳p197 (贈呈p197、英対p302)
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朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】ヨハネの福音書14章12-21節
14:12 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。
14:13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。
14:14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。
14:15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あ
なたがたのうちにおられるからです。
14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
14:19 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。
14:20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。
14:21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。
ヨハネの福音書14章21節
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では、これらの所から、
「わたしを愛する人」
と題しまして御言葉を開いて参りましょう。

さて、今回の箇所は、最後の晩餐の場でのイエス様の御言葉です。
ヨハネの福音書は、最後の晩餐でのイエス様のなさった事や御言葉を細かに記しています。
13章から17章までが最後の晩餐です。
その後、18章はゲッセマネの祈りの後、イエス様は捕らえられ、19章で十字架、20章で復活、21章でガリラヤで弟子たちとお会いになります。
ちなみに12章でエルサレム入城です。

特にそのなかでもこの最後の晩餐にヨハネは注目しています。

14章の冒頭ではイエス様はこういわれます。
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あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
ヨハネの福音書14章1節
++++++++++

イエス様は、「心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
と、言われます。
私たちは、いろいろな事で心を騒がせます。
しかし、私たちが心を騒がせないのは、神を信じること、イエス様を信じることによります。

世の中は不安な事が沢山あります。
また、自分の失敗や罪によって不安になることもあります。
人から何かされたり、言われたりすることによって不安になることもあるでしょう。

しかし、イエス様は言われます。
「神を信じ、またわたしを信じなさい。」

皆さん。平安はどこから来るのでしょう。
なにがあれば安心ですか。
スーパーに買い物にいって色々カゴに入れた後、レジの前で財布に少ししかお金の無いことに気付いたら、たりるかどうか不安になりませんか。

お金を沢山もっていたら安心だと人は考えます。
しかし、どれだけ持っていたとしても、何が起こるかわかりません。
最近起こった竜巻などは、そのために、全ての物が失われた人もいます。

同じ14章にはこうも書いてあります。
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26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはな
りません。
ヨハネの福音書14章26-27節
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主は私たちに平安をお与えになります。
それは、この世の与えるものとは違います。
お金によるのではない、物によるのではない平安。
神自らがお与えになる平安。
それを聖霊様が教えて下さいます。

また、その平安は、ただ、神を信じ、イエス様を信じることにあります。
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あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
ヨハネの福音書14章1節
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イエス様は、神を信じ、またわたしを信じなさいといわれました。

ローマ人への手紙にもこう書いてあります。
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聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
ローマ人への手紙10章11節
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お金も、物も、時には人も、失われ失望することがあるかもしれません。
しかし、主に信頼するなら、失望することはありません。

不安は、人間の罪と密接につながっています。

創世記を見ますと、こう書いてあります。
++++++++++
そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。
創世記2章25節
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そもそも人は、裸でいても恥ずかしいと思いませんでした。
また、裸で何も持っていなくても大丈夫だったのです。
それは、神が全てを備えておられ、その中に生きていたからです。

ところが、蛇の姿の悪魔に誘惑され、神が食べたら死ぬといわれた善悪の知識の木の実を食べました。
++++++++++
6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
創世記3章6-7節
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すると、自分達が裸であることを知り、腰を覆ったのです。

皆さん。もし、その時の人間が裸であることが良くないことであるなら、神様ははじめから服を与えておられたのではないでしょうか。
++++++++++
そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。
創世記1章31節
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神がおつくりになった世界は、非常によかったのです。
その中には、人間もいました。

それなのに、それが良くないと人間は勝手に判断したのです。
神様が造られた良い世界。全てが良かった世界に、悪いという判断を持ち込んだのです。
神様が良いと言われ祝福された世界を、その最も神様がすばらしい存在として造られた人間を悪いと宣言したのです。
そのことによって、人は、神様の造られた世界を呪ったのです。

彼らは、神様の造ってくださったまま、与えて下さったままを良いと受け止めることが出来なかったのです。

そのため、不安になり、神様からさえ隠れてしまったのです。
++++++++++
8 そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。
9 神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」
10 彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」
創世記3章8-10節
++++++++++
あなたが芸術家で何か良く出来た作品を制作し、どこかに飾ります。
それを人が、こんなもの人に見せられないといって隠したら、あなたにとって失礼なのではないですか。

人は、神様が素晴らしい物だと造られた最高の作品を隠したのです。
彼らは、自分が善悪の知識の実を食べたから隠れたのではありません。
裸だから隠れた、つまり、神様の造られた自分自身を良くないと判断して隠したのです。

もし、神様が良い方だと信じるなら、アダムとエバが裸でも、なんら問題はなかったのです。

今、わたし達は、裸でうろうろしているわけには行きません。
そんなことをしたらつかまってしまいます。

しかし、本来、人間は、恥ずかしい存在ではなく、よい物なのです。

皆さん。クリスチャンであっても、自分は足らないと考えておられる方があります。
しかし、誰があなたを造られたのですか。
神様が貴方を造られたのです。
ですから、主は言われます。
++++++++++
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
イザヤ書43章4節
++++++++++
一人ひとりが、神の創造です。

そして、今、イエス様の十字架の代価によって買い取られたものです。

14章にお話しをもどします。
++++++++++
1 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。」
ヨハネの福音書14章1-4節
++++++++++
私たちは、神を信じることによって平安を得るのです。

皆さん。世にあっては患難があるともイエス様は言われます。
しかし、天国には、私たちの為の住まいも用意されているのです。

これは、イエス様は十字架に架かられる前夜の言葉です。
これから、十字架に架かり、天に上げられようとするイエス様の言葉です。

そして、これをうけてトマスが聞きます。
++++++++++
5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」
6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
7 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」
ヨハネの福音書14章5-7節
++++++++++
トマスは、天国への道を知らないといいました。
イエス様が、あなたがたも知っていますと言われたのに、トマスは知らないといったのです。
ここで、道であり、真理であり、いのちであるという有名な御言葉が語られるのです。
トマスの知っているイエス様こそが、天国への道です。
また、イエス様こそが永遠の命を与えて下さるかた、いや、永遠の命そのものです。

そして、イエス様を見たものは父を見たのだと言われるイエス様に対し、ピリポは父を見せて下さいといいます。
++++++++++
8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」
9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてくださ
い。』と言うのですか。
ヨハネの福音書14章8-9節
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しかし、イエス様は、わたしを見たものは父を見たのだといわれます。
父なる神様は目に見えません。
しかし、その父なる神様を現すために、神の子であるイエス様は人となって来られたのです。
また、イエス様を通して、人が父なる神様を知ることが出来るようにされたのです。

わたしが父におり、父がわたしにおられる。
イエス様を通して、父なる神様があらわれておられるのです。
++++++++++
10 わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをし
ておられるのです。
11 わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。
12 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。
13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。
ヨハネの福音書14章10-13節
++++++++++
そして、その事がイエス様のなさる御業によって示されます。
しかし、そのイエス様と父なる神様が聖霊様によって私たちの内におられることによってわたし達は、さらに大きなわざをおこなうのです。

今、わたしたちは、この聖霊様と、すべてに勝るイエス様の御名が与えられています。
++++++++++
14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。
15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなた
がたのうちにおられるからです。
ヨハネの福音書14章14-17節
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わたしたちは、その御名によって歩むのです。
それをするうえで、大切な事は戒めを守ることです。

では、わたしの戒めとはなんでしょう。
++++++++++
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネの福音書13章34節
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これが戒めです。
律法の全てを超えて、愛という戒めをイエス様はお与えになりました。

ところで、この愛という事を考えるとき、神様がエデンの園で人間を愛するゆえに与えられた最も大きな物が何であったか考える必要があります。
それは、自由意志です。神様は人間をロボットとして造られたのではなく、人格を持ったものとして造られました。
それゆえ、善悪の知識の木を生えさせ、それを食べることも食べないことも出来るという自由を与えられたのです。
キリストは自由を与えるために私たちを解放して下さいました。この自由を私たちは、主に従うために用いなければなりません。
しかし、アダムとエバは、神様からいただいた自由で、罪を犯したのです。

それでも、神様は、私たちの人格を大切にしておられます。
ですから、私たちは互いを強制してはならないのです。

例えば聖餐式のとき、決して、そこから取って人に渡すような事をしてはなりません。
一人一人が自分で信仰をもって取らなければなりません。
それは、自分自身の信仰によらなければならないからです。

また、何かあげたら愛を示したような考えではいけません。
それは、自己満足である場合があります。

愛とは相手を良く知ろうとすることです。
ですから、自分の考えばかり人に押し付けるのではなく、人の話を聞くことが大切です。

それが、相手の人格を尊重することです。

人から貰って嬉しい時ばかりでは無い事、アドバイスを受けても嫌な時がある事を良く知っているのではないでしょうか。
どんなに愛だといっても押し付けになってはいけません。それは自己満足になってしまいます。

その事が、自分の立場に変えることが出来ればわかるのではないでしょうか。

ところで、ヨハネの福音書11章には、こうも書いてあります。
++++++++++
24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」
ヨハネの福音書11章24-25節
++++++++++
祈り、信仰をもって受け取る。これは大切です。その事と、赦しはセットなのです。
なぜなら、わたし達がうけるのは恵みだからです。

これらのイエス様の御言葉に留まるなら、私たちはさらに恵みの中を歩むことが出来ます。
++++++++++
20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。
21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」
ヨハネの福音書14章20-21節
++++++++++
そのことは、聖霊様によるのです。

ただ、聖霊様に満たされたらそれでいいのではありません。
私たちは、神の愛によって互いに赦し合い、愛し合えるように祈らなければなりません。
聖霊様はその事をなして下さいます。

聖霊様は、私たちが主の戒めの中に歩むことが出来るように導いて下さいます。
++++++++++
15 もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
ヨハネの福音書14章15-16節
++++++++++
さらに聖霊様を求めてお祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。・濱本先生の癒しの為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ20130602 わたしを愛する人
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