礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20130421
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神の国のために
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、王の王、主の主。
すべてに勝る方。
あなたを愛し導いて下さる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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では、続いて聖書の通読箇所を見て見ましょう。
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4月21日(日)[ ]Tサム3-5/[ ]ルカ17:20-37
4月22日(月)[ ]Tサム6-8/[ ]ルカ18:1-17
4月23日(火)[ ]Tサム9-10/[ ]ルカ18:18-43
4月24日(水)[ ]Tサム11-13/[ ]ルカ19:1-27
4月25日(木)[ ]Tサム14/[ ]ルカ19:28-48
4月26日(金)[ ]Tサム15-16/[ ]ルカ20:1-26
4月27日(土)[ ]Tサム17/[ ]ルカ20:27-47
4月28日(日)[ ]Tサム18-19/[ ]ルカ21
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旧約聖書がサムエル記第一、新約聖書がルカの福音書です。

サムエル記第一は、聖書の中でも物語として読める非常に面白いところです。
サムエルや、サウル、ダビデの活躍が書かれています。
中でも、ダビデとゴリアテの戦いは有名です。
是非、これらの所を御読み下さい。

ルカの福音書は、イエス様のたとえ話や教えが続きます。
是非、お読み下さい。

では、今回は、このルカの福音書から18章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ルカの福音書18章29-43節
・新改訳Up140(贈呈p126、英対p232)
・新改訳Vp154、英対p172(贈呈p145)
・口語訳p121
・新共同訳p145 (贈呈p145、英対p224)
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朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】ルカの福音書18章29-43節
18:29 イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、
18:30 この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」
18:31 さてイエスは、十二弟子をそばに呼んで、彼らに話された。「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現されるのです。
18:32 人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。
18:33 彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
18:34 しかし弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。彼らには、このことばは隠されていて、話された事が理解できなかった。
18:35 イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。
18:36 群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事ですか、と尋ねた。
18:37 ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、
18:38 彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と言った。
18:39 彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。
18:40 イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。
18:41 彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか。」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです。」と言った。
18:42 イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と言われると、
18:43 彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
「まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありませ
ん。」
ルカの福音書18章29-30節
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では、これらの所から、
「神の国のために」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

まず、今回の箇所は、この出来事の続きです。
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18 またある役人が、イエスに質問して言った。「尊い先生。私は何をしたら、永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」
19 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかにはだれもありません。
20 戒めはあなたもよく知っているはずです。『姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。父と母を敬え。』」
ルカの福音書18章18-20節
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この役人の質問に対し、良く知っているはずだといわれます。
そうです。彼は、律法に精通したユダヤ人です。
ユダヤ人は今でも聖書の言葉を大切にします。
今でも正統派のユダヤ人は熱心に聖書を暗唱します。
モーセ五書全てを暗唱出来る者も多くいるのだそうです。

彼は、聖書の律法を良く知っていました。
そして、イエス様は、良く知っているはずだと言われ、モーセの十戒に書かれた言葉を語られます。

すると、彼は、こう答えます。
彼は、「そのようなことはみな、小さい時から守っております。」と答えます。
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21 すると彼は言った。「そのようなことはみな、小さい時から守っております。」
22 イエスはこれを聞いて、その人に言われた。「あなたには、まだ一つだけ欠けたものがあります。あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになりま
す。そのうえで、わたしについて来なさい。」
23 すると彼は、これを聞いて、非常に悲しんだ。たいへんな金持ちだったからである。
ルカの福音書18章18-23節
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そこで、イエス様は、全てを売り払い、施して、私について来なさいといわれます。
ところが、彼は、自分の財産を売り払うことも困難なほどの金持ちでした。
彼は多くのものを持っていたがゆえに簡単に手放すことは出来なかったのです。

逆にあまり持っていなかったら手放しやすいかというとそうでも無いかもしれませんが、とにかく、彼は、手放すことが出来ませんでした。

それで、イエス様は、言われます。「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。」
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24 イエスは彼を見てこう言われた。「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。
25 金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
ルカの福音書18章24-25節
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金持ちという言葉は、多くの場合やっかみから悪い意味にとられ、金だけを追い求めている人というふうな意味に取られることがあります。
しかし、ここでの金持ちをそう取る事は間違いです。なぜなら、彼は律法を大切に守り行なっていた人だったからです。
ですから、ここに書かれている金持ちは、むしろ、この世において成功した立派な人と置き換える事が出来ると思います。

何もせずに裕福な人もいるかも知れませんが、多くの裕福な人は、まじめに努力した人です。
もちろん、今の時代、勤勉に働いたら必ず裕福になれるわけではないかも知れません。
しかし、多くの裕福な人は、何かを一生懸命にやった人ではないでしょうか。
沢山のお金を稼ぐ野球選手も、特別な資格を持って仕事をする医者や弁護士といった人も、多くの人は努力してそれを手に入れているのです。
ところが、ここに出てくる役人の場合、その結果得たものが彼が御国に入るための妨げとなったのです。

ここで、針の穴と書かれていますが、エルサレムには針の門と呼ばれる門があったと言われます。
その門は狭く、らくだが通るときに、荷物を積んだままでは通れません。積んでいる荷物を降ろさなければならないのです。
そうすると、らくだの体だけになってその門を通ることが出来ます。
らくだもきっと、荷物がなくなって、らくだと思いながら門を通るのでしょう。

人は、自分の荷物をもって天国に行くことは出来ません。
実際、死んでしまえばなにも持っていくことは出来ません。
そうわかっていても、今、それらを手放すことが出来ないのが人間です。

パウロはいいます。
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4 ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。
5 私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、
6 その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。
7 しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。
8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、
私には、キリストを得、また、
9 キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。
ピリピ人への手紙3章4-9節
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パウロは、熱心に立派に生きてきた人でした。
しかし、キリスト・イエスを知っている素晴らしさのゆえに、損と思うようになったのです。
律法による自分の義とあります。多くの日本人は聖書の律法を知らないかもしれませんが、それでも自分の義があります。
そして、その自分の義が神様との関係をさまたげるのです。

そもそも人が神様から離れたその理由はこれです。
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5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
創世記3章5−7節
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人は、神のようになり、善悪を知るようになるという悪魔の偽りにだまされたのです。
その結果として彼らが知ったのは、自分が裸であるということでした。
自分の弱さを知っただけのことだったのです。
そして、その弱さを隠そうとしました。
本来、神様が創造されて、隠す必要のないことさえ、それを弱さ、たらなさと感じてそれを隠し、神様の前に出れなくなってしまったのです。

彼らはなぜ、神様から隠れたのですか。
罪を犯したからではありません。それは、自分達が裸だったからといっています。
彼らにとって神様の戒めを破ったことより、裸であることのほうが問題だったのです。

神様が彼らを裸に創造されました。
だから隠す必要がなかったのに、神様の前で隠そうとしたのです。

自分の義を立てようとするなら、結局、人は自分の弱さを知ります。
そのため、それを隠そうとしたりするようになるのです。

お話しをもどしますが、立派な人も救われないなら、だれが救われるのか。
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26 これを聞いた人々が言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」
27 イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」
28 すると、ペテロが言った。「ご覧ください。私たちは自分の家を捨てて従ってまいりました。」
ルカの福音書18章26-28節
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この質問の答えは、神には出来るでした。

パウロも言います。
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24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
ローマ人への手紙7章24-25節
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誰が、この体から、救い出してくれるのでしょう。
そして、その答えはイエス様です。

人には出来ない事を、神の御子イエス様がなして下さるのです。
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26 これを聞いた人々が言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」
27 イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」
28 すると、ペテロが言った。「ご覧ください。私たちは自分の家を捨てて従ってまいりました。」
ルカの福音書18章26-28節
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すると、ここで、実際に、家を捨ててイエス様に従ったペテロが出てきます。

これもまた、自分の義を立てているように見えなくもありません。

しかし、イエス様はいわれるのです。
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28 すると、ペテロが言った。「ご覧ください。私たちは自分の家を捨てて従ってまいりました。」
29 イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、
30 この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」
ルカの福音書18章28-30節
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皆さん。イエス様に従うことには報いがあります。
動機が間違っていても、主に目を向け続け、主に従っていくなら、主が整えて下さいます。

皆さん。救いは恵みによります。
どんなに捧げても、どんなに努力しても、救いを得ることは出来ません。
それは、ただ恵みによります。
しかし、恵みの中に生き、神様に従い、神様に捧げていくとき、そこには報いがあるのです。

私たちは、神様から恵みを受けます。
++++++++++
1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
コリント人への手紙第二6章1−2節
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私たちは、このように神の恵みの中に生かされています。
しかし、その恵みを神の為に生かすことも出来れば、自分の好き勝手にしたり、無駄に使うことも出来るのです。

もし、あなたが、この恵みを、神様の為に用いるなら、そこには報いがあるのです。

ここでは、家、妻兄弟、両親、こどもを捨てたものとあります。
それは、人にとって大切なものではないでしょうか。

どれも、大切です。
簡単に捨てれるものではないでしょう。

しかし、私たちに主が問われているのは何を第一にするかです。
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33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
マタイの福音書6章33-34節
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ところで、ペテロは、イエス様の素晴らしさに触れ、イエス様を信じたから従ったのです。
いやいやではありません。
それは、信仰によらなければなりません。

皆さん。あなたにとって神様が一番でしょうか。
何が一番でしょうか。

もし、あなたにとって神様が一番でないなら、ペテロのようにイエス様の素晴らしさをしらなければなりません。

あなたがもっと神様を知りたいなら、聖書を読みましょう。祈りましょう。
そのようにして神様を第一にしていくとき、主が全てを養ってくださるのです。

それを最も示されたのがイエス様です。
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32 人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。
33 彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
34 しかし弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。彼らには、このことばは隠されていて、話された事が理解できなかった。
ルカの福音書18章32−34節
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命をかけて、神の御計画をすすめられたのです。

さて、そこに、一人の盲人がいました。
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38 彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と言った。
39 彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。
40 イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。
ルカの福音書18章38-40節
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彼は、なにも差し出すものを持っていなかった人です。
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41 彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか。」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです。」と言った。
42 イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と言われると、
43 彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。
ルカの福音書18章
++++++++++
しかし、彼は、ただへりくだり、イエス様の前に出たのです。
すると、彼は救いを得ました。

彼は、何も差し出しませんでした。
ただへりくだり、信仰でイエス様の前に出たのです。

先程の役人のところで、いろいろな理屈を考えて見ました。
しかし、神様の前で、そんなことは何の関係もないのだということを教えられます。

ただ、イエス様の前に、信仰をもってへりくだりでていく。救いはそこにあります。

だから皆さん。本気で神様に信頼しましょう。神様により頼みましょう。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。・濱本先生の癒しの為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ20130421 神の国のために
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