礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20130331
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あなたの信仰が、あなたを救ったのです。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
イエス様は、十字架でご自身の命をもって贖いをなしとげて下さいました。
イエス様は、よみに下り、死を打ち破られました。
イエス様は、三日目に蘇えられました。
このイエス様を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

では、いつものように、東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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あらためまして、皆さん。復活祭おめでとうございます。
イエス様が蘇えられたこのことは、ほんとうにめでたいことです。
それは、死に対する勝利です。また、悪魔に対する勝利です。
キリスト教には3つのお祭りがあります。

一つはクリスマス。
これはイエス様の御降誕をお祝いするお祭りです。
そして、二つ目が、この復活祭。これは、イエス様が死んで蘇えられたことをお祝いするお祭りです。
そして、最後にペンテコステ。これは、イエス様が復活されてから50日目に聖霊様が下られたことをお祝いするお祭りです。
その中で、復活祭は特に重要です。
イエス様の死と復活がなければ、救いはないからです。
そして、救いがないなら、イエス様が地上にお生まれになった意味はなく、私たちとも関係がありませんし、聖霊様も下られません。
すべては、このイエス様の死と復活にかかっているのです。

ですから、今日の復活祭は、私たちにとって最も大切な喜ばしい日です。
また、この復活をお祝いするために、私たちは日曜ごとにここに集まっているともいえるのです。

そのうえで、イエス様が十字架につかれた受難日を考えますと、その日も喜びの日です。
なぜなら、その日、イエス様は命をもって私たちの罪の為の支払いを完了して下さったからです。
日本では、ブッダの死んだ日にちなんで仏滅といって良くない日としたりもします。
また、キリスト教の中でも、イエス様の十字架の日は悪い日だと考える人もあるようですが、聖書からみるなら違います。
それは、イエス様が命をもって代価を払われた喜びの日です。
そして、今日はイエス様が復活された復活祭です。

今年はこの受難週に、CSKキャンプがありまして、淡路島に行ってまいりました。
いつもより少ない参加者でしたが、楽しい、充実したキャンプとなりました。
イースターエッグを探したりして、イエス様の十字架を覚える時ともなりました。
主に感謝します。お祈りありがとうございました。

では、いつものように聖書の通読箇所を見て見ましょう。
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3月31日(日)[ ]ヨシ8-9/[ ]ルカ7:1-17
4月1日(月)[ ]ヨシ10-11/[ ]ルカ7:18-35
4月2日(火)[ ]ヨシ12-14/[ ]ルカ7:36-50
4月3日(水)[ ]ヨシ15-17/[ ]ルカ8:1-26
4月4日(木)[ ]ヨシ18-19/[ ]ルカ8:27-56
4月5日(金)[ ]ヨシ20-21/[ ]ルカ9:1-17
4月6日(土)[ ]ヨシ22/[ ]ルカ9:18-36
4月7日(日)[ ]ヨシ23-24/[ ]ルカ9:37-62
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旧約聖書がヨシュア記。
新約聖書がルカの福音書です。

ヨシュア記は、カナンの地での戦いや、土地の分割が書かれています。
中でもこのヨシュアの言葉は有名です。
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私と私の家とは、主に仕える。
ヨシュア記24章15節
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この箇所は賛美にもなっていますが、ヨシュアは、イスラエルの民に向かい、真剣に主に従うかどうかを問うている。
そして、自分の決意を表しているのがこの箇所です。
私たちも真剣に主に従って参りましょう。

ルカの福音書は、お話しの中で見てまいりたいと思います。

では、新約聖書ルカの福音書の7章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ルカの福音書7章36-50節
・新改訳Up113(贈呈p101、英対p186)
・新改訳Vp124、英対p139(贈呈p116)
・口語訳p97
・新共同訳p116 (贈呈p116、英対p181)
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朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】ルカの福音書7章36−50節
7:36 さて、あるパリサイ人が、いっしょに食事をしたい、とイエスを招いたので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。
7:37 すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油のはいった石膏のつぼを持って来て、
7:38 泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。
7:39 イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから。」と心ひそかに思っていた。
7:40 するとイエスは、彼に向かって、「シモン。あなたに言いたいことがあります。」と言われた。シモンは、「先生。お話しください。」と言った。
7:41 「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。
7:42 彼らは返すことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか。」
7:43 シモンが、「よけいに赦してもらったほうだと思います。」と答えると、イエスは、「あなたの判断は当たっています。」と言われた。
7:44 そしてその女のほうを向いて、シモンに言われた。「この女を見ましたか。わたしがこの家にはいって来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は、涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってく
れました。
7:45 あなたは、口づけしてくれなかったが、この女は、わたしがはいって来たときから足に口づけしてやめませんでした。
7:46 あなたは、わたしの頭に油を塗ってくれなかったが、この女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。
7:47 だから、わたしは言うのです。『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。』」
7:48 そして女に、「あなたの罪は赦されています。」と言われた。
7:49 すると、いっしょに食卓にいた人たちは、心の中でこう言い始めた。「罪を赦したりするこの人は、いったいだれだろう。」
7:50 しかし、イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。
ルカの福音書7章50節
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では、これらのところから

「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。」
と、題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

ここでの出来事は、パリサイ人の家での出来事です。
ですから、イエス様が十字架に架かられる前に、ツァラートを患っていたシモンの家にマリヤがやってきたという話とは違います。

イエス様がパリサイ人の家におられるとき、一人の女性がやってきて、石膏のつぼを持って来て、涙と髪でイエス様の足を拭い香油を塗りました。
この箇所での重要な御言葉はこれです。
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だから、わたしは言うのです。『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。』」
ルカの福音書7章47節
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彼女の多くの罪は赦されている。
彼女は余計に愛したから。

そのことをイエス様は、弟子たちにわかりやすく説明されます。
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40 するとイエスは、彼に向かって、「シモン。あなたに言いたいことがあります。」と言われた。シモンは、「先生。お話しください。」と言った。
41 「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。
42 彼らは返すことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか。」
43 シモンが、「よけいに赦してもらったほうだと思います。」と答えると、イエスは、「あなたの判断は当たっています。」と言われた。
ルカの福音書7章40−43節
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一日の賃金が一デナリといわれますが、日雇いの労働者の賃金ですからそう多くはなかったでしょう。
それを一万円と計算すると、一人は、500万円。もう一人は、50万円の借金があり、どちらも返せないでいたのです。

その借金を赦してもらったらどちらが金貸しを愛するか。
イエス様は、この例えでイエス様はシモンペテロに質問され、シモンペテロの、「よけいに赦してもらったほうだと思います。」という答えをその通りだといわれました。

多く赦されたものは多く愛するということです。

ここに来た女は、大きな罪のあった女でした。
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7:37 すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油のはいった石膏のつぼを持って来て、
7:38 泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。
7:39 イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから。」と心ひそかに思っていた。
ルカの福音書7章37-39節
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彼女の罪は町中がしっていました。
だれでも知っている悪い女だったのです。

ここで、預言者と書かれているところは、注釈では、あの預言者ともなっています。
あの預言者。それは彼らが待ち望んでいた預言者です。
それは、救い主のことでもありました。

彼女は町中がしっている悪い女。
だから、そんな罪人にさわられて預言者ならいいはずがないとパリサイ人は考えました。

しかし、イエス様は、言われました。
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だから、わたしは言うのです。『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。』」
ルカの福音書7章47節
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彼女は自分の罪を認めて主の前に出たのです。

彼女は、イエス様が救い主だと聞いていました。
そして、罪を赦して下さる方だと信じたのです。
誰からも罪深いと考えられていた彼女は、自分の罪のゆるしを願ってイエス様の所に来たのです。

イエス様は、医者が必要なのは病人だといわれました。
そして、罪人を救うためにイエス様は来られたのです。
彼女はこのことを受け止めました。
自分の事として、受け止めたのです。

パリサイ人も、弟子たちもそこにいました。
しかし、誰も彼女のようにはしませんでした。
彼女だけが自分の罪を認め。
救いを求めたのです。

彼女はその家に招かれていませんでした。
パリサイ人は、その女が罪深いと感じました。

イエス様が預言者なら、彼女に触られたりしないと考えたのは、言い換えれば、こんな女に救いは無いという事です。
パリサイ人は、自分の罪は救われてもこの女は救われないと考えました。
でしたちも、同様だったでしょう。

しかし、彼女について「この女の多くの罪は赦されています。」と、イエス様は言われたのです。
彼女は赦されました。
彼女は多くの罪がありました。
しかし、赦されたのです。

クリスチャンでも、私は沢山の罪があるから赦されないといわれる方もおられます。
しかし、この女の多くの罪は赦されたのです。

また、イエス様にあって赦すことの出来ない罪はありません。
誰でも、イエス様の前に罪の赦しを求めて出るならば赦されるのです。

一番日本で有名な犯罪者は誰でしょう。
例えば、大量の人を殺した教祖であっても、もし、イエス様の前にへりくだり、罪の赦しを求めるなら赦されるのです。

ですから教会の中であの人の罪は赦されないなどとはいえません。
イエス様は赦して下さるのです。

私たちは共にへりくだり、イエス様の前に出るのです。

ところで、この時、彼女だけがこのようにして、赦しを受け取ったのです。
弟子たちでも、パリサイ人でもありません。

しかし、その罪の赦しを引き出したのはなにですか。
それは、彼女の信仰です。
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しかし、イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」
ルカの福音書7章50節
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彼女の信仰です。

いつも、与えられた恵みを受け取るのは信仰です。
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あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エペソ人への手紙2章8節
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わたしたちは、神様の赦しを、救いを、神様の祝福を信仰で引き出すことが出来るのです。
しかし、与えられているものは恵みです。

罪の赦しは簡単に与えられるものではありません。
ところが、イエス様ははっきりとこの女性にいわれました。
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7:48 そして女に、「あなたの罪は赦されています。」と言われた。
7:49 すると、いっしょに食卓にいた人たちは、心の中でこう言い始めた。「罪を赦したりするこの人は、いったいだれだろう。」
++++++++++
そのため、人々は、イエス様に不信をいだいたのです。

罪を赦す。
誰かが罪をおかすとき、第三者がその罪をゆるそうとするなら、損害の賠償をしなければなりません。
また、その犯した罪のために受ける罰も場合によっては受けなければならないかもしれません。

皆さん。
イエス様は、人間が神様に与えた損害の代償としてご自身の命をお与えになりました。
また、その罰を十字架で受けて下さいました。

そのゆえに、イエス様は、十字架で完了したと言われたのです。

このことについてペテロはこういいます。
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23 あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。
24 しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。
25 ダビデはこの方について、こう言っています。『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。
26 それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。
27 あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。
28 あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。』
使徒の働き2章23-28節
++++++++++
聖者が朽ち果てるのをお許しにならない。

聖者は朽ち果てないのです。

死はどうやって入りましたか。
それは罪の結果です。
罪とはなんですか。
それは神への不信仰、不従順です。

ところが、イエス様は、完全に律法を守られました。
完全に神様に従うところに命があります。

イエス様は、ご自身が十字架で死ぬという神様のご計画に至るまで完全に従われたのです。
完全な従順に神の命が与えられます。

ですから、死んでよみに下られたイエス様に、神様の命が与えられたのです。
神様は、ご自身の定められた律法を守るものへの原則のゆえに、イエス様に命を与えないでおく事はおできにならないのです。

ですから、これは、死と悪魔に対する大逆転です。
イエス様の復活とは、神様で命を沢山持っておられるから、蘇えられたとかではありません。
父なる神様への死に至るまでの完全な従順による大逆転なのです。

十字架の死にまでも従ってイエス様は救いを成就されたのです。
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8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
11 すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
ピリピ人への手紙2章8-11節
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その結果、イエス様はすべてに勝る名を勝ち取られました。
蘇えられたイエス様にすべてのものが「イエス・キリストは主である。」と告白するのです。
これが、イエス様の勝利です。

イエス様はこの勝利を十字架で勝ち取られたのです。
そして、そのことによって罪の赦しが与えられているのです。

このことは誰の為ですか。
先ほどの箇所で、弟子たちも、パリサイ人も、それが自分の為とは考えませんでした。
この罪深い女だけがそれを自分のものとして受け止めたのです。

皆さん。
イエス様は、あなたの為に死んでくださいました。
そして、蘇えられました。
それを信仰をもって受け取りましょう。
このことを覚えて主に感謝して祈りましょう。

あなたの為に十字架に死に蘇えられたイエス様にしっかりと目を向けてまいりましょう。
++++++++++
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。・濱本先生の癒しの為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ20130331 あなたの信仰が、あなたを救ったのです。
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