礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20130317
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神にとって不可能なことは一つもありません。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>
皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は力ある神全能者。
王の王。主の主。
すべてに勝る方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。
まず、東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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では、聖書の通読箇所を見てみましょう。
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3月17日(日)[ ]申11-12/[ ]マコ16
3月18日(月)[ ]申13-15/[ ]ルカ1:1-23
3月19日(火)[ ]申16-18/[ ]ルカ1:24-45
3月20日(水)[ ]申19-21/[ ]ルカ1:46-80
3月21日(木)[ ]申22-24/[ ]ルカ2:1-21
3月22日(金)[ ]申25-27/[ ]ルカ2:22-52
3月23日(土)[ ]申28/[ ]ルカ3:1-20
3月24日(日)[ ]申29-30/[ ]ルカ3:21-38
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旧約聖書が申命記
新約聖書がマルコの福音書からルカの福音書です。
申命記は、律法のまとめがされており、食物に関する規定や、7年の土地の安息についてなども書かれています。
またマルコの福音書は、16章に大宣教命令が書かれています。
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15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
マルコの福音書16章15-18節
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福音宣教はすべての造られたものに対してなされるものです。
キリスト教の中には、救いは最初からの神のご計画によるというものもあります。
しかし、救いは、すべての人のものです。
そして、すべての人が救われるのが神の御心なのです。
テモテへ手紙第一とペテロの手紙第二にはこう書いてあります。
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神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
テモテへの手紙第一2章4節
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い
改めに進むことを望んでおられるのです。
ペテロの手紙第二3章9節
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主は、全ての人が救われることを忍耐をもって待っておられます。
だから、すべての人への宣教が私たちの使命なのです。
ルカの福音書はお話しのなかで見てまいりましょう。
では、このルカの福音書から、1章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ルカの福音書1章26-38節
・新改訳Up97(贈呈p87、英対p159)
・新改訳Vp106、英対p119(贈呈p100)
・口語訳p83
・新共同訳p100 (贈呈p100、英対p155)
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朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】ルカの福音書1章26-38節
1:26 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
1:27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。
1:28 御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
1:29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
1:30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
1:32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
1:36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。」
1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
聖霊があなたの上に臨(のぞ)み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
ルカの福音書1章35節
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この所から、
「神にとって不可能なことは一つもありません。」
と題しまして御言葉を開いて参りましょう。
今回、このように、ルカの福音書のはじめから聖書を開くことが出来ることを感謝します。
次週は棕櫚の日で、もうすぐ、イエス様が十字架に架かられた日を覚える受難日とそれから三日目に蘇えられたイエス様を覚える復活祭がやってきます。
このイエス様の死と復活を前に、今回はイエス様の誕生です。
イエス様は、どのようにお生まれになったのかがここに書かれています。
重要なのは主題聖句でもあるこの御言葉です。
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【 主題聖句 】
聖霊があなたの上に臨(のぞ)み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
ルカの福音書1章35節
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聖霊様が、マリヤに働いて、このことが起こったという事です。
これは、人間によるものではありません。
神によって、聖霊様によってなされたのです。
マリヤは言います。
私はまだ男の人を知りません。
マリヤはまだ結婚していません。
また、男性との関係をもったことがありません。
ですから子どもが生まれるはずがありません。
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34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
37 神にとって不可能なことは一つもありません。」
ルカの福音書1章34-37節
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ところが、それが、聖霊様によると御使いはいうのです。
マリヤには親戚にエリサベツという人がいました。
エリサベツは祭司ザカリヤの妻でした。
彼らは年をとっていましたが、子どもがいませんでした。
しかし、主が働かれて、彼らの間に子どもが生まれたのです。
それは、エリサベツとザカリヤの子どもでした。
この年老いた夫婦に子どもが生まれるという事は奇跡です。
しかし、マリヤの場合はさらに特別です。
それは、男と女の関係ではなく、神ご自身が彼女に働いて、神の子が人となって彼女の胎にやどられたのです。
神は、創造のはじめに、人間を男と女とに造られて、男と女との関係から子どもが生まれるようにされました。
ところが、それと全く違って、ただ神様によってイエス様はお生まれになったのです。
それは、不可能です。
しかし、こう書いてあります。
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神にとって不可能なことは一つもありません。
ルカの福音書1章37節
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イエス様がおとめマリヤから生まれた。
この処女降誕、処女懐妊という出来事は、聖書における非常に重要な奇跡です。
そして、それを信じることなしには、この新約聖書の福音は意味を持ちません。
なぜなら、神の子でなければ人を救うことが出来ないからです。
ただ、神からこられた方、イエス様だけが父なる神様をご存知で、人に永遠の命をお与えになるのです。
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46 だれも神を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。
47 まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。
48 わたしはいのちのパンです。
ヨハネの福音書6章46-48節
++++++++++
このことからすると、キリスト教は宗教ではないといわれます。
宗教は、人がどのようにして修行をして、神に、また永遠の命にたどりつくかを教えています。
しかし、キリスト教は、だれが、それを与えて下さるかを教えているのです。
罪の赦しにおいてもそうです。
人は、罪に打ち勝つ力を持ちません。
だからパウロはいいます。
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23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
ローマ人への手紙7章23-25節
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誰が、救い出してくれるのでしょうか。
ここで、どうしたらとは言いません。
誰がと書いてあるのです。
皆さん。
誰も、自分の力で義とされることは出来ません。
ただ、神様からこられたキリストが私たちを救い出して下さったのです。
神は、愛のゆえにそのことをして下さいました。
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神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
ヨハネの手紙第一4章9節
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神の愛がどんなものか、救いを与えて下さるのは誰なのか。
その事を聖書は教えているのです。
このイエス様以外に救いはありません。
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この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」
使徒の働き4章12節
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なぜですか。
もし、イエス様が修行によって神に近づいた立派な人であるなら、他の人にも可能性はあります。
しかし、こう書いてあります。
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46 だれも神を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。
47 まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。
48 わたしはいのちのパンです。
ヨハネの福音書6章46-48節
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みなさん。イエス様は、神に近づかれたのではありません。
神とともにおられ、神からこられた神の一人子なのです。
神が人となる。
これは、奇跡です。
そして、これは大きなへりくだりです。
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6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
ピリピ人への手紙2章6-9節
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イエス様はへりくだり、人となり、さらに人の中でもさげすまれる犯罪者の立場になり、十字架で死んで下さったのです。
イエス様は、神のあり方を捨てられました。そして人間となられました。
また、罪人の一人として、十字架につかれました。
罪人は、人間の中でもさげすまれる存在です。
イエス様はあざけられました。馬鹿にされました。ののしられました。
皆さん。あなたがありもしないことで非難されたり、馬鹿にされたり、ののしられたら、怒りませんか。
私はやってないといいませんか。
しかし、イエス様は、なにも言わず十字架に死なれたのです。
これが、イエス様のへりくだりです。
そうするなら、わたしたちは、へりくだっているなどと言えますか。
また、わたしたちは随分高慢だと思いませんか。
しかし、そんな私たちをも救うためにイエス様は十字架で死んで下さったのです。
そのことにより、救いから遠く離れていた私たちが救いの中にいれられたのです。
イエス様は言われます。
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イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
マタイの福音書19章26節
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皆さん。この神様にとって出来ない事はありません。
その神様の祝福を引き出すのは何ですか。
それは、信仰です。
だからこう書いてあります。
++++++++++
まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
マルコの福音書11章23節
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この神様の御力を信じて疑わないなら、その通りになるのです。
ヤコブは少し厳しく、疑うなら何ももらえないという意味の事を言います。
++++++++++
6 ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
7 そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。
ヤコブの手紙1章6-7節
++++++++++
しかし、信じて疑わないなら、なんでもその通りになるのです。
私は毎週、聖書を読み祈りましょうといいます。
それは、ご利益があるからですか。
そうではありません。
聖書を読むなら、神様がどれほど力があるかを知るのです。
神様がどれほどあなたを愛しておられるかを知るのです。
神様があなたの祈りに答えて下さる事を知るのです。
その信仰。
それが、霊的な成長です。
霊的とは、何か不思議なものが見えたとか聞こえたとかそんなことではありません。
まあ、そんな賜物のある人は、それはそれで主に感謝すればいいでしょう。
しかし、もし、幻を見ても、もし、声を聞いても、それに従わないなら何の意味もありません。
あなたが、幻を見なくても、声を聞かなくても、聖書を読み祈り、その御言葉に従うなら、それが信仰を励まし、霊的に成長させるのです。
その根底は何ですか。
それは、神の愛を知ること、そして、神には不可能はないとうことを信じることです。
++++++++++
神にとって不可能なことは一つもありません。」
ルカの福音書1章37節
++++++++++
それを信じるために、私たちは、もっと神様を知らなければなりません。
また、そのために聖書を読み祈るのです。
お祈りしましょう。
<祈り>
[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。・濱本先生の癒しの為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。
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シティーチャーチメッセージ20130317 神にとって不可能なことは一つもありません。
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