礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20130303
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みなに仕える者となりなさい。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は力ある神全能者、王の王、主の主。
弱いものを強くし、へりくだるものにめぐみを注ぎ、高く引き上げて下さる方です。
この方を覚えて御言葉を共に開いて参りましょう。

さて、まず、いつものように、東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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では、聖書の通読箇所を見て見ましょう。
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3月3日(日)[ ]民20-21/[ ]マコ8:22-38
3月4日(月)[ ]民22-23/[ ]マコ9:1-29
3月5日(火)[ ]民24-25/[ ]マコ9:30-50
3月6日(水)[ ]民26-27/[ ]マコ10:1-31
3月7日(木)[ ]民28-29/[ ]マコ10:32-52
3月8日(金)[ ]民30-31/[ ]マコ11
3月9日(土)[ ]民32-33/[ ]マコ12:1-17
3月10日(日)[ ]民34-36/[ ]マコ12:18-44
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旧約聖書は民数記、新約聖書はマルコの福音書です。
民数記は、ミリアムの死や、イスラエルを呪おうとしたバラク王と占い師バラムの話なども出てきます。
ロバがしゃべった記事などもあり、面白いところです。
また、イスラエルの祭りについての律法も書かれています。是非、皆さんお読みください。
新約聖書はマルコの福音書です。
こちらはお話しの中で見てまいりましょう。
皆さん。聖書は、生きて働く神の言葉です。
あなたが聖書を読むとき、神様の命に触れるのです。
毎日聖書を通読しましょう。

では、皆さん。
今日は、マルコの福音書を開きましょう。
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【 聖書箇所 】マルコの福音書9章30-43節
・新改訳Up77(贈呈p69、英対p126)
・新改訳Vp84、英対p95(贈呈p79)
・口語訳p66
・新共同訳p79 (贈呈p79、英対p123)
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朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】マルコの福音書9章30-43節
9:30 さて、一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。イエスは、人に知られたくないと思われた。
9:31 それは、イエスは弟子たちを教えて、「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる。」と話しておられたからである。
9:32 しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。また、イエスに尋ねるのを恐れていた。
9:33 カペナウムに着いた。イエスは、家にはいった後、弟子たちに質問された。「道で何を論じ合っていたのですか。」
9:34 彼らは黙っていた。道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである。
9:35 イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」
9:36 それから、イエスは、ひとりの子どもを連れて来て、彼らの真中に立たせ、腕に抱き寄せて、彼らに言われた。
9:37 「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。また、だれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされ
た方を受け入れるのです。」
9:38 ヨハネがイエスに言った。「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」
9:39 しかし、イエスは言われた。「やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行ないながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。
9:40 わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。
9:41 あなたがたがキリストの弟子だからというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません。これは確かなことです。
9:42 また、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、むしろ大きい石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。
9:43 もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。不具の身でいのちにはいるほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。
マルコの福音書9章35節
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では、この所から、
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みなに仕える者となりなさい。
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と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

皆さん。今回のところをまず、順番に見ていきましょう。
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30 さて、一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。イエスは、人に知られたくないと思われた。
31 それは、イエスは弟子たちを教えて、「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる。」と話しておられたからである。
マルコの福音書9章30-31節
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ここにイエス様が弟子たちに教えられたことは、弟子たちにとって、受け入れがたいことでした。

弟子たちはイエス様がキリストであることを信じていました。
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するとイエスは、彼らに尋ねられた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えてイエスに言った。「あなたは、キリストです。」
マルコの福音書8章29節
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キリストとは、油注がれた者という意味です。ヘブル語でメシヤと言われます。

油注がれた者とはどういうことでしょう。
サムエル記第一の16章を開きます。
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11 サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは答えた。「まだ末の子が残っています。あれは今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人をやって、その子を連れ
て来なさい。その子がここに来るまで、私たちは座に着かないから。」
12 エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。主は仰せられた。「さあ、この者に油を注げ。この者がそれだ。」
13 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。
サムエル記第一16章11-12節
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ここに一人の油注がれた人が出てきます。
それは、ダビデ王です。

彼は、預言者サムエルによって油を注がれて王となりました。
羊飼いであったダビデのところに、イスラエルの偉大な預言者サムエルがやってきて、角に入れてある油を頭からかけたのです。
ここで、注目すべきところは、その日以来、主の霊がダビデの上に激しく下ったというものです。

皆さん。油を注がれたダビデに聖霊様が下ったのです。

この油は、聖霊様が注がれる象徴でした。
それで、イスラエルにおいて、重要な職務につくものは油を注がれたのです。

それは、どんな者でしょう。
それは、王と、祭司と、預言者です。

旧約聖書には、祭司アロンに任職の為に油が注がれる事が書かれています。
そして、その油が滴る姿が美しいと書いてあるのです。
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都上りの歌。ダビデによる
1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。
3 それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
詩篇133篇1-3節
++++++++++
任職の為に油が注がれる。それは、非常に重要な儀式でした。

ところで、この油注ぎが、聖霊様を現しているなら、私たちは忘れてならないことがあります。
それは、聖書の使徒の働きに書かれていることです。
ペテロは言いました。
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17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
33 ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。
使徒の働き2章17-18、33節
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皆さん。今、信じるものすべてに聖霊様が与えられているのです。

これは、王や、祭司や、預言者となるための霊です。
皆さん。ですから、イエス様を信じて聖霊様を受けた皆さんは、神様にとって特別な存在なのです。
イエス様を信じたあなたは聖霊様を受けています。
それは、王や、祭司や、預言者となるための油注ぎなのです。
あなたは神様からみてそれほど重要で、光輝いているのです。

お話しをもどしますが、旧約聖書においては、王や、祭司や、預言者だけが聖霊を受けたのです。
その象徴として、油が注がれました。

キリストとは、油注がれた者です。

しかし、イエス様がこられる当時、ユダヤ人が待ち望んでいたキリストは、どんな存在だったでしょう。
彼らは当時、ローマの圧制に苦しんでいました。

また、国の内外にさまざまな問題を抱えていました。
病に苦しむものもいました。

それら、すべての問題を解決するために神様が使わされるかた。
それが、彼らの待つキリストでした。

神様の力によって王としてローマを打ち破り、神様の力によってそれぞれの個人的な問題も解決してくれる存在。
王であり、祭司であり、預言者である方。いや、それ以上の存在である方。

それが、油注がれた者、メシヤ、キリストでした。

そのキリストは、いつまでも生きていると彼らは学んでいました。
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そこで、群衆はイエスに答えた。「私たちは、律法で、キリストはいつまでも生きておられると聞きましたが、どうしてあなたは、人の子は上げられなければならない、と言われるのですか。その人の子とはだれです
か。」
ヨハネの福音書12章34節
++++++++++
だから、キリストは死なないはずだと考えたのです。
ペテロですら、先のように、イエス様に、「あなたは、キリストです。」といった後に、イエス様がご自身が死ぬことを言われると、そんなことがあってはならないとイエス様をいさめたのです。
そのため、ペテロは、イエス様から下がれサタンと言われ大変しかられました。
イエス様にとっては、イエス様がキリストであるというペテロの告白を受けて、その勤めとして、ご自身が死ぬことを示されたのです。
キリストであることと贖いの為に死ぬことは一つでした。

ところが、ペテロも、キリストは死なないと思っていたのです。
しかし、イエス様は死んで蘇えられたのです。
死んで蘇えるなど、彼らは考えることが出来ませんでした。
しかし、イエス様は死んで蘇えり、いつまでも生きておられるのです。

彼らはそのことがわかりませんでした。
それで、弟子たちも、イエス様が死なれると聞きながら、そんなことを聞き流していたのです。
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しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。また、イエスに尋ねるのを恐れていた。
マルコの福音書9章32節
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そして、彼らは、勝手な事をはなしあっていました。
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33 カペナウムに着いた。イエスは、家にはいった後、弟子たちに質問された。「道で何を論じ合っていたのですか。」
34 彼らは黙っていた。道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである。
マルコの福音書9章33-34節
++++++++++
イエス様はキリストです。
王であり、祭司であり、預言者であるかた、それ以上である方です。
彼らはその側近です。

だからきっと、俺が右大臣で、お前が左大臣だとか、そんなことを言い合っていたのでしょう。

イエス様は言われました。
++++++++++
35 イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」
36 それから、イエスは、ひとりの子どもを連れて来て、彼らの真中に立たせ、腕に抱き寄せて、彼らに言われた。
37 「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。また、だれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされた
方を受け入れるのです。」
マルコの福音書9章35-37節
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みなの上に立ちたいならしんがりとなりなさい。

このことについて、イエス様は言われます。
++++++++++
人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」
マタイの福音書20章28節
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イエス様も、仕えるために来られました。
この世では、上に立つものは人を支配し動かそうとします。
しかし、神の国ではそうではありません。
イエス様も仕えるためにこられたのです。

また、この箇所で子どもを連れてきていわれます。
++++++++++
35 イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」
36 それから、イエスは、ひとりの子どもを連れて来て、彼らの真中に立たせ、腕に抱き寄せて、彼らに言われた。
37 「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。また、だれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされた
方を受け入れるのです。」
マルコの福音書9章35-37節
++++++++++
イエス様は、こどもたちを受け入れるならといわれます。
皆さん。こどもは純粋で素晴らしいでしょうか。
昨日、地域の活動で子どもの引率をしました。
小学校一年生をつれて堤防を歩いたのですが大変です。
なかなかこないので呼ぶと今度は先に歩いていこうとする。そこいらを走り回る。
半分ほど行った所で寒いから帰ろうと言い出し、一年生だけ帰る事になりました。

こどもはわがままです。
しかし、それを私の名のゆえに受け入れるならといわれるのです。
教会も同じです。どんな人が来るか分りません。
しかし、どんな人であってもイエス様の名のゆえに受け入れるのです。
イエス様を信じていない人もです。
イエス様の十字架は、まず、自分の為であるということは重要です。
しかし、次に、イエス様の十字架は全世界の人々の為です。
そうであるなら、今日はじめて教会に来た人の為でもあるのです。

お互いもそうです。
教会の中、お互いにわがままが出ることもあるでしょう。
しかし、それをイエス様の名のゆえに互いに受け入れあうのです。

そして、ルカの福音書にはこうあります。
++++++++++
しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
ルカの福音書18章16節
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この前後を見ると、パリサイ人について言われます。
++++++++++
あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
ルカの福音書18章14節
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パリサイ人は一生懸命、律法を守りました。
しかし彼らが自分の義を立てようとしても、それではだめなのです。

またその続きに、イエス様はいわれました。
++++++++++
24 イエスは彼を見てこう言われた。「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。
25 金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
26 これを聞いた人々が言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」
27 イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」
ルカの福音書18章24-27節
++++++++++
自分の立派さでは、神の国に入ることは出来ません。
ただ、神様の恵みによらなければならないのです。

パリサイ人も、立派な青年も、義とされない、天国に入れない。
しかし、天国は子ども達のものだとイエス様は言われるのです。

人には出来ない。それが、神の義です。
++++++++++
あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
ルカの福音書18章14節
++++++++++
神の前にへりくだり罪を認めイエス様を信じたものにめぐみとして与えられるのが神の義なのです。

主の前にへりくだりましょう。

ところが、主の前にへりくだりながら、働きをしながらも、高慢になってしまうことがあります。
++++++++++
38 ヨハネがイエスに言った。「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」
39 しかし、イエスは言われた。「やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行ないながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。
40 わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。
マルコの福音書9章38-40節
++++++++++
ここには弟子たちの、自分達こそ、イエス様の弟子だという思いがあります。
わたしたちは、互いを認め合う者とならなければなりません。

先にいたからと高慢になることなく、へりくだり互いに仕えあうのです。
また、逆に、先にいるものが勝手にやればいいというような考えも持たないようにしなければなりません。
教会は、キリストの愛によって互いにつかえあうところです。

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【 主題聖句 】
だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。
マルコの福音書9章35節
++++++++++

へりくだったものを、主は豊かに用いて下さるのです。
お祈りしましょう。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。・濱本先生の癒しの為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ20130303 みなに仕える者となりなさい。
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