礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20130120
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イエスは「来なさい。」と言われた
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、いつも共におられる方。
あなたを守り導いて下さる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

ではまず、東日本のために祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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いつものように、聖書の通読箇所を見て見ましょう。

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1月20日(日)[ ]創45-46/[ ]マタ13:31-58
1月21日(月)[ ]創47-48/[ ]マタ14:1-21
1月22日(火)[ ]創49-50/[ ]マタ14:22-36
1月23日(水)[ ]出エ1-3/[ ]マタ15:1-20
1月24日(木)[ ]出エ4-5/[ ]マタ15:21-39
1月25日(金)[ ]出エ6-8/[ ]マタ16
1月26日(土)[ ]出エ9-10/[ ]マタ17
1月27日(日)[ ]出エ11-12/[ ]マタ18:1-20
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旧約聖書は、創世記から出エジプト記
新約聖書は、マタイの福音書です。

旧約聖書は、今週で、もう創世記が終わります。
イスラエルのエジプトへの移住とヨセフの死で創世記が終わり、出エジプトが始まります。
出エジプトは、モーセの登場からはじまります。
このモーセは、出生のときに命を狙われたところなど、非常にイエス様と似ています。
創世記、出エジプト記は、聖書の基本となる非常に大切なところであり、面白いところでもあります。
どうぞ、お読み下さい。

新約聖書、マタイの福音書は、お話しの中で見てまいりましょう。

では、今日はマタイの福音書から、14章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】マタイの福音書14章22-34節
・新改訳Up26(贈呈p24、英対p43)
・新改訳Vp29、英対p33(贈呈p28)
・口語訳p23
・新共同訳p28 (贈呈p28、英対p42)
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朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】マタイの福音書14章22-34節
14:22 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。
14:23 群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。
14:24 しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
14:25 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
14:26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
14:27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
14:28 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
14:29 イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
14:30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。
14:31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
14:32 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。
14:33 そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。
14:34 彼らは湖を渡ってゲネサレの地に着いた。
++++++++++

主題聖句を言いましょう。
++++++++++
【 主題聖句 】
イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
マタイの福音書14章29節
++++++++++

では、このところから、
イエスは「来なさい。」と言われた。
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

さて、今回の箇所の最初に、こう書いてあります。

++++++++++
それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。
マタイの福音書14章22節
++++++++++
ですから、それが何の後なのかを見ておきましょう。

それは、この箇所です。
++++++++++
19 そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。
20 人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。
21 食べた者は、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった。
22 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。
マタイの福音書14章19-22節
++++++++++
イエス様は、5つのパンと二匹の魚で男5千人とこどもや女たちを養われたのです。
おそらく、一万人を超えたでしょう。

この時、イエス様は言われました。
++++++++++
16 しかし、イエスは言われた。「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」
17 しかし、弟子たちはイエスに言った。「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。」
18 すると、イエスは言われた。「それを、ここに持って来なさい。」
19 そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。
マタイの福音書14章16−19節
++++++++++
イエス様が、食べる物をあげなさいと言われたとき、彼らの手には5つのパンと二匹の魚しかありませんでした。
お金があったとしても、一万人の食事の用意はどれほど大変でしょう。
教会でのバーベキューなどでさえ、その食材の買出しや準備は大変です。
このとき、一万人の食事の用意なのです。
ところが、彼らは、5つのパンと二匹の魚しかありません。
しかし、イエス様が一万人を養うのにはそれで十分だったのです。

あなたの手に少ししかないとき、それでも、何かするように言われることがあるかも知れません。

それは、持っているものやお金だけではありません。
能力、才能、技術。
そのようなものもそうです。

それを神様の前に差し出すなら、神様は豊かに用いて下さいます。

私は、ギターやベースギターを弾きます。学生時代バンドを少しやっていて、我流で練習していましたが、いざ教会でやろうとすると、それほどうまくいきませんでした。
最初に教会で弾いたときには、失敗して恥をかいた覚えがあります。

しかし、何か、礼拝で神様のお役に立ちたいと思いました。
神様の為にするのだと続けたときに神様が祝福して用いて下さいました。
私の小さな能力さえ、神様は大きく用いて下さるのだと知りました。

献金もそうです。
精一杯の献金を神様は喜ばれます。

全部出し尽くせとはいいません。
しかし、神様の前に正直に精一杯捧げる事が大切です。

その時、神様は豊かに祝福して下さいます。

聖書の中でイエス様が一番大きな献金だといわれたのはいくらでしたか?
++++++++++
2 また、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった。
3 それでイエスは言われた。「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。
4 みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」
ルカの福音書21章2−4節
++++++++++
それは、銅貨二つでした。

レプタがいくらに相当するかわかりません。
100円でしょうか10円でしょうか。
銅貨というと、日本では、10円玉が銅貨ですが、そのまま比べることは出来ません。
それは、他のものが捧げたより、金額にすれば小さかったのです。
しかし、それは、やもめにとって、精一杯の捧げ物でした。
イエス様はそれを喜ばれたのです。

しかし皆さん。
あなたが、銀貨の100円玉二つや、銅貨の10円玉二つを献金して、それで、このやもめと同じだと思わないようにしてください。
大事な事は、このやもめは、財布の中の全部を入れたという事です。
だから財布の中身を全部いれましょうとはいいません。
しかし、ここで、イエス様は、もっとも沢山捧げたのは、このやもめだといわれたのです。
だから、もし、このやもめと競争したいと思ったら全部捧げなければなりません。
やってみようと思われる方は止めはしませんが、信仰によらなければなりません。

まあ、全部捧げるというような事はなかなか出来ません。
では、その最低の基準はいくらですか?
それは、収入の十分の一です。

捧げるものに神様は豊かに与えて下さいます。

私も、精一杯い捧げて来ました。そして、考えられない出費があっても守られて来ました。
主に感謝します。

イエス様の前に捧げるならそれを神様は用いてくださいます。
そんなものなんの役に立つのかと思えるもの。
それでも、神様は用いて下さるのです。

ただ、自分がいらないから神様の前に持っていくというのは、ささげ物を捧げる上で間違っています。
なぜなら、ささげ物の原則は、これです。
++++++++++
また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。
創世記4章4節
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持っている物の中で最高の物を捧げるのです。
このやもめも、持っている物の中で精一杯のものを捧げたのです。

あなたの手に何もないと思えるとき、また、持っているものが小さいと思えるとき、それでも、あなたの手にあるものを精一杯差し出すなら、主は豊かに用い祝福して下さるのです。

信じて捧げましょう。
献金の話はこれくらいにしましょう。

この時、イエス様が言われたひと言が大切です。
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しかし、イエスは言われた。「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」
マタイの福音書14章16節
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イエス様があなたがたでと言われたのです。
ですから、それが可能なのです。

イエス様の言葉は、決して滅びることがないといわれます。
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この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
ルカの福音書21章33節
++++++++++
それは、変わることの無い必ず実現する言葉です。

また、ルカの福音書一章で御使いの言葉がこう書いてあります。
++++++++++
ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、おしになって、ものが言えなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」
ルカの福音書1章20節
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この御使いの言葉でさえ、実現するなら、神の子であるイエス様の言葉はなおさらです。

皆さん。聖書に書かれていること、イエス様の言葉は実現するのです。
++++++++++
御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
ヨハネの福音書3章18節
++++++++++
この言葉もそうです。
皆さん。わたしたちは、イエス様を信じる信仰によって神の子とされ永遠の命が与えられているのです。

さて、この5000人の給食、いや、実際には一万人以上だと思われる給食が起こった後、弟子たちだけをイエス様は先に向こう岸に送り出されました。

この時、イエス様が向こう岸に行くようされました。
あえて、イエス様と別に行動するようにされたのです。
++++++++++
22 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。
23 群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。
24 しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
マタイの福音書14章22-24節
++++++++++
彼らの多くはガリラヤ湖の船乗りです。
ですから、船で行くことなど簡単だと思ったでしょう。

しかし、そのとき、彼らは進むことが出来なかったのです。
自分の得意な分野であるにも関わらず、そのことがうまくいかない。
彼らはその事を体験しました。

わたしは、パソコンが少し出来るほうです。
ところが、そう思って使っているとトラブルがおこります。
先週は、礼拝の直前にパソコンが止まり週報が出せませんでした。
パソコンの為にも祈ります。

皆さん。
イエス様は言われました。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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あなたがどんなに得意な事であっても、主と共にいなければ実を結べないと知るときが来ます。

わたしたちは、どんな事でも主に頼り主と共に歩まなければならないのです。
++++++++++
しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」
ヤコブの手紙4章6節
++++++++++
ですから、私たちは主の前にへりくだらなければなりません。
そして、主と共に歩むのです。

時に主は、ご自身が進まずに留まり、私たちが行くのをそのままに、また、私たちだけで行くようにされることがあります。
しかし、そのようなときでも、主は、私たちを見ておられます。

このとき、向かい風で苦しむ弟子たちのところにいかれました。
++++++++++
25 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
マタイの福音書14章25-27節
++++++++++
そのイエス様を見て弟子たちは恐れました。

それは当たり前です。
水の上を人が歩くなど考えられません。
だから弟子たちは恐れました。

ところがイエス様は実際に水の上をあるかれました。
やってみたい人がいますか?

是非祈って下さい。
その前に先生やって下さいとは言わないで下さい。

ところで、この湖、水の上という事には意味があります。
詩篇にこう書いてあります。
++++++++++
25 そこには大きく、広く広がる海があり、その中で、はうものは数知れず、大小の生き物もいます。
26 そこを船が通い、あなたが造られたレビヤタンも、そこで戯れます。
詩篇104篇25−26節
++++++++++
レビヤタンは悪魔を象徴します。
そのレビヤタンが海に戯れると書いてあります。
それは、悪魔が戯れるこの世、罪の世界を意味します。

イエス様は罪の影響をうけず、罪に沈まず、この世を歩かれる方です。

そしてこうもいわれます。
++++++++++
話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。
ルカの福音書5章4節
++++++++++
人間をとる漁師にともイエス様は言われました。
その罪の世界に出て、その世界に網を下ろし、人々を救いへと導くのです。

さて、イエス様は、水の上を歩かれました。
++++++++++
25 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
マタイの福音書14章25-27節
++++++++++
そのイエス様を見た弟子たちは、幽霊だと思いました。

ところがペテロが言います。
++++++++++
28 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
29 イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
マタイの福音書14章28−29節
++++++++++
水の上を歩いてみたかったんです。
積極的ないい信仰だと思います。

その時イエス様のお言葉を受けてペテロは歩きました。

ペテロは、水の上を歩いたのです。

ただ、イエス様の言われた言葉に従って、ペテロは水の上を歩いたのです。
信仰によって踏み出すとき、わたしたちは、素晴らしいことをなすことが出来るのです。

でも大事なのはこのところです。
++++++++++
30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。
31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
32 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。
マタイの福音書14章30−32節
++++++++++
ペテロは恐くなり、沈みかけました。
そして、主に叫んだのです。
主よ。助けてくださいと主に叫んだのです。

するとイエス様は、すぐに手を伸ばして、ペテロをつかみ助けてくださったのです。

皆さん。あなたが信仰で踏み出したとき、それでも、恐れるときが来るかもしれない。
しかし、あなたがイエス様に叫ぶなら、イエス様はすぐに助けて下さるのです。

イエス様は、これにつかまりなさいといわれたのではありません。

イエス様がペテロを掴んで助けて下さったのです。

信仰の薄い人だと言われるのは嫌ですか?
でも、私たちは、時に恐れるもの、信仰の弱いものです。

そんな私たちをイエス様はそれでも助けて下さるのです。
ペテロを呼び出された主は、ペテロが恐れても、助けを求めるなら手を出してペテロを掴んで助けてくださいました。
同じように、信仰で踏み出したあなたの信仰が弱くても、主は守ってくださるのです。
だから恐れずに信じて歩みだしましょう。

そして、ふたりが舟にのりました。
そこまで、ペテロは、今度はイエス様と一緒に水の上を歩いたのです。

さらに、彼らが舟にのると、風がやみました。
すべてを治めておられる方が、風を止められたのです。
++++++++++
33 そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。
34 彼らは湖を渡ってゲネサレの地に着いた。
マタイの福音書14章33−34節
++++++++++
また、イエス様と共にあってこの舟は目的地についたのです。

キッズ・ファミリー・フェスティバルでは、三本の木というミュージカルが上演されました。
そのなかに、王様を載せる大きな船になりたかった一本の木が出てきます。
しかし、その木は小さな漁船になりました。
あるとき、その舟にのったイエス様は、嵐を静められました。

王様も嵐を静めることは出来ません。
しかし、イエス様は嵐を静められたのです。

皆さん。この方があなたの人生の船に乗られたのです。
イエス様を信じ受け入れるというのはそういうことです。
++++++++++
イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
マタイの福音書14章29節
++++++++++
あなたは、イエス様の呼びかけに答えて、イエス様を信じました。
そうして、信仰と言う歩みを始めたのです。

さらに主はあなたにどんな事で来なさいといわれるでしょう。
信仰を持って踏み出しましょう。
主は助け、守り、導いて下さいます。

お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。・濱本先生の癒しの為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ20130120 イエスは「来なさい。」と言われた 
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