礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20121125
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義の実を結ばせる種
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>
皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちを平和の中に導き、義のみを結ばせてくださる方です。
この方を覚えてみことばを開いて参りましょう。
さて、まず、いつものように東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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続いて、聖書の通読箇所を見て見ましょう。
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11月25日(日)[ ]エゼ32-33 /[ ]ヤコブ1
11月26日(月)[ ]エゼ34-36 /[ ]ヤコブ2
11月27日(火)[ ]エゼ37-38 /[ ]ヤコブ3
11月28日(水)[ ]エゼ39-40 /[ ]ヤコブ4
11月29日(木)[ ]エゼ41-43 /[ ]ヤコブ5
11月30日(金)[ ]エゼ44-45 /[ ]Tペテ1
12月1日(土)[ ]エゼ46-48 /[ ]Tペテ2
12月2日(日)[ ]ダニ1-2 /[ ]Tペテ3
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旧約聖書がエゼキエル書からダニエル書。
新約聖書がヤコブの手紙、ペテロの手紙第一と続きます。
祭司であり預言者であるエゼキエルは神様の臨在とその周りで神様を褒め称える天使の幻を見ました。
また、エルサレムが罪の為に滅んでいく様と、主はここにおられると呼ばれる新しいエルサレムの様子が書かれています。
そして、ダニエル書。ダニエルは、捕囚になった若者ですが、それでも神様に目を向けるダニエルとその友人たちを、神様は敵の地においても祝福されました。
わたしたちが、どんな状況でも神様に目を向けることの大切さを教えられます。
また、新約聖書はヤコブの手紙からペテロの手紙第一
このペテロの手紙は、イエス様の弟子であり、いつもイエス様と行動を共にしたペテロの書いた手紙です。
ヤコブの手紙はお話しの中で見てまいりましょう。
皆さん。
新しい通読表もお渡ししました。
いまから、新しい通読表を始めてしまうという方法もあります。
今年の通読表の最後からやりはじめるという方法もあります。
もちろん通読表と関係なく始めるという方法もあります。
どんな方法でも聖書を読みましょう。
そして、聖書の最初から最後までを通読しましょう。
それはあなたの人生に大きな祝福をもたらします。
では、今日はヤコブの手紙を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ヤコブの手紙3章1−18節
・新改訳Up410(贈呈p357、英対p678)
・新改訳Vp448、英対p496(贈呈p407)
・口語訳p362
・新共同訳p424 (贈呈p424、英対p626)
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では朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】ヤコブの手紙3章1−18節
3:1 私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。
3:2 私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。
3:3 馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。
3:4 また、船を見なさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。
3:5 同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。
3:6 舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。
3:7 どのような種類の獣も鳥も、はうものも海の生き物も、人類によって制せられるし、すでに制せられています。
3:8 しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。
3:9 私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。
3:10 賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。
3:11 泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか。
3:12 私の兄弟たち。いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩水が甘い水を出すこともできないことです。
3:13 あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行ないを、良い生き方によって示しなさい。
3:14 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。
3:15 そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。
3:16 ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです。
3:17 しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
3:18 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
ヤコブの手紙3章17節
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では、このところから、
「義の実を結ばせる種」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。
このヤコブの手紙はパウロの書いた手紙と正反対の事を書いてあると考えられる事があります。
本当はそうではないのですが、時折、そのように誤解される方がおられます。
そのヤコブの手紙の言うところを現している代表的な御言葉がこれです。
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人は行ないによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。
ヤコブの手紙2章24節
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確かに信仰による義を否定しているようにも見えます。
この周辺も見ておきましょう。
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20 ああ愚かな人よ。あなたは行ないのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。
21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行ないによって義と認められたではありませんか。
22 あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ、
23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
24 人は行ないによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。
ヤコブの手紙2章20−24節
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これにたいし、パウロの手紙は、
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1 それでは、肉による私たちの先祖アブラハムのばあいは、どうでしょうか。
2 もしアブラハムが行ないによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。
3 聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。」とあります。
ローマ人への手紙4章1−3節
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と、書いてあります。
ガラテヤ人への手紙を見るとさらにはっきりします。
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9 そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。
10 というのは、律法の行ないによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」
11 ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる。」のだからです。
12 しかし律法は、「信仰による。」のではありません。「律法を行なう者はこの律法によって生きる。」のです。
ガラテヤ人への手紙3章9−12節
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では、義は信仰によるのでしょうか、それとも行いによるのでしょうか。
ここで、大切な事は、パウロは、信仰と行いを比較していないのです。
パウロが比較しているのは、律法を行なうことと、信仰との比較です。
律法を行なうことにより義を得ようとするならば、律法は完全におこなわれなければなりません。
「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」
と、書いてあるからです。
そして、義人は信仰によって生きると書いてあるとおり、信仰によらなければ義はないのです。
どんなに律法を形だけおこなっても、信仰によらないなら義とされることはありません。
その義とはすなわち神との関係だからです。
そして、神との関係とはすなわち信仰です。
神との関係に根ざさないものは、神の前で義とされることはありません。
それがどんなに正しい行いであっても、決して義とされることはありません。
なんどもいいますが、義とは神との正しい関係であり、神との正しい関係とは信仰なのです。
パウロは、律法を行なうことによって義とされると考えることが間違いだと言っているのです。
行いが義とするのではありません。
パウロは、律法を厳格に行なってきた人でした。
イエス様を信じてからも、パリサイ人として、ユダヤ人として、律法を守り行いながら生活をしたのです。
それは、何故ですか。
信仰を持つユダヤ人が、律法を行なうことは正しいことだったからです。
イエス様もそうです。
イエス様は人の言い伝えや、律法の間違った解釈には対抗されましたが、その生涯において、罪をおかされませんでした。
完全に律法を守り行なわれたのです。
ですからこういわれます。
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わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
マタイの福音書5章17節
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イエス様は、律法を廃棄するためでなく、成就するために来られました。
だからイエス様が律法などどうでもいいと思っておられるのではないという事を私たちは心に留めておく必要があります。
そこでヤコブの手紙にもどりますと、こう書いてあります。
++++++++++
20 ああ愚かな人よ。あなたは行ないのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。
21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行ないによって義と認められたではありませんか。
22 あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ、
23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
24 人は行ないによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。
ヤコブの手紙2章20−24節
++++++++++
アブラハムは、イサクを祭壇にささげました。
これは、律法の行いですか。
そうではありません。
アブラハムは信じたからです。
++++++++++
17 信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。
18 神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」と言われたのですが、
19 彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。
ヘブル人への手紙11章17−19節
++++++++++
アブラハムは、信じたので行動しました。
アブラハムは、神様の約束を信じていました。
また、100歳で生まれたイサクは約束の子どもでした。
約束の子どもイサクを捧げよというのが神様のご命令でした。
アブラハムは、神様を信じたのでイサクを捧げたのです。
その時、イサクを死者の中から蘇えらせることも出来ると考えました。
そのように神様を信じて捧げ、その結果、イサクを取り戻し、祝福を得たのです。
皆さん。私たちのどんな行動も、信仰によらなければなりませんし、また、どんな信仰も、なんらかの行動となって現れなければなりません。
これが、最初に開いたヤコブの手紙の言う、
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人は行ないによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。
ヤコブの手紙2章24節
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ということの意味です。
信仰は行ないに現れるのです。
ですから、ヤコブはこういいます。
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また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。
ヤコブの手紙1章22節
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先日は阪公園でバーベキューをしました。
皆さん。
バーベキューが外で行なえたことを本当に神様に感謝します。
月曜日頃の天気予報では、バーベキューをする金曜日は雨でした。
水曜日、皆さん一緒に祈りました。
木曜日の天気予報で、金曜日は、9時まで雨でそのあと曇り、そして、昼から晴れとなりました。
私は主に感謝しました。
木曜日の夕方、準備の為にいろいろな物を車に積み込みました。
いつも、雨などが降ったときの為に、ブルーシートで屋根を作ります。
そのためにはロープを持っていかなければなりません。
私は、いったん積みかけたロープを積み込むのをやめました。
後で家内も、ビニール紐を持っていくのをやめたと言っていました。
同じような事を考えたのだと少し嬉しく思いました。
ばかげていると思うかも知れませんが、私たちにとってはそれは信仰の行動でした。
実際は少し雨が降り、皆さんにご迷惑をかけました。
バイクの荷造りロープを提供して下さった方。家まで紐を取りに帰ってくださった方でなんとかブルーシートの屋根を作りました。
バーベキューの日の当日、準備をする時間には地面も乾いてきていました。
天気予報は、このあと曇りで午後は晴れでしたので、もう大丈夫と安心していました。
思えば、天気予報に信仰をおきすぎたと思います。
私たちが目を留めるべきなのは神様でした。
その後、雨が少し降ったのは、そのせいでしょうか。
すこしぽつぽつ降り出したときに、あの雨雲が消えるように命じてといわれましたが、そのような信仰を持つことは出来ませんでした。
また、そのようなことは、神様を試すことであるようにも思えて、それは出来ませんでした。
しかし、神様が天候を守ってくださると信じました。
ひと時雨が降りましたが、それも過ぎ、雨はやみました。
その間、皆さんが一緒にそこにいて付き合ってくださったことも本当に感謝でした。
だれもばかげているとは言いませんでした。
むしろ、完全に雨で出来ないといわれていたその日にこうしてバーベキューを外でしていることを楽しんでいました。
皆さん。
私たちが何か信じて行動するとき、そこに黒雲があらわれ雨が降るときもあるかもしれません。
イエス様は世にあっては患難があるといわれたからです。
これからの世の終わりへの時代はなおさらです。
困難を信仰で乗り越えていかなければならない時代がくるかも知れません。
しかし、信じ続けましょう。
雨が降ってもやめず信じて祈り続ける。
それが、そこにおられた皆さんの信仰でした。
私は、そのような信仰の仲間と一緒にいられることを嬉しく思います。
その時、私たちは神様の祝福を勝ち取るのです。
さて、今回の箇所は、この信仰が行動になることにおいて、もう一つ大切な告白ということを教えてくれています。
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2 私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。
3 馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。
4 また、船を見なさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。
ヤコブの手紙3章2−3節
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口の告白は、全身を動かし、人生を動かし、回りの環境も変える力があります。
告白によって思い通りになるのです。
そして、こう書いてあります。
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9 私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。
10 賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。
ヤコブの手紙3章9−10節
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同じ口から賛美とのろいが出てくる。
これが私たちの現実です。
賛美とはなんですか。
神様に対する感謝です。
のろいとはなんですか。
人に対する不満が呪いとなりますが、それは、結局のところ、神様への不満です。
なぜなら、神様のゆるしなしに、何事もおこらないからです。
わたしたちは、神様に感謝しましょう。
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すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
テサロニケ人への手紙第一5章18節
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そのように感謝の言葉、喜びの言葉を語る。
それが、言葉だけでなく、内側からのものでなければなりません。
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12 私の兄弟たち。いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩水が甘い水を出すこともできないことです。
13 あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行ないを、良い生き方によって示しなさい。
14 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。
15 そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。
ヤコブの手紙3章12−14節
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心の中に苦いねたみや敵対心があるままなら、どんなに良い言葉も、誇ることは出来ません。
私たちの心からのものでなければならないのです。
つまり、私たちの心が変えられなけばなりません。
世の中には笑顔で優しい言葉をかたりながら、目が笑っておられない方もおられます。
なんとか人を利用しようとして、ほめたりもしますが、相手を利用するという目的しかない方もおられます。
また、そのようにして、人との関係を築いても、そこに敵対心や妬みがあるならば秩序が乱れ、邪悪な行いがあらわれます。
本当に神様につながるなら、そこには、見せかけでない平和、寛容、あわれみがあります。
++++++++++
16 ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです。
17 しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
18 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。
ヤコブの手紙3章16−18節
++++++++++
そのようにして、私たちは平和の内に、神様の祝福を人々の間で現していくことが出来るのです。
<祈り>
[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。・濱本先生の癒しの為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。
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シティーチャーチメッセージ20121125 義の実を結ばせる種
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