礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20121014
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キリストにあって、満ち満ちているのです。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>


皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、天地の造り主。
全てをおさめておられる方。
豊かにめぐみを注ぎ、私たちを満たしてくださる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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では、聖書の通読箇所を見て見ましょう。

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10月14日(日)[ ]イザ50-52 /[ ]ピリ4
10月15日(月)[ ]イザ53-55 /[ ]コロ1
10月16日(火)[ ]イザ56-58 /[ ]コロ2
10月17日(水)[ ]イザ59-61 /[ ]コロ3
10月18日(木)[ ]イザ62-64 /[ ]コロ4
10月19日(金)[ ]イザ65-66 /[ ]Tテサ1
10月20日(土)[ ]エレ1-2 /[ ]Tテサ2
10月21日(日)[ ]エレ3-4 /[ ]Tテサ3
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旧約聖書がイザヤ書からエレミヤ書。
新約聖書がピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、テサロニケ人への手紙第一と続きます。

イザヤ書は、新約聖書につながる預言書としてみてきましたが、エレミヤ書は、エルサレムの滅亡の時についての預言書です。
そして、エレミヤ自身も、捕囚となっていくのです。
神様の愛されるエルサレムがその罪の為に滅んで行くなら、私たち異邦人はどうでしょうか。
私たちは、本当に日本の為に祈らなければなりません。
そのことも覚えて、是非、これらのところをお読みください。

では、今日は、コロサイ人への手紙から2章を開きましょう。
6節からとしていますが、16節からにしたいと思います。
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【 聖書箇所 】コロサイ人への手紙2章6-23節
・新改訳Up359(贈呈p312、英対p595)
・新改訳Vp391、英対p435(贈呈p356)
・口語訳p315
・新共同訳p370 (贈呈p370、英対p552)
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16節から朗読をお願いします。
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2:16 こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。
2:17 これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。
2:18 あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、
2:19 かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。
2:20 もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、
2:21 「すがるな。味わうな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか。
2:22 そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。
2:23 そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。
コロサイ人への手紙2章10節
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では、このところから、
「キリストにあって、満ち満ちているのです。」
と、題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

さて、今回のコロサイ人への手紙は、コロサイの教会に生じた異端、間違った教えに対処するために書かれたものと考えられています。

それが一番現れているのが、今読んでいただいた箇所です。
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2:16 こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。
2:17 これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。
2:18 あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、
2:19 かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。
2:20 もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、
2:21 「すがるな。味わうな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか。
2:22 そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。
2:23 そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。
コロサイ人への手紙2章16-23節
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さまざまな戒めを守ることで救われようとする間違った教え、これらは、ユダヤ教を背景とするものが多いのですが、そのような間違った教えが教会に入り込もうとしていたのです。

こういうわけですから、と書かれていますので、少し前を見ておきます。
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2:11 キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。
2:12 あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。
2:13 あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、
2:14 いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。
2:15 神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。
コロサイ人への手紙2章11-15節
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ここで、人の手によらない割礼を受けました。
と書いてあります。

割礼とは律法に定められたユダヤ教の儀式です。

それは、男性全てが受けなければならないとされていて、今も、ユダヤ人はその儀式を行います。
わたしたちは、身体にではなく、心に割礼を受けました。
霊において割礼を受けました。

ところが、当時、教会の中に、そのようなユダヤ教の思想が入り込もうとしていました。
使徒の働きの中にも、この割礼が問題になっているところがあります。
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1 さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」と教えていた。
5 しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。」と言った。
使徒の働き15章1、5節
++++++++++

このときのペテロの答えがこれです。
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7 激しい論争があって後、ペテロが立ち上がって言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。
8 そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、
9 私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。
10 それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。
11 私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」
使徒の働き15章7-11節
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ここで、ペテロは、割礼に関係なく、信仰によって与えられる、イエス様の恵みによる救いを証しています。

パウロはエペソ人への手紙でこのことをまとめてこういいます。
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あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エペソ人への手紙2章8節
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ですから、どんな行いも、私たちの救いには関係がありません。

皆さん。このことは重要です。
なぜなら、このことに対する惑わしが歴史の中で何度も教会に入りこもうとするからです。

難しい話をしているのではありません。

皆さん。教会の中で、あの人はあれをしていないからダメだという事を言わないでしょうか。

このことは、ローマ人への手紙のこの御言葉にも通じます。

私たちは、違いを受け入れあわなければなりません。
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1 あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
2 何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。
3 食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。
4 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
ローマ人への手紙14章1-4節
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私たちは、主によって立たされるのです。
あなたの見ている兄弟が、姉妹がどのような状態でも、主には、彼を立たせることが出来るのです。

また、どのような事も、私たちは、自分のためでなく主の為にするのです。
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5 ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。
6 日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。
7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
ローマ人への手紙14章5-8節
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どのような人生を歩んでも、私たちは主のものです。

さて聖書箇所にもどります。
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16 こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。
17 これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。
コロサイ人への手紙2章16-17節
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このことから私たちは、二つのことを知ります。

食べ物や日や月の事で、批判してはならない。
また、自分達自身も、キリストにあって、食べ物や日や月のことで、批判を受けてはならないということです。

人々はあなたを色々非難しようとすることがあるかも知れません。
そんなことをしていたのでは救われないとか、教会にいかないと救われない、伝道しないと救われない。
でも、どれも嘘です。

救いは、イエス様の十字架を信じる信仰以外にないのです。

また、自分と違う人についても、信仰の目をもって見なければなりません。

そうすると、皆さん。
わたしたちは注意しなければなりません。

いま、メシアニックジューといわれる、イエス様を信じたユダヤ人の方々が増えて来ています。
これは、素晴らしいことです。

この聖書は、ユダヤ人の文化の中で書かれましたので、メシアニックジューでなければ分らない聖書解釈があると思います。
そのようなユダヤ的な解釈は、わたしたちに様々な事を教えてくれます。
本来、ユダヤの文化の中で書かれた書物ですから、これは大切な事です。
わたしたちは、本当に聖書を理解するうえで、ユダヤ人の文化を切り離すことは出来ません。

しかし、もし、そのような中で、ユダヤ人の儀式そのものに目を向けるなら、そしてそれを救いの為に行おうとするなら、これは間違っています。
儀式を行ってはならないというのではありません。
時に、聖書をより、理解するために、ユダヤ人の儀式を行ってみることも良いと思います。
母教会でも、仮庵の祭りが行われました。
それは、聖書を理解するうえで良い事でしょう。
しかし、その行ないに、自分の救いを求めてはなりません。

私たちは、ユダヤ人も、ギリシャ人も、日本人も、アメリカ人も、誰であっても、イエス様を信じる信仰以外に救いは無いことを知っているのです。
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この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」
使徒の働き4章12節
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どんな儀式も、どんな日もつきも、私たちには関係がありません。
律法の全てはキリストが成就され、救いをわたしたちにお与えになったからです。

ですから、安息日も、過ぎ越しも、五旬節も、かりいおも、私たちの救いとは関係がありません。

それらの文化を楽しもうとすることは良いかも知れません。

しかし、そこに自分達の平安を見出そうとすることは間違っています。

また、当時の教会には、御使いを礼拝するような考えもあったようです。
それもまた、ユダヤ教の背景をもつものです。
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18 あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、
19 かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。
20 もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、
21 「すがるな。味わうな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか。
コロサイ人への手紙2章18-21節
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さまざまな修行も、それによって救いを得るものではありません。

ただ、信仰だけによるのです。
ですから、
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21 「すがるな。味わうな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか。
22 そのようなものはすべて、用いれば滅びるものについてであって、人間の戒めと教えによるものです。
23 そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。
コロサイ人への手紙2章21-23節
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と、書かれており、これらは、人間の欲望に対してききめがないと、パウロは結論付けています。

それは、行いを少し良く見せるかも知れません。

しかし、神様は、心の中の全てを見ておられます。

ですから、私たちは、ただ、キリストを信じる信仰によって、正直な自分のままで神様の前に出なければならないのです。

つみも、弱さも、たらなさも、何もかも、神様は、ご存知です。

それらすべてを神様の前にさらけだす。
それは、つまり、自分の心の全てを正直に祈ることです。

どんなことでも、何を感じているのか、何がのぞみなのか、どうしたいのか、どうなりたいのか、何をしてほしいのか、自分の心の中の全てを神様にさらけだすのです。

神様が心の中をご存知なら、なぜ、わざわざ言う必要があるのですか?
と言われる方もおられるかも知れません。

私たちは、心の中の思いをはっきりと祈らなければなりません。
求めなければなりません。

なぜでしょう。

ひとつ、考えて見てください。

小さな子どもが、台所にいる母親に聞こえるように、
「のどがかわいたなあ」
と、叫ぶのと、
「お母さん、のどがかわいたからジュースを下さい。」
まあ、これは丁寧すぎますか。
「お母さん。ジュース頂戴。」
というのと、
どちらが、お母さんとこどもの関係として正しいと思いますか。

どちらが、人と人の関係として正しいと思いますか。

良く、昔は「水」といって、「水がどうした?」
と聞きかえすようなことがありました。
水を下さいと言うことを教えるためです。

まあ、大きな子は、自分で、ジュースを入れに行く、水をとりに行けばいいのですが、それはおいておきまして、

ここでは、当然、まず、お母さんと呼びかけ、こうして欲しいというのが正しいのです。

これは、神様と人との関係も同じです。

天のお父様と呼びかける。
そして、イエス様のお名前で祈る。

これは、イエス様だけがわたしたちと神様との間の道だからです。

わたしたちは、そのように、キリストの中にあって感謝の中を歩むのです。
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6 あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。
7 キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。
コロサイ人への手紙2章6-7節
++++++++++
この信仰によって、神様は素晴らしいことをしてくださいます。
感謝を持ってお祈りしましょう。


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・濱本先生の癒しの為に。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20121014 キリストにあって、満ち満ちているのです。
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