礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20120916  
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主と同じかたちに
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちを救い、神の子とされた方。
栄光から栄光へと聖霊によって変えてくださる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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では、聖書の通読箇所を見てみたいと思います。

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9月16日(日)[ ]箴言16-18 /[ ]Uコリ1
9月17日(月)[ ]箴言19-21 /[ ]Uコリ2
9月18日(火)[ ]箴言22-24 /[ ]Uコリ3
9月19日(水)[ ]箴言25-28 /[ ]Uコリ4
9月20日(木)[ ]箴言29-31 /[ ]Uコリ5
9月21日(金)[ ]伝1-3 /[ ]Uコリ6
9月22日(土)[ ]伝4-7 /[ ]Uコリ7
9月23日(日)[ ]伝8-12 /[ ]Uコリ8
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旧約聖書が箴言から伝道者の書
新約聖書がコリント人への手紙第二です。

箴言の最後は、妻の姿について書いてあります。
これは、キリストの体としての教会がどうあるかが現れている所です。
また、伝道者の書。
新共同約ではコヘレトの言葉とも言われます。
逆に、コヘレトが伝道者を意味するので、伝道者の書と訳されました。
この書は、ダビデの子ソロモンの作といわれますが、王の子として生まれ、豊かな祝福の中に生き、やりたい放題の事をした人物が結局見出したことは何かという内容です。
空の空、一切は空とありますが、これは、仏教の言うような思想とは違います。
神様を離れては全ては空しいという事を教えています。
ただ、神に結びつき神をあがめること、そこに人生の本当の祝福があります。
そのためにも皆さん。毎日聖書を読んで祈りましょう。

また、新約聖書はコリント人への手紙第二です。
こちらはお話しの中で見てまいりましょう。

では、コリント人への手紙第二 3章を開いて参りましょう。
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【 聖書箇所 】コリント人への手紙第二 3章6-18節
・新改訳Up318(贈呈p278、英対p531)
・新改訳Vp348、英対p387(贈呈p318)
・口語訳p280
・新共同訳p328 (贈呈p328、英対p495)
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朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
コリント人への手紙第二 3章6-18節
3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。
3:7 もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、
3:8 まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。
3:9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。
3:10 そして、かつて栄光を受けたものは、このばあい、さらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているからです。
3:11 もし消え去るべきものにも栄光があったのなら、永続するものには、なおさら栄光があるはずです。
3:12 このような望みを持っているので、私たちはきわめて大胆に語ります。
3:13 そして、モーセが、消えうせるものの最後をイスラエルの人々に見せないように、顔におおいを掛けたようなことはしません。
3:14 しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによっ
て取り除かれるものだからです。
3:15 かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。
3:16 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。
3:17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
コリント人への手紙第二 3章18節
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では、このところから、
「主と同じかたちに」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

皆さん。
聖書の中に、私たちと同じ形にと主が言われたところがあるのを覚えておられるでしょうか。

それは、創世記の中の天地創造のところ、神様が人間をつくられた所です。
第六日目は、まず、生き物、野の獣の創造です。
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24 ついで神は、「地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ。」と仰せられた。するとそのようになった。
25 神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神は見て、それをよしとされた。
創世記1章24-25節
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これらは、それぞれの種類に従って造られました。
この箇所は、完全に進化論を否定するものです。
生き物は進化したのではなく、神様がそれぞれを造られたのです。

そして特別なものとして神様は人間を創造されました。
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26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
創世記1章26-27節
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神様は、特別なもの、神様に似たものとして、神様のかたちに人間を造られたのです。

ここで、われわれとは、父、子、聖霊の神様を指します。

神様と交わりを持つことの出来る存在として、神様は人間を造ろうとされたのです。

そして、この世界全てを治めるように定め、この世界全てを祝福されました。
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28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
29 ついで神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。
30 また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」すると、そのようになった。
31 そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。
創世記1章28-31節
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ですから、皆さん。
人間は本来神様の姿だったのです。

この地上において神様の支配、権威、栄光をあらわすものとして神様は人間を造られたのです。

それは、この地上で神様の栄光を表す受信機のようなものだったとも言えると思います。
テレビのチューニングがあえば、そこに画像が映るように、神様としっかりつながれば私たちを通して神様が表されるのです。

そのことは、神様としっかり結びついていることによって実現します。

ですから、私たちは、本来、神様にしっかりと結びついていなければならない存在なのです。

神が人となってこられたイエス様は、その事について言われます。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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わたしたちは、イエス様にしっかりと結びつかなければなりません。
それは、どういうことでしょうか?

それは、律法を行っていればいいのではありません。
聖書の戒め通り行っていればいいのではありません。

イエス様を心に信じてお迎えするということです。
イエス様は言われます。
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見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
黙示録3章20節
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また、そのことはイエス様に目を向けることから始まります。
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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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皆さん。何度も言います。聖書を読み、祈り、イエス様にしっかりと目を向けて行きましょう。
それは、神様とのしっかりしたつながりを持つためです。

さて、いったん聖書箇所に戻ります。
今回の箇所は、モーセについて書いてあります。
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3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。
3:7 もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、
3:8 まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。
コリント人への手紙第二3章6-8節
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これは、神様にお会いしたモーセのことです。

モーセは、聖書の出エジプト記に登場する人でエジプトで奴隷となっていたイスラエルの民を解放するために神様が立てた人です。
モーセは、神様の力によって様々な奇跡でエジプトを打ち、最後は紅海を二つにわけて、イスラエルの民をエジプトから解放したのです。
そして、モーセは、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記をまとめた人だといわれます。
それは、旧約聖書の最初の5つの書で、わたしたちはこれをモーセ五書と呼び、ユダヤ人はこれをトーラーと呼びます。

一般に律法と言うときには、このトーラーをさしています。

そこには、様々な規定が書かれています。
その中心にあるのが十戒です。

十戒は出エジプト記20章に書いてありますが、この10の戒めです。
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3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
7 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
12 あなたの父と母を敬え。
13 殺してはならない。
14 姦淫してはならない。
15 盗んではならない。
16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
    すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」
出エジプト記20章
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少しまとめてみましょう。
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ほかの神々があってはならない。
偶像を造ってはならない。拝んではならない。それらに仕えてはならない。
主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。
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これが、神様からモーセが受け取った10の戒めです。

しかし、この戒めと他にどんな戒めがあっても、それは、神を愛し、隣人を愛することに尽きます。
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「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。
ローマ人への手紙13章9節
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また、主は、新しい戒めとして、言われました。
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あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネの福音書13章34節
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互いに愛し合う。
これが、イエス様の戒めです。
この愛とは互いを認め、大切にすることです。
それが、イエス様の戒めです。
皆さん。教会で愛ということが言われるのは、それが心地よいからではありません。
イエス様が私たちの罪の身代わりに十字架に架かり死んで御自身の愛を示され、そのように愛しあいなさいと言われたからです。
この主のご命令に従いましょう。

さてもう一度、モーセの話にもどります。
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3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。
3:7 もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、
3:8 まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。
コリント人への手紙第二3章6-8節
++++++++++
モーセは、律法を受け取った人です。

神様とお会いした後、モーセは、顔が光っていたと書いてあります。
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29 それから、モーセはシナイ山から降りて来た。モーセが山を降りて来たとき、その手に二枚のあかしの石の板を持っていた。彼は、主と話したので自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった。
30 アロンとすべてのイスラエル人はモーセを見た。なんと彼の顔のはだが光を放つではないか。それで彼らは恐れて、彼に近づけなかった。
31 モーセが彼らを呼び寄せたとき、アロンと会衆の上に立つ者がみな彼のところに戻って来た。それでモーセは彼らに話しかけた。
32 それから後、イスラエル人全部が近寄って来たので、彼は主がシナイ山で彼に告げられたことを、ことごとく彼らに命じた。
33 モーセは彼らと語り終えたとき、顔におおいを掛けた。
34 モーセが主の前にはいって行って主と話すときには、いつも、外に出るときまで、おおいをはずしていた。そして出て来ると、命じられたことをイスラエル人に告げた。
35 イスラエル人はモーセの顔を見た。まことに、モーセの顔のはだは光を放った。モーセは、主と話すためにはいって行くまで、自分の顔におおいを掛けていた。
出エジプト記34章
++++++++++
皆さん。主とお会いしたモーセの顔が光ったのです。

もし、アダムとエバが親しく主と交わっていたなら、彼らはどうなったと思いますか?

きっと彼らも神様の栄光で光っていたのではないでしょうか。

今、私たちの存在を見て、わたしたちは、人間がどのようなものであるかを考えるのですが、神様が最初に造られた人間は、堕落する前の人間は、まったく違ったという事を、
私たちは聖書から想像することが出来ます。

アダムとエバが神様に結びついているならば、神様の栄光が、アダムとエバを通して流れます。

モーセには罪がありました。
人を殺したこともありました。
しかし、そのようなモーセですら、その顔が光ったのです。
そうならば、罪の無いアダムとエバはどのように輝いていたでしょうか。

黙示録を見ると、
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都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。
黙示録21章23節
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黙示録では小羊ご自身が明りだとあります。

しかし、きっとそれだけでなく、信じるものが皆、神様の栄光によって輝いていることでしょう。
そこには暗いところが無いと書いてあります。

また、祝福は、人を通して流れるようになっていたのです。

神様の栄光こそが祝福だからです。

今、その祝福は、イエス様を信じるものを通してながれます。
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わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
ヨハネの福音書7章38節
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イエス様がなされたのは、罪の購いです。
そして、義とされることです。

それは、失われていた神様との関係が取り戻されることです。

もし、それがとりもどされるなら、私たちは、堕落前の状態になります。

その時、神の栄光は輝き命の水は、信じる私たちの中から流れるのです。

なぜ私たちの中からですか。そこに神様とのつながるところがあるからです。

そして、その神様とのつながりが回復すれば、私たちを通して神様の栄光が表されるのです。

この祝福、これこそ、新しい契約です。
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神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。
コリント人への手紙第二3章6節
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この新しい契約はどこで結ばれたのですか?
この新しい契約の為の支払いはだれがしたのですか?

その場所は、十字架、そして、その支払いの全てはイエス様がなされたのです。

そしてその契約に基づいて、聖霊様が与えられました。

ですから、今、私たちは、律法によって生きるのではなく、聖霊様によって生きるのです。

でも皆さん。
そんな事言っても現実は違うと思いませんか?

そうです。
現実は違うように見えます。
しかし、わたしたちは、見えるものではなく、見えないものを見るのです。
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私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
コリント人への手紙第二4章18節
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そして、見えないものから世界が造られたように、私たちは見えない世界から神様の祝福を引き出す事が出来るのです。
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信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
ヘブル人への手紙11章3節
++++++++++
皆さん。ここで、見えないものに目を留めるというのは、見えない神様の事、霊的な事だけ考えていなさいという事ではありません。

私たちは、見えないものに目を留め、見えないところから見えるものを引き出すのです。
神様がこの天地を言葉によって造られたように、信仰で神様のもとにある祝福を引き出すのです。

皆さん。この世界の見えることだけに生きるならどうなりますか?
最終的には奪い合うことになってしまわないでしょうか?

その結果が戦争です。

貪欲な物がかき集め、富が集中し、貧困が生じ、憎しみを生み出し、テロや戦争を起こす。
それが、人類の歴史です。

しかし、神様は、人間がどう生きるように創造されたのですか?

人間は、神様の祝福を引き出し、神様の恵みの中を生きるように創造されたのです。

そして、堕落によって全ては失われましたが、その全てをイエス様は十字架で取り戻し、信じるものに与えて下さったのです。

皆さん。この地上で、この神様の栄光を引き出すもの、表すものとして生きたいと思いませんか?
神様は、誰を通して、神様の栄光を表されるのですか?
それは、信じるあなたです。

皆さん。私たちは、目に見えない神様を信じています。
神様は目に見えないと思っています。
しかし、私たちの目が神様に向けられるなら、神様はご自身を示してくださいます。
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16 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。
17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
コリント人への手紙3章16-18節
++++++++++
それを教えて下さるのは聖霊様です。

聖霊様によって歩むなら、私たちは、律法によりません。
なぜなら、聖霊様こそが、私たちと神様との関係を正しく導いて下さるからです。

そして、鏡のようにとかかれています。

鏡が光を反射するように。

私たちが神様に向いているなら、神様の光が私たちから反射されて、この世界を照らすのです。

皆さん。
鏡の事を考えてください。

鏡を反対に向けて裏返しにしたら、どうなりますか?光を反射出来ません。

だから、私たちの目をイエス様に向けていなければなりません。

光を反射するために大切なのは、鏡の表面を綺麗にすることです。

わたしたちが、神様の光を反射しにくくするのは、罪、不信仰です。
しかし、それをイエス様は取り除いてくださいました。
わたしたちは、義とされているのです。
それは、私たちがどんなに薄汚れた鏡でも、表面は綺麗にされているということです。

鏡をどんなに綺麗に飾っても、裏側も綺麗に磨いても、光を反射しなければ鏡として役に立ちません。

しかし、どんな鏡でも、光を反射するとき、それは、まぶしく輝くのです。

その祝福の中で、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられていくのです。
この聖霊様の働きに、ゆだねて参りましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・濱本先生の癒しの為に。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20120916 主と同じかたちに
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