礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20120902
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ただ神の栄光を現わすために
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます
主は、私たちをご自身の血潮で買い取り
ご自身の栄光を私たちを通してあらわされる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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聖書の通読箇所を見て見ましょう。
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9月2日(日)[ ]詩119:1-56 /[ ]Tコリ9
9月3日(月)[ ]詩119:57-112 /[ ]Tコリ10:1-13
9月4日(火)[ ]詩119:113-176 /[ ]Tコリ10:14-33
9月5日(水)[ ]詩120-129 /[ ]Tコリ11:1-16
9月6日(木)[ ]詩130-135 /[ ]Tコリ11:17-34
9月7日(金)[ ]詩136-138 /[ ]Tコリ12:1-11
9月8日(土)[ ]詩139-141 /[ ]Tコリ12:12-31
9月9日(日)[ ]詩142-145 /[ ]Tコリ13
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旧約聖書が詩篇
新約聖書がコリント人への手紙第一です。

この詩篇、119篇は、聖書の中の一番長い章です。
そして一番短いのが117篇です。

また、119篇は、ヘブル語のアレフベイトが頭文字となった数え歌のようになっています。

コリント人への手紙は後ほど見てまいりましょう。

では、今回は、このコリント人への手紙第一10章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】コリント人への手紙第一 10章19-33節
・新改訳Up303(贈呈p266、英対p507)
・新改訳Vp331、英対p370(贈呈p304)
・口語訳p267
・新共同訳p312 (贈呈p312、英対p473)
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朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
コリント人への手紙第一 10章19-33節
10:19 私は何を言おうとしているのでしょう。偶像の神にささげた肉に、何か意味があるとか、偶像の神に真実な意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。
10:20 いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。
10:21 あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。
10:22 それとも、私たちは主のねたみを引き起こそうとするのですか。まさか、私たちが主よりも強いことはないでしょう。
10:23 すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。
10:24 だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。
10:25 市場に売っている肉は、良心の問題として調べ上げることはしないで、どれでも食べなさい。
10:26 地とそれに満ちているものは、主のものだからです。
10:27 もし、あなたがたが信仰のない者に招待されて、行きたいと思うときは、良心の問題として調べ上げることはしないで、自分の前に置かれる物はどれでも食べなさい。
10:28 しかし、もしだれかが、「これは偶像にささげた肉です。」とあなたがたに言うなら、そう知らせた人のために、また良心のために、食べてはいけません。
10:29 私が良心と言うのは、あなたの良心ではなく、ほかの人の良心です。私の自由が、他の人の良心によってさばかれるわけがあるでしょうか。
10:30 もし、私が神に感謝をささげて食べるなら、私が感謝する物のために、そしられるわけがあるでしょうか。
10:31 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。
10:32 ユダヤ人にも、ギリシヤ人にも、神の教会にも、つまずきを与えないようにしなさい。
10:33 私も、人々が救われるために、自分の利益を求めず、多くの人の利益を求め、どんなことでも、みなの人を喜ばせているのですから。
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。
コリント人への手紙第一10章23節
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では、この所から
「ただ神の栄光を現わすために」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

コリント人への手紙を見てきていますが、この手紙が書かれたのは、教会の中に生じた分裂という大きな問題に対処するためでした。
その分裂は、結局のところ、おのおのの高慢や自分勝手によっておこっていました。

そのような中で、パウロは、主の前にへりくだる事を教えようとします。

そして、今回の箇所に続きます。
主題聖句として選んだ箇所の節全体を最初に見ておきたいと思います。
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すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。
コリント人への手紙第二 10章23節
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すべてのことは、してもよいのです。
しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。

これは、どういう意味でしょうか。

まず、すべてのことはしてもよい。
と言う言葉には、イエス様の十字架での贖いと、ゆるしがあります。

イエス様は、私たちの罪の身代わりに十字架で死んで下さいました。
その罪とは、どんな罪でしょう。

あなたの罪といわれたら、あなたは、どんな罪を思い起こしますか。
どんな細かな罪も、神様の前では見逃されません。
ですから、イエス様の血潮によって私たちは、覆われなければなりません。

イエス様を着なさいとも書いてあります。
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主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。
ローマ人への手紙13章14節
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羊の毛皮をかぶった狼などという言い方があります。
あまりいい意味ではありません。

しかし、わたしたちは、イエス様の衣をかぶった罪人です。

しかし、イエス様を信じ、イエス様を着るなら、神様はイエス様を見て、わたしたちを義として下さるのです。

義とされるなら、どうなりますか?

この世界で人間が受けている苦しみは全て、罪の結果です。
それは、また、人間の罪によって神様との関係が絶たれ、神様からの祝福が遠ざけられた結果なのです。

本当は、この世界は神様の命に満ちていたはずでした。
その命はどこから流れるのでしょう。
それは、人間を通して流れるのです。

ところが、それが、絶たれてしまいました。
人間自身が、不信仰という最大の罪によって、神様からの祝福のパイプを引きちぎってしまったからです。

イエス様を信じるものは罪が赦され、義とされるのでその祝福を取り戻します。
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わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
ヨハネの福音書7章38節
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この生ける水の川は、あなただけでなく、あなたの回り全てをうるおします。

それもまた、信仰によって働きます。

皆さん。人間が義とされることは、人間だけに留まりません。
この世界を呪いから祝福へ、死から命へと変えるのです。
あなたが義とされることは、貴方だけに留まりません。
あなたの周りを呪いから祝福へとかえるのです。

罪の話から話しがそれました。
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すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。
コリント人への手紙第二 10章23節
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すべての事はしてもよい。

イエス様が覆ってくださる罪は、あなたの犯したどの罪でしょう。
それは、全ての罪です。

そして、それは、過去、現在、未来すべての罪です。

つまり、あなたが今、何か罪を犯していても、また、あなたがこれから罪を犯しても、すべてイエス様は赦してくださっているのです。

だから、何をしても、神様があなたを罪定められることはありません。
だから、すべてのことは、してもよいのです。

キリストが律法を完成されたので、あなたは全ての罪から自由にされています。
あなたは自由です。それが、すべての事は、しても良いという意味です。

しかし、すべての事が益とはなりません。

自由だからといって、タバコを吸っていたら、それは、体に悪いですし。
法律を破れば、天国だけでなくて、刑務所にもいかなければならないかもしれません。

また、自由だからと言って、大事な試験があるのに遊んでばかりいたらどうなるでしょう。
だから、全ての事が徳を高めるとはかぎりませんと書いてあります。

ここまでは、非常に大切な事です。

私たちは、自由です。
しかし、その自由を何のためにつかうのでしょうか。
先に答えをいいます。
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こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。
コリント人への手紙第一 10章31節
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わたしたちは、何をするにも、神様の栄光の為にするのです。

なぜなら、私たちは、その人生全てが、キリストの十字架によって買い取られたものだからです。
それを良く現しているのが、前回開いたこの御言葉です。
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あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。
コリント人への手紙第一6章20節
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わたしたちは、キリストにあって義とされました。
ですから、体をもって、人生をもって、神の栄光をあらわすのです。

さて、聖書箇所にお話しをもどしますが、その前に、今回のコリント人への手紙第一の10章14節からこう書いてあります。
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14 ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。
15 私は賢い人たちに話すように話します。ですから私の言うことを判断してください。
16 私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。
17 パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです。
18 肉によるイスラエルのことを考えてみなさい。供え物を食べる者は、祭壇にあずかるではありませんか。
コリント人への手紙第一10章14節
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ここで、聖餐式についてふれています。

私たちの杯、パン、これは、キリストにあずかることです。
そして、パンは一つ、ですから、体は一つなのです。

私たちは、キリストの体として一つにされます。
もし、右手と左手があらそったらどうなるでしょう。
もし、右足と左足が反対の方向へ行こうとしたらどうなるでしょう。
ですから、私たちは、体としての一致を必要としています。

そのためには、私たちは和解しなければなりません。
争っていてはならないのです。
私たちは、神様の前にへりくだり、互いに赦しあいましょう。

聖餐式のパンを食べるとき、私たちは、一つのものとされているのです。
また、このパンを食べるならキリストにつながるのです。
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19 私は何を言おうとしているのでしょう。偶像の神にささげた肉に、何か意味があるとか、偶像の神に真実な意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。
20 いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。
21 あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。
22 それとも、私たちは主のねたみを引き起こそうとするのですか。まさか、私たちが主よりも強いことはないでしょう。
コリント人への手紙第一10章19-22節
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ところで、この偶像に捧げるということについて、天と地を創られた真の神様以外に神はありません。
ですから、偶像は本当は何の意味も力も持ちません。
しかし、偶像に捧げるということは、大きな問題があります。
それは、悪霊に捧げているのです。

聖書を見るとき悪霊とはなんでしょう。
死んだものの霊ではありません。
それは、やがてくる世の終わりの裁きの日まで眠っています。
では、悪霊はなんでしょう。

それは、悪魔、サタンに従った天使たちです。
悪魔が投げ落とされるとき、天の三分の一を引き連れていったと聖書は教えています。
その天使達が、悪霊となっています。
この悪霊は、人のした事を見ています。
ですから、おじいさんやおばあさんの振りをすることも簡単です。
何かを言い当てることも出来ます。

しかし、それらは、人を真の神様から引き離し、悪魔の元へとつれていこうとします。
やがて彼らを待っている永遠の滅びへと、引き寄せようとしているのです。

そのようなものと関わってはなりません。
偶像に捧げられた肉、それは、悪霊に捧げられたものである。
この世で拝まれている、真の神でないものは皆、悪霊によると言っているのです。
どんなにそれが良いものに見えても、悪霊の働きです。

ですから、皆さん。
私たちは、気をつけなければなりません。

しかし、こう書いてあります。
++++++++++
25 市場に売っている肉は、良心の問題として調べ上げることはしないで、どれでも食べなさい。
26 地とそれに満ちているものは、主のものだからです。
27 もし、あなたがたが信仰のない者に招待されて、行きたいと思うときは、良心の問題として調べ上げることはしないで、自分の前に置かれる物はどれでも食べなさい。
28 しかし、もしだれかが、「これは偶像にささげた肉です。」とあなたがたに言うなら、そう知らせた人のために、また良心のために、食べてはいけません。
29 私が良心と言うのは、あなたの良心ではなく、ほかの人の良心です。私の自由が、他の人の良心によってさばかれるわけがあるでしょうか。
コリント人への手紙第一10章25-28節
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本来、全ては神様のものです。
ですから、神社のある土地も、どのような場所も、皆、神様のものです。
どこに行こうと何をしようと何を食べようと問題はありません。
すべてが赦されています。

しかし、あえて、その事を指摘する人がいるなら、その人の為に食べないようにといっているのです。

また、神社の場所に行くというとき、あなたが主につながっているなら何の問題もありません。
あなたの内におられるかたはどのような悪霊よりも強いからです。
しかし、あなたが恐れを感じるなら、やめておくことをお勧めします。

また、神社に行ったとしても、友達が賽銭を入れて、拝むとき、あなたも同じようにするなら、それを見た友達はそれでいいのだと思ってしまいます。
そうして、本当の神様から離れ、また、立ち返る機会を失います。
だから、はっきりと、私は、天地を造られた本当の神様だけを拝みます。と、言わなければなりません。

これらから、神の栄光をあらわすとは、どんなことでしょう。
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30 もし、私が神に感謝をささげて食べるなら、私が感謝する物のために、そしられるわけがあるでしょうか。
31 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。
32 ユダヤ人にも、ギリシヤ人にも、神の教会にも、つまずきを与えないようにしなさい。
33 私も、人々が救われるために、自分の利益を求めず、多くの人の利益を求め、どんなことでも、みなの人を喜ばせているのですから。
コリント人への手紙第一10章30-33
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それは、本当に自分の為でなく、神の為に、他の為に生きるということです。
食べてよいかどうか、して良いかどうか、を判断するのは、その行為で穢れるからとかではありません。

その基準は、他の人に対する証の為になるかどうかです。
それが、人への愛です。また、キリストにあって人を愛する愛は、神への愛です。

イエス様の歩みがまさにそうでした。
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また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。
エペソ人への手紙 5章2節
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キリストも、そのように、神を愛し、人を愛され、その愛のゆえに、十字架で死んでくださいました。

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すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。
コリント人への手紙第二 10章23節
++++++++++
すべての事は赦されています。

しかし、あなたの人生全てを神様の栄光の為に用いましょう。
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あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。
コリント人への手紙第一6章20節


こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。
コリント人への手紙第一 10章31節
++++++++++
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・濱本先生の癒しの為に。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20120902 ただ神の栄光を現わすために
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