礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20120805
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神との平和を持っています
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちとの和解の為に御子さえ与えて下さった方。
この方により、今、私たちは神と和解し、神との平和を持っています。
この主を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

さて、まず、東日本の為に祈りましょう。

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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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では、いつものように、聖書の通読箇所を見て見ましょう。
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8月5日(日)[ ]詩16-18 /[ ]ロマ3:19-31
8月6日(月)[ ]詩19-22 /[ ]ロマ4
8月7日(火)[ ]詩23-27 /[ ]ロマ5
8月8日(水)[ ]詩28-31 /[ ]ロマ6
8月9日(木)[ ]詩32-35 /[ ]ロマ7
8月10日(金)[ ]詩36-38 /[ ]ロマ8:1-17
8月11日(土)[ ]詩39-41 /[ ]ロマ8:18-39
8月12日(日)[ ]詩42-45 /[ ]ロマ9:1-18
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旧約聖書が、詩篇
新約聖書が、ローマ人への手紙です。

詩篇の中でも、ダビデの歌は、自分の正直な心を歌っています。
中には、敵に対して非常に荒い言葉も使われます。
しかし、自分の心全てをご存知の主に、その心の全てをさらけ出す祈りです。
私たちも、正直な心で主と交わりたいと思います。

また、ローマ人への手紙、特に今週の通読箇所は、信仰による義、御霊の原理についてが書かれています。
是非お読みください。

では、このローマ人への手紙の中から今回は、5章を開きましょう。

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【 聖書箇所 】ローマ人への手紙5章1-11節
・新改訳Up271(贈呈p238、英対p454)
・新改訳Vp296、英対p330(贈呈p272)
・口語訳p238
・新共同訳p (贈呈p279、英対p426)
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朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
5:1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
5:9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
5:10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。
5:11 そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。
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では、主題聖句を言いましょう。
++++++++++
【 主題聖句 】
信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
ローマ人への手紙5章1節
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さて、皆さん。
シティーチャーチ牧野がこの場所で礼拝を始めてから、まる9年がたち、10年目に入ります。
さまざまな事がありましたが、主が、私たちを一つの教会として導いてくださっておられる事を感謝します。

10と言う数字も、聖書では一つの区切りを表す数字です。
この年に主が何をして下さるのか期待して行きたいと思います。

その最初に、このローマ人への手紙からお話しできることを感謝だと思います。

なぜなら、私たちは、ここに書かれている、信仰によって建て上げられ、歩まされているからです。

このローマ人への手紙の今週の、それも、今日の通読箇所にこうかいてあります。
++++++++++
20 なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
21 しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。
22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
ローマ人への手紙3章20-22節
++++++++++
だれも、行ないによって、神の前に義と認められる人はいません。それで、イエス様を信じる信仰によって義とされるのです。

そして、さらに詳しくこう続きます。
++++++++++
23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見の
がして来られたからです。
ローマ人への手紙3章23-25節
++++++++++
全ての人は、罪を犯し、神から栄誉を受けることが出来ません。
どんなに立派な行いも、一つの罪が帳消しにするのです。
しかし、神の恵みとキリストの贖いにより、信じるものは義と認められるのです。

そして、はっきりとこう書いてあります。
++++++++++
人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。
ローマ人への手紙3章28節
++++++++++
これは、聖書の中で非常に大切な事柄です。
ただ、信仰によって、私たちは義とされています。
どんなに立派な行いがあっても、人には罪があり、行ないによって正しいとされることは出来ないのです。

主題聖句をもう一度見てみましょう。
++++++++++
【 主題聖句 】
信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
ローマ人への手紙5章1節
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ここで、信仰によって義とされた私たちは、神との平和を持っていると書いてあります。
最初に神様が創造された世界には完全な秩序と平和がありました。

++++++++++
1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。
2 それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。
3 神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。
創世記2章1-3節
++++++++++
神様は、すべてを完成し、休まれました。
それは素晴らしい世界でした。

そこで、主は休まれました。安息されたのです。
そこには平和があったのです。

ところが、それが失われる出来事がありました。

それは、アダムとエバの堕落です。

彼らは、神様の戒めを破りました。
彼らは、エデンの園で、食べてはならないと言われていた木の実を食べたのです。
とって食べたら死ぬといわれた善悪の知識の木の実を取って食べたのです。

それは、小さなことのようです。
しかし、エデンの園で、沢山食べ物のある中で、彼らは満ち足りていました。
テーブルにパンが一個あり、空腹で、それでも食べるなと言われたとき、食べてしまったというような事はあるかもしれません。
しかし、彼らは満ち足りていたのです。
それにも関わらず、悪魔にそそのかされて、エバが、そして、アダムがその実を食べたのです。

それは、神様のいう事を聞かなかったということですが、いいかえれば不信仰です。

なぜなら、神様が食べたら死ぬといわれたことを信じるなら食べないからです。
それよりも、食べても死なないという悪魔の言葉を信じたのです。
悪魔のいう事を信じ、神様の言われることを信じなかったのです。

これは、神への不信仰です。

世界は、神様がイメージし、信じ告白されて成り立っています。
全ては神様の信仰によって創造されているのです。
神様の信仰によって成り立っている世界の中に、アダムが大きな不信仰を持ち込んだのです。
完全な世界の中で、持ち込まれた不信仰は、全ての物を呪いの中に入れたのです。
++++++++++
17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なけれ
ばならない。
18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
創世記3章17-19節
++++++++++
地は、そして、アダム自身も、その不信仰によって呪われました。

そして、大きな壁が、人間と神様との間に作られたのです。

創世記には、追放されたアダムがエデンに戻れないようにするためのものが書かれています。
++++++++++
こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。
創世記3章24節
++++++++++
こんなものがなければ、エデンに戻れるのにと考えるかも知れません。

しかし、この世界でもっともおおきく、もっとも悲惨な壁を造ったのは神様ではなく、追放されたアダム自身でした。

その壁とは、不信仰です。

神様を信じないという壁は、神様の祝福全てを遠ざけます。

この世界は、神様からの恵みで満ちています。
全てが神様の御手によります。
この世界に神様によらないものは一つもありません。

それらは、みな、良いものです。
++++++++++
神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。
テモテへの手紙第一 4章4節
++++++++++
感謝して受けるなら、良いものなのです。

感謝はどこから来ますか。
それは、神様への信仰から来ます。

そうでない感謝があります。
例えば太陽を見て、お天道様と言って太陽の恵みに感謝するというような感謝です。

それは大きな間違いです。
わたしたちは、太陽ではなく、太陽を造られた方に感謝しなければなりません。

ですからその感謝は、全ての物を神様が造ってくださったという信仰に基づくのです。

全世界を造られた神様を信じる。
あなたを造られた神様を信じる。

それが感謝へとつながります。

ところが、そのような神様と私たちの関係は、アダムの罪、そして、その後の人類全ての罪によって破壊され壁が出来てしまいました。

その壁、不信仰という壁を、イエス様はこわしに来られたのです。
++++++++++
すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
コリント人への手紙第二 5章19節
++++++++++
本来、アダムが作り、人間が取り除かなければならない壁を崩すために神の御子が来られらのです。
それは、どんな方法だったでしょう。
それは、罪の無い神の御子イエス様が十字架に架かり死ぬという方法でした。

十字架で、罪をそのままにしておけない神様の完全な義と、人間を愛してやまない神様の完全な愛が衝突したのです。

罪の無いイエス様はそこで死なれました。しかし、そのなされた事が完全であったゆえに三日目に蘇えられたのです。

その和解のゆえに、いま、私たちは、神様の恵みを感謝することが出来ます。
それゆえに、いつも喜ぶことが出来るのです。
++++++++++
16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
テサロニケ人への手紙第一 5章16-18節
++++++++++
これは、キリストのゆえです。
なぜですか。

キリストが十字架で死なれたのだから、喜ばなければならない。
そう考えるとき、その理由は何ですか?

イエス様が十字架で大変な痛みを背負い、苦しんで下さったのだから、小さなことなど必死に耐えて喜ぶのが当たり前だということでしょうか。
そうではありません。
イエス様は、何のために十字架で死なれたのですか。
それは、神と人との和解の為、そして、不信仰という壁を取り除くためです。

不信仰の壁は、なにを妨げていたのですか?
それは、神様からの祝福です。

つまり、不信仰と言う壁をイエス様が十字架で破壊して下さったことで、わたしたちは、神様からの祝福を信仰によっていくらでも引き出すことが出来るようになったということです。
喜ぶのは、困難を耐えて喜んで見せるのではありません。
神様の約束された祝福がそこにあるのを信じるから、神様が大きな祝福を用意してくださっておられ、信仰によっていくらでも引き出すことが出来ると信じるから喜ぶのです。

それは、オリンピックの選手が、その向うにあるメダルを目指して頑張るのに似ています。
メダルは、幾人かしか手にする事が出来ません。
しかし、神様の祝福は、信仰によって、全ての人に与えられるのです。

ですから、キリストの十字架は、祝福の印です。

私たちは、祝福が約束されている。祝福を受け取ることが出来る。
だから、いつも喜ぶことができます。絶えず祈ることが出来ます。全ての事について感謝することが出来ます。
問題の中でも、困難の中でも、信じるがゆえに喜びを持って歩み、信じるがゆえに、期待して祈り、信じるがゆえに、感謝するのです。

それは、神との和解の結果です。

この和解を父なる神様は、イエス様にあってなしとげられたのです。
ですから、こう書いてあります。
++++++++++
こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。
コリント人への手紙第二 5章20節
++++++++++
神様が懇願しておられる。
お願いしておられる。

不思議だと思いませんか。
罪を犯したのは人間です。ですから、人間がお願いしないといけないのです。
ところが、そうではなく、神様がお願いしておられるのです。

十字架はどんな人がつくのですか?
それは正しい人でなく罪人です。
そして、見ているものたちは、思います。
あいつは、罪のためにこうなった。悪かったと思って死んであやまれ。反省しろ。

十字架で、刑を受けるものは、無理やりあやまらされているのです。
イエス様もそうです。人々からあざけられ、馬鹿にされました。

それでも、口答えせず、自分が悪いという立場にたたれたのです。
罪の無い方が、完全につみある側に立ち、まるで懇願するように、十字架で死なれたのです。

しかし、そこに神様の愛の深さがあるのです。
神様の完全にへりくだられた愛があるのです。
++++++++++
またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
ローマ人への手紙5章2節
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私たちは、この愛と恵みによって生かされています。

しかも、それは、私たちの罪があったときです。
++++++++++
8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。
11 そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。
ローマ人への手紙5章8-11節
++++++++++
教会で少しでもましになったら救われるのではありません。
罪人であった私たちを救い、義とされ、血潮で覆って下さったのです。
ですから、いま、あなたのどんな罪も、神様は見ておられません。

完全にイエス様の身代わりによって義とされているのです。

みなさん敵であったわたしたちを、神様は、祝福してくださったのです。

ですから皆さん。
教会の中で、愛し合い、赦しあうのです。
教会の中でも、違いを感じることがあるでしょう。
しかし、決して裁くのでなく赦しあいましょう。

裁きは、のろいです。なぜなら、裁きは、その状態に人を閉じ込めるからです。
あなた顔が悪いといわれてもどうしようもありません。
人は、変わることが出来ません。

ですから、祝福しあいましょう。
あなたは美男子です。あなたは美女です。
顔のことばかりいっていますが、わたしたちは、祝福しあうのです。
あなたはスマートです。といってほしいものです。

祝福しあうなら、祝福は満ち溢れます。
愛も恵みも満ち溢れます。
ですから、その愛と恵みの中で、パウロは患難さえも喜ぶといいます。
++++++++++
3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
ローマ人への手紙5章3-5節
++++++++++
この患難を喜ぶのも、信仰によって祝福を受けるからです。

イエス様が十字架で苦しまれたのだから、僕も苦しまなきゃと考えるなら、教会は我慢大会の場所になってしまいます。
イエス様はそんなために十字架で死なれたのではありません。

不信仰を打ち砕き、祝福の扉を開くために、神と人との和解の為に死んで下さったのです。
ですから、祝福を信じて患難を喜ぶのです。その向うに祝福があるから、忍耐するのです。
そして、忍耐をとうして、私たちの品性がねられ聖められ、キリストの似姿へと成長するのです。

それは、聖霊様によります。

いま、わたしたちは、この和解の中に入れられています。
信仰によって祝福をいただき、その祝福をおしながし、神様の栄光を表してまいりましょう。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・濱本先生の癒しの為に。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20120805 神との平和を持っています
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