礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20120708  
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聖霊と私たち
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さん。ハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主を称えるところに聖霊様は働かれます。
今も、この所に聖霊様は働いておられます。
この聖霊様を覚えて、聖霊様が解き明かされる御言葉に耳を傾けましょう。

さて、まず、いつものように東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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聖書の通読箇所を見て見ましょう。
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7月8日(日)[ ]エズラ4-6 /[ ]使徒14
7月9日(月)[ ]エズラ7-8 /[ ]使徒15:1-21
7月10日(火)[ ]エズラ9-10 /[ ]使徒15:22-41
7月11日(水)[ ]ネヘ1-3 /[ ]使徒16:1-18
7月12日(木)[ ]ネヘ4-6 /[ ]使徒16:19-40
7月13日(金)[ ]ネヘ7-8 /[ ]使徒17:1-15
7月14日(土)[ ]ネヘ9-10 /[ ]使徒17:16-34
7月15日(日)[ ]ネヘ11-12 /[ ]使徒18
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旧約聖書がエズラ記、ネヘミヤ記。
新約聖書が使徒の働きです。
このエズラ記、ネヘミヤ記は、神殿の再建に関わる事柄です。
ペルシャ王クロスに神様が働かれて始まった神殿の再建ですが、思うように進みません。
それで、神様は、律法学者エズラを立て、また、総督ネヘミヤを立ててこの働きをなさせたのです。

新約聖書は、使徒の働き。
パウロの宣教活動が書かれています。
偶像に満ちたアテネでの宣教や、アポロ、アクラ、プリスキラとの出会いも書かれています。
是非お読みください。

では、今日はこの使徒の働きから、15章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】使徒の働き15章22-33節
・新改訳Up237(贈呈p210、英対p393)
・新改訳Vp259、英対p289(贈呈p239)
・口語訳p207
・新共同訳p243 (贈呈p243、英対p372)
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朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】使徒の働き15章22-33節
15:22 そこで使徒たちと長老たち、また、全教会もともに、彼らの中から人を選んで、パウロやバルナバといっしょにアンテオケへ送ることを決議した。選ばれたのは兄弟たちの中の指導者たちで、バルサバと呼ば
れるユダおよびシラスであった。
15:23 彼らはこの人たちに託して、こう書き送った。「兄弟である使徒および長老たちは、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟たちに、あいさつをいたします。
15:24 私たちの中のある者たちが、私たちからは何も指示を受けていないのに、いろいろなことを言ってあなたがたを動揺させ、あなたがたの心を乱したことを聞きました。
15:25 そこで、私たちは人々を選び、私たちの愛するバルナバおよびパウロといっしょに、あなたがたのところへ送ることに衆議一決しました。
15:26 このバルナバとパウロは、私たちの主イエス・キリストの御名のために、いのちを投げ出した人たちです。
15:27 こういうわけで、私たちはユダとシラスを送りました。彼らは口頭で同じ趣旨のことを伝えるはずです。
15:28 聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。
15:29 すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」
15:30 さて、一行は送り出されて、アンテオケに下り、教会の人々を集めて、手紙を手渡した。
15:31 それを読んだ人々は、その励ましによって喜んだ。
15:32 ユダもシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、また力づけた。
15:33 彼らは、しばらく滞在して後、兄弟たちの平安のあいさつに送られて、彼らを送り出した人々のところへ帰って行った。
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では、皆さんで主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。
使徒の働き15章28節
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では、この所から、
聖霊と私たち
と題しまして御言葉を開いて参りましょう。

今回の所は、教会で起こった一つの問題についての事です。
その問題は、ここに書いてあります。
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しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。」と言った。
使徒の働き15章5節
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二つの事が上げられています。
割礼と律法です。

割礼は男性の性器の皮を切り取るという儀式です。
それは、神様がアブラハムに命じられたものです。
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9 ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。
10 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。
11 あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。
12 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。
13 あなたの家で生まれたしもべも、あなたが金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるされなければならない。
14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。」
創世記17章9-14節
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アブラハムが信じて神様から受けたその契約の印として、割礼はなされました。

これについて、パウロは言います。
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9 それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、その信仰が義とみなされた。」と言っていますが、
10 どのようにして、その信仰が義とみなされたのでしょうか。割礼を受けてからでしょうか。まだ割礼を受けていないときにでしょうか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときにです。
11 彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、
12 また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って歩む者の父となるためです。
ローマ人への手紙4章9-12節
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信仰が義とみなされたのであり、割礼によって義となるのではないということです。
また、そのアブラハムの義は、信仰の足跡にしたがって歩むものの父となるためであると書いてあります。
しかし、この印は、男性にしかつけることが出来ません。
ですから、個人個人のものではありません。
これは、イスラエル人、ユダヤ人、約束の民に対する、民族としての印だったのです。
それは約束の民を、他の民族と区別するための印でした。
しかし、いま、キリストが全ての者の主となられ、その区別は必要なくなり、イエス様を信じる信仰によって全ての者が救われるようになったのです。

さて、次に律法について見てまいりましょう。
律法についても、同じことが言えます。
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14 もし律法による者が相続人であるとするなら、信仰はむなしくなり、約束は無効になってしまいます。
15 律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違反もありません。
16 そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう
人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした。」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。
ローマ人への手紙4章14-16節
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律法による義か、信仰による義か。
この聖書の最初のところにあるモーセ5書がユダヤ人の言う律法です。
そこには細かな規定が書かれています。
律法では豚は食べてはいけません。
ですから、律法によるなら、わたしたちは今日から豚を食べてはいけません。
どうなのでしょう。

何か正しいとされるために、私たちは何かしないといけないと考えます。
私たちは、一般的に、認められるには、何かしないといけないと考えます。

どうしたらよいかと人々は聞きます。
How to について書いた本が沢山本屋にあります。

どうしたらやせるか、どうしたら頭が良くなるか、どうしたら、お金がたまるか。

そのような質問と並べて、
どうしたら天国にいけるか、どうしたら救われるか、どうしたら永遠の命を得るのか、どうしたら罪が赦されるか。
そう聞いても、これらは、どれも、どんな修行をしても得ることが出来ません。

これを書いたパウロは、探し回った結果言います。
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24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
ローマ人への手紙7章24-25節
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それは、どうしたらではなく誰がです。
ですから行いではなく、ただイエス様を信じる信仰によって救われ、罪が赦され、神の子とされ、天国に行くものとされるのです。

そして、ペテロは言います。
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10 皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの
御名によるのです。
11 『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。』というのはこの方のことです。
12 この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」
使徒の働き4章10-12節
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ただ、イエス様のお名前だけに救いはあるのです。
インターネットでのパスワードのようなものです。
イエス様のお名前というパスワードだけが、
罪が赦されるパスワードです。義とされるパスワードです。神の子どもとされるパスワードです。
天国に入ることの出来るパスワードです。それ以外にないのです。
そして、それを信じる信仰によってその救いは与えられています。

信仰による義は、創世記に書かれています。
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彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
創世記15章6節
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この時アブラムは何を信じましたか?
彼は、子どもの与えられることを信じました。
多くの子孫を与えるといわれたとき、彼と妻のサラとの間には子どもがなかったのです。
しかし、神様は、100歳のアブラハムに子どもを与えると言われました。
アブラハムはその事を信じたのです。
普通なら馬鹿馬鹿しいことです。
しかしそれを神様が言われるからと、神様を信じたのです。

それが、彼の義となりました。
信じられないことを神様のお言葉だからと信じ受け入れる。
そのことが義となるのです。
アダムとエバは、神様を信じませんでした。
だから、神様が食べたら死ぬといわれても食べたのです。

しかし、逆にアブラハムは、神様がいわれたからと言う理由で信じられない事を信じたのです。
それを神様は喜ばれました。
それが、彼の義となったのです。

ペテロもそうです。
彼は漁師でした。
ある日、一晩中漁をして、魚がとれなかったのです。
イエス様が網を下ろしなさいといわれたときも、ペテロにすればとれるわけがありません。
しかし、お言葉ですからと網を下ろしたら、沢山とれたのです。
神様の言葉を信じるもの、言われたとおりにする者を神様は祝福されます。

イエス様を信じる信仰によって義とされる。
これが、神様が唯一お与えになった救いの方法なのです。

さて、聖書の箇所にもどります。
この時、当時の教会の中で、割礼を受けないと救われないのではないか、律法を行わないと救われないのではないかと言う人がいたのです。

割礼は、信じた印であり、約束の民とそれ以外の民を分けるためのものでした。
しかし、いまやイエスキリストは、全ての人の主となられ、信仰による義は、割礼の無い異邦人にも及んだのです。

その信仰を公に表明するのが洗礼です。
ですから、洗礼も、信じて救われたその救いの表明として行うものです。
イエス様も洗礼を受けられました。そして、イエス様が洗礼を受けられた時には、聖霊様が鳩のようにイエス様に下られたと書いてあります。

救いはイエス様を信じる信仰だけによります。
それゆえ、全ての者が、割礼に関係なく救われるのです。
それだけではなく、聖霊様は、心に割礼を与えられる。そしてそれは神様からだと書いてあります。
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かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。
ローマ人への手紙2章29節
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そうすると、割礼とは印です。

イエス様を信じるわたしたちは、今、一つのしるしを受けています。
信じるものが受けている印、それは、聖霊様と言うしるしです。
それは、信じるもの一人一人につけられている印です。

神様は、天から見て、信じるもの一人ひとりにそのしるしを見ておられます。
暗闇の世界にその聖霊様の印が光っているのを神様は見ておられます。
それは、どんな夜景よりも美しいことでしょう。
皆さん一人一人に、みなさんがどんな方であったとしても、皆さんがイエス様を信じているなら、聖霊様が輝いておられるのです。

ではこの聖霊様とはどんな霊でしょうか。
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しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
ヨハネの福音書14章26節

わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。
ヨハネの福音書15章26節
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その方は、イエス様とその御言葉について証されるかたです。

その証とは、イエス様が救い主であることの証明、癒し主であることの証明、解放者であることの証明です。
ですから、イエス様のお名前によって癒しを祈るとき、聖霊様が働かれます。
悪霊を追い出すとき聖霊様が働かれます。罪からの開放を宣言するとき、聖霊様が働かれます。

また、その霊は、力と愛と慎みの霊です。
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神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。 
テモテへの手紙第二1章7節
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その霊は、力を与えます。
また、おそれを取り除き、勇気と大胆を与えます。
そして、慎み。
これは、軽はずみな事をしないとか、英語の訳ではセルフコントロールという言葉が当てられています。

勇気、大胆、力、愛、それらを理由に人は勢いで行動してしまうことがあります。
時に人は、愛を理由に争い、人を傷つけることすらあります。
しかし、御霊は、それをコントロールします。
ですから、聖書の言う大胆は、なんでも無茶な事をすることではありません。

人間的に大胆になるのではなく、聖霊様に導かれて大胆になる。
それは、勢いをつけてではなく、内側からの力によるのです。

誰かに言いにくい事をいう事を考えましょう。
何か失敗をした事とか、そんな事を伝えるとき。

勢いをつけて言おうとする事があります。
すると言わなくていいことまで言って喧嘩になったりします。

ヤクザは喧嘩のときは、勢い付けに酒を飲むのだそうです。
恐いから酒の力で勢いをつける為だそうです。

酔うという事についても、聖書はいいます。
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また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。
エペソ人への手紙5章18節
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私たちは、聖霊様の助けによって内から力を得て大胆に語り行動するのです。
酒は時に人生を破壊しますが、聖霊は人生を祝福します。

御霊によって歩むのは、自動車で坂を上るのに似ています。
自動車で坂を上るのに、手前からスピードをつけて勢いで上ろうとすると危険です。
何か飛び出して来るかも知れません。
エンジンが弱いと、そうしなければ登れないかもしれません。
しかし、しっかりとした力のあるエンジンによってゆっくりとあがるならそれは安全です。
勢いをつけていなくても、強いエンジンがつまれている車なら、ゆっくりと急な坂でも上って行きます。
聖霊様は、どれだけの力のあるエンジンでしょうか。
何百万馬力のエンジンにもまさる力が聖霊様にはあります。
その聖霊様が、あなたの内におられるのです。

大胆さは坂を越える力です。
坂でもあきらめない力です。
しかしそれは人間的につくられた勢いでなく、内からの聖霊の力によらなければならないのです。

その聖霊様によって歩む結果が御霊の実です。
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22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
ガラテヤ人への手紙5章22-23節
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これらの事を禁ずる律法はないといいます。
また、その根底にある愛は、聖霊様によります。
さらに、その愛は、律法を全うします。
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愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
ローマ人への手紙13章10節
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ガラテヤ人への手紙では、その愛をさらに具体的に互いの重荷を負い合うと書いています。
それは、言葉ではなく、実際に助け合うことです。
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互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。
ガラテヤ人への手紙6書2節
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そしてここで、言うキリストの律法とは、互いに愛し合うことです。

それはイエス様の戒めです。
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わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
ヨハネの福音書15章12節
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互いに愛し合う愛。
それが、律法を全うします。そして、それはまた人間的な努力ではなく、聖霊様によるのです。

こんかいの箇所で彼らはいいます。
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聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。
使徒の働き15章28節
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救いは律法を守る結果ではありません。

信仰による救いの結果として聖霊様が与えられています。
その聖霊様と共にあゆむのです。
そうするなら、聖霊様は愛の律法を行わせるのです。
聖霊様を覚え、聖霊様を求めて祈りましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・濱本先生の癒しの為に。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20120708 聖霊と私たち
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