礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20120520  
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神のわざがこの人に現われるためです
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
皆さん。主は、主を信じるあなたにとって良い方です。
あなたにとって、良い事だけをされる方です。
信じましょう。
この主を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

ではまず、いつものように東日本の為に祈りましょう。

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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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では、つづいて、聖書の通読箇所を見てまいりましょう。
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5月20日(日)[ ]T列王5-6 /[ ]ヨハ8:21-47
5月21日(月)[ ]T列王7 /[ ]ヨハ8:48-59
5月22日(火)[ ]T列王8 /[ ]ヨハ9:1-23
5月23日(水)[ ]T列王9-10 /[ ]ヨハ9:24-41
5月24日(木)[ ]T列王11 /[ ]ヨハ10:1-21
5月25日(金)[ ]T列王12-13 /[ ]ヨハ10:22-42
5月26日(土)[ ]T列王14-15 /[ ]ヨハ11:1-16
5月27日(日)[ ]T列王16-17 /[ ]ヨハ11:17-44
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旧約聖書が列王記第一
新約聖書がヨハネの福音書です。
列王記第一の今回のところは、ソロモンの神殿建設からその栄華、そして、ソロモンの罪と王国の分裂が書かれています。
ヨハネの福音書はお話しの中で見てまいりましょう。

さて、ではこのヨハネの福音書の9章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ヨハネの福音書 9章1-12節
・新改訳Up178(贈呈p159、英対p294)
・新改訳Vp195、英対p218(贈呈p182)
・口語訳p153
・新共同訳p184 (贈呈p184、英対p283)
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聖書の朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】ヨハネの福音書 9章1-12節
9:1 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。
9:4 わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。
9:5 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
9:6 イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。
9:7 「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。
9:8 近所の人たちや、前に彼がこじきをしていたのを見ていた人たちが言った。「これはすわって物ごいをしていた人ではないか。」
9:9 ほかの人は、「これはその人だ。」と言い、またほかの人は、「そうではない。ただその人に似ているだけだ。」と言った。当人は、「私がその人です。」と言った。
9:10 そこで、彼らは言った。「それでは、あなたの目はどのようにしてあいたのですか。」
9:11 彼は答えた。「イエスという方が、泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい。』と私に言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました。」
9:12 また彼らは彼に言った。「その人はどこにいるのですか。」彼は「私は知りません。」と言った。
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では主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
神のわざがこの人に現われるためです。
ヨハネの福音書9章3節
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では、主題聖句そのままのタイトルですが、
「神のわざがこの人に現れるためです。」

と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

今回の箇所は、イエス様が道の途中に一人の盲人と出会われたことからはじまります。

この箇所の流れを一通り見てみましょう。
イエス様は、この盲人を癒されました。
その癒しは、イエス様が盲人の目に泥を塗り、それをシロアムという池で洗い流すという方法で行われました。
そこには、天使がやってきて癒しを行うと言われる池でした。
盲人がその池で目を洗うとその目は癒されました。

生まれつき目の見えなかった彼は目が見えるようになったのです。

この後、彼は、周りからいろいろなことを言いわれます。
中でも面白いのは、他の人が、この人は盲人だった人だといい、他の人が違うといい、本人が、「私がその人です。」といったところです。
彼が自分が癒されたと宣言しました。

そして、なぜ癒されたかと聞かれると、
「イエスという方が、泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい。』と私に言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました。」
と、答えました。
これは、あったことそのままです。
皆さん。証とはこういうことです。

何か特別なことを言おうとするのではありません。
神様がされたことをそのまま言う。
神様が平安を与えて下さった。言葉を下さった。どんなことでも、神様が言われたこと、されたことをそのまま言う。それがあかしです。
そこには何も付け加える必要がありません。

彼は、それだけで、イエス様の素晴らしさを伝えたのです。
彼は、イエス様を見たこともありませんでした。
なぜなら、イエス様が目に泥を塗られたとき、彼の目はまだ見えなかったからです。
でも、彼はイエス様を信じ、イエス様について伝えたのです。

しかし、そのために、彼は、彼の周りから締め出されました。そこにイエス様が来てくださいました。彼はイエス様を信じ礼拝したと書いてあります。

さて、お話しを戻します。
最初にこの盲人を見たとき、弟子達は聞きました。
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弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
ヨハネの福音書9章2節
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誰が悪いのですか。誰のせいですか。
これは、いろんな問題が起こるときに出てくる言葉です。

さまざまな問題において、その原因を探ろうとする。
問題が再び起きないためにはそれが大切なこともあります。
しかし、時に、誰かを原因としてつるしあげるだけで、解決につながらないことがあります。

誰が原因か、誰の罪でこうなったかがわかった所で、彼の目が癒されるわけではありません。

では、なぜ、弟子達はその原因が知りたかったのでしょう。

ただの興味本位でしょうか。
それだけなら、余りにひどいと思います。

しかし、それだけではないでしょう。
人が原因をさぐる一つの理由は、再発の防止です。同じことが二度と起こらないようにとの願いは、時に自分に同じ問題が起こる事を避けようする心の現われでもあります。
そのため、どこに原因があるのか探り、その原因を避けようとしたり、また、自分にその原因となる要素がないことで安心しようとしたりするのです。

さまざまな問題に備えるという意味でそれが必要なこともあります。

しかし、ここでの弟子達の質問は、原因がわかった所で、この盲人にとってどうしようもない事でした。

弟子達は、聞きます。この盲人に罪があったか、または、両親に罪があったか。
しかし、罪がないのに、問題が起こる事もあるのです。

ヨブ記にはヨブと言う、神の前に正しく行った人の生涯に起きた大変な問題について書かれています。
ヨブは罪を犯しませんでした。そして、神様から祝福されていました。
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1 ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。
2 彼には七人の息子と三人の娘が生まれた。
3 彼は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭、それに非常に多くのしもべを持っていた。それでこの人は東の人々の中で一番の富豪であった。
ヨブ記1章1-3節
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ところがそこに問題が起こりました。
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8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
9 サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
10 あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
12 主はサタンに仰せられた。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは主の前から出て行った。
ヨブ記1章8-12節
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サタンが神様にヨブを訴えたのです。
そのためヨブは全てを失いました。

ヨブは、潔白で正しかったのに、ヨブは全てを失いました。

そのあと、ヨブの友人達がやってきてヨブをなぐさめようとします。
友人は、遠いところをヨブの為にやってきたのです。
ですからヨブの事を思っていました。
ところが、その口からヨブを責める言葉が出てくるのです。
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7 さあ思い出せ。だれか罪がないのに滅びた者があるか。どこに正しい人で絶たれた者があるか。
8 私の見るところでは、不幸を耕し、害毒を蒔く者が、それを刈り取るのだ。
ヨブ記4章7-8節
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結局悪いことが起こったのは、ヨブに罪があったからだと言っているのです。

ヨブは悔しかったと思います。また、友人からも理解されないことが悲しかったと思います。

教会に問題を抱えた人が来たとき、その人を逆に責めてしまうことがないでしょうか。
誰の罪のせいですかと原因を探ったところで、解決はありません。

いや、この世にはいろいろな解決があるでしょう。
そういう方法を模索することも出来るかも知れません。
しかし、人が教会に来たとき、人を教会に導かれた神様が与えたい解決はなんでしょう。

それは、このイエス様の言葉です。
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イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。
ヨハネの福音書9章3節
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皆さん。わたしたちは、この世の方法や、人間的な知恵によって問題を解決しようとするのではありません。

なぜですか。
それは、お一人お一人をここに導いておられるのは、神様だからです。
神様がお一人お一人を愛し、そして、その人生に働きかけてご自身の栄光をあらわそうとしておられるのです。

だとすれば皆さん。わたしたちのすべき事は祈りあうことです。

ヤコブの手紙には、こう書いてあります。
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13 あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。
14 あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
15 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
ヤコブの手紙5章13-16節
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信仰によって祈りあう。

この病気の原因は何か。あなたの不摂生です。
そういうこともあるでしょう。
教会は神の家族です。
ですから、家族の健康を気遣うという意味でそのようなことを言うこともあるでしょうけれども、それで解決があるのではありません。

盲人を見た弟子の質問は、誰の罪の為ですかというものでした。
しかし、それがわかったところで、私たちは、互いの罪を責めることは出来ないのです。
それどころか、そのことによって罪の中に縛ってしまいます。
皆さん。罪を裁きあうなら、その裁きは、自分と相手の両方を罪にしばります。
人を裁くな裁かれないためであると書かれています。

ですから、私たちは、祈りあい、赦しあうのです。

ある人は、あきらかに、その病の原因が、例えばアルコールであるとか、タバコであるとか、その人の食生活であるかもしれません。
しかし、聖書は、それをあらためてから祈りなさいと書いてないのです。

この箇所では、病のために祈りなさいと書いてあります。
そして、その罪が赦されると書いてあるのです。
罪が赦される、その原因となっていた罪から開放されるということです。
罪を悔い改めたら癒されますよと言う言葉を聴くこともあります。
しかし、御言葉は言います。

信仰の祈りは病を癒し、罪から開放します。

世の光であるイエス様がおられます。
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わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
ヨハネの福音書9章5節
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この光に闇は打ち勝ちません。

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4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
ヨハネの福音書1章4-5節
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ですから、この光に照らすことが大切なのです。

そのために互いに祈りあいましょう。

皆さん。問題が起こったとき、大切なのは、唯一つ、神様に目を向け祈ることです。
ヨブも神様に目を向けました。
++++++++++
1 ヨブは主に答えて言った。
2 あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。
3 知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。
4 どうか聞いてください。私が申し上げます。私はあなたにお尋ねします。私にお示しください。
5 私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。
6 それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。
ヨブ記42章1-6節
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ヨブはここで悔い改めています。
ヨブは、自分を超えた神様の偉大さを知りました。

ヨブは、ヨブ記の最初の所で、こう言っています。
++++++++++
こうして祝宴の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せ、聖別することにしていた。彼は翌朝早く、彼らひとりひとりのために、それぞれの全焼のいけにえをささげた。ヨブは、「私の息子たちが、あるいは罪を犯し、心
の中で神をのろったかもしれない。」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。
ヨブ記1章5節
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「私の息子たちが、あるいは罪を犯し、心の中で神をのろったかもしれない。」
ヨブは、そのように考え、災いが来ることを恐れました。
そのために、彼は、全焼のいけにえを捧げました。
ヨブは、自分と子ども達に、子ども達の犯した罪の災いが起こる事をおそれ、その災いをしりぞけるために捧げ物を捧げたのです。

彼のこの恐れこそが問題でした。

ヨブは、神様が災いをもたらされるのではと恐れ、その災いをしりぞけるためにささげ物を捧げたのです。
ヨブは、自分の行いにより、神からの災いをしりぞける事が出来ると考え、自分の行ないによって神様の祝福を受け、守られていると考えていました。
その根底には、恐れがありました。

そして、恐れの背後には、神様に信頼しきれないという不信仰があります。

聖書には何度も何度も恐れるなと書いてあります。
恐れは、どこから来ますか。
もし、あなたが神様は絶対に良い方で、自分に悪い事をなさらないと信じていたら、恐れは起こると思いますか。
どんな問題の中でも主は平安を与えて下ることの出来る方です。

主は言われます。
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恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
イザヤ書41章10節
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主こそ、完全な守りです。
このことを信じるなら、恐れはありません。

神様の哀れみと恵みの中にいつもヨブは生かされていたのです。
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1 ヨブは主に答えて言った。
2 あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。
3 知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。
4 どうか聞いてください。私が申し上げます。私はあなたにお尋ねします。私にお示しください。
5 私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。
6 それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。
ヨブ記42章1-6節
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ヨブは、その神様こそが偉大である事を認め、全てが主の御手にある事を認めてへりくだり祈りました。

皆さん。私たちもそうです。
わたしたちは、神様の恵みの中で生かされています。

また、私たちも、この神様に目を向けなければなりません。
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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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イエス様は、私たちの為に十字架に架かって死んでくださいました。
ここに私たちに対する神様の愛が示されています。

そして、その愛のゆえに、神様は全ての物を恵んでくださると書いてあります。
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私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
ローマ人への手紙8章32節
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神様は、私たちに、御子さえ与えて下さったのです。
どうしてよい事をして下さらないわけがありましょう。

信じましょう。神様はあなたに良い事をして下さいます。
良い計画をお持ちです。主は、あなたにとって良い方です。
そして、あなたの前にどんな問題があっても、主はあなたにとって益と変えることの出来る方です。

全ては、神の御業があらわされるため。神の栄光の為です。

皆さん。この方に目を向けましょう。
そして、この方に祈りましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・濱本先生の癒しの為に。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20120520 神のわざがこの人に現われるためです
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ちょっとイラスト
(お話しを元にしたイラストです)
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