礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20120513  
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わたしはいのちのパンです
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主イエス様は、天から下られた真のパン。
命を与える神の言葉救い主です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

では、まず、東日本の為に祈りましょう。

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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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では、聖書の通読箇所を見てみましょう。
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5月13日(日)[ ]Uサム19 /[ ]ヨハ5:30-47
5月14日(月)[ ]Uサム20-21 /[ ]ヨハ6:1-21
5月15日(火)[ ]Uサム22 /[ ]ヨハ6:22-51
5月16日(水)[ ]Uサム23-24 /[ ]ヨハ6:52-71
5月17日(木)[ ]T列王1 /[ ]ヨハ7:1-24
5月18日(金)[ ]T列王2 /[ ]ヨハ7:25-53
5月19日(土)[ ]T列王3-4 /[ ]ヨハ8:1-20
5月20日(日)[ ]T列王5-6 /[ ]ヨハ8:21-47
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旧約聖書がサムエル記第二から列王記第一
新約聖書がヨハネの福音書です。

サムエル記第二は、イスラエルに神罰が下ったとき、ダビデがエブス人アラウナの土地を買い、そこで礼拝を捧げたという所で終わります。
後に、その場所にエルサレムの神殿が築かれます。
そのことが列王記のはじめに書かれています。
ダビデからその息子ソロモンへ王位が継承され、このソロモンがエルサレムに神殿を建てます。
素晴らしい主の臨在がその神殿にあふれました。
それは、立派なところでした、しかし、どこであっても、どんなところでも、主の御名によって集まるところに主は働いてくださいます。

皆さん。主を心から礼拝しましょう。また、聖書を読みましょう。祈りましょう。
主はそのようなあなたを神殿とされます。
あなたに豊かに臨在し、あなたを通して栄光をあらわされます。

新約聖書は、ヨハネの福音書です。
こちらはお話しの中で見ていきましょう。

では、ヨハネの福音書の6章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ヨハネの福音書6章29-40節
・新改訳Up169(贈呈p152、英対p281)
・新改訳Vp186、英対p208(贈呈p174)
・口語訳p146
・新共同訳p175 (贈呈p175、英対p270)
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朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】ヨハネの福音書6章29-40節
6:29 イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」
6:30 そこで彼らはイエスに言った。「それでは、私たちが見てあなたを信じるために、しるしとして何をしてくださいますか。どのようなことをなさいますか。
6:31 私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。『彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた。』と書いてあるとおりです。」
6:32 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになり
ます。
6:33 というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」
6:34 そこで彼らはイエスに言った。「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」
6:35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
6:36 しかし、あなたがたはわたしを見ながら信じようとしないと、わたしはあなたがたに言いました。
6:37 父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。
6:38 わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。
6:39 わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。
6:40 事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。
ヨハネの福音書6章29節
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では、この所から、
「わたしはいのちのパンです」
と題しまして御言葉を開いて参りましょう。

今読んでいただいた箇所に、天から神様が降らされたパンの事が書いてあります。

今から四千年も昔のことです。
まだ日本がなかったころ、イスラエル民族は、エジプトに住んでいました。
もともとカナンの地に住んでいた彼らですが、飢饉が起こった時、彼らはエジプトに移住しました。
それは、彼らの中の一人、ヨセフが神様の力によってエジプトの大臣になっていたから出来たことでした。

そして、その地で七十人だったイスラエルの民は、四百年で六十万を超える民族になりました。
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ヤコブから生まれた者の総数は七十人であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。
出エジプト記1章5節

45 それで、父祖の家ごとに登録された二十歳以上のイスラエル人で、イスラエルで軍務につくことのできるすべての者、
46 すなわち、登録された者の総数は、六十万三千五百五十人であった。
民数記1章45-46節
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ここには、大人の男性しか入っていませんので、おそらく、二百万人はいたのではないでしょうか。

70人からこの人数に増えたのです。これが、イスラエルへの神様の祝福でした。

しかし、エジプトで数が増えたため、エジプトの王様パロは、このイスラエルの民を苦しめました。
神様は、彼らがエジプトを出て、神様が約束された地、カナンに行くように言われ、そのリーダーとして、モーセを立てられました。
それが、出エジプト記に書かれている出来事です。

彼らがエジプトを出るときには、その後ろからエジプトの軍隊が迫ってきました。
前には紅海があり、目的のカナンは、その海の向こうです。
その時、神様に言われてモーセが杖を上げると、海が二つにわかれました。
そして、その陸地をあるいてイスラエルの民は、向こう岸にわたったのです。
そこをエジプトの軍隊も追って来ましたが、エジプトの軍隊の上に、水がもどり、馬も兵士も死んでしまいました。

ところが、そんなにすごいことを見たのに、そこからカナンの地に行こうとするとき、イスラエルの民は神様を信じることが出来ません。
いろいろな文句をいいます。
彼らが、おなかがすいた、食べる物がないといったとき、神様は天から食べ物を降らせました。
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12 「わたしはイスラエル人のつぶやきを聞いた。彼らに告げて言え。『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りるであろう。あなたがたはわたしがあなたがたの神、主であることを知るようにな
る。』」
13 それから、夕方になるとうずらが飛んで来て、宿営をおおい、朝になると、宿営の回りに露が一面に降りた。
14 その一面の露が上がると、見よ、荒野の面には、地に降りた白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいものがあった。
15 イスラエル人はこれを見て、「これは何だろう。」と互いに言った。彼らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これは主があなたがたに食物として与えてくださったパンです。
出エジプト記16章12-15節
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神様は、肉をあたえ、パンをあたえられました。
ここで、一つ注目したいのは、イスラエルの民がつぶやいたということです。

彼らは祈ったのではありません。
つぶやいたのです。
不平や不満があるなら、神様にそのまま祈りましょう。
もちろんどんなことも感謝出来たら最高です。
でも、そうでなくても、不満を神様に正直に祈りましょう。

彼らがつぶやいた結果、彼らは益を得ませんでした。
このうずらも、疫病の元となりました。

さて、神様は、肉を与え、パンを与えられました。

このパンをイスラエルの人々は、マナと呼びました。
それが、彼らにとって不思議な食べ物だったからです。

しかし、マナは、イスラエルの民に命を与えました。
荒野でおなかがすいて死ぬと思っていた民は、マナのおかげで命をえたのです。

天からのパンは命を与えました。
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それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、という
ことを、あなたにわからせるためであった。
申命記8章3節
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人はパンだけで生きるのではない。
主の口からでるすべてのもので生きる。

創世記には、神様が、植物やその実を食べるようにされたこと、また、生き物の肉を食べるようにされたことが書いてあります。
普通、人は地からはえる草や、肉を食べて生きます。
そのため、畑を作ったり、牛や羊を飼います。

このときうずらも飛んできました。
しかし、神様は、それと違うものをお与えになったのです。
まだ見たことも無い食べ物、その神様からの食物でイスラエルの民は命を得ました。それがマナと呼ばれた天からのパンでした。

そして、イエス様もご自身について、言われます。
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わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」
ヨハネの福音書6章51節
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荒野でイスラエルの民を養ったマナは、イエス様の事を象徴していました。
そして、イエス様は、ご自身が天からの真のパンだといわれます。

皆さん。イエス様は、命のパンであり、また、神の言葉である方です。
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1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
ヨハネの福音書1章1-4節
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ヨハネの福音書の冒頭は、神の言葉としてのイエス様について書かれているところです。
この神の言葉は、天地創造の初めからおられた方。
神とともにおられた方。
神のことば、そして、全てを造られた方。
また、この方に命がありました。
また、この命が人の光であったと書いてありますが、その命こそ、わたしたち人間にとっての本当のエネルギーであり、私たちを生かし、動かすものでした。

このイエス様を食べるとはどういうことでしょう。

私たちの教会では、毎月最初の日曜日に聖餐式を持つようにしています。
その聖餐式では、イエス様の御身体であるパンとイエス様の血潮であるぶどう酒、実際には、ぶどうジュースを頂きます。
それは、イエス様が十字架に架かられる前の夜に弟子達に対してイエス様がなされたことです。
それが、いろんな絵にもなっている最後の晩餐のときの出来事です。
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26 また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
27 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
28 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
マタイの福音書26章26-28節
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イエス様の体を受け、イエス様の血潮に預かる。
これは、象徴的なことですが、信仰を持って受けるとき、そこに聖霊様が働かれます。
ですから聖餐式には、癒しと解放が、また、力が伴います。

洗礼式もそうです。
信仰を持って受けるとき、そこに聖霊様が働かれ、聖められ、力が注がれます。

さて、聖餐式の話でした。

この方を食べるとはどういうことでしょう。
それは、イエス様を信じ受け入れるということです。
あなたは、腐った食べ物やカビの生えたパンを食べたいと思いますか?
普通食べたいと思いません。
焼きたてのパンがそこにあったら食べたいと思いませんか?
それを食べるということは、それが自分にとって良い物、好ましいものだと認めているという事です。

イエス様を食べるとは、イエス様の事が自分にとって良いと認めるということです。
イエス様の言葉が良い、正しいと受け止めるということです。

それは、イエス様が言われた言葉を、その通りですと認める事からはじまります。
皆さん。
教会では、アーメンといいます。
アーメンとはその通りですという意味です。

神様の言われるとおりです。
と言う意味です。

神様はどんなことを言われますか。

神様は、あなたによい事をされるといわれます。
神様は、あなたに良い計画をもっておられるといわれます。
神様は、あなたを祝福するといわれます。
神様は、あなたを愛しているといわれます。

この神様の愛は、どこに示されましたか。
++++++++++
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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神様は、その愛のゆえに、イエス様を与えてくださいました。

このイエス様がなしてくださったことは何ですか。
++++++++++
人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」
マタイの福音書20章28節
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イエス様はあなたの罪の身代わりに十字架で死んでくださいました。

皆さん。最初にあなたがアーメンといわなければならないのはこのことです。
このことを信じる事で、あなたは救われ、神の子とされ、天国に入るものとされます。

信じましょう。
いま、このことを聞いて、いままで信じていなかったけど、信じようと思われた方おられますか?
皆さんイエス様があなたの罪を背負ってくださったことを信じましょう。

さて、聖書はこのイエス様から目を離さないようにといいます。
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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
++++++++++
イエス様は、あなたの罪の身代わりに十字架で死んでくださいました。
イエス様を食べるとは、イエス様を信じ受け入れることです。
そのとき、あなたは、永遠の命を受けます。
ですから、イエス様は命を与えるパンです。

そして、イエス様を食べるとは、イエス様について書いてある聖書を読み信じることです。
聖書の言葉をあなたが信じて読むとき、聖書の言葉はあなたに働きます。
あなたが頭で理解してもしなくても、神様の言葉はあなたの霊に働きます。
そして、あなたの霊を成長させます。

わたしたちは、目に見えない神様、霊である神様を、私たちの霊によって知ります。
神は霊です。
ですから、あなたの霊が成長するなら、あなたはさらに神様を知るようになります。
信仰が強くなるとはそういうことです。
++++++++++
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
ヘブル人への手紙11章1節
++++++++++
目に見えないことをどうして信じることが出来ますか?
見えないものなど信じることが出来ないという人もいます。

しかし、人は、空気があることを疑いません。
それは、息が出来るからです。

また、電気も目に見えないけれど信じています。
電波もそうです。

ダイヤルを合わせると、ラジオが聞こえます。テレビが見れます。
もし、信じていなかったら、電源をいれないでしょう。
電源を入れてつかなかったら、電波が来ていないと疑うでしょうか。コンセントが抜けているかもしれません。

皆さん。電波があり、それは、目に見えないけれど、それを受けると音が出たり絵が出たりするように。
私たちは、霊である神様を霊で感じるのです。

そして、それは、体験によります。

実際に御言葉を通して、祈りによって、神様に触れる。
あなたの霊が神様を知るのです。

それが、信仰です。
そして、信仰は望んでいることを保証します。
また、信じて祈るなら、主は聞いて下さいます。

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。
と、どんな事でも主に祈りましょう。

そして、信仰は、神様を喜ばせます。
++++++++++
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
ヘブル人への手紙11章6節
++++++++++
神様が報いてくださると信じるあなたに神様はよい事をしてくださいます。
だから、神様は私にひどい事をされるなんていわないで下さい。
神様意地悪だなんていわないで下さい。
神様は良い神様です。
あなたによい事をして下さる神様です。

あなたのために、良い物を沢山、天に用意しておられます。
信じて受けるなら、その神様の元にあるもの全てを受け取ることが出来ます。
それを引き出すのは信仰です。

信仰の成長は、霊の成長です。それは、信じようと頑張るのではありません。

そのために、イエス様を信じ、イエス様の言葉、イエス様について書いてある聖書を読みましょう。
イエス様は、この聖書すべてがイエス様について書いてあると言われました。

この聖書を読み祈り真のパン、命のパンであるイエス様に触れましょう。
そして、主の栄光をあらわして行きましょう。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・濱本先生の癒しの為に。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20120513 わたしはいのちのパンです
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(お話しを元にしたイラストです)
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