礼拝でのお話
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音声ファイル(作成日4/22)

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ワーシップ/メッセージ
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シティーチャーチ
メッセージ20120422 
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祈りの家
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちを愛し、私たちの祈りを聞き、私たちの祈りに答えて下さる方。
哀れみ深い大祭司です。

この主を覚えて御言葉を開いて参りましょう。
まずは、いつものように、東日本の為に祈りましょう。

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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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では、続いて、聖書の通読箇所を見てみましょう。
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4月22日(日)[ ]Tサム9-10 /[ ]ルカ18:18-43
4月23日(月)[ ]Tサム11-13 /[ ]ルカ19:1-27
4月24日(火)[ ]Tサム14 /[ ]ルカ19:28-48
4月25日(水)[ ]Tサム15-16 /[ ]ルカ20:1-26
4月26日(木)[ ]Tサム17 /[ ]ルカ20:27-47
4月27日(金)[ ]Tサム18-19 /[ ]ルカ21
4月28日(土)[ ]Tサム20-21 /[ ]ルカ22:1-23
4月29日(日)[ ]Tサム22-23 /[ ]ルカ22:24-46
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今週の聖書の通読箇所は、旧約聖書がサムエル記第一
新約聖書がルカの福音書です。
このサムエル記第一の今回の箇所は、サウルの登場と活躍、そして、ダビデの登場です。
ダビデとゴリヤテの戦いなど、非常に動きのある面白いところですので是非お読みください。

また、新約聖書はルカの福音書。
イエス様が捕らえられるまでの歩みが書かれています。
これらのところも、読みやすいところです。
物語として読んでもいいと思います。

皆さん。あなたが聖書を読むなら、聖書は、あなたの霊に働き、あなたの霊を成長させます。
ですから、皆さん。聖書を読みましょう。毎日聖書を開き、通読しましょう。

では、このルカの福音書から、19章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ルカの福音書19章35-46節
・新改訳Up143(贈呈p128、英対p236)
・新改訳Vp156、英対p175(贈呈p147)
・口語訳p123
・新共同訳p147 (贈呈p147、英対p228)
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では、朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ルカの福音書19章35-46節
19:35 そしてふたりは、それをイエスのもとに連れて来た。そして、そのろばの子の上に自分たちの上着を敷いて、イエスをお乗せした。
19:36 イエスが進んで行かれると、人々は道に自分たちの上着を敷いた。
19:37 イエスがすでにオリーブ山のふもとに近づかれたとき、弟子たちの群れはみな、自分たちの見たすべての力あるわざのことで、喜んで大声に神を賛美し始め、
19:38 こう言った。「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に。」
19:39 するとパリサイ人のうちのある者たちが、群衆の中から、イエスに向かって、「先生。お弟子たちをしかってください。」と言った。
19:40 イエスは答えて言われた。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」
19:41 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、
19:42 言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。
19:43 やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、
19:44 そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」
19:45 宮にはいられたイエスは、商売人たちを追い出し始め、
19:46 こう言われた。「『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」
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では、皆さん。主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
わたしの家は、祈りの家でなければならない。
ルカの福音書19章46節
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今回の箇所は、エルサレム入場です。
復活祭の前の週の日曜日ですので、今年は、4月1日でした。
この日を、棕櫚の日、パームサンデーと呼んで、カトリックなどでは盛大に祝います。

イエス様は、十字架に架かるためにエルサレムに入られました。
そのイエス様を、人々は盛大にお迎えしました。
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12 その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、
13 しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
14 イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。それは次のように書かれているとおりであった。
15 「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」
ヨハネの福音書12章12-15節
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あるものは、道に上着をしいて、あるものは、しゅろの木の枝をとって、イエスさまは、大歓迎の中でエルサレムに入られたのです。
このとき、イエス様は、ロバの子に乗られました。
王様は、普通何に乗りますか。それは馬です。
そうすると、人々を見下ろします。
しかし、イエス様は、そうされませんでした。
イエス様は、ロバに乗られました。
そうすると、イエス様の目線は人々と同じになります。
イエス様は、十字架で死んで天にあげられました。
しかし、上から見下ろしておられるのではありません。
聖霊様によって私たちと共におられれ、導いて下さるのです。
それが、イエス様です。

そのイエス様を人々は、イスラエルの王として歓迎しました。しかし、この大歓迎は、その週の金曜日には、十字架につけろという叫び声に変わるのです。
皆さん。そのことは、人間がどんなに心がかわりやすいかをあらわしています。

ここに出てくるホサナは、お救い下さいという意味の言葉です。
賛美などでは、綺麗な言葉になっていますが、ここでは人々はホサナと叫んでいます。
戦争の映画などに、捕虜を助け出すシーンが出てくることがあります。

捕虜を助け出すための部隊が編成され、敵のところに乗り込んで行くと、牢屋から、ここだ助けてくれと捕虜が叫びます。
ホサナは、お救い下さいという意味だといわれますが、それは、助けてくれという叫びです。
ホサナにはそういう思いがこめられています。

なぜ、イエス様を、彼らは、ホサナと迎えたでしょう。
それは、ローマの支配から自分達を解放してくれる王様だと思ったからです。
ひとびとは、そのような勝手な思いでイエス様を迎えました。

しかし、イエス様は、ローマからの開放者ではなく、罪からの解放者、悪魔からの解放者、死からの解放者でした。
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20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
マタイの福音書1章20-21節
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ご自分の民を罪から救ってくださる。
それが、イエス様の働きでした。

イエス様を熱狂的に迎える人々を見て、パリサイ人たちは、ねたみました。
また、弟子達が叫ぶのをやめさせようとしました。
しかし、イエス様は、
「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」
と、言われました。それは、人類にとって、全世界にとって、この歴史の中のもっとも重要な十字架という出来事に向けての始まりだったからです。

そのイエス様は、エルサレムを見て、イエス様は涙を流されました。
主は、その町を愛しておられたからです。
ここに、「一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。」
との預言が書かれています。

このことばは、AD70年にローマの攻撃によって神殿が焼け落ちた時に、神殿でとけた金を略奪しようとした兵士たちによって実現したといわれます。

イエス様の預言は必ず成就します。
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31 この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
32 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
33 気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。
34 それはちょうど、旅に立つ人が、出がけに、しもべたちにはそれぞれ仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目をさましているように言いつけるようなものです。
35 だから、目をさましていなさい。家の主人がいつ帰って来るか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないからです。
36 主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。
37 わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。」
マルコの福音書13章31-37節
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今、世の終わりが来ることを信じることは出来ないかも知れません。

このとき、エルサレムの立派な神殿が完全に崩壊するなど、誰が考えたでしょうか。しかし、それは起こったのです。

ですから私たちは、しっかりと目をさまして、主に目をむけていなければなりません。

このマルコの福音書のこの箇所に書かれていることで三つ大事なことがあります。
一つは、天地の滅びる時がくるということです。
天も巻物のように消えると書かれています。
皆さん。私たちの世界は、原子によって出来ています。
それは、原子核の周りを電子が回り、そのエネルギーによってすべてはなりたっています。
もし、このエネルギーが取り去られるなら、この世界はどうなるでしょう。
全て一瞬に無いもののようになってしまいます。
このエネルギーは、創世記の一章で「光あれ」と言われた時に与えられたエネルギーです。
ですから、この世界は、ただ神様からのエネルギーによってなりたち、神様からのエネルギーによって支えられています。
そして、それが全て取り除かれ、新しくされるときが来るのです。

二つ目は、その日はいつかわからないということです。
マヤの暦で決まるのではありません。
それは、天地を造られた父なる神様のご計画によって定まっていて、誰も知らないのです。
ですからもし、誰かが、その日時を預言したら、その人は偽預言者です。
そんなものに惑わされてはなりません。

そして、
三つ目は、目を覚ましているということです。
これは、ずっと寝ないで起きているという事ではありません。
霊の目を開いているということです。

では、皆さん。霊の目は何をみるのですか?
それはイエス様です。
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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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イエス様にしっかりと目を向けてあゆむ。
それが、私たちにとって大切なことです。
そのために、私たちは、毎日、聖書を読み祈るのです。

皆さん。共に聖書を読み祈りましょう。

さて、本日の聖書箇所にもどります。
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45 宮にはいられたイエスは、商売人たちを追い出し始め、
46 こう言われた。「『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」
ルカの福音書19章45-46節
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エルサレムに入られたイエス様は、エルサレムにいるローマ兵を追い出されたのではなく、神殿で商売をしているものを追い出されました。

マタイの福音書ではこう書いてあります。
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12 それから、イエスは宮にはいって、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
13 そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」
マタイの福音書21章12-13節
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どんな商売のものがいましたか、両替人や鳩を売るものたちがいました。
彼らはささげ物にする鳩をうったり、また、献金のための両替をしていました。
しかも、それを神殿の中で行っていたのです。

神殿は、神様と人との関係をもつ大切な場所でした。
しかしそこには、売り買いするものたちの声がありました。

本来、自分の罪を悔いて神様の前に出えていのるための場所が、雑踏となっていたのです。
彼らは、へりくだりと悔い改めをもって神様の前に出るのでなく、自分の商売の為に神殿を利用していたのです。
それは言い換えるなら、自分の商売のために神様を利用することです。

イエス様は、そのようなものを追い出されました。
それが、宮きよめです。

でも、今、わたしたちはどうでしょうか。
わたしたちは、なんのために集まるでしょうか。パウロは厳しい言葉でいっています。
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ところで、聞いていただくことがあります。私はあなたがたをほめません。あなたがたの集まりが益にならないで、かえって害になっているからです。
コリント人への手紙第一 11章17節
++++++++++
わたしたちは、集まればいいのではありません。

なんのために教会に来るのでしょう。
ダビデは歌いました。
++++++++++
私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。
詩篇27章4節
++++++++++
この主の宮を、わたしたちは教会と考えてよいと思います。
私たちは、主を礼拝し、主を思うために教会に来ます。
また、共にイエス様を分かち合うのです。

皆さん。神様はあなたを愛しておられます。
しかし、あなたのために神様がおられるのではありません。
神様の為に、神様によってあなたはつくられたのです。

そして、神様に生かされています。
その神様に造られて生かされている自分を神様の前に持ってくる。
これが礼拝です。
そして、正直な自分を神様にあらわす。
それが祈りです。

皆さん。祈りとは、神様との会話です。
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しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。
詩篇66篇19節
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主は、確かに祈りを聞いてくださる方です。

ですから私たちは、正直な気持ちを神様に祈るのです。
花を見て、綺麗だと思ったとき、神様の造られたこの花は綺麗です。
なにか困ったときもそのままの気持ちを神様に言う。
人から何か嫌なことをされた時も、正直にその心を神様に伝えるのです。

わたしたちは、どんなことでも神様に求めてよいのです。
しかし、わたしたちは、神様を利用することは出来ません。
利用しようとしても、神様は利用できません。
ただ、正直に神様の前に出る以外にないのです。

そして、私たちは、何事もイエス様のお名前でお祈りします。
ですから、祈りの最後は、「イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。」と祈ります。
私たちが祈るとき、神様は祈りに答えてくださいます。

また、ともに祈るように、互いに祈るようにと聖書はいいます。
++++++++++
ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
ヤコブの手紙5章16節
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ですから、皆さん。わたしたちは、教会で、ともに主を見上げて祈りましょう。
そして、主にあって愛し合いましょう。

それを主は喜ばれます。

私たちが、ともに主を見上げるとき、主は、油のように、露のように、豊かな祝福を注いでくださいます。
++++++++++
1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。
3 それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
詩篇133篇1-3節
++++++++++
これは、人間的な喜びではありません。
神様との関係によって、神様から油である聖霊様、露である聖霊様が注がれて、そこに本当の喜びがあるのです。

ですから共に祈りましょう。
++++++++++
わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家
と呼ばれるからだ。
イザヤ書56章7節
++++++++++
これは、イエス様が引用されたイザヤ書の御言葉です。
ここに、祈りの家と呼ばれると書いてあります。
しかし、その前に、見てください。私の祈りの家で彼らを楽しませると書いてあります。

皆さん。祈りの家は楽しいのです。
祈り。そんなの面白くないと言わないで下さい。

なにか面白い人間的なイベントを考える以上の楽しみが祈りにはあるのです。
主は、祈りの家で私たちを楽しませてくださいます。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・濱本先生の癒しの為に。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20120422 祈りの家
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(お話しを元にしたイラストです)
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