礼拝でのお話
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ワーシップ/メッセージ
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シティーチャーチ
メッセージ20120325     
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新しいぶどう酒は新しい皮袋に
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、罪あるものを救い、悔い改めへと導き、神の子とするために来てくださいました。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

さて、今日も、東日本の為に祈りたいと思います。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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次に、聖書の通読箇所を見てみましょう。

旧約聖書が申命記からヨシュア記。
新約聖書がルカの福音書です。
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3月25日(日)[ ]申32 /[ ]ルカ4:31-44
3月26日(月)[ ]申33-34 /[ ]ルカ5:1-16
3月27日(火)[ ]ヨシ1-2 /[ ]ルカ5:17-39
3月28日(水)[ ]ヨシ3-5 /[ ]ルカ6:1-19
3月29日(木)[ ]ヨシ6-7 /[ ]ルカ6:20-49
3月30日(金)[ ]ヨシ8-9 /[ ]ルカ7:1-17
3月31日(土)[ ]ヨシ10-11 /[ ]ルカ7:18-35
4月1日(日)[ ]ヨシ12-14 /[ ]ルカ7:36-50
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旧約聖書は、申命記が終わり、ヨシュア記です。
申命記の最後はモーセの死で終わります。
モーセは主が定められた通り、120歳で死にました。そしてその遺体も主が隠されたのです。
ヨシュアは、モーセの後継者で、出エジプトの時、大人であったものの中で、約束の地カナンに入ることを許された、たった二人の内の一人です。

この二人が、他の人たちと違ったのは、信仰でした。
主は、良いことをして下さると、主を信じたのです。
そして、彼らの信じたとおりに主は彼らにしてくださったのです。
皆さん。主を信じましょう。
もちろん、皆さんは、神様を信じているからここに来ておられます。
しかし、皆さん。
神様は、あなたにとって良い方だと信じましょう。
これは、大切なことです。
皆さん。どうやって神様が良い方だと知るでしょう。
それは、聖書を読み祈ることです。

皆さん。聖書を読み祈りましょう。

新約聖書は、ルカの福音書です。
こちらはお話しの中で見てまいりましょう。

では、このルカの福音書から、5章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ルカの福音書5章27-39節
・新改訳Up108(贈呈p96、英対p177)
・新改訳Vp118、英対p132(贈呈p111)
・口語訳p92
・新共同訳p111 (贈呈p111、英対p173)
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司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ルカの福音書5章27-39節
5:27 この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい。」と言われた。
5:28 するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。
5:29 そこでレビは、自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたが、取税人たちや、ほかに大ぜいの人たちが食卓に着いていた。
5:30 すると、パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。」
5:31 そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
5:32 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」
5:33 彼らはイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは、よく断食をしており、祈りもしています。また、パリサイ人の弟子たちも同じなのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています。」
5:34 イエスは彼らに言われた。「花婿がいっしょにいるのに、花婿につき添う友だちに断食させることが、あなたがたにできますか。
5:35 しかし、やがてその時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します。」
5:36 イエスはまた一つのたとえを彼らに話された。「だれも、新しい着物から布切れを引き裂いて、古い着物に継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、その新しい着物を裂くことになるし、また新しい
のを引き裂いた継ぎ切れも、古い物には合わないのです。
5:37 また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒は流れ出て、皮袋もだめになってしまいます。
5:38 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。
5:39 また、だれでも古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。『古い物は良い。』と言うのです。」
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ありがとうございます。
司会の足立重久兄は、これが、最後の司会になります。
4月から東京に転勤されることになりました。
兄は、この教会のスタートから、シティーチャーチ牧野を支え続けてくださいました。
これからも、主にある兄弟姉妹として、どこにいても、互いに祈りあって参りましょう。

では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。
ルカの福音書 5章32節
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では、この所から、
新しいぶどう酒は新しい皮袋に
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

さて、このルカの福音書。
今回の箇所は、レビという取税人がイエス様の弟子となるところです。

このレビは、取税人だったようですが、それは、いまでいう、税務署の職員とは違います。
そもそも、私たちが払う税金は、基本的には、まあ、いろんな不正が発覚もしますが、基本的には日本の国民の為に用いられるわけです。
しかし、当時の彼らが集めた税金は、ローマの為の税金でした。
当時のユダヤはローマの支配でしたから、ローマが、ローマの為の金を、ユダヤから吸い上げようとするわけです。
その税金をあつめる仕事を、ユダヤ人にさせました。それが取税人です。
しかも、税金の仕組みはいまの日本でもわかりにくいですが、当時のローマの税金のしくみなど、一般の人には良くわかりません。
そうすると、取税人たちは、例えば1000円の税金でいいところを、5000円とかいうわけです。
そして、その差額を懐にいれるというようなことをしていたのです。

それで、取税人は、ユダヤ人から見ると、裏切り者であり、嫌われ者でした。

この取税人のレビに、イエス様は、「わたしについて来なさい。」
といわれました。

すると、レビは何もかも捨てて立ち上がってイエスに従ったと書いてあります。

彼は、イエス様の12人の弟子のひとりとなりました。
ところが、12弟子のリストには、レビと言う人はいません。
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16 こうして、イエスは十二弟子を任命された。そして、シモンにはペテロという名をつけ、
17 ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
18 次に、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党員シモン、
19 イスカリオテ・ユダ。このユダが、イエスを裏切ったのである。
マルコの福音書3章16-19節
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ここで、ルカの福音書の5章27節は、この後と書いてあります。それで少し前を見ると、そこには、中風の人の癒しが書かれています。
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18 するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。
23 『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。
24 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために。」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。
25 すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。
26 人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、「私たちは、きょう、驚くべきことを見た。」と言った。
ルカの福音書5章18、23-26節
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イエス様は、中風の人を癒されました。

この同じ出来事が、マタイの福音書に書かれています。
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2 すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。
3 すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている。」と言った。
4 イエスは彼らの心の思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。
5 『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。
6 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。
7 すると、彼は起きて家に帰った。
8 群衆はそれを見て恐ろしくなり、こんな権威を人にお与えになった神をあがめた。
マタイの福音書9章2-7節
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それで、この同じ出来事の後、マタイの福音書には、こう書いてあります。

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イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。
マタイの福音書9章9節
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このことから、ルカの福音書のレビと、マタイの福音書のマタイが同じ人物だとわかります。
そして、マルコの福音書も、マタイの事をレビと書いていますが、そのマルコの福音書も、12弟子のリストには、マタイと書いています。
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16 こうして、イエスは十二弟子を任命された。そして、シモンにはペテロという名をつけ、
17 ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
18 次に、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党員シモン、
19 イスカリオテ・ユダ。このユダが、イエスを裏切ったのである。
マルコの福音書3章16-19節
++++++++++
余談ですが、マタイとレビは同一人物だということです。

ところで、このレビですが、レビと言うの名前は聖書によく登場します。

それは、ヤコブの12人の息子の一人であり、また、レビ族と言う部族になり、そのレビ族は、神の幕屋、神の神殿に関する働きをすると定められた部族でした。
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22 イスラエルがその地に住んでいたころ、ルベンは父のそばめビルハのところに行って、これと寝た。イスラエルはこのことを聞いた。さて、ヤコブの子は十二人であった。
23 レアの子はヤコブの長子ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン。
24 ラケルの子はヨセフとベニヤミン。
25 ラケルの女奴隷ビルハの子はダンとナフタリ。
26 レアの女奴隷ジルパの子はガドとアシェル。これらはパダン・アラムでヤコブに生まれた彼の子たちである。
創世記35章22-26節
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レアの子の中で、3番目に生まれたのがレビです。
この取税人レビが、レビ族であったかどうかわかりませんが、レビと言う名は、先祖の名前ですから、多くいただろうと思われます。

さて、背景説明はこれくらいにしまして、本題に入ります。
レビ、すなわちマタイは、イエス様を信じました。また、イエス様に従いました。

そして、彼は、イエス様の為に大ぶるまいをしました。
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27 この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい。」と言われた。
28 するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。
29 そこでレビは、自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたが、取税人たちや、ほかに大ぜいの人たちが食卓に着いていた。
ルカの福音書5章27-29節
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沢山のご馳走を用意して、イエス様を招き、また、取税人たちもおおぜいいました。

なぜでしょう。
それは、レビが、なんとかして、仲間の取税人たちにも、イエス様の事を知ってほしいと思ったからです。
また、自分がいままでの仕事をやめ、新しい人生を歩みだすのだという事を人々に知ってもらおうとしたのです。

それは、マタイとも言われるレビにとって、非常に重要な宴会でした。

大勢の人たちが、イエス様を知ったことでしょう。信じた人もいたでしょう。
しかし、そのことが面白くない人たちがいました。

それは、パリサイ人や、パリサイ派の律法学者たちでした。
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すると、パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。」
ルカの福音書5章30節
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彼らは、一生懸命聖書を学んでいました。
しかし、彼らには、イエス様の思いはわからなかったのです。

なぜあなたがたは、取税人や罪人といっしょに飲み食いするのですか。

この質問には、取税人たちに対する明らかな差別があります。
また、彼らが、神からはなれ、穢れたものだという考えがあります。

しかし、イエス様はそこにいかれました。
そして、言われます。
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31 そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
32 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」
ルカの福音書5章31-32節
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イエス様は、健康な人でなく、病人の癒しのために、また、正しいひとでなく、罪人を悔い改めさせるためにこられました。
私は病気が無い健康だといわれる人はいるかもしれません。
しかし、罪人とはどんな人でしょう。

正しいひととは、だれでしょう。罪人とはだれでしょう。
イエス様は言われました。
++++++++++
10 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。
11 パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
12 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』
13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
ルカの福音書18章10-14節
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聖書は、すべてのものが罪人であるといいます。
それゆえ、自分の罪を認めるものは、裁かれません。
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しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。
コリント人への手紙第一 11章31節
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しかし、自分の罪をみとめないなら、そして、自分を義とするならさばかれるのです。

皆さん。私たちは、皆、神様からみるなら、間違いなく罪人なのです。
それを認めないなら裁かれます。
自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。

ここで、イエス様が、教えようとされたことは、それまで、律法を守り行おうとしていた人々にとって、衝撃的な大転換でした。

なぜなら、自分の罪をなんとか覆い隠そうとするよりも、それを認めることが正しいとされるからです。

それは、何も罪を犯すことが正しいといっているのではありません。
自分が罪人であることを証明するために、改めて罪を犯す必要はありません。
今、皆さん、誰一人もれることなく、立派に罪人です。

ですから、それを認め、主の前にへりくだることが正しいといっているのです。

彼らの注目することは、自分で作り上げる正しさでした、だから、こういいます。
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彼らはイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは、よく断食をしており、祈りもしています。また、パリサイ人の弟子たちも同じなのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています。」
ルカの福音書5章33節
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彼らの質問は、自分達はちゃんとやれているかどうかでした。

これに答えてイエス様は言われました。
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34 イエスは彼らに言われた。「花婿がいっしょにいるのに、花婿につき添う友だちに断食させることが、あなたがたにできますか。
35 しかし、やがてその時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します。」
ルカの福音書5章34節
++++++++++
このイエス様の応答は、かみ合っていないように見えないでしょうか?

ここで、イエス様が問題とされているのは何かわかりますか?
花婿とはなんですか?それは、メシヤです。

イエス様が伝えたかったのは、メシヤがそこにいるということです。
また、聖書の主役がイエス様だという事です。

天の御国の宴会とは、メシヤである花婿の為の席です。

いま、その花婿であるイエス様がそこにおられるのです。
それなら、自分の義をもって体裁を整えることよりも、花婿なるイエス様に付き添うことが大切です。

また、花婿と一緒にいて、それがお祝いの席なのに、自分は断食をしているというなら、かえって失礼ではないでしょうか。
花婿なるメシヤが、そこにいて全てを導かれるのに、メシヤのすることよりも、自分の考えで自分を義としようとすることは出来ないのです。

どうしたらでなく、だれが、。
これをパウロは手紙の中でこう表現しています。
++++++++++
21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。
22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
ローマ人への手紙7章21-25節
++++++++++
注目すべきはここです。
誰が、と書いてあります。
どうしたら、救われるかではなく、誰が救ってくださるのか。

それは、イエスキリストです。

聖書はそれを伝えようとしています。
そして、そのことが聖書の視点です。

この視点の大転換のために、パリサイ人たちはついてこれませんでした。
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36 イエスはまた一つのたとえを彼らに話された。「だれも、新しい着物から布切れを引き裂いて、古い着物に継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、その新しい着物を裂くことになるし、また新しいの
を引き裂いた継ぎ切れも、古い物には合わないのです。
37 また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒は流れ出て、皮袋もだめになってしまいます。
38 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。
39 また、だれでも古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。『古い物は良い。』と言うのです。」
ルカの福音書5章36-39節
++++++++++
この箇所を、下から見ていきましょう。

古いものは良い。

皆さん。変化は、大きな変化は、人々にとってストレスです。

人は、変化を求めます。
しかし、多くの人は、巨大な変化をしってそこに踏み込むことを躊躇します。

それは、不安だからです。

だれしも、いままでの生き方を変えたくありません。

それで、古いものはよいといいます。
しかし、神様は、新しいぶどう酒を用意されます。

新しいと、発酵がおさまっていませんから、ガスがでます。
そのガスが余りに大量であったら、その入れ物を破壊してしまいます。

そんなとき、古い皮袋と新しい皮袋を考えてください。

新しい皮袋なら柔軟ですから、ガスの発生時には、皮袋が伸びて、そのガスの発生によって入れ物が破れることはありません。

それに対して、堅くなった皮ではどうでしょうか。
それは、破れてしまいます。

新しい布切れから取り出された布も同じです。
新しい布と古い布では、次をしても洗ったら、新しいのは縮んだりして、しわがよったりします。

その布を、古いものに継ぎすることはできないのです。

それは、古いものと新しいものの両方にダメージを与えます。

では、この古い皮袋と、新しい皮袋、何が違うでしょうか。

それは、大人か 子どもかではありません。
大人でも、心の柔らかい人がいて、子どもでも、頑なな子どもがいます。
子どものわがままは、時に非常にガンコだったりするのではないでしょうか。

たいせつなのは、その心がやわらかいかどうかです。

それは、堅いこころでなく、やわらかな心です。
この御言葉での砕かれた心も、同じ事を表現しています。
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神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。
詩篇51篇17節
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主の前にへりくだった心、主に自由にされる心を主は喜ばれます。

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38 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。
ルカの福音書5章38節
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これは、若い世代を指しているのだという人もいます。

しかし、それだけではありません。

若くても、ガンコな考えを持った人もいます。

しかし主は、私たちの心が、砕かれること、私たちの心がやわからであることを望んでおあれます。

最後にもう一箇所御言葉をひらきます。
++++++++++
いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。
マルコの福音書13章28節
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これは、イスラエルについて預言されているところです。

しかし、ここにも、枝がやわらなになって、と書いてあります。

暖かくなって、柔らかな枝が伸び、そこに葉がしげります。

イスラエルに住むユダヤ人は、かたくなで、イエス様を信じることなどないと考えられていました。
しかし、いま、彼らの心がやわらかくなって、多くのメシアニックジューが誕生しています。
そして、葉が、実がついてくるのです。

皆さん。
これは、奇跡です。

日本も、よく、日本人のこころは頑なだといわれます。
しかし、みなさん。ユダヤ人の心を柔らかくすることの出来た主は、日本人の心もやわらかくすることが出来ると信じます。

皆さん。私たち自身も、柔らかな心になって、神様の前にへりくだりましょう。

神様のなさることは、時として私たちにわかりません。
そのため、不安に思うこともあるでしょう。
しかし、イエス様は、やがてそれがわかるといわれます。
++++++++++
イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」
ヨハネの福音書13章7節
++++++++++
今はわからないかもしれません。

しかし、主が、良い計画を用意しておられるのです。

ですから、主がなさることを、主にへりくだり、受け止めて参りましょう。

お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・濱本先生の癒しの為に。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20120325 新しいぶどう酒は新しい皮袋に
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