礼拝でのお話
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テキストの終わりへ



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シティーチャーチ
メッセージ20120318    
−−−−−−−−−−
これが、あなたがたのためのしるしです。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は力強い主、全能者王の王。
私たちの為に、人となってこられた方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

今日も、東日本の為に祈りたいと思います。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
6、日本の教会、クリスチャンが用いられるように。
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濱本先生の為のお祈りありがとうございました。
先生は、昨日退院されました。
今日は、グレイスチャペルの講壇に立っておられると思います。
これからは、頭部の放射線治療の為に通院し、抗がん剤は使わずに、主の癒しを信仰をもって受け止めていかれるとの事です。
医者の見立てとしては、抗がん剤を使って一年、使わなくて半年の余命とのことです。
皆さん。先生の為に続けてお祈り下さい。

では、いつものように、聖書の通読箇所を見て見ましょう。
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3月18日(日)[ ]申16-18 /[ ]ルカ1:24-45
3月19日(月)[ ]申19-21 /[ ]ルカ1:46-80
3月20日(火)[ ]申22-24 /[ ]ルカ2:1-21
3月21日(水)[ ]申25-27 /[ ]ルカ2:22-52
3月22日(木)[ ]申28 /[ ]ルカ3:1-20
3月23日(金)[ ]申29-30 /[ ]ルカ3:21-38
3月24日(土)[ ]申31 /[ ]ルカ4:1-30
3月25日(日)[ ]申32 /[ ]ルカ4:31-44
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旧約聖書が申命記
新約聖書がルカの福音書です。
申命記はモーセ5書最後の書です。
このモーセは、120歳で申命記を記し、そして、約束の地カナンに入ることなしに、死にました。
そして、民は、ヨシュアと、この御言葉に託されたのです。

新約聖書はルカの福音書。
このルカは医者であったと言われます。
ルカは、他の福音書に比べ、細かく詳しく出来事を記述しています。

その受け取り人はテオピロと書かれています。テオピロ閣下と書かれていますが、言語では、クラティステ テオフィレとなります。
κρ?τιστε Θε?φιλε

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クラティステ テオフィレ
κρατιστε Θεοφιλε
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この名は原語から見ると、テオフィロスで、ギリシャ語で神を意味するテオスと、ピロとなっていますが、愛を意味するフィレオーをつなげたものです。
神に愛されたものという意味を持ちます。

テオピロ閣下となっていますので、地位の高い人だったのではないかとかも言われます。
しかし、この閣下と訳された、クラティステは、気高いなどとも訳される言葉です。

気高い、神に愛されている者 と訳すとどうでしょうか?
このことから、これは、テオピロという個人ではなく、神に愛されている人々全てにむけられたものではないかとも言われます。

神に愛されているもの。
皆さん。あなたは、神に愛されているものですか?

皆さんは、間違いなく神に愛されているものです。
その神様の愛の証明はなんですか?
それは、十字架です。
そこには、世を愛するゆえに、私たちの為に御子を与えて下さった父なる神様と、私たちの為に十字架で死んで下さったキリストの愛が示されています。

このルカの福音書が、もし、特定の個人でなく、神を愛されている人に尊敬をこめて与えられているのなら、このルカの福音書は、あなたの為にルカが書いた書であるという事が出来ます。
皆さん。自分のために書かれた福音書、自分の為に書かれた手紙としてルカの福音書を開いて見て下さい。
御言葉を通して、神様の深い愛がきっとあなたに伝わります。

いまお話しした事がどうであれ、聖書の言葉は、あなたに読んで欲しいと神様が書かれたものです。
是非、お読み下さい。

さて、実は、ここまでの準備に随分時間をとりました。
本題に入りたいと思います。

このルカの福音書から、今日は、2章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ルカの福音書2章1-14節
・新改訳Up99(贈呈p89、英対p163)
・新改訳Vp109、英対p122(贈呈p102)
・口語訳p85
・新共同訳p102 (贈呈p102、英対p159)
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朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ルカの福音書2章1-14節
2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
2:3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
2:5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
2:7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
2:8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
2:14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
ルカの福音書2章11節
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では、この所から、

「これが、あなたがたのためのしるしです。」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

今回の箇所は、よく、クリスマスのメッセージで引用するところです。
主題聖句は、そのまま、クリスマスのメッセージにつながりそうです。

しかし、わたしたちは、いつも、この私たちの為に来て下さったキリストから、目を離してはなりません。

そういう意味では、一年中クリスマスです。
また、それだけではありません。

クリスマスというのは、キリストという言葉と、ミサ、すなわち礼拝をつなげた言葉です。
ですから、イエス様を礼拝するのがクリスマスです。

いま、私たちは何を礼拝しに来ていますか?
十字架で死んで蘇られた方の死と復活を記念して、礼拝するためにここに来ています。
それは、キリスト・イエス様です。

つまり、これこそ、クリスマスです。
随分荒っぽいことをいいましたが、毎週の礼拝は、そのようなものであるという事です。
毎回、そのような特別な気持ちで、礼拝に集いましょう。
私たちがイエス様を礼拝するということは、特別なことなのです。

さて、今回の箇所は、イエス様の誕生の次第が書かれているところです。

ルカは、歴史的な事柄をきちんと記述しようとする人でした。
皇帝の名前を書き、当時の総督の名前を記して、それが、歴史の上の事実であることを間違いなく示そうとしています。
ここに出てくる皇帝アウスグトは、ローマの初代皇帝である、オクタウィアヌスで、彼は、BC27年から、AD14年までの間、皇帝として君臨していました。
彼の権力は、絶大でした。それは、カレンダーにも残っています。8月のオウガストは皇帝アウグストに由来します。彼は、8月19日に死にました。
また、その月を30日から31日に変えたのも、このアウグストです。ちなみに、7月のジュライは、ジュリアス・シーザーに由来します。
そのように、カレンダーに名を残したかれらですが、今、世界の多くが使用する西暦はどうでしょう。
これは、ADとは、主の年。BCとはキリスト以前といういみで、どちらもイエス様に由来します。
世界は、イエス様を中心に動いているのです。

さて、このアウグストが皇帝であったとき、彼が住民登録をさせたのです。
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ルカの福音書2章1-14節
2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
2:3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
2:5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
++++++++++
このため、そのためヨセフは、マリヤをつれて、住んでいたガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムへ行きました。
おなかの大きなマリヤをつれてですから、大変です。
しかし、そんな事はいってられませんでした。
皇帝の命令だからです。

彼らの向かったユダの地のベツレヘム。そこは、ダビデの町と呼ばれています。

ベツレヘムはパンの家との意味だといわれますが、イスラエルの王ダビデの出身地でもあります。
サムエル記の16章には、サムエルからダビデが王となるための油を注がれるところが出てきますが、それもベツレヘムでおこりました。
++++++++++
1 主はサムエルに仰せられた。「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。わたしは彼をイスラエルの王位から退けている。角に油を満たして行け。あなたをベツレヘム人エッサイのところへ遣わす。わた
しは彼の息子たちの中に、わたしのために、王を見つけたから。」
11 サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは答えた。「まだ末の子が残っています。あれは今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人をやって、その子を連れ
て来なさい。その子がここに来るまで、私たちは座に着かないから。」
12 エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。主は仰せられた。「さあ、この者に油を注げ。この者がそれだ。」
13 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。
サムエル記第一 16章1、11-13節
++++++++++
そして、その地においてイスラエルの支配者が出ることは、ずっと前から預言されていたことです。

ミカ書にはこう書いてあります。
++++++++++
1:1 ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、モレシェテ人ミカにあった主のことば。これは彼がサマリヤとエルサレムについて見た幻である。
5:2 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。
ミカ書1章1節、5章2節
++++++++++
これは、ユダの王、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代ですから、この預言はダビデの事ではありません。
それは、やがてこられる、油注がれたもの、メシヤ、キリストがどこに生まれるかを預言していたのです。

その通りに、イエス様は、その両親が、ナザレに住んでいたにもかかわらず、ベツレヘムでお生まれになったのです。

この世界にどんな権威者がいても、神様のご計画はそのようなものすら動かして実現するのです。

この世界を本当に治めておられるのは、主です。
ですから、わたしたちは、この世のリーダーについても、とりなし祈る義務があるのです。
++++++++++
1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。
2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。
3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。
テモテへの手紙第一 2章1-3節
++++++++++
今の時代、上に立つものがする事について、私たちは時に不満を持ちます。

政治について、きちんと考えることは大切です。

しかし、なによりも私たちは、そのようなもののために祈る事が大切です。
それは、神様から与えられたつとめなのです。

天地を造られた神様が、この国を本当に動かす力を持っておられるとしたら、あなたの祈りは、この国を動かすことができるのではないでしょうか?
皆さん。このような混乱した時代だからこそ祈りましょう。
上にたてられたものが、正しい判断で政治を行うことが出来るように、国も、府も、市も、神様が導いて下さるように祈りましょう。

野田総理のために、大阪府松井一郎知事、枚方市竹内脩市長、大阪市の橋本市長の為にも祈りましょう。
王の心は主の御手の中にあると書かれています。主はどんな人も導いてくださいます。お祈りしましょう。

さて、ベツレヘムに話をもどします。
ベツレヘムで、宿屋には、彼らのための部屋がありませんでした。
それで、彼らは、家畜小屋に泊まったのです。

その家畜小屋で、マリヤは子を産みました。
そして、飼い葉おけに寝かせたのです。
++++++++++
6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
ルカの福音書2章6-7節
++++++++++
飼い葉おけ。
それは、要するに家畜に餌をやるための餌入れです。

そこに、イエス様は寝かされました。

さて、その同じ夜、羊飼い達が、野宿をしていました。

このことに注目すると、おそらく、クリスマスが12月ではないだろうと推測できます。
なぜなら、12月だと寒くて野宿できないからです。
それで、9月や10月ではないかといわれます。

さて、その羊飼いたちが、夜番をしながら羊を見ていました。

すると、主の使いが現れたのです。
++++++++++
9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
ルカの福音書2章9-10節
++++++++++
皆さん。この主の使いを見て、彼らは恐れました。

よく、天使を可愛い子どもの姿に描いたりします。
しかし、実際、聖書に書かれている多くの箇所では、天使は、力強い姿、また、剣をもっていたり、軍の将であったりします。

そこに出てきた天使がどんな姿だったかはわかりません。
しかし、その天使を見た羊飼い達は恐れました。

その後、天の軍勢が出てきます。
++++++++++
13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
ルカの福音書2章13-14節
++++++++++
ここでも、書かれているのは、天の軍勢です。
これも、おそらくかわいらしい姿ではなかったでしょう。
その力強い、天使たちが、神様を賛美したのです。

その声は、突然の雷鳴のように響き渡ったのではないかと思います。

さて、この天使が伝えたのは何ですか?
++++++++++
11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
ルカの福音書2章11-12節
++++++++++
ここで、飼い葉おけに寝ておられるみどりごがしるしだと書いてあります。

実際に、それは、しるしとなりえたでしょう。
なぜなら、生まれたばかりの赤ん坊が飼い葉おけに寝かされているなど、普通の事ではないからです。

しかし、そのことは、もっと違った意味でもしるしでした。

イザヤ書にこう書いてあります。
++++++++++
2 天よ、聞け。地も耳を傾けよ。主が語られるからだ。「子らはわたしが大きくし、育てた。しかし彼らはわたしに逆らった。
3 牛はその飼い主を、ろばは持ち主の飼葉おけを知っている。それなのに、イスラエルは知らない。わたしの民は悟らない。」
イザヤ書1章2-3節
++++++++++
皆さん。主は、民が飼い葉おけを知らないといわれます。

飼い葉おけは、何ですか?
家畜が食物を食べるところです。

そこで、家畜は飼い主から餌をもらいます。
私の家では、昨年から犬を飼っています。

室内犬で、家の中を走り回っています。

この犬は、誰よりも、家内が呼ぶと飛んでいきます。
先日も、家内のそばにいる犬を、こちらに呼びましたが、いくら呼んでも来ません。
犬が、家内のそばにくっついているのは、餌が貰えるからです。
だいたい、わたしの役目は、つめを切ったりするような、嫌われる事ばかりで、まあ、犬にとっては一番来たくない所でしょう。

この犬は、家内から貰える物が良いと知っているから家内の所に飛んでいきます。

皆さん。私たちは、神様のところが大好きで、呼ばれると、すぐに耳を傾け、神様の言葉に従うでしょうか?

そのように、神様の言葉を聞こうとして聖書を読むでしょうか?

牛も、飼い主を知っている。
ろばも、飼い葉おけを知っている。

その飼い葉おけは、家畜と主人との接点です。

私たち人間は神様につくられました。
しかし、神様から離れてしまいました。

イスラエルの民は、エジプトから救い出されました。
しかし、その神様を忘れてしまっていたのです。

神様は、何をお与えになるのですか?
神様は、本当は私たちにとってもっとも良いものを与えてくださいます。

また、神様は、御言葉をお与えになります。

そして、その言葉に聞き従うようにといわれます。
しかし、彼らはさからったのです。

飼い葉おけを知らない民。神様から離れてしまった民。神様との接点をうしなった民。飼い葉おけを忘れてしまった民。神様を忘れてしまった民。
その民と神様との接点を取り戻すために、神様は、飼い葉おけを用いられました。

そして、飼い葉おけに、生まれたばかりの一人子のイエス様を置かれたのです。

皆さん。しかし、そんなことを知らない、マリヤにとってはどうでしょう。ヨセフにとってはどうでしょう。
神様、なんで、私はこんな家畜小屋で出産して、おまけに赤ん坊を寝かせるところもなくて、こんな飼い葉おけに寝かせるしかないなんてと不満を思ったかもしれません。

しかし、これは、神様が人間との関係を取り戻すための壮大なご計画の一部だったのです。

飼い葉おけに寝かされた赤ん坊を見せて、神様は、イエスラエルの民が、神様に立ち返るように、神の言葉に従うようにといわれます。

さて、この寝かされていた方は、どんな方でしょう。
それは、神の言葉である方です。
++++++++++
1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
ヨハネの福音書1章1-5節
++++++++++
この方は神の言葉でした。
そして、この方に命がありました。
また、この方は光でした。

++++++++++
13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
ヨハネの福音書1章13-14節
++++++++++
この方は、肉によってではなく、聖霊様によってお生まれになったかた、神の言葉が人となられた方、ひとり子としての栄光を帯びた方でした。

また、この方を信じるなら、神の子とされるのです。
++++++++++
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
ヨハネの福音書1章12節
++++++++++

さて、箴言には、知恵と言う存在について書かれています。
++++++++++
29 海にその境界を置き、水がその境を越えないようにし、地の基を定められたとき、
30 わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、
31 神の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ。
箴言8章29-31節
++++++++++
この知恵は、世界のはじめから、そこにあり、そして、神様のかたわらで世界を組み立てていました。

これは、神の言葉と同じです。

つまり、ここにイエス様はおられたのです。
神様とともに、世界を造られた方がイエス様です。

イエス様は世界をつくり、人を造られました。

しかし、そのあと、人は神様の戒めをやぶり堕落したのです。
イエス様は、喜んで世界をつくり、人間を喜んでおられました。

ところが、その人類が堕落して、神様の下からいなくなったのです。
ですから、その私たちを取り戻すために、私たちを救うために、人間と同じ姿になって、イエス様はこられました。
つまり、これは、単に父なる神様の命令だけによるものではなかったのです。
イエス様は、知恵であるイエス様、神の言葉であるイエス様は、なんとかして人間を取り戻そうとされたのです。
++++++++++
6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
ピリピ人への手紙2章6-9節
++++++++++
そして、十字架で死んでくださり、それゆえに勝利を手にされたのです。

この知恵、イエス様は言われます。
++++++++++
32 子どもらよ。今、わたしに聞き従え。幸いなことよ。わたしの道を守る者は。
33 訓戒を聞いて知恵を得よ。これを無視してはならない。
34 幸いなことよ。日々わたしの戸口のかたわらで見張り、わたしの戸口の柱のわきで見守って、わたしの言うことを聞く人は。
35 なぜなら、わたしを見いだす者は、いのちを見いだし、主から恵みをいただくからだ。
36 わたしを見失う者は自分自身をそこない、わたしを憎む者はみな、死を愛する。」
箴言8章32-36節
++++++++++
皆さん。
神様の言葉に従うことが、命を見出す道です。
ですから、この私を神の言葉に置き換えてみてください。
神の言葉を見出すものは、命を見出します。
神の言葉を失うものは自分自身をそこないます。また、神の言葉を憎むものは、死を愛するのです。

その神の言葉とは、イエス様ご自身なのです。
この聖書は、イエス様ご自身であり、イエス様について書いてあるのです。
++++++++++
あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。
ヨハネの福音書5章39節
++++++++++

もういちどイザヤ書を見ます。
++++++++++
2 天よ、聞け。地も耳を傾けよ。主が語られるからだ。「子らはわたしが大きくし、育てた。しかし彼らはわたしに逆らった。
3 牛はその飼い主を、ろばは持ち主の飼葉おけを知っている。それなのに、イスラエルは知らない。わたしの民は悟らない。」
イザヤ書1章2-3節
++++++++++
神様は、イスラエルの民が、神様から離れてしまったと言われます。

しかし、それは、イスラエルの民だけの問題ではありません。

全人類の問題です。
++++++++++
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
ローマ人への手紙3章23節

そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。
ローマ人への手紙5章12節
++++++++++
全人類が罪を犯したのです。

この全人類をとりもどすために、イエス様はこられました。

この御言葉は、イエス様が天の御国について語られたところです。
++++++++++
天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。
マタイの福音書13章44節
++++++++++
天の御国、そのもっとも美しい姿は、天から下るエルサレムとして、黙示録に書かれています。
それは、キリストの花嫁である教会が完成した姿です。

それは、信じたものの群れです。

先日、学びをしているときにこのお話しをしたのですが、

イエス様は、それが、畑の中の宝のようだといわれます。
それを、見つけたら、大喜びで、持ち物を全部売り払って、畑を買うのだといわれます。
この箇所は、イエス様の目線で見なければわかりません。

これは何のことですか?
それは、ご自身の命まで、惜しみなく全部与えて、十字架で、私たちの代価を完全に払われたイエス様のされたことです。
イエス様にとって、私たちは、全てを売り払うだけの価値があったのです。

神様の傍らで、人の子らを喜んでおられたイエス様。
しかし、それが、堕落したとき、取り戻そうとして、イエス様はご自身が来て下さったのです。

そして、全てを差し出して、その畑を買い取られたのです。
それは、この世です。
イエス様は、そこに、教会が隠されているのを見ておられたのです。

イエス様は、神様の下で、人間を喜んでおられた、その人間を取り戻すために、ご自身の全てを投げ出されたのです。

ですから、全ての物の為の代価が払われているのです。
しかし、神の子とされるのは、信じたものです。

皆さん。神様のそばが天国なら、イエス様がこられるまで、天の御国には人がいたと思いますか?
神様と天使以外、神様のそばには近づけなかったのです。
なぜなら、人間には罪があるからです。

ですから、天国は、イエス様の贖いによって出来たとも言えるのです。

天国は、イエス様が勝ち取られた人々の住むところ。
イエス様を信じるものが住むところです。

そのイエス様は、全人類を取り戻すため、赤ん坊の姿でこられました。
そして、飼い葉おけの中に寝かされておられたのです。
これはしるしです。

神様は、この方を食べろとさしだされました。
この方を信じ受け入れるようにと、イエス様は、神様と人間との接点として差し出されました。

また、私たちは、神様の言葉である聖書を読むとき、この方を食べているのです。
私たちが、聖書を読むことによって、命の基であるイエス様に触れるのです。

飼い葉おけの中のこども、それは、神の言葉に立ち返れという、神様のサインです。

皆さん。この神様のしるしを受け止めましょう。

そして、キリストにしっかりとむすびつき、御言葉と祈りによって歩ませて頂きましょう。
イエス様はそのために来てくださったのです。

お祈りします。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・濱本先生の癒しの為に。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20120318 これが、あなたがたのためのしるしです。 
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ちょっとイラスト
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