礼拝でのお話
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ワーシップ/メッセージ
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シティーチャーチ
メッセージ20120311   
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それに思い当たったとき
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、恵みと愛にみちておられる方。
愛によって私たちを導かれるかたです。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

さて皆さん。昨年の3月11日は、あの恐ろしい東日本大震災が起こった日です。
南三陸沖を震源として、巨大な地震が発生し、その地震の為に、大きな津波がおこり、その津波は、家やビルだけでなく、多くの人の命を奪って行きました。
この一年、私たちは、支援の働きに微力ながら協力し、また、日々、祈って参りました。

さまざまな、明るいニュースも聞きますが、一方で、非常に厳しい現実も、見せ付けられます。
御言葉に、良いことに飽き足りてはなりませんと書かれています。
しかし、その御言葉によらないまでも、いま、現に苦しんでおられる方々を覚えるとき、祈らずにはいられません。
その方々を主は愛しておられます。
ですから、皆さん。
ともに、声をあげて、主に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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皆さん。毎日、必ず、東日本を覚えて祈りましょう。
私たちに祈りに主は答えてくださいます。
また、私たちが祈ることなしに、主はなにもなさらないのです。
祈り続けましょう。

では、いつものように聖書の通読箇所を開きましょう。
今週の聖書の通読箇所は、
旧約聖書が申命記
新約聖書がマルコの福音書です。
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3月11日(日)[ ]申2-3 /[ ]マコ14:1-26
3月12日(月)[ ]申4 /[ ]マコ14:27-42
3月13日(火)[ ]申5-6 /[ ]マコ14:43-72
3月14日(水)[ ]申7-8 /[ ]マコ15:1-24
3月15日(木)[ ]申9-10 /[ ]マコ15:25-47
3月16日(金)[ ]申11-12 /[ ]マコ16
3月17日(土)[ ]申13-15 /[ ]ルカ1:1-23
3月18日(日)[ ]申16-18 /[ ]ルカ1:24-45
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申命記は、モーセの働きのおわりに、主の戒めをまとめたものであり、またモーセの遺言とも言える書です。
非常に重要なことが書かれています。
是非皆さんお読み下さい。

また、マルコの福音書は、過ぎ越しの食事、ユダの裏切り、ゲッセマネの祈り、そして、十字架と復活です。
こちらも皆さん。是非、御読み下さい。

では、本日は、このマルコの福音書から、14章を開いて参りましょう。
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【 聖書箇所 】マルコの福音書14章66-72節
・新改訳Up91(贈呈p82、英対p149)
・新改訳Vp99、英対p112(贈呈p94)
・口語訳p78
・新共同訳p94 (贈呈p94、英対p145)
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朗読をお願いします。

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【 聖書箇所のテキスト 】
マルコの福音書14章66-72節
14:66 ペテロが下の庭にいると、大祭司の女中のひとりが来て、
14:67 ペテロが火にあたっているのを見かけ、彼をじっと見つめて、言った。「あなたも、あのナザレ人、あのイエスといっしょにいましたね。」
14:68 しかし、ペテロはそれを打ち消して、「何を言っているのか、わからない。見当もつかない。」と言って、出口のほうへと出て行った。
14:69 すると女中は、ペテロを見て、そばに立っていた人たちに、また、「この人はあの仲間です。」と言いだした。
14:70 しかし、ペテロは再び打ち消した。しばらくすると、そばに立っていたその人たちが、またペテロに言った。「確かに、あなたはあの仲間だ。ガリラヤ人なのだから。」
14:71 しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません。」と言った。
14:72 するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。そこでペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います。」というイエスのおことばを思い出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した。
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では、主題聖句を言いましょう。

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【 主題聖句 】
わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。
ルカの福音書22章32節
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では、これらの所から、
「それに思い当たったとき」
と題しまして、御言葉を開いて参りたいと思います。


今回の箇所は、イエス様が十字架に架かられる前、イエス様が捕らえられてしまい、そして、取調べを受けておられる時に、ペテロに起こったことが書かれています。
そして、今回の箇所は、私たちの信仰生活において、非常に重要なことを教えてくれるところです。
ここには、主にあるものが時として通ることになる一つの試練が書かれています。

試練というと重いので、いや、内容からすると十分重いのですが、ヘブル人への手紙を見るとこう書いてあります。
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訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
ヘブル人への手紙12章7節
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ですから、この試練を、訓練、レッスンと言い換えましょう。

実際にこのレッスンを主から受けたのは、ペテロです。

このレッスンには、まず、十字架に架かられる前の日、イエス様がオリーブ山に行かれ、ゲッセマネという園でお祈りをされるその直前の主と、ペテロとの会話からはじまります。
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27 イエスは、弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる。』と書いてありますから。
28 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」
29 すると、ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」
30 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」
31 ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。
マルコの福音書14章27-31節
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イエス様は、ご自身が十字架に捕らえられることを預言されました。
そして、ご自身が、死んでよみがえったのち、先にガリラヤに行くといわれました。

ここで、イエス様のいわれた言葉で、注目するべきなのは、弟子達が散り散りなるという事ではありませんでした。
イエス様がおっしゃりたかった事、それは、つまり、「これから、自分達は、ばらばらになるけれども、集合場所は、ガリラヤだよ。」という事でした。
つまり、それは、今後についてのイエス様の指示だったのです。

つまり、イエス様は、彼らがみんなつまづいて、ばらばらになる事などご存知で、そんなことよりも、そのあと、ガリラヤで再会することのほうが大事だったのです。

しかし、弟子達には、違って聞こえました。
お前達はみんな、私につまずくのだということだけが、耳に届いたのです。

最近、地震などが起こったときにどうするかという事がよく言われます。
先に家族で集合場所を決めておくというようなこともその一つです。
地震が起こったら、どこで集合しよう、どこの避難所にいるようにしよう。
と言う話をしているのに、いや、ばらばらになどならない、ずっと一緒にいる。
と言い張っているなら、話は進みません。

弟子達は、ちょうどそんな状態でした。

そして、彼ら弟子たちの心の中までイエス様は、ご存知でした。

もし、どんな答えをしたら、イエス様の御心にかなったでしょう。

「イエス様がそういわれるという事は、わたしたちは、皆、逃げ出すのですね。
でも、ガリラヤに行けば、また、イエス様にお会いできるのですね。」

とでもいえば、良かったかも知れません。
でも、彼らがそういえないこともイエス様はご存知だったでしょう。

彼らは、自分の心が頑なであること、また、弱いことをわかりませんでした。

皆さん。自分の弱さを認めることは難しいことです。

しかし、自分の弱さを認めることこそ本当の強さです。

この箇所で、ペテロははっきりといいます。
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29 すると、ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」
30 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」
31 ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。
マルコの福音書14章27-31節
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皆さん。イエス様は、私たちの心を本当にご存知です。

ですから、イエス様が求めておられるのは、やせ我慢の言葉ではありません。
また、見栄を張った言葉でもありません。

本当に正直に神様の前に出ることを望んでおられるのです。

よく、問題が起こったとき、大丈夫ですかと聞くと、大丈夫ですといわれる方がおられます。
告白としてはいいのでしょうが、わたしたちは、悲しいときは、悲しいと言っていいのです。

そして、聖書は、いいます。
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喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
ローマ人への手紙12章15節
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心を共有する。これが、愛です。

また、主も哀れみ深い方です。
ラザロを蘇らせるときも、人々が泣いているのを見て、涙されたのです。
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33 そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、
34 言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧ください。」
35 イエスは涙を流された。
ヨハネの福音書11章33-35節
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クールな人なら、ラザロは蘇るんだから、泣くことあらへんやん。
と、いいそうです。

しかし、主イエス様は涙を流されたのです。
ラザロを思い、泣く人々を見て、涙を流されたのです。

不合理だという人もいるかもしれません。
しかし、神様の愛は時に不合理です。
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もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。
ローマ人への手紙5章10節
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私たちが敵であったのに、イエス様は私たちの身代わりに死んで下さったのです。

また、神様は、私たちを愛するがゆえにひとり子をお与えになったのです。
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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ヨハネの手紙第一には、世を愛してはならないと書いてあります。
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世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。
ヨハネの手紙第一 2章15節
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また、ヤコブの手紙には、世を愛することは神に敵することであると書いてあります。
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貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。
ヤコブの手紙4章4節
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それは、この世は罪にみち、神様に無関係、いや、神様に敵対しているからです。

ところが、神ご自身が、その敵対する世にある私たちを愛してくださり、そのために一人子イエス様をお与えになったのです。

この神様の愛は、不合理です。
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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しかし、その愛は、全てを飲み込んでしまう愛です。
その愛のゆえに、私たちは救われたのです。

ペテロの話にもどります。
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29 すると、ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」
30 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」
31 ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。
マルコの福音書14章27-31節
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ペテロは、やせ我慢か、見栄か、自分がわかっていなかったか。
とにかく、つまづかない、と言い切ります。

しかし、イエス様は、細かく、預言されました。
それは、「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」という事でした。

なぜ、ここまで細かく主はされたのでしょう。

ペテロが言い逃れることが出来なくするためです。
そして、ペテロが確かにイエス様の言われる通りだったと知るためです。
そして、ペテロが本当に自分の弱さを知るためです。

その夜、その事はおこりました。

それが、先ほど読んでいただいたところです。
ペテロが三度知らないといったというところです。

さて、皆さん。
イエス様がペテロに、言われたとおり、その夜、その事は起こったのです。

イエス様がペテロについていわれたのも、ペテロがつまづいたりしないといったのも、一週間前でも、三日前でもありません。
ペテロは、ついさっき、その事を聞いて、そして、自分がその通りの事をしてしまったのです。
++++++++++
70 しかし、ペテロは再び打ち消した。しばらくすると、そばに立っていたその人たちが、またペテロに言った。「確かに、あなたはあの仲間だ。ガリラヤ人なのだから。」
71 しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません。」と言った。
72 するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。そこでペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います。」というイエスのおことばを思い出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した。
マルコの福音書14章70-72節
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この出来事は、ペテロを見た女中のひとことからはじまりました。
「あなたも、あのナザレ人、あのイエスといっしょにいましたね。」

なんで、そんなことを突然言われるんだ。
ペテロはそう思ったでしょう。

皆さん。私たちは、時に、なぜ、このタイミングでこのことが起こるのだと思うことがあります。

これさえなければうまく行っていたのに。

しかし、その事は起こります。
何故ですか?
全てが神様のご計画の中にあるからです。
そして、神様は、あなたを愛しておられるからです。
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5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
ヘブル人への手紙12章5-7節
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どんなに体裁だけ整えようとしても、主は、あなたの体裁が整うよりも、あなたの内側をきよめようとされるのです。

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忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、
マタイの福音書23章27節
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パリサイ人や律法学者のようなものではなく、その内側を主はきよめようとされるのです。

そんなん、いらんと、いややと、多くの人は思うでしょう。

しかし、こう書いてあります。
++++++++++
10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
ヘブル人への手紙12章10-11節
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神様は、私たちをご自分の聖さにあずからせようとしておられます。
そして、それによって、平安な義の実が結ばれるのです。

これは、御霊の実です。聖霊の実です。
聖霊様は、私たちが、どんな患難にあっても、導いて下さる方です。
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3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
ローマ人への手紙5章3-5節
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私たちが、それを乗り越えることが出来るのは、聖霊様により、それはまた、神の愛をエネルギーとしているのです。
神の愛は、あなたに注がれています。

ペテロは、イエス様の言葉を思い出しました。
そして、自分に起こっていることが、主のご計画の中にあること、主が本当に自分の事を良くご存知だと知ったのです。

主はそのために、全てのことを備えておられました。
全てを整えておられました。
そして、心砕かれたペテロを主は愛して下さいました。
++++++++++
主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。
詩篇 34篇18節

神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。
詩篇51篇17節

主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。
詩篇147篇3節
++++++++++
心の砕かれたものを主は愛されます。
いやされます。
救ってくださいます。

あなたのこころは、どうでしょう。
砕かれているでしょうか。

わたしたちは、塊のままでいるのでなく、こまかくこまかく砕かれて、そして、サラサラの粉になって主に用いられるのです。

パンを作るときは、小麦ををふるってふるって、きめ細かな粉でなければ、所々固まっていたのでは、美味しく焼けないでしょう。
セメントを塗るときの砂も、そこに石や塊があったのでは使うことが出来ません。
ふるって細かなものを用いることが出来るのです。

神様は、私たちをそのように砕いて、美味しいパンを焼こうとされます。また、素晴らしい、家を建てようとされます。

さて、ペテロはどうなりましたか?
イエス様は、最初から、ペテロの為に祈っておられました。
++++++++++
31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
ルカの福音書22章31-32節
++++++++++
そして、その祈りは聞かれました。
主はサタン、つまり、悪魔の策略さえも、私たちにとって益と変えることがおできなのです。

全てのことを主は益としてくださいます。
++++++++++
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
ローマ人への手紙8章28節
++++++++++
悪魔の策略さえあなたに益となるなら、あなたに敵対するどんな力があっても大丈夫です。
だれかが、あなたをどんな力で攻撃しても、あなたの内にある神様の力のほうが勝っているのです。

ところで、ここで、シモンと書かれているのは、ペテロのもともとの名前です。
++++++++++
31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
ルカの福音書22章31-32節
++++++++++
ペテロは、岩と言う意味です。
イエス様は、ペテロに、堅固な岩、教会の礎としての岩という名前をつけられました。
しかし、彼は、まだ、堅固な岩ではなかったのです。

本当の力はどこにありますか?
それは、強がりではありません。

自分の弱さを認めるところにあります。
弱いところに主は働かれるのです。
++++++++++
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜
んで私の弱さを誇りましょう。
コリント人への手紙第二 12章9節
++++++++++

そして、それゆえに、主の前にへりくだり、主にしっかりと結びつくところにあるのです。
++++++++++
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
++++++++++
主にしっかりと結びつくために、何をするのですか?
御言葉であるイエス様に留まるために、私たちは、毎日聖書を読み祈るのです。

それが、今年のテーマあるこの御言葉につながります。
++++++++++
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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しっかりとイエス様に目を向けていきましょう。

さて、ペテロの話にもどります。

イエス様を知らないといったペテロ、涙を流したペテロ。
そのペテロのところに来て、イエス様は三度言われました。
++++++++++
イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか。」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさい
のことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
ヨハネの福音書21章17節
++++++++++
ペテロは、自分で、イエス様を愛しますとはいいませんでした。
最初の答えは、
「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」
です。
ペテロは、イエス様が自分の心を自分以上に知っておられると、知ったのです。

ペテロは心から主にへりくだりました。
そのペテロに、「わたしの羊を飼いなさい。」と、信じたものの群れを養うという働きを与えられたのです。

主は、私たちの心が、主の前にへりくだるのを求めておられます。
そうでないと、主の働きは出来ないのです。
また、本当に主の祝福を受け取ることは出来ません。

ですから、主は、私たちが主の前にへりくだるのを待っておられます。

皆さん。あなたの人生になにが起こっても、主は、それを益と変えることの出来る方です。
いや、いま、その目の前の事に苦しむとしても、私たちは後に、全てが時にかなって美しいことを知るのです。

神様のなさることはみんなそうです。
主は、あなたを愛し、丁度良いときに、あなたに良いことをしてくださるのです。

信じ祈りましょう。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・濱本先生の癒しの為に。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20120311 それに思い当たったとき 
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ちょっとイラスト
(お話しを元にしたイラストです)
http://www.cityc.net/weekly/illust.gif

今回はもう一つあります
http://www.cityc.net/weekly/illust2.gif

最新の音声ファイルはこちら
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http://www.cityc.net/weekly/worship.MP3

・メッセージ
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