礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20120304   
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目が見えるようになることです
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、癒し主。恵み深い方。
求めるものに与えてくださる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りたいと思います。

まず、いつものように、東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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私たちの祈りを主が聞いて答えてくださることを信じます。

さて、昨今、私たちの周りに起こる事を考えると、この年はどんな年だろうと思わされるのですが、先週の月曜日、2月27日に別所恵姉妹が天に召されました。
44歳で天に召されました。ガンの為に闘病しつつも、毎週礼拝に出席しておられたそうです。
1日にご家族での葬儀が行われ、昨日土曜日に近江福音自由教会で、お別れ会が行われました。
私たちの教会からも数人が出席させて頂きました。
彼女は一時、教会を離れた時期もありましたが、神様が呼び戻してくださいました。

主の変わらない愛と真実を、彼女の人生を通して教えられました。
いま、この別所ファミリーの為ひと言お祈りします。

<いのり>

もう一つ、ご報告をしておきます。
濱本先生は、非常に元気でおられます。
全身のガンについては、頭は放射線治療を考えておられますが、あとは、抗がん剤は使わないと考えておられるようです。
病室は個室ですが、訪れる人があると一緒に祈り聖書を読み。部屋は、時に聖霊の臨在を感じるほどです。
皆さん。濱本先生のため続けてお祈り下さい。

さて、では、続いて、いつものように、聖書の通読箇所を開きましょう。

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3月4日(日)[ ]民24-25 /[ ]マコ9:30-50
3月5日(月)[ ]民26-27 /[ ]マコ10:1-31
3月6日(火)[ ]民28-29 /[ ]マコ10:32-52
3月7日(水)[ ]民30-31 /[ ]マコ11
3月8日(木)[ ]民32-33 /[ ]マコ12:1-17
3月9日(金)[ ]民34-36 /[ ]マコ12:18-44
3月10日(土)[ ]申1 /[ ]マコ13
3月11日(日)[ ]申2-3 /[ ]マコ14:1-26
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旧約聖書が民数記から申命記
新約聖書がマルコの福音書です。

民数記は36章。これは、読むとだらだらと長く感じたりもするのですが、実は、たった36章でイスラエルの民の荒野で過した40年の記録が書かれています。
荒野放浪記とでも言える書です。
そこには、人々を導いていかれる主が現れています。
また、それに続いて申命記。これは、モーセの遺言状のようなものです。

新約聖書は、マルコの福音書。
こちらは、イエス様の十字架への歩みが書かれています。

では、この中から、マルコの福音書10章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】マルコの福音書10章46-52節
・新改訳Up81(贈呈p72、英対p132)
・新改訳Vp88、英対p100(贈呈p83)
・口語訳p69
・新共同訳p83 (贈呈p83、英対p129)
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では、聖書の朗読をお願いします。

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【 聖書箇所のテキスト 】
マルコの福音書10章46-52節
10:46 彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。
10:47 ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と叫び始めた。
10:48 そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、彼はますます、「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。
10:49 すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい。」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている。」と言った。
10:50 すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。
10:51 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」
10:52 するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」
マルコの福音書10章51節
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では、この所から、
「目が見えるようになることです。」
と題しまして、御言葉を開いて参りたいと思います。

今回の箇所は、イエス様が、エルサレムにメシヤとして入っていこうとされるところです。
イエス様はエリコの町を通られました。

エリコは、エルサレムに近い町です。

ヨシュア記では、イスラエルの民は、カナンの地に、ヨルダン川をわたって東から入ります。
そのとき最初に出てきたのがエリコ。
これは、城壁の町でした。
そして、それは、カナンの地の門のようにしてそこにありました。

しかし、この町との戦いは、不思議な方法で行われました。

それが、ヨシュア記の6章に書かれています。
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2 主はヨシュアに仰せられた。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。
3 あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。
4 七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。
5 祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなけれ
ばならない。」
ヨシュア記6章2-5節
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主は、私たちの考えとは違うことをされます。
彼らが6日間かかって6回まわり、また、7日目に7回まわって、角笛を吹き叫んだときにその城壁は崩れたのです。

いま、この日本でも霊の闇がやぶられようとしていると信じます。
皆さん。彼らが6日間まわるあいだも、7日目に7回まわる間も、城壁は何も変化がおこりませんでした。
だんだん城壁が崩れてきたとは書いてありません。
おそらく、石ころ一個落ちてこなかったのではないでしょうか。
しかし、6回と7回。回りきったその時、角笛を吹き、主に叫ぶと、城壁は崩れ落ちたのです。

皆さん。皆さんが祈るとき、何もかわらないと感じるかも知れません。
いくら祈ってもおなじと感じるかもしれません。
しかし、神様の時がきます。
その時、そこにあるどんな問題も、このエリコの城壁のように崩れ落ちるのです。

ですから、皆さん。信じて祈りましょう。
主は祈りを聞いてくださいます。

今回のこの聖書箇所にも信じて叫び祈り求めた人が出てきます。

そのお話しの前に、イスラエルの民は、出エジプトの時、モーセに率いられて荒野を歩んだのち、モーセの死後、ヨシュアに率いられて約束の地に入りました。
その最初の町がエリコです。

イエス様はそれと同じように、エリコを通ってエルサレムに入られました。

このエリコで、イエス様は、一人の盲人と出会います。
彼は、イエス様の事を聞いて知っていました。
しかし、お会いするのははじめてだったでしょう。
それでも、彼は、イエス様に叫んだのです。
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46 彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。
47 ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と叫び始めた。
48 そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、彼はますます、「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。
マルコの福音書10章46-48節
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ダビデの子よ、わたしをあわれんでください。
彼はそう叫びました。

ダビデはイスラエルの歴史におけるもっとも偉大な王様です。
かれは、神様に従い、敵を打ち破り、イスラエルの国を堅固にしました。
彼の息子ソロモンは、主の為に神殿を築きました。
このダビデ王は、やがて、その子孫がイスラエルをおさめ、世界をおさめると預言されていました。
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その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を芽生えさせる。彼はこの国に公義と正義を行なう。
エレミヤ書33章15節
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その預言の通りに、イエス様はこられました。

マタイの福音書には、こう書いてあります。
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アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。
マタイの福音書1章1節
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マタイの福音書のいちばん初めは、イエス様が、アブラハムの子孫であり、ダビデの子孫だと書いてあるのです。
これは、重要なことです。

聖書の初めには重要なことが書かれています。
創世記のはじまりは、
「初めに神が天と地を創造した。」
ではじまります。

これを信じるのでなければ、聖書をいくら読んでも、そこに書かれていることを受け止めることはできません。
そして、そこにある祝福も受け取ることが出来ないのです。

それを信じることから聖書に入ることが出来るのです。

マタイの福音書は、新約聖書のはじまりです。
そこに出てくるこの聖句もまた重要です。

アブラハムは誰ですか?彼は信仰の祖です。
また、ダビデは誰ですか?
彼は、もっとも偉大なイスラエルの王様。
神様にしっかりと目を向けて歩み、主に愛された王様です。

そのアブラハムの信仰と、ダビデの信仰を受け継いだ人物として、イエス様はこられたのです。

ちなみに、このマタイの福音書の一章には、14と言う数字が何度も出てきます。

ヘブル文字は、その文字が数字を表すのですが、ダビデとう言葉のヘブル語は、14と言う数字としての意味をもつのだそうです。
意図的に、このダビデの子孫であるということを強調しようとしているのだという学者もいます。

イエス様は、ダビデの子孫としてお生まれになりました。

そして、ユダ族であったダビデのその子孫イエス様は、この預言の成就でもありました。
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王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。
創世記49章10節
++++++++++
イエス様は、ユダ族のダビデの子孫として生まれ、全世界を治める方です。
ダビデの子孫であるということは、すなわち、キリスト救い主であるという事を意味していたのです。

さて、このイエス様にバルテマイは叫びました。
「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」

そこで、イエス様は、その人を呼ばれ、癒してくださいました。
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49 すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい。」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている。」と言った。
50 すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。
51 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」
マルコの福音書10章49-51節
++++++++++
しかし、この箇所をよく見てみましょう。

まず、この盲人は、上着を脱捨てました。

彼は、もともと、そこに座って、こじきをしていました。
目が見えない彼は、人々に下さいというしか出来ないでいたのです。
彼が着ていた上着というのは、彼が目が見えない事、そして、そこで座って、通っていく人たちに物を求めてよいことのしるしでした。

目が見えないという彼の身の上を、その上着は証明していたのです。
ですから、それを捨てるという事は、彼にとって大変なことでした。

彼は上着のままでイエス様の元へ行き、癒されたら上着を脱ぐことも出来たのです。

しかし、彼はその人生の過去の全てをすててイエス様の前に出たのです。

そうして、イエス様の前に出た彼を、イエス様は、上着も捨てて着たのか。
素晴らしい信仰だ、癒してあげよう。
とは言われませんでした。

むしろ、その彼にイエス様は聞かれます。
「わたしに何をしてほしいのか。」

そばにいるペテロや弟子達が、心の中で、「イエス様空気読んで下さいよ」とか、「言わなくてもわかるでしょう。」とか思ったんじゃないかと思います。

しかし、イエス様は聞かれます。「わたしに何をしてほしいのか。」

イエス様は、人の心の中をご存知です。
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イエスは彼らの心の思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。
マタイの福音書9章4節
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しかし、イエス様は人の心に踏み入ろうとはされません。

自分から扉を開くのを、また、そこにあるものを見せるのを待っておられます。
ですからこう書いてあります。
++++++++++
見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
黙示録3章20節
++++++++++

イエス様は、私たちがイエス様に目を向け、イエス様に語るのを待っておられます。
しかし、彼も、「目を癒して欲しいに決まって、いるだろう。」と思うことも出来ました。

ですから、盲人が、「先生。目が見えるようになることです。」といったのは、これは、へりくだりなのです。
時に私たちは、弱い立場であっても高慢になることが出来ます。

神様が癒してくれたらいい。
なにも言わなくても、わかってくれるはずだ。
いままで、苦しんできていまさらなんだ。

いろんな考えが浮かびます。

また、自分の弱いところを人前に出したくありません。

しかし、彼はイエス様にはっきりといったのです。
++++++++++
51 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」
52 するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。
マルコの福音書10章51-52節
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彼がはっきりと告白したとき、イエス様はいわれました。
「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」

皆さん。イエス様は信仰に働かれます。

信仰は私たちとイエス様との接点です。

そして、信じて祈る祈りに主は答えてくださるのです。
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あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」
マタイの福音書21章22節
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ところが、私たちの信仰は時としてゆらぎます。

しかし、そのような時でも、主はともにいて導いてくださいます。

弟子の一人のペテロが水の上を歩いたときもそうでした。
あるとき、弟子達はイエス様に言われて、イエス様より先に舟をだしました。
ところが、向こう岸につかない。そこへ、湖の上に人影が見えたのです。
湖の上をあるいてくる人影です。

弟子達は、幽霊だけとか、おばけだと、大騒ぎです。
恐怖におびえるところに、イエス様が、「私だ。恐れるな。」といわれます。

ところが、それを聞いて安心したペテロは、私に言葉を下さいというのです。
自分も湖の上が歩いてみたい。
イエス様なら、私にもさせてくださいということです。

さっきまで、幽霊だとおびえていたのです。
ところが、イエス様だとわかると、ころっと変わって、こんどはお言葉を下さいです。
ペテロは、切り替えの早い人だと思います。
しかし、くよくよしているよりはずっといいんじゃないでしょうか。

ペテロがお願いすると、イエス様はいわれました。
++++++++++
29 イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。
31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
32 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。
マタイの福音書14章29-32節
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ペテロをイエス様は呼ばれました。
そして、彼は、歩いた。
すごいです。なんと単純な信仰でしょう。

しかし、疑って沈みそうになりました。

でも、それで終わりません。
イエス様が手を伸ばして助けてくださいました。

信仰とは、この方との信頼関係です。
確かに、信仰がないと、祈っても得られないと書いてあります。

ですから、私たちがしっかりと信仰に立つことは大切です。
しかし、信仰がなくても、イエス様は見捨てられないのです。

あなたの信仰が弱くても、イエス様はともにおられます。
そして、あなたを守り導いて下さるのです。

そして、私たちの信仰を強めてくださいます。

私たちの救いも信仰からはじまります。
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人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
ローマ人への手紙10章10節
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この信仰によって、私たちは救われ、神の子とされました。

この信仰はどうやって成長するでしょうか。
それは、これです。
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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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私たちが、イエス様に目を向ける。

そのもっとも実践しやすいことは、聖書を読み祈ることです。
あなたが聖書を読むなら、あなたの中で霊が成長します。

この霊の成長こそが信仰の成長なのです。
これは、あなたの理解を超えておこります。
それは、あなたが、何か食べたとき、それがどうやって体をつくるかわからなくても、あなたの体が成長するようなものです。

ですから毎日聖書を読みましょう。
そして、祈りましょう。
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あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」
マタイの福音書21章22節
++++++++++
そして、あなたが信仰によって祈り求めるなら、なんでも与えられます。

あなたの信仰に、主は言われます。
++++++++++
するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。
マルコの福音書10章52節
++++++++++

お祈りしましょう。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・濱本先生の癒しの為に。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20120304  目が見えるようになることです  
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