礼拝でのお話
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※濱本先生の手術は無事終わりました。術後の経過は良い様で、血色も良く元気にしておられます。お祈りありがとうございます。全身にある腫瘍が消え完全に癒される様、続けてお祈りください。
・急ですが、次週3月4日礼拝後、誕生会を兼ねて愛餐会を行います。
・日曜日にお配りした週報は、奉仕予定表の司会と賛美リーダーに誤りがあり訂正しました。

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シティーチャーチ
メッセージ201200226   
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人から出て来るものが 
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は聖い方。力ある神。全能者です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、いつものように、東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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私たちの祈りを主が聞いて答えてくださることを信じます。

つづいて、今日も濱本先生の為に祈りましょう。
手術は、無事に終わりました。
金曜、土曜と、お会いしましたが、血色も良く、大変お元気でした。
今は、個室におられ、一緒に異言で祈ることも出来ました。
手術の次の日にお伺いしたとき、聖書を持っているかと聞かれ、持っていなかったのですが、携帯に入れている聖書を開きました。
御言葉の箇所を先生が示されたのでお読みすると、復唱され、まさに、御言葉を食べるようにして受け止めておられ、祈られました。
先生の日頃のデボーションや信仰の歩みが、本当に御言葉を土台としており、また、御言葉をいつも自分のものとしておられる事を感じました。
脳にも、肺にも、肝臓にも全身にガンが広がっていますが、全てが癒されるように祈りましょう。
主が奇跡を見せて下さると信じて祈りましょう。


では次に、いつものように聖書の通読箇所を開きましょう。
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2月26日(日)[ ]民8-10 /[ ]マコ6:1-29
2月27日(月)[ ]民11-13 /[ ]マコ6:30-56
2月28日(火)[ ]民14-15 /[ ]マコ7:1-23
2月29日(水)[ ]民16-17 /[ ]マコ7:24-37
3月1日(木)[ ]民18-19 /[ ]マコ8:1-21
3月2日(金)[ ]民20-21 /[ ]マコ8:22-38
3月3日(土)[ ]民22-23 /[ ]マコ9:1-29
3月4日(日)[ ]民24-25 /[ ]マコ9:30-50
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今週の通読箇所は、旧約聖書が民数記、新約聖書がマルコの福音書です。
民数記は、イスラエルの民が、エジプトを出てから、カナンの地に入るまでの間、40年間荒野で過した記録です。
また、マルコの福音書は、バプテスマのヨハネの死や、五千人の給食や、山でイエス様の御姿が変わられた所などが続きます。
是非、これらの所もお読みください。

では、今日は、このマルコの福音書から、7章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】マルコの福音書7章1-15節
・新改訳Up71(贈呈p64、英対p117)
・新改訳Vp78、英対p88(贈呈p74)
・口語訳p61
・新共同訳p74 (贈呈p74、英対p114)
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朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
マルコの福音書7章1-15節
7:1 さて、パリサイ人たちと幾人かの律法学者がエルサレムから来ていて、イエスの回りに集まった。
7:2 イエスの弟子のうちに、汚れた手で、すなわち洗わない手でパンを食べている者があるのを見て、
7:3 ――パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人たちの言い伝えを堅く守って、手をよく洗わないでは食事をせず、
7:4 また、市場から帰ったときには、からだをきよめてからでないと食事をしない。まだこのほかにも、杯、水差し、銅器を洗うことなど、堅く守るように伝えられた、しきたりがたくさんある。――
7:5 パリサイ人と律法学者たちは、イエスに尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人たちの言い伝えに従って歩まないで、汚れた手でパンを食べるのですか。」
7:6 イエスは彼らに言われた。「イザヤはあなたがた偽善者について預言をして、こう書いているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。
7:7 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』
7:8 あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」
7:9 また言われた。「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも神の戒めをないがしろにしたものです。
7:10 モーセは、『あなたの父と母を敬え。』また『父や母をののしる者は、死刑に処せられる。』と言っています。
7:11 それなのに、あなたがたは、もし人が父や母に向かって、私からあなたのために上げられる物は、コルバン(すなわち、ささげ物)になりました、と言えば、
7:12 その人には、父や母のために、もはや何もさせないようにしています。
7:13 こうしてあなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空文にしています。そして、これと同じようなことを、たくさんしているのです。」
7:14 イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「みな、わたしの言うことを聞いて、悟るようになりなさい。
7:15 外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
人から出て来るものが、人を汚すものなのです。
マルコの福音書7章15節
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では、この所から、「人から出て来るものが」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

さて、今回の聖書の箇所は、パリサイ人たちのこの質問から始まります。
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「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人たちの言い伝えに従って歩まないで、汚れた手でパンを食べるのですか。」
マルコの福音書7章5節
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ここでは、弟子達がしたことについての質問ですが、ルカの福音書にはこう書かれた所があります。

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37 イエスが話し終えられると、ひとりのパリサイ人が、食事をいっしょにしてください、とお願いした。そこでイエスは家にはいって、食卓に着かれた。
38 そのパリサイ人は、イエスが食事の前に、まずきよめの洗いをなさらないのを見て、驚いた。
ルカの福音書11章37-38節
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ここでは、イエス様も、手を洗わずに食事をされたと書かれています。

私は、結構神経質で、手を洗わないと我慢出来ない事があります。
それは、気をつけなければいけないなと思うのですが、
一方で今は、食中毒の予防や、インフルエンザなどの予防の為に、家に帰ったら手を洗うことが教えられています。

しかし、彼らが行っていたのは、そういう意味ではありません。

今。読んで頂いた箇所にあったように、ユダヤ人の中には、さまざまなしきたりがありました。
その中の一つとして、手を洗う儀式があったのです。
そして、それを行っていれば自分は聖いと考えたのです。

自分にある穢れを洗い流すという意味で、洗いの儀式は行われました。

ユダヤ人ではありませんが、イエス様が十字架に架かられる前に、ポンテオ・ピラトは、手を洗いました。
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そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」
マタイの福音書27章24節
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それは、自分の責任を洗い流す、自分とそれが関係の無いことを示す行動でした。

また、旧約の祭司たちは、主の前に出るとき、体を洗いました。
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17 主はまたモーセに告げて仰せられた。
18 「洗いのための青銅の洗盤と青銅の台を作ったなら、それを会見の天幕と祭壇の間に置き、その中に水を入れよ。
19 アロンとその子らは、そこで手と足を洗う。
20 彼らが会見の天幕にはいるときには、水を浴びなければならない。彼らが死なないためである。また、彼らが、主への火によるささげ物を焼いて煙にする務めのために祭壇に近づくときにも、
21 その手、その足を洗う。彼らが死なないためである。これは、彼とその子孫の代々にわたる永遠のおきてである。」
出エジプト記30章17-21節
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彼らが体を洗わずに神様の前に出ることは、大変なことでした。
なぜなら、死なないためだと書いてあるからです。

一方で聖書は私たちに、こういいます。
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神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。
ヤコブの手紙4章8節
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手を洗いきよめる。それは、罪を離れることを意味していました。

しかし、いくら手を洗っても、心を変えなければ何にもなりません。

ですから、イエス様はこうお答えになりました。
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6 イエスは彼らに言われた。「イザヤはあなたがた偽善者について預言をして、こう書いているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。
7 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』
8 あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」
マルコの福音書7章6-8節
++++++++++
彼らは人間の言い伝えを固く守っていると書いてあります。
人間の考えで、良いと思うことを行っていますが、彼らは、神の戒めを離れていました。
彼らの心は、神様から離れてしまっていたのです。

また、イエス様は言われました。
++++++++++
10 モーセは、『あなたの父と母を敬え。』また『父や母をののしる者は、死刑に処せられる。』と言っています。
11 それなのに、あなたがたは、もし人が父や母に向かって、私からあなたのために上げられる物は、コルバン(すなわち、ささげ物)になりました、と言えば、
12 その人には、父や母のために、もはや何もさせないようにしています。
マルコの福音書7章10-12節
++++++++++
父と母を敬え。
お父さんお母さんを大切にする。

これは、旧約聖書の中にある戒めの中でも特に大切なことです。
神様は、特に重要な戒めを石の板に刻んでモーセに渡されました。
それが、あかしの板です。
++++++++++
こうして主は、シナイ山でモーセと語り終えられたとき、あかしの板二枚、すなわち、神の指で書かれた石の板をモーセに授けられた。
出エジプト記31章18節
++++++++++
この石版は、契約の箱の中に収められました。

そこには、10の戒めが書かれていました。
その内容を簡単にまとめるとこうなります。
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十戒
1、主なる神様以外を拝まないこと。
2、偶像を作り拝まないこと。
3、神の御名をみだりに唱えないこと。
4、安息日を守ること。
5、父と母を敬うこと。
6、殺さない。
7、姦淫しない。
8、盗まない。
9、偽りを言わない。
10、人の物を欲しがらない。
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この前半は神様と人との関係。後半は人と人との関係について書かれています。

これをさらに要約すると、二つの言葉に行き着きます。
イエス様は、旧約聖書を引用して、こういわれました。
++++++++++
37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
38 これがたいせつな第一の戒めです。
39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
マタイの福音書22章37-40節
++++++++++
神を愛することと人を愛すること、それが、大切なのだといわれたのです。

そして、さらにイエス様は、新しい戒めとして、こういわれました。
++++++++++
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネの福音書13章34節
++++++++++
ここで、この愛とは、単なる恋愛感情ではありません。

ある人は言いました。俺は沢山愛があるから、どんどん、いろんな人と付き合うんだ。
しかし、彼がどんどんいろんな人と付き合うと、つまりその前の人と別れて、その人たちを悲しませたのです。
それは、俺は沢山の人を愛したなどと、いえることではありません。

愛とは、互いを大切にすることです。
それは、一つ一つの関係を大切することです。
そして、その基準はイエス様です。
そのイエス様の愛は、ご自身の命与えて、私たちの罪の身代わりに十字架で死んで下さった愛です。
自分を犠牲にして与える。それが、キリストの愛なのです。

聖書の戒めはみな、愛という観点からみなければなりません。
++++++++++
9「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。
10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
ローマ人への手紙13章9節
++++++++++
先ほどの十戒に戻りますが、前半は神様との関係です。

この戒めも、愛という観点から見なければなりません。
前半は神様への愛。後半は人への愛です。
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十戒
1、主なる神様以外を拝まないこと。
2、偶像を作り拝まないこと。
3、神の御名をみだりに唱えないこと。
4、安息日を守ること。
5、父と母を敬うこと。
6、殺さない。
7、姦淫しない。
8、盗まない。
9、偽りを言わない。
10、人の物を欲しがらない。
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この中で、殺さないということや、盗まないという事と同列に、いや、それより先に、父と母をうやまうことがかかれているのです。
そうであるなら、これはどれだけ重要でしょうか。
ところで、ここに安息日もかかれています。

週に一度安息日を持つこと、それは、重要です。
それは、私たちが、労働をはなれ、神様に目を向けるときです。

父と母を敬えに戻りますが、これはなぜ重要なのでしょう。
十戒の言葉は、出エジプト記の20章と、申命記の5章に書かれていますが、申命記を見るとこう書いてあります。
++++++++++
あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。
申命記5章16節
++++++++++
父と母を敬うなら、長生きできて、しあわせになる。

若い皆さん。覚えておいて下さい。これは、素晴らしい約束です。

しかし、これは、それだけではありません。

みなさん。お父さん、お母さんとの関係は、多くの人にとって、最初の人間関係です。
そして、それは、結局のところ、その人が人にどう接するかを決めるのです。

しかし、当時の人々は、お父さんやお母さんにたいして渡そうとするつもりだったけど、神様に捧げたからもう無いといえば、お父さんお母さんにしなくてもいいといったのです。
++++++++++
10 モーセは、『あなたの父と母を敬え。』また『父や母をののしる者は、死刑に処せられる。』と言っています。
11 それなのに、あなたがたは、もし人が父や母に向かって、私からあなたのために上げられる物は、コルバン(すなわち、ささげ物)になりました、と言えば、
12 その人には、父や母のために、もはや何もさせないようにしています。
マルコの福音書7章10-12節
++++++++++
神様に捧げたらお父さんお母さんには何もしなくていいなんて、これは、神様のお考えではありません。

自分が、しないことの言い訳なのです。その言い訳のために、神様の名前を利用しているのです。

私たちは聖書のいうとおりにお父さんお母さんを大切にしなければなりません。

と、いっている私自身がどれほど、父や母を大切に出来ているか、本当にたらないと思うのですが、聖書が教えている事をいい加減にすることの無いようにしたいと思います。
逆に、私の父はいつも、私の書くこの原稿を読んでくれています。親心というものはそういうものなのだと教えられます。感謝なことです。

さて、この父母との関係は、さらには、兄弟との関係、子どもとの関係、友人との関係へとつながります。
イエス様は互いに愛しあいなさいといわれましたが、ヨハネの手紙にはこう書いてあります。
++++++++++
兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。
ヨハネの手紙第一 2章10節
++++++++++
主にあるまじわりの中で愛するものは、光の中にいるのです。

さて、イエス様は、常に、御言葉の本質を見。また、人の心を見られました。
それで、いわれます。

パリサイ人や、律法学者。
彼らは、人目には、非常に熱心なユダヤ教徒でした。

パリサイ人は、律法を厳格に守り、行おうとし、そのため、世間から自分達を分ける。その分けるという意味でパリサイと呼ばれました。
また、律法学者達は、聖書を熱心に研究しました。
しかし、そのどちらも、本当に神様を大切にしていたかというと、そうではなかったのです。

だから、イエス様はいわれます。
++++++++++
すると、主は言われた。「なるほど、あなたがたパリサイ人は、杯や大皿の外側はきよめるが、その内側は、強奪と邪悪とでいっぱいです。
ルカの福音書11章39節
++++++++++
手を洗っていても、その心の中には、悪いものがいっぱいあると、イエス様は言われるのです。

私たちは、どうでしょう。
教会に来ます。聖書を読みます。祈ります。
しかし、心の中に、不信仰や、憎しみや、怒り、憤り、そういったものをもっていないでしょうか。

それが無い人はいません。
なぜなら、全ての人は、罪人であってと書いてあるからです。

では、どうすればいいのでしょう。
++++++++++
しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。
コリント人への手紙第一 11章31節
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まず、自分を裁く。つまり自分の罪を認めることです。

そして、その事を祈るのです。
それは、自分の罪を光の下にさらけだすことです。
すると、こう書いてあります。
++++++++++
13 けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。
14 明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」
エペソ人への手紙5章13-14節
++++++++++
光によって明らかにされ、そして、光とされる。

それによって死者の中から起き上がるのです。

律法学者、パリサイ人にイエス様は言われます。
++++++++++
26 目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。
27 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、
28 あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。
マタイの福音書23章26-28節
++++++++++
ここには、二つの事が書いてあります。
目の見えぬ。パリサイ人。それに対し、先ほどの御言葉は、目をさませ。と書いてありました。
また、白く塗った墓。その中には何がありますか?
そこには死体があります。

墓の中の死体はどうなりますか?
今は、ほとんどが火葬で、遺体をそのまま埋めることはありませんが、土葬が一般的だった頃、遺体は、その土の中で腐敗し、土に返ります。
それは、腐ります。また、そこには虫がつきます。

汚れたものがいっぱいになります。
それが、死です。

皆さん。罪はどうやって人類に入り込みましたか?
++++++++++
そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。
ローマ人への手紙5章12節
++++++++++
それは、一人の人の違反によりました。

聖書の創世記に書いてあります。
最初の人アダムは、神様にとって食べたら死ぬ。
だから、とって食べてはならないといわれていた、善悪の知識の木の実を食べたのです。
++++++++++
16 神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
創世記2章16-17節
++++++++++
このたった一つの違反が全人類を罪に閉じ込めました。
この名前を見てください。
それは、単に知識の木ではありません。
善悪の知識の木です。

皆さん。私たちのすることが良いか悪いかを判断されるのは誰ですか?
それは、本来神様です。
そして、神様とともにあるなら、全てが善なのです。

善は、本来、神様と関係なしにあるのではありません。

ですから、イエス様はいわれました。
++++++++++
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
++++++++++
本来、神様にしっかりと結びついていてこそ、善はあるのです。
また、そこに命があるのです。

ところが、私たちは、この罪によって神様から離れました。
携帯電話を、コンセントにつないで、充電しながら使うと、電池は切れません。
いつまでも使うことが出来ます。
しかし、コンセントから抜くとどうなりますか?まあ、本来携帯電話はそうやって使うものでしょうけれども、だんだん電池が減って、切れてしまいます。
携帯電話は、また、コンセントにつなげばいいのですが、私たち人類は、つなぐべきコンセントを失った携帯電話のようなものです。

電池がきれたら死ぬしかないのです。

人は、罪の為に、神様のもとへ戻ることは、出来ません。

しかし、神様のほうから、コードを伸ばして来て下さった。それがイエス様です。
ですから私たちは、この方にしっかりと結びつくのです。

死んだものは、朽ち果てていきます。
しかし、命はいきいきと輝くのです。

悪いものは外から来て人を汚すと人は考えます。
たしかに人は、外からの物で影響を受けます。

しかし、本来、人は、内側からのものによって生きるのです。
ところが、その内側には、罪のために悪いものばかりになっているのです。
++++++++++
20 また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。
21 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、
22 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、
23 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」
マルコの福音書7章20-23節
++++++++++
そして、内からのもの、人からのもの、それが、人を汚し、その人生をけがし、地獄へと、死へとつれていきます。

しかし、私たちがイエス様につながっているなら、私たちの中に光があります。

その光が私たちから輝き出るのです。
++++++++++
13 けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。
14 明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」
エペソ人への手紙5章13-14節
++++++++++

そして、私たちが主にしっかりとつながるとき、わたしたちは聖霊様の働きによって、栄光から栄光へと主と同じ姿へ変えられていくのです。
++++++++++
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
コリント人への手紙第二 3章18節
++++++++++

お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20120226  人から出て来るものが  
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