礼拝でのお話
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音声ファイル(作成日2/19)

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ワーシップ/メッセージ
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シティーチャーチ
メッセージ201200219
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神のみこころを行なう人は  
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は力ある神。全能者。王の王。主の主。
私たちを、ご自身へと引き寄せ、導いて下さる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

さて、まず、いつものように、東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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続いて、もう一つお祈りいただきたいことがあります。
それは、母教会の濱本聖一牧師先生のことです。
今、先生は、関西医大病院に入院しておられます。
脳と、肺と、肝臓に腫瘍があります。
ペンテコステ親交会の教役者大会に行く前日に見つかり、木曜日に入院されました。
私は、先生から預かったグループの会計の事などもあり、火曜日から予定通り、金曜日まで参加して帰ってきました。
金曜日にはグループの議長である猪尾先生も一緒にこちらに帰って下さり、濱本先生のところに行きお祈りすることが出来ました。
脳の腫瘍は、前頭葉付近に5センチほど、後頭部に3センチほどのものがあり、大変大きく、倒れなかったのが不思議なくらいだそうです。
発病した時期といい、霊の戦いなのだとそのように考え、先生は自ら、
「僕は、信仰を語っているから、信仰の試練が来るんだ。だから、この信仰の試練を乗り越えないといけない。」と語られました。
脳の腫瘍は大きく、非常に危険であるため、木曜日には取り除くための手術をすることが決まりました。
是非、皆さん。お祈りください。

さて、今のお話しにもありましたが、火曜日から金曜日まで三日間。
ペンテコステ親交会教役者大会に参加しました。

今回の講師は、アメリカにある2万人の教会。ゲートウェイチャーチの牧師ロバート・モリス先生でした。
また、その教会から、賛美のリーダーである、トーマス・ミラー師も来て講演をしてくださいました。
メッセージも素晴らしく、また、大いに励ましを受けました。
DVDやCDを申し込んでありますので、また、ご覧頂きたいと思いますが、そのほかにこの本を申し込んでおきました。
この本には、今回のメッセージのほとんどが入っています。

これは、祝福を受け取るための鍵が書かれている本です。
是非皆さんお読みください。
私は、まだ、半分までしか読めていないのですが、一部、感動して涙したところもありました。

では、いつものように、聖書の通読箇所を開きましょう。
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2月19日(日)[ ]レビ22-23 /[ ]マコ1:23-45
2月20日(月)[ ]レビ24-25 /[ ]マコ2
2月21日(火)[ ]レビ26-27 /[ ]マコ3
2月22日(水)[ ]民1-2 /[ ]マコ4:1-20
2月23日(木)[ ]民3-4 /[ ]マコ4:21-41
2月24日(金)[ ]民5-6 /[ ]マコ5:1-20
2月25日(土)[ ]民7 /[ ]マコ5:21-43
2月26日(日)[ ]民8-10 /[ ]マコ6:1-29
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旧約聖書がレビ記から民数記。
新約聖書がマルコの福音書です。
このレビ記は主に祭司の務めについて書かれています。
その中心にあるのは、ささげ物です。
そして、そのささげ物は、永遠の大祭司として、ご自身をいけにえとして捧げられたイエス様を表しています。
次に民数記ですが、ヘブル語のタイトルは、「荒野で」となっています。
イスラエルの民の荒野での生活。その40年の姿がそこに書かれています。

新約聖書マルコの福音書。
こちらは、イエス様の宣教の始まり、イエス様の語られた教えと御業が続きます。
是非、皆さん。聖書をお読みください。
聖書は、あなたの霊を成長させます。
また、聖書の言葉によってあなたは、力を得るのです。
毎日必ず聖書を開いて読む。
このことが、貴方と神様との関係。信仰を強め励まします。

毎日聖書を読みましょう。

さて、今回は、そのマルコの福音書から、3章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】マルコの福音書3章20-35節
・新改訳Up63(贈呈p57、英対p104)
・新改訳Vp69、英対p79(贈呈p66)
・口語訳p55
・新共同訳p66 (贈呈p66、英対p101)
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朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
マルコの福音書3章20-35節
3:20 イエスが家に戻られると、また大ぜいの人が集まって来たので、みなは食事する暇もなかった。
3:21 イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。「気が狂ったのだ。」と言う人たちがいたからである。
3:22 また、エルサレムから下って来た律法学者たちも、「彼は、ベルゼブルに取りつかれている。」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ。」とも言った。
3:23 そこでイエスは彼らをそばに呼んで、たとえによって話された。「サタンがどうしてサタンを追い出せましょう。
3:24 もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。
3:25 また、家が内輪もめをしたら、家は立ち行きません。
3:26 サタンも、もし内輪の争いが起こって分裂していれば、立ち行くことができないで滅びます。
3:27 確かに、強い人の家に押し入って家財を略奪するには、まずその強い人を縛り上げなければなりません。そのあとでその家を略奪できるのです。
3:28 まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。
3:29 しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」
3:30 このように言われたのは、彼らが、「イエスは、汚れた霊につかれている。」と言っていたからである。
3:31 さて、イエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていて、人をやり、イエスを呼ばせた。
3:32 大ぜいの人がイエスを囲んですわっていたが、「ご覧なさい。あなたのおかあさんと兄弟たちが、外であなたをたずねています。」と言った。
3:33 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」
3:34 そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
3:35 神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。
マルコの福音書3章35節
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では、この所から、
「神のみこころを行なう人は」
と題しまして、御言葉を開いて参りたいと思います。

さて、今回の箇所は、イエス様の宣教が始まり、わりとすぐの頃です。

イエス様は、御業をなし、イエス様に付き従ってきたもののなかから、12人を選ばれました。
それが、12使徒です。

イエス様の所には多くの人がおしかけました。

その一方で、イエス様の事を悪く取る人たちもいました。そのような人はイエス様をどう見ていたでしょう。
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21 イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。「気が狂ったのだ。」と言う人たちがいたからである。
22 また、エルサレムから下って来た律法学者たちも、「彼は、ベルゼブルに取りつかれている。」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ。」
マルコの福音書3章21-22節
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まず、イエス様の事を「気が狂ったのだ」と言う人達がいました。
また、そのために、それを聞いた身内のものが、イエス様を連れ戻そうとしました。
それだけではありません。
イエス様の事を、
「ベルゼブルに取り付かれている」とか、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ。」
とも言いました。
このベルゼブルはギリシャ語ですが、ヘブル語でバアル・ゼブブで、旧約聖書に登場します。
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さて、アハズヤはサマリヤにある彼の屋上の部屋の欄干から落ちて病気になった。彼は使者たちを遣わし、「行って、エクロンの神、バアル・ゼブブに、私のこの病気が直るかどうか、伺いを立てなさい。」と命じた。
列王記第二 1章2節
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このエクロンの神と呼ばれていますが、エクロンの人々があがめていた偶像です。
エクロンとは、ヨシュア記を見ると、ペリシテ人の土地で、5つの主要都市の一つであったようです。
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エジプトの東のシホルから、北方のカナン人のものとみなされているエクロンの国境まで、ペリシテ人の五人の領主、ガザ人、アシュドデ人、アシュケロン人、ガテ人、エクロン人の地、それに南のアビム人の地、
ヨシュア記13章3節
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このエクロンの偶像。ペリシテ人の偶像をイスラエルの王であるアハズヤは頼りました。
イスラエルの王であるアハズヤは、真の神様から離れ、偶像を拝むものとなってしまっていました。
このバアル・ゼブブは、その名のようにバアルとも関連があるのですが、偶像の名前などいくら追求してもしかたありませんのでこれくらいにします。

私たちが追求するのは、神の御名、イエスの御名です。

皆さん。あなたが困難な情況になったとき、何を頼りとするでしょうか。
私は、偶像を拝まないと、皆さんは言われるでしょう。
では、何をたよりとするでしょうか。

お金をはじめとして、さまざまなものがあると思います。

しかし、私たちのまず見るべきものは、イエス様です。
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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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また、この御言葉です。
これが、今年のカレンダーにも書いた、私たちのテーマだからです。

カレンダーの絵は、手に聖書を持っています。
また、十字架を指差して見つめています。

イエス様から目を離さないとは、聖書を読むことです。
また、祈る事です。
また、十字架に目を向けることです。

さらに、聖書の中でイエス様は言われます。
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だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
マタイの福音書6章33節
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この前後も見てみましょう。
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26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
マタイの福音書6章26-31節
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イエス様は、鳥は種を蒔いたり刈り入れたり倉に入れたりしなくても、神様がやしなっておられる。
花は、何を着ようか考えなくても神様が飾っておられる。といわれました。

そして、あなたは、そのような、花や鳥よりも、神様にとって価値があるといわれたのです。

さらに言われます。これらは、異邦人が求めているものです。
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32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
マタイの福音書6章32-34節
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異邦人とは、ユダヤ人でない人たちです。
ですから、その観点からみると、私たちも異邦人です。

約束の民であるユダヤ人、そして、真の神様への信仰と無関係な異邦人を比較しておられるのです。
ですから、真の神様を知っているなら、信じているなら、まず何を求めるかと教えておられるのです。

皆さん。真の神様を信じますか?
この方は、どんな方ですか?
この方は、貴方を作られました。また、貴方が暮らすためのこの地球を、宇宙を造られました。
また、この方は、貴方を愛するがゆえに、イエス様をこの地上に与え、十字架につけてくださいました。

あなたをそれほどに愛しておられる方がおられるのです。
ですから、私たちは、この方に全面的に信頼するのです。

そうするなら、そこに祝福があります。

私たちが全面的に神様に信頼しているかどうか、それが試されるものがあります。
それは、十分の一です。
ここで、神様は言われます。
++++++++++
十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあな
たがたに注ぐかどうかをためしてみよ。
マラキ書3章10節
++++++++++
神様は、このことで私を試せといわれます。
しかし、同時にこのことは、本当に信仰の試されることです。

一人の若いクリスチャンが職場で、自分が祝福されている秘訣をいいました。
それは十一を捧げることでした。しかし、その上司がそれを聞いて、「一割は大きいなあ。」と言ったそうです。
十分な収益を上げていても、信仰がないなら一割を捧げることはできません。
しかし、貴方に信仰があるなら、あなたはそれを捧げることができます。

あるから捧げるのではありません。
最初のものを捧げるのです。

十分の一は、初物です。
アベルとカインの捧げ物で、カインについては、ある時期になってと書いてあります。
これは、しばらくたってと言う意味でもあるそうです。
カインは収穫してもすぐではなく、しばらく取っておきました。
そして、後になって捧げたのです。
しかし、アベルは、羊の初子を最上の物を持ってきたと書いてあります。

初物は、その全体を現しています。
また、最初の10分の一もまた、その全体を現しているのです。
ですから、最初にとりわけて十分の一を捧げることは、全てを捧げることに等しいのです。

まず、神様に捧げる。それは、神様を第一とすることです。
そして、そのように捧げる人を神様は喜ばれます。

ですから、この御言葉は、神様と人間が互いに試しあう御言葉だといえます。
あなたが、神様を信じるかどうか、神様に試されてもいるのです。
++++++++++
8 人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によ
ってである。
9 あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。
10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあ
なたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。
マラキ書3章8-10節
++++++++++
また、その前を見ると、それは、神のものだと言われ、盗んでいるとも書いてあります。

今回のセミナーでもこの十分の一の事が強調して語られました。
今回の講師の先生は、この十一を重視するので、娘のボーイフレンドが十一を捧げているかどうかチェックすると言われました。
十分の一を捧げないのは泥棒だ、泥棒に自分の娘をやりたくないと、言われました。

神の物を盗むことは恐ろしいことです。
この十一は、祝福を開く鍵です。

イエス様は言われました。
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与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからで
す。」
ルカの福音書6章38節
++++++++++
与えることに祝福は伴います。
しかし、その最初に、まず、この十分の一の捧げ物は、神の宮に捧げられなければならないのです。

お話しをもどします。
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21 イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。「気が狂ったのだ。」と言う人たちがいたからである。
22 また、エルサレムから下って来た律法学者たちも、「彼は、ベルゼブルに取りつかれている。」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ。」
マルコの福音書3章21-22節
++++++++++
皆さん。全てが神様によるのだと説かれたイエス様を、人々は、気が狂っているとか、悪霊につかれているとかそう言いました。
それは、イエス様の言われたこと、成されたことが、人々の価値観、考え方と全く違ったからです。

今の十分の一でさえ、一般の価値観からは外れているかもしれません。
イエス様の教えは、神様の御心を真っ直ぐに語っておられました。
そのため、その言葉は、人々の価値観とは違ったのです。

しかし、彼らの言ったこの言葉に対してイエス様は言われました。
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23 そこでイエスは彼らをそばに呼んで、たとえによって話された。「サタンがどうしてサタンを追い出せましょう。
24 もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。
25 また、家が内輪もめをしたら、家は立ち行きません。
26 サタンも、もし内輪の争いが起こって分裂していれば、立ち行くことができないで滅びます。
27 確かに、強い人の家に押し入って家財を略奪するには、まずその強い人を縛り上げなければなりません。そのあとでその家を略奪できるのです。
28 まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。
29 しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」
マルコの福音書3章23-29節
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この箇所で、知らなければならないのは、イエス様は神の霊である、聖霊様の力によってその事をなしておられたという事です。
そして、聖霊をけがしてはならないと書いてあります。

また、内輪もめをしたら、サタンの国は立ち行きません。
同じこととして、皆さん。
私たちも、キリストにあって一つでなければ立ち行きません。

このことから、私たちは一つ覚えておきたいことがあります。
キリスト教会にも、今、このようなことがあります。
あるグループのしていることを、他のグループが、あれは悪霊によると批判したりすることがあります。

しかし、それを知っておられるのは神様です。
わたしたちは、神様に代わってそのようなものを判断して裁くことは出来ません。

聖書的に見ておかしいという事はできます。
しかし、それが悪霊によると断定することはできないという事です。

確かにおかしいものがあるかも知れません。しかし、昔は、礼拝でギターを弾いただけて、悪魔だといわれた時代があったのです。
聖書には、ダビデがさまざまな楽器を考案して礼拝に用いたことが書いてあります。

自分の考えで、他のものがすることを批判してはなりません。
好みでないなら、無理してあわせなくてもいいです。
賛美の好みなど、食べ物の好みのようなものです。

しかし、自分の好みとあわないものを、自分が悪霊だと断定することはできません。

イエス様の教えも、御業も、聖霊様によるものでした。

しかし、そのようなイエス様を家族も受け入れることが出来ませんでした。
それで、イエス様の声を聞くことよりも、イエス様を非難するものの声を聞いたのです。

イエス様をつれもどそう。その働きをやめさせようとしました。

しかし、その働きは、神によるものでした。
また、その働きを共にするものを、イエス様は、母、兄弟たちといわれました。

イエス様が十字架につかれるときには、そこに母マリヤがいることや、主の兄弟ヤコブの事を見ても、後に彼らがイエス様に従ったことがわかります。
しかし、このとき、イエス様は言われました。
++++++++++
31 さて、イエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていて、人をやり、イエスを呼ばせた。
32 大ぜいの人がイエスを囲んですわっていたが、「ご覧なさい。あなたのおかあさんと兄弟たちが、外であなたをたずねています。」と言った。
33 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」
34 そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
35 神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
マルコの福音書3章31-35節
++++++++++
イエス様を信じた者達、イエス様に従うものたちに、言われたのです。

「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
 神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

何が、みこころですか。
イエス様を信じ受け入れること、イエス様に従うことです。
++++++++++
わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。
ヨハネの福音書15章15節
++++++++++
イエス様は、信じる私たちを、友とも、兄弟とも、家族とも言われます。
そして、私たちは、ともにこのイエス様につながる家族です。

その私たちに主は言われます。
++++++++++
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
ヨハネの福音書15章12節
++++++++++
イエス様をともに見つめ、主にあって互いに愛しあい、主の栄光を表してまいりましょう。
お祈りしましょう。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20120219 神のみこころを行なう人は 
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・ワーシップ
http://www.cityc.net/weekly/worship.MP3

・メッセージ
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