礼拝でのお話
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ワーシップ/メッセージ
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シティーチャーチ
メッセージ20120129   
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みなに仕える者
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちの為に十字架で死んで下さった方。
使える者となって下さった方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

では、いつものように東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震その他の災害から守られるように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、続いて聖書の通読箇所を見て参りましょう。
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1月29日(日)[ ]出エ15-16 /[ ]マタ19
1月30日(月)[ ]出エ17-19 /[ ]マタ20:1-16
1月31日(火)[ ]出エ20-21 /[ ]マタ20:17-34
2月1日(水)[ ]出エ22-24 /[ ]マタ21:1-22
2月2日(木)[ ]出エ25-27 /[ ]マタ21:23-46
2月3日(金)[ ]出エ28-29 /[ ]マタ22:1-22
2月4日(土)[ ]出エ30-32 /[ ]マタ22:23-46
2月5日(日)[ ]出エ33-34 /[ ]マタ23:1-22
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旧約聖書が出エジプト記
新約聖書がマタイの福音書です。
出エジプト記の今回の箇所。20章には、十戒が書かれています。
そして、幕屋の制作に関わる事など、律法の根本になる事柄が書かれています。
また、新約聖書のマタイの福音書は、十字架に架かる為にエルサレムに行かれたイエス様の歩みが書かれています。
是非お読みください。

では、このマタイの福音書から、20章を開いて参りましょう。
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【 聖書箇所 】マタイの福音書20章17-28節
・新改訳Up36(贈呈p33、英対p60)
・新改訳Vp40、英対p46(贈呈p38)
・口語訳p32
・新共同訳p38(贈呈p38、英対p58)
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聖書の朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
マタイの福音書20章17-28節
20:17 さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。
20:18 「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。
20:19 そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
20:20 そのとき、ゼベダイの子たちの母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て、ひれ伏して、お願いがありますと言った。
20:21 イエスが彼女に、「どんな願いですか。」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」
20:22 けれども、イエスは答えて言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます。」と言った。
20:23 イエスは言われた。「あなたがたはわたしの杯を飲みはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によってそれに備えられた人々があるのです。」
20:24 このことを聞いたほかの十人は、このふたりの兄弟のことで腹を立てた。
20:25 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
20:26 あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
20:27 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。
20:28 人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
マタイの福音書20章26節
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では、この所から、
「みなに仕える者」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

さて、今回の箇所は、イエス様がいよいよエルサレムに入ろうとされるその所です。

さて、イエス様は、何をしにエルサレムに行かれるのですか?
観光ではありません。
私たちは今、それが十字架に架かられる為だと知っています。

しかし、当時の人々は、その事をわかっていません。
では、どう考えていたでしょうか?

これは、イエス様が蘇られて天にあげられる前の弟子達とのやりとりですが、こう書いてあります。
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6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
使徒の働き1章6-9節
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イエス様が天に上げられる直前でさえ、弟子達が考えていたのはイスラエルの再興でした。

しかし、ピラトに対してイエス様ははっきりとこう言われました。
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36 イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの
世のものではありません。」
37 そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世
に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。
ヨハネの福音書18章36-37節
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イエス様は王でした。

十字架というのは何かの犯罪に対する刑罰です。
ですから、その頭の上には罪状書きつまり、どんな犯罪を犯したかが書かれました。
ところが、イエス様の頭上には、その罪状書きとして、こう書いてありました。
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イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王。」と書いてあった。
マルコの福音書15章26節
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イエス様は、ユダヤ人の王として、十字架に架かられました。

イエス様がお生まれになるときもそうです。
東方から来た博士達は、こう言いました。
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1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
3 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
マタイの福音書2章1-3節
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彼らは、ユダヤ人の王を探しに来たのです。
その時ローマの支配下でその地を治めたヘロデ王は当然そんな存在を恐れます。
しかし、それだけでなく、エルサレム中の人にとってもそれは歓迎されない存在でした。

イエス様は、ユダヤ人の王として、生まれ、ユダヤ人の王として、十字架につかれました。
しかし、単にイスラエルの王、また、ユダヤの王だったのではありません。

ペテロは、このイエス様について、こう証言しました。
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シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
マタイの福音書16章16節
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イエス様は、生ける神の御子、キリストです。

キリストという言葉はギリシャ語ですが、それは、油注がれたものという意味で、ヘブル語ではメシヤです。

ヨハネの福音書1章にはこんなことも書いてあります。
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彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った。」と言った。
ヨハネの福音書1章41節
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メシヤすなわちキリスト。
そして、それは、油注がれたものという意味です。

油注ぎとはなんでしょう。出エジプトにはこんな記事があります。
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これらをあなたの兄弟アロン、および彼とともにいるその子らに着せ、彼らに油をそそぎ、彼らを祭司職に任命し、彼らを聖別して祭司としてわたしに仕えさせよ。
出エジプト記28章41節
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モーセの兄アロンが祭司職に任命される所です。

ところで、この箇所には、もっと違うことも書かれています。
任職の為の儀式についての箇所を見ます。
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4 アロンとその子らを会見の天幕の入口に近づかせ、水で彼らを洗わなければならない。
7 そそぎの油を取って、彼の頭にそそぎ、彼に油そそぎをする。
20 あなたはその雄羊をほふり、その血を取って、アロンの右の耳たぶと、その子らの右の耳たぶ、また、彼らの右手の親指と、右足の親指につけ、その血を祭壇の回りに注ぎかける。
21 あなたが、祭壇の上にある血とそそぎの油を取って、アロンとその装束、および、彼とともにいる彼の子らとその装束とに振りかけると、彼とその装束、および、彼とともにいる彼の子らとその装束とは聖なるものと
なる。
23 主の前にある種を入れないパンのかごの丸型のパン一個と、油を入れた輪型のパン一個と、せんべい一個、
24 これらをみなアロンの手のひらと、その子らの手のひらに載せ、これらを奉献物として主に向かって揺り動かす。
32 アロンとその子らは、会見の天幕の入口で、その雄羊の肉と、かごの中のパンとを食べる。
33 彼らは、彼らを祭司職に任命し、聖別するための贖いに用いられたものを、食べる。ほかの者は食べてはならない。これらは聖なる物である。
出エジプト記29章
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彼らは、水で洗われ、聖なる装束を着ます。
そして、油が注がれます。
また、その耳と手と足に血が塗られます。
そして、彼らは、その手にパンを持ちゆすり、また、肉とパンを食べます。

これらは、実は、私たちイエス様を信じたものについて表しています。
イエス様を信じたものは水であらわれます。
また、聖霊の油が注がれます。
また、血で清められます。
その血は、御言葉を聞く耳と、御業を行う手の指先と、歩く足の指先に塗られます。
右は権威を表していますから、これらは、神の権威に従うことを意味しています。
その血はイエス様の血を表しています。
つまり、イエス様の血汐によって、聞くこと、なすこと、歩みの全てがきよめられ、神の言葉を聞き、神に従って行い、神に導かれて歩むのです。
また、パンは御言葉であるイエス様。肉は贖いのために裂かれたイエス様の御体です。
それを主の前にかざして揺らすのは、御言葉を告白する事、示すことです。
また、それを食べるのは、御言葉を読み信じ受け入れること、また、信じる私たちの内にイエス様がおられることです。
私たち、イエス様を信じたものは、祭司とされているのです。
ですから、私たちは、イエス様の血を携えて大胆に主の前に出ることが出来るのです。

ついでにレビ記にこんなことが書かれています。
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14 祭司は罪過のためのいけにえの血を取り、それをきよめられる者の右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に塗りつける。
15 祭司は油一ログからいくらかを取って、自分の左の手のひらにそそぐ。
16 祭司は右の指を左の手のひらにある油に浸し、その指で、油を七たび主の前に振りかける。
17 祭司はその手のひらにある残りの油をきよめられる者の右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に、すなわち先の罪過のためのいけにえの血の上に塗る。
18 祭司はその手のひらにある残りの油をきよめられる者の頭に塗り、祭司は主の前で彼のために贖いをする。
レビ記14章14-18節
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ここでは、祭司が、らい病から癒された人のきよめの為に行う儀式が書かれています。
その儀式で、血が塗られ、また、油が塗られます。

その血はイエス様の血潮、その油は聖霊様です。
私たちは、イエス様の血による聖められ、聖霊様によって歩むのです。

ところで、ここで、頭に油を塗るとは書いてありますが、油を注ぐとは書いてありません。

ですから、祭司に対するこの箇所の
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そそぎの油を取って、彼の頭にそそぎ、彼に油そそぎをする。
出エジプト記29章7節
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このことは、祭司に対する特別なことだといえます。

では、油注ぎはどんなときに行われたでしょうか。
これは、預言者エリヤに主が命じられたことです。
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また、ニムシの子エフーに油をそそいで、イスラエルの王とせよ。また、アベル・メホラの出のシャファテの子エリシャに油をそそいで、あなたに代わる預言者とせよ。
列王記第一19章16節
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この油は聖霊様が注がれる事を象徴しています。
そして、それは、祭司、王、預言者の任職において行われたのです。

そのもっとも顕著なものはこの箇所です。
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サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。
サムエル記第一 16章13節
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預言者であり、祭司であったサムエルによって、ダビデに油が注がれたとき、聖霊様がダビデに激しく下られました。

皆さん。これが油注ぎです。
どんどんお話しがそれますが、ペンテコステの日に聖霊様が注がれた時、ペテロは言いました。
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16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
使徒の働き2章16-18節
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油注ぎは聖霊様が注がれることを象徴しました。
それは、王、預言者、祭司という特別な働きに限定した特別なものでした。
しかし、イエス様がなして下さった贖いによって、信じる全ての者に聖霊様が注がれたのです。

ですから、聖霊様が与えられているというのは大変な恵みです。
大変な特権です。
これこそが、神様がお与えになる最大の祝福です。

さて、お話しを戻します。
油注ぎは、本来、王、祭司、預言者の為のものでした。
それは、特別なことでした。
つまり、油注がれたものというのは、そういう特別な働きを神様から与えられたものということです。
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サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。
サムエル記第一 16章13節
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そしてその働きがもっとも顕著であったダビデのように、イスラエルのリーダーとして、大きな業をなし、国を再興する。
そういう働きをするのがメシヤだと人々は考えていたのです。

だから、エルサレムに向かわれるイエス様は、ついにダビデのように力ある働きをなし、王となられるのだと考えたのです。
ですから、イエス様がいわれるこのことも、あまり耳に入っていなかったのではないかと思われます。
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17 さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。
18 「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。
19 そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
マタイの福音書20章17-19節
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自分たちは、王の側近だという意識しかなかったのではないでしょうか。
だから、弟子達の中には、こんなことを言い出すものがいました。
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20 そのとき、ゼベダイの子たちの母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て、ひれ伏して、お願いがありますと言った。
21 イエスが彼女に、「どんな願いですか。」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」
22 けれども、イエスは答えて言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます。」と言った。
23 イエスは言われた。「あなたがたはわたしの杯を飲みはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によってそれに備えられた人々があるのです。」
24 このことを聞いたほかの十人は、このふたりの兄弟のことで腹を立てた。
マタイの福音書20章20-24節
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ここで、王座の右左に座りたいと言ったものも、それに腹を立てたものも同じ考えです。

それでイエス様は言われました。
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25 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
26 あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
27 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。
28 人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」
マタイの福音書20章25-28節
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皆さん。ここで、異邦人の支配者たちは彼らを支配しと書いてあります。
また、偉い人たちは権力をふるいます。と書いてあります。

では、ここにおられるイエス様はどんな方ですか?
この方こそ王の王主の主、もっとも偉大な方、祭司であり、預言者であり、王である方です。

しかし、このイエス様が、ご自身を与えるため、そのようにして、みなに仕えるために来られたのです。

ですから、主は、
「偉くなりたいと思うものは、みなに仕える者となりなさい。」
と、言われるのです。

それが、キリストに習うということです。

このイエス様はいわれます。
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わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
マタイの福音書11章29節
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この御言葉を聞いたことがありますか?

そうです。私が毎週お読みする所です。
私たちは、イエス様の十字架を見ます。
そして、イエス様の御前にへりくだるのです。

そして、キリストにあるリーダーとして歩むのです。
イエス様は例えでいわれました。
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10 招かれるようなことがあって、行ったなら、末席に着きなさい。そうしたら、あなたを招いた人が来て、『どうぞもっと上席にお進みください。』と言うでしょう。そのときは、満座の中で面目を施すことになります。
11 なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
ルカの福音書14章10-11節
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皆さん。イエス様は、神の子であるのに、罪人という人類の末座に、そして、十字架という苦しみの座に付いて下さった方です。

しかし、そのようにへりくだり死にまで従われた方を父なる神様はどうされましたか。
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6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
ピリピ人への手紙2章6-9節
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ですから、蘇られたイエス様は言われました。
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18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
マタイの福音書28章18-20節
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そして、その高くあげられたイエス様の権威のゆえに、あらゆる国の人々を弟子としなさいと言われるのです。

このことが、十字架にあらわされています。
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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
++++++++++
皆さん。

あなたが、へりくだるとき、主はあなたを高くされます。
それは、完全にへりくだられたイエス様を、父なる神様が高くされたのと同じです。

この世は支配し権力をふるおうとします。
しかし、キリストはそうされませんでした。

どこまでもへりくだり、つかえられたのです。

ですから、皆さん。このイエス様に目を留めましょう。
それ以外のところを見ると、いろいろな考えが浮かびます。

権力を振るものには腹が立つかもしれません。
また、お金持ちを見るとそれが欲しくなったり、逆に、自分を見ると、たらなさを感じるかも知れません。

しかし、私たちの見る所はイエス様です。

イエス様の十字架、そして、天に上げられたイエス様。

私たちは、しっかりとこの方に目を向け、この方から目を離さないようにしましょう。
そこに、本当の力があり、権威があり、祝福があり、平安があります。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20120129  みなに仕える者 
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ちょっとイラスト
(お話しを元にしたイラストです)
http://www.cityc.net/weekly/illust.gif


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