礼拝でのお話
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ワーシップ
メッセージ
メッセージの音声ファイルは、原稿と若干違う場合があります。




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シティーチャーチ
メッセージ20120108
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あなたの信じたとおりになるように。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は力ある神、全能者、どんなことでも出来る方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りたいと思います。

さて、新しい年を迎え、もう二度目の礼拝となりました。
年頭に申しましたように、この新しい年、どこまでも主にしっかりと目を向けて歩ませていただきたいと思います。

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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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それは、御言葉から目を離さないことであり、また、絶えず祈ることです。

ところで、いつも忘れてはならない祈りとして、東日本の為の祈りがあります。
このためにいま、共に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。これ以上災害がおこらないように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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さて、ここで、明日が成人式ですのでその前に、新成人のための祝福式を行いたいと思います。
例年、この日に行っています。今年は本人が来ておりませんが、ともに祈りましょう。

<祈り>

では、いつものように聖書の通読箇所を開きましょう。
今週の通読箇所は、
旧約聖書が創世記、
新約聖書がマタイの福音書です。
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1月8日(日)[ ]創21-23 /[ ]マタ6:19-34
1月9日(月)[ ]創24 /[ ]マタ7
1月10日(火)[ ]創25-26 /[ ]マタ8:1-17
1月11日(水)[ ]創27-28 /[ ]マタ8:18-34
1月12日(木)[ ]創29-30 /[ ]マタ9:1-18
1月13日(金)[ ]創31 /[ ]マタ9:19-38
1月14日(土)[ ]創32-34 /[ ]マタ10:1-20
1月15日(日)[ ]創35-36 /[ ]マタ10:21-42
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どちらもそれぞれのはじめの書です。

創世記は、アブラハムの子イサクの誕生から、その息子ヤコブの物語です。
また、マタイの福音書は、イエス様の教えと御業が続きます。

皆さん。新しい年、もし、まだ聖書を通読しておられないなら、今日からでも始めましょう。
もちろん、最初から読むことも出来ますが、年間の通読表にそって、とにかく今日の所を読むという読み方でもいいと思います。
そうすれば、来年、再来年と読むうちに、全部が埋まっていきます。
とにかく、毎日聖書を開いて読む。
すこしづつでも、聖書全体を読んでいく、それが、一人一人の霊を成長させ、信仰を強め、祝福に満ちた人生の土台となります。
ですから、皆さん。聖書を読みましょう。

では、今日はマタイの福音書から、8章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】マタイの福音書8章1-17節
・新改訳Up11(贈呈p11、英対p19)
・新改訳Vp13、英対p15(贈呈p12)
・口語訳p10
・新共同訳p13 (贈呈p13、英対p18)
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では、朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
マタイの福音書8章1-17節
8:1 イエスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った。
8:2 すると、ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」
8:3 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。
8:4 イエスは彼に言われた。「気をつけて、だれにも話さないようにしなさい。ただ、人々へのあかしのために、行って、自分を祭司に見せなさい。そして、モーセの命じた供え物をささげなさい。」
8:5 イエスがカペナウムにはいられると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、
8:6 言った。「主よ。私のしもべが中風やみで、家に寝ていて、ひどく苦しんでおります。」
8:7 イエスは彼に言われた。「行って、直してあげよう。」
8:8 しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。
8:9 と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そ
のとおりにいたします。」
8:10 イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。
8:11 あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。
8:12 しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」
8:13 それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。
8:14 それから、イエスは、ペテロの家に来られて、ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いているのをご覧になった。
8:15 イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。
8:16 夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみなお直しになった。
8:17 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。
マタイの福音書8章13節
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では、この所から、
「あなたの信じたとおりになるように。」
と題しまして、御言葉を開いて参りたいと思います。

この信じたとおりにという言葉は、聖書を読む上で非常に大切です。
信じる、信仰といった言葉は、新約聖書で450回以上出てきます。
ギデオンの新改訳聖書ですと、第二版で新約聖書は407ページ
第3版で457ページですから、大体平均すると一ページに一回は信仰とか信じるとかいう言葉が出てきています。
それほど、この信じるということは聖書を見る上で大切な事柄です。

信仰とは何か。
神様に対する信頼です。
しかし、信じるというとき、私たちはいろんなものを信じています。
例えば、今朝、ここに来るために、自動車で来られた方がおられるかも知れません。
その方は、朝自分の自動車が動くことを信じておられたと思います。

ちなみに私は、朝、車のドアをあけようとしてキーを回したら、寒さのせいで凍っていたのでしょうか、キーが回りません。
あせりました。
しばらくやっていたら、なんとかドアがあいたのですが、あのまま開かなかったら、なんというでしょう。
きっと「信じられない」といったと思います。

家を出るとき、家の前に突然大きな穴があいていて、出られなかったら、「信じられない」と思いませんか?
そんなことは起こらないとそう信じているのです。

それを裏返したところに信仰があるとするなら、私たちの目で見ていること、聞こえていること、感じること全て、それは、信仰によるのです。
また、行動の全てが信仰に基づいているといえます。

わたしたちは、目で見るものがそこにあると信じています。
しかし、映像は、いまやその通りに作り上げることが出来ます。

わたしたちのような古い世代のものは、そういうものがなかった時代からを知っていますが、3Dの映像などが当たり前の時代になると、
ますます、バーチャルと言われる仮想の世界と現実の世界の区別のつかない事がおこるのではないかと思わされます。
と、いったところで、これもまた信仰です。

いま、ここに壁にかけられた十字架があると皆さんは信じています。
それは、目に見えるからです。

しかし、私たちは目に見えるものを超えた、目に見えない現実を、受け止めるのです。
それが、信仰です。

だからヘブル人への手紙にこう書いてあります。
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信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
ヘブル人への手紙11章1節
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この箇所は、こう続きます。
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1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
2 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。
3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
ヘブル人への手紙11章1-3節
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目に見えないものを確信させ、目に見えるものが、見えるものからできたのではないことを悟らせます。

神様についてはこう書いてあります。
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このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。
ローマ人への手紙4章17節
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神様は、無いものを有るもののようにお呼びになる方です。
どういう意味でしょうか?

天地創造の場面にそれがあらわれています。
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1 初めに、神が天と地を創造した。
2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
3 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。
創世記1章1-3節
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ここで、神様は、なにもない闇の中で、光をイメージされました。
光がどんなものか神様は考えられたのです。
そして、光よあれと言われると光が出来たのです。

3っ日目はこうです。
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11 神が、「地は植物、種を生じる草、種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせよ。」と仰せられると、そのようになった。
12 それで、地は植物、おのおのその種類にしたがって種を生じる草、おのおのその種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ木を生じた。神は見て、それをよしとされた。
13 こうして夕があり、朝があった。第三日。
創世記1章11-13節
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神様は、植物をイメージされました。
それが、どんなものか考えて、そして、それがあるようにお命じになったのです。
するとそれは存在しました。

ウオルトディズニーの造ったディズニーランド。
良く聞く話ですが、実は、彼は、ディズニーランドを見ずに死んだそうです。

ディズニーランドを見たことがないとうことでは私と同じです。

ディズニーランドが完成したときに、人がウォルトディズニーの奥さんに、このディズニーランドをご主人に見せたかったですね。といったそうです。
すると、奥さんは答えて言われたそうです。「彼はこれを見ていました」といわれたそうです。
そこにあったのは、ディズニーがイメージしたとおりのもの、ディズニーが奥さんに語って聞かせたとおりのものだったのです。

聖書には、神を信じなさいと書いてあります。
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22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。
23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
マルコの福音書11章22-24節
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これは、神の信仰を持てとも訳せる言葉なのですが、神様を信じるとは、なんでもできる神様を信じること、また、神様と同じ信仰を持つことです。
そして、その信仰のゆえに、山に向かって動いて海にはいれと信じるならその通りになるのです。

昔、聞いた証を思い出します。
ある一人の方が、あるいて教会に行くのに途中に山があったそうです。
それで、この話を聞いて、この山が動いて海に入るように命じたそうです
しばらくして、そこを高速道路がとおることになり、その山が切り崩されてなくなってしまいました。

神様は、力ある方、生きて働かれるかたです。
そしてそのかたは、あなたを愛しておられるのです。
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6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
7 信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりまし
た。
8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。
ヘブル人への手紙11章1-8節
++++++++++
そして、それを信じたものは、そのゆえに行動したのです。
それが、アブラハムであり、ノアでした。

そうです。私たちは、神様が良くして下さることを信じるのです。

また、神様が祈りに答えてくださることを信じなければなりません。

あなたがもし、神様の愛をうたがわれるなら、十字架を見ましょう。
そこには、御子を与えられた神の愛と、あなたの身代わりとなられた御子の愛が示されています。
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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ですから、決してあなたは、自分は神様から愛されていない、などと言ってはなりません。

あなたは、神様の愛を信じ、私は神様に愛されています。と告白するのです。

今回の箇所にもどります。
ここに登場する。二人の人物、ひとりはらい病人、一人は百人隊長。

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8:2 すると、ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」
8:3 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。
マタイの福音書8章2-3節
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彼は、癒されるかどうかを疑いませんでした。
おこころ一つできよめることがおできになると、その御力に信頼したのです。

また、百人隊長。
彼は、イエス様の権威を信じました。
そして、神様の働かれることを信じたのです。
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8 しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。
9 と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、その
とおりにいたします。」
10 イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。
マタイの福音書8章8-10節
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イエス様は、いわれました。

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それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。
マタイの福音書8章13節
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百人隊長の信仰に主が働かれたのです。

ここで、百人隊長の信仰がそのしもべを癒したことにも注目して下さい。
しかし、そこには、百人隊長とそのしもべの間の信頼関係があったことも予想できます。
この百人隊長は、自分のしもべのためにわざわざ癒しをお願いに行くような人物であり、また、しもべは、そのような愛を百人隊長から受けていたからです。
このような信頼関係の中にイエス様は働いてくださったのです。

逆に、祈りがあっても、御言葉があっても、それをはねつけてしまう場合もあるのです。
ですから、イエス様が人々の不信仰のため御業をなさらなかったことが書かれているところがあります。

さて、この二人の癒しに加えて、もう一人、癒された人がいます。それは、ペテロのしゅうとめです。
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14 それから、イエスは、ペテロの家に来られて、ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いているのをご覧になった。
15 イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。
マタイの福音書8章14-15節
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ペテロは主に従いました。それは、ペテロが主を信じたからです。
そして、ペテロはイエス様を家にお連れしました。
ペテロは、自分の心にイエス様をお迎えし、また、自分の家族の中にもイエス様をお迎えしたのです。
そして、ペテロの家族は癒されました。

主に信頼し、主に従うものに主はよくしてくださいます。
ですから、これもまた、ペテロの信仰によるともいえる。
つまり、どれも信仰によるといえるのです。

この3つの出来事、その中で特に今回注目しておきたいのは、この箇所です。
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それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。
マタイの福音書8章13節
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主は信じたとおりになるようにといわれます。
皆さん。あなたは何を信じますか?
主はあなたにとってどんな方だと信じますか?
主はあなたになにをなしてくださると信じますか?
主はあなたにどんな計画をお持ちだと信じますか?

主はあなたに良いことをしてくださいます。
主はあなたに良いご計画をもっておられます。
主はあなたを愛してくださいます。

あなたを愛してくださる神様を信じましょう。
あなたの祈りに答えてくださる神様を信じましょう。
また、この神様についてはこうかいてあります。
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イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」
マルコの福音書10章27節
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神様にはなんでも出来ます。

どんな矛盾したことでも神様はおできになります。
神様に不可能はないのです。

この新しい年、この神様に信頼していきましょう。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20120108  あなたの信じたとおりになるように。
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