礼拝でのお話
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音声ファイル
作成日11/20
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ワーシップ
メッセージ
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シティーチャーチ
メッセージ20111120    
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信仰によって、アブラハムは。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は私たちに信仰を与え、信仰によって歩ませ、信仰を祝福してくださる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

では、まず、今日も東日本の為に共に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。これ以上災害がおこらないように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、続いて、聖書の通読箇所を開きましょう。

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11月20日(日)[ ]エゼ20-21 /[ ]ヘブ10:19-39
11月21日(月)[ ]エゼ22-23 /[ ]ヘブ11:1-16
11月22日(火)[ ]エゼ24-26 /[ ]ヘブ11:17-40
11月23日(水)[ ]エゼ27-28 /[ ]ヘブ12
11月24日(木)[ ]エゼ29-31 /[ ]ヘブ13
11月25日(金)[ ]エゼ32-33 /[ ]ヤコブ1
11月26日(土)[ ]エゼ34-36 /[ ]ヤコブ2
11月27日(日)[ ]エゼ37-38 /[ ]ヤコブ3
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旧約聖書はエゼキエル書
新約聖書はヘブル人への手紙からヤコブの手紙と続きます。
エゼキエル書はイスラエルに悔い改めを迫る主の御言葉が続きます。しかし、そこにはまた、メシヤについての預言も書かれています。
新約聖書のヤコブの手紙は、信仰が行動になることを書いています。
しかし、行動で信仰を表すことは出来ません。
私たちは、純粋に、信仰から行動が現れるようにならなければならないのです。
また、ヘブル人への手紙。こちらは、お話しの中で見て参りましょう。

さて、では、本日の聖書箇所を開きましょう。
ヘブル人への手紙11章です。
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【 聖書箇所 】ヘブル人への手紙11章17-20、32-40節
・新改訳Up402(贈呈p350、英対p666)
・新改訳Vp439、英対p487(贈呈p399)
・口語訳p355
・新共同訳p415(贈呈p415、英対p614)
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では、朗読をお願いします。「

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【 聖書箇所のテキスト 】ヘブル人への手紙11章17-20、32-40節
11:17 信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。
11:18 神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」と言われたのですが、
11:19 彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。
11:20 信仰によって、イサクは未来のことについて、ヤコブとエサウを祝福しました。

11:32 これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、時が足りないでしょう。
11:33 彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行ない、約束のものを得、ししの口をふさぎ、
11:34 火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。
11:35 女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。
11:36 また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、
11:37 また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、
11:38 ――この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした。――荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。
11:39 この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。
11:40 神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。
ヘブル人への手紙11章17節
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では、この所から、
「信仰によって、アブラハムは。」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

今回の箇所のヘブル人への手紙、前回、ヘブル人の意味について説明しましたが、これは、ここでは、ユダヤ人、イスラエル人と同じ意味と考えてよいといいました。
ただ、厳密にはそれらは違う意味をもちます。

ヘブル人は、アブラハムの子孫の事です。

また現在、ユダヤ人は、一つの民族を表しています。また、ユダヤ教を信じているものという事も出来ます。
アメリカにいてもユダヤ人ですし、また、他の国にいてもユダヤ人です。
しかし、イスラエル人というとき、それは、イスラエル国家に属していることをあらわしています。

しかし、イスラエル人という言葉は、本来は、アブラハムの子、イサクの子、ヤコブの子孫を表しています。
ヤコブが、神様からイスラエルという名前を頂いたからです。

さて、お話しをもどします。

ヘブル人への手紙を読む上では、この区別をせず、ヘブル人とは、ユダヤ人と、イスラエル人と同じ意味だと思って読んでください。

つまり、ヘブル人への手紙は、ユダヤ人に書かれた手紙です。
そして、それは、旧約聖書を良く知っている人に書かれた手紙です。

と、前回はこのようなお話をしました。

ユダヤ人向けに書かれたもので旧約聖書にある一番重要なものはなんだと思いますか?
皆さん。新約聖書を開いて最初に出てくるところです。
それは、マタイの福音書です。

このマタイの福音書は、最初に系図からはじまります。
この系図は、一般の人が読んでもなんのことかわりません。
誰にわかるんですか?
それは、旧約聖書をしっているユダヤ人です。

ちなみに、マルコの福音書はローマ人に、ルカの福音書は異邦人全般に向けて書かれたといわれます。
まあ、ルカの福音書は読者がはっきりしていますね。
何のことかと思われたら、是非読んでみてください。

ユダヤ人は、キリスト教を本当に嫌っていますので新約聖書を読みません。
彼らにとって聖書とは旧約聖書だけなのです。

ところが、新約聖書をもし、ユダヤ人が読むと、この系図を読んだだけでも、ユダヤ人には、イエス様がメシヤ、救い主だとわかるのです。
皆さん。聖書を開いて最初に出てくるのは、異邦人にわかりやすいところではなく、異邦人の私たちはなんのことかわからず、ユダヤ人の為に書かれたマタイの福音書です。
マタイの福音書がこの聖書の最初に配置されていることからも、神様がどれだけユダヤ人の救いを願っておられるかがわかります。

先日も、アジアメシアニックフォーラムが大阪で開かれ、明日から、東京、仙台、韓国と続くのですが、わたしたちがもっとイスラエルの為にいのらなければならないことを教えられました。

メシアニックジューの方たちが、ユダヤ人の救いの為に祈ってくださいといわれました。

BFPJのハイナイト教会の数は、その一つの指標だと思います。
関西フランクリングラハムのときの関西の教会は約2000でした。
今、日本のハイナイト教会は、11月のオリーブにのっているのが253教会。
これは、多いでしょうか少ないでしょうか。
日本にもっと沢山このために祈る教会が起こされるように祈りましょう。
エルサレムの平和の為に祈れ。イスラエルを祝福ことは主の御心です。
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バラムはイスラエルを祝福することが主の御心にかなうのを見、これまでのように、まじないを求めに行くことをせず、その顔を荒野に向けた。
民数記24章1節
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イスラエル、エルサレムの為に、ユダヤ人の救いの為に祈りましょう。

お話しがそれました、ヘブル人への手紙。
今回の箇所も、旧約聖書を知らないと、良くわからないところです。

人物の名前がいっぱい出てくるからです。

アブラハム、イサク、ヤコブとエサウ、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、

いったそれは誰でしょう。そして、それぞれの信仰から私たちはいったいなにを学べばいいのでしょう。

残念ながらその説明は、時間が無くて出来ません。
と、ヘブル人への手紙はいっています。

私も、ここまでに時間がかかり、あまり時間がありませんが、出来ればそれらの人にも触れることにして、まずはアブラハムの信仰を見てみましょう。

アブラハムは、ヘブル人への手紙の14の節にアブラハムが登場します。
これは、ルカの福音書の15についで多いのですが、ルカの福音書が24章あり、それに対して、ヘブル人への手紙が13章しかないことからすると、随分多いと思います。
それくらい、このユダヤ人に対して、信仰を語る上で、アブラハムの名前ははずせなかったのだと思います。

そのアブラハムの歩みの前半をヘブル人への手紙から見てみましょう。
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8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。
9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。
10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。
11 信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
12 そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天に星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。
13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
ヘブル人への手紙11章8-13節
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アブラハムは、主の声を聞いて旅立ちました。
どこに行くかわからないのに、出発したのです。冒険野郎ですね。
いや、彼はただの冒険野郎ではありません。
アブラハムは、神様の声を聞き、ただその言葉を信じて出発したのです。

そして、彼は、天幕生活をしていました。そこに息子のイサクや、その息子のヤコブの名前が出てきます。

アブラハムには子どもがありませんでしたが、主はアブラハムに年老いた妻サラによって子どもをお与えになりました。

そのアブラハムの子どもイサクから始まってヤコブ、そして、その子ども達がおびただしく増え、天の星のようになりました。それが、ユダヤ人です。
いま、彼らは世界中にいるのです。

これは、神様の約束の成就です。
アブラハムが歩みだした時、彼は、その結果を見ていませんでした。

私たちはいま、その始まりを聖書で知り、その結果を現実に見ています。
いま、アブラハムの子孫であるユダヤ人は世界中にいるのです。
アブラハムの子孫はユダヤ人だけではありません。
イスラエルの12の部族にはどこに行ったのかわからない部族もいるのです。

星の数のようにアブラハムの子孫は増えました。

同じ章の最初のほうには、アブラハム以前の信仰の人々として、アベル、エノク、ノアといった名前も出てきています。
まず、アベルについて見てみましょう。
++++++++++
3 ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来た。
4 また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。
5 だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。
創世記4章3-5節
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このカインとアベルは、アダムとエバに生まれた子ども達です。
長男カイン、次男アベル。
ここで、カインは、地の作物から捧げ物を持って来ました。
そして、アベルは、彼の羊の初子の中から、最上のものを自分自身で持ってきたと書いてあります。

すると、主は、アベルのささげ物に目を留められ、カインのささげ物には目を留められなかったのです。

羊を捧げたことがキリストの贖いを表しているとかいう方もおられます。
そんな見方も出来るかもしれませんが、それでは、律法にある穀物のささげ物がよくないことになってしまいます。

そんなことよりも、アベルのところに、最上のものを自分自身でと書いてあることに目を留めたいと思います。
主もそこに目を留められたのです。

カインのしたことの何がいけなかったかではありません。
アベルのしたことが何が良かったかを見てください。

アベルは、最上のものを自分自身で捧げたのです。
そこには何がありますか?

そこには、神様への信仰があるのです。神様への心があるのです。
私たちは、心を見ることは出来ません。表面しか見えません。
しかし、主は心を見られるのです。
主は、アベルの神様への心を見られたから、アベルの捧げ物に目を留められたのです。
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あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
創世記4章7節
++++++++++
そして、ここを見ると、カインの心を見られた主は、その心が正しくないことを知っておられたことがわかります。

その捧げ物がどんな理由だったかはわかりません。
しかし、主は、その心を見ておられるのです。

皆さん。私たちは、心から主に捧げるのです。
礼拝もそうです。どんなことも、心から捧げるのです。

また、次にエノクが出てきていました。
彼は、不思議な人で、
++++++++++
22 エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。
23 エノクの一生は三百六十五年であった。
24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。
創世記5章22-24節
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このように、主がとられて突然いなくなった人、突然神様のもとへ行った人です。

彼は、神と共に歩んだのです。

そして誰でもしっているノアが出来ていました。
ノアの箱舟で有名なノアです。

ノアについて創世記をみると長くなるので、ヘブル人への手紙を見ます。
++++++++++
信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。
ヘブル人への手紙11章7節
++++++++++
彼は、神様から洪水がおこると聞いて、百年ほどかかって家族で巨大な箱舟をつくり、そこに家族8人で入って生き残ったのです。
皆さん。防災意識というのは災害からどれくらい持ち続けられるでしょう。
食料の備蓄などもいつも続けることはなかなか難しいことです。

しかし、ノアは、100年間箱舟をつくり続けたのです。
ノアが、巨大な船を作っている間、ずっと雨がふっていたのではありません。
洪水の兆しなど全く無いその中でノアは100年間作り続けたのです。

そして、箱舟にのったノアと妻、息子達3人とその妻たちの8人と箱舟にのった動物達だけが生き残ったのです。

ちなみに、ある本によると、船の漢字の右側に、八と口とがあるのは、このことに由来するとも言われます。
そんなこともあるかなあ位に思っておいていただけるといいかと思います。

さて、それから、アブラハムの登場です。

彼らそれぞれは、その信仰の行いの結果を見てから行えたわけではありません。
しかし、私たちはいま、そのそれぞれの信仰の結果を見ています。

そして、そのような彼らは、本当の自分の故郷、天の御国を求めていたのです。

++++++++++
14 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。
15 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。
16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
17 信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。
18 神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」と言われたのですが、
19 彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。
ヘブル人への手紙11章14-19節
++++++++++
ここで、彼らが、天の故郷にあこがれていたので、神様は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。

また、信仰によってアブラハムは、イサクを捧げ、また、信仰によって取り戻したのです。

ここで、それは型です。
と、書いてあるのは、あなたがそのようにするという型ではありません。
それは、父なる神様がイエス様をお与えになった出来事、アブラハムがイサクを殺そうとする手は御使いによって留められました。
しかし、父なる神様は、イエス様を十字架で殺してしまわれたのです。
このことのゆえに、私たちは罪が赦され、神の子とされています。

そして、イサク、ヤコブ、モーセ、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たち
と続きます。
このギデオンは、敵にやられたイスラエル民族の先頭に立って戦い、敵の民族を追いやった人物です。

また、バラク
このバラクは旧約聖書に二人出てきます。
一人は、イスラエルに敵対したモアブ人のバラク
++++++++++
そこでモアブはミデヤンの長老たちに言った。「今、この集団は、牛が野の青草をなめ尽くすように、私たちの回りのすべてのものをなめ尽くそうとしている。」ツィポルの子バラクは当時、モアブの王であった。
民数記22章4節
++++++++++
もう一人は、士師記に出てくるバラクです。
++++++++++
あるとき、デボラは使いを送って、ナフタリのケデシュからアビノアムの子バラクを呼び寄せ、彼に言った。「イスラエルの神、主はこう命じられたではありませんか。『タボル山に進軍せよ。ナフタリ族とゼブルン族のう
ちから一万人を取れ。
士師記4章6節
++++++++++
このバラクは、デボラの助けのもとイスラエルの敵を倒すリーダーとなりました。

サムソンも、エフタも、ダビデも、サムエルも、それぞれが、敵を打ち破りましたが、それは、皆、主の御力によりました。
それぞれの信仰に主が働いてくださったのです。

今の時代は、困難な時代です。
また、さまざまな問題がわたしたちの前に起こります。

しかし、あなたは、何を信じますか?
主は言われます。
++++++++++
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
ローマ人への手紙8章28節

33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
マタイの福音書6章33-34節
++++++++++
さまざまな明日に向けての不安があります。
しかし、主はなんといわれますか?
完全に主にゆだねていくなら、主は全てを益とし、守り導いて下さるのです。

ですから、私たちは正しい告白をしなければなりません。
++++++++++
10 「私は大いに悩んだ。」と言ったときも、私は信じた。
11 私はあわてて「すべての人は偽りを言う者だ。」と言った。
12 主が、ことごとく私に良くしてくださったことについて、私は主に何をお返ししようか。
詩篇116篇10-12節
++++++++++
詩篇にこういうところがあります。
ダビデの書いた詩です。

大いに悩んだといったときも、あわてて、ダビデは言い直しているのです。

先日、息子の高校が市民会館をかりて、ゴスペル歌手を招いてのコンサートをされました。
私はいけなかったのですが、そこでのおはなしで、悪い言葉を言ったらよくないから、疲れた、とかいってしまったとき、なーんてねとかいうんだといっておられたそうです。

このダビデの詩篇などまさにそうで、うそだよーんとでも言いたい感じですね。

ああだめだといったりしたら、うそだよーんとか、そういう感じですね。
嘘をいえという事ではなく、悪い告白を嘘にしてしまおうってことです。

私は良く、難しいといってしまったあとに、いや、わかる。と言いなおすことがあります。
はじめから悪いことをいわなければいいですが、人はつい、悪い言葉を言ってしまうことがあります。
しかし、それに縛られず、告白を言い直して、神様の前に、へりくだり、悔い改めましょう。

皆さん。信仰の言葉を大切にしましょう。

ヤコブの手紙を見ると、アブラハムについて、こういっています。
++++++++++
22 あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ、
23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
ヤコブの手紙2章22-23節
++++++++++
信仰は行動に現れるのです。

しかし、信仰も、その結果も御霊の実です。
ですから、私たちはイエス様にしっかりと結びついていなければならないのです。
++++++++++
わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことは
できません。
ヨハネの福音書15章4節
++++++++++

皆さん。信仰に聖霊様が働かれ、実が出来ます。
それが、御霊の実です。

しかし、それは、形をつくったものではだめなのです。

木の枝に、実を結びつけるような事ではなく、枝から実は出来なければなりません。

何か、このことをしているなら信仰があると考えることは間違いです。
そうではなく、主があなたに働いて、信仰の実を実らせてくださるのです。

お祈りしましょう。
<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20111120 信仰によって、アブラハムは。
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