礼拝でのお話
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作成日11/13
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ワーシップ
メッセージ
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シティーチャーチ
メッセージ20111113    
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成熟を目ざして進もうではありませんか
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は私たちに命を与え、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えてくださる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

では、まず、今日も東日本の為に共に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。これ以上災害がおこらないように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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続いて、聖書の通読箇所を見て見ましょう。
今週の聖書の通読箇所は、
旧約聖書が哀歌からエゼキエル書
新約聖書がヘブル人への手紙です。
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11月13日(日)[ ]哀歌3-5 /[ ]ヘブ3
11月14日(月)[ ]エゼ1-3 /[ ]ヘブ4
11月15日(火)[ ]エゼ4-7 /[ ]ヘブ5-6
11月16日(水)[ ]エゼ8-11 /[ ]ヘブ7
11月17日(木)[ ]エゼ12-14 /[ ]ヘブ8
11月18日(金)[ ]エゼ15-16 /[ ]ヘブ9
11月19日(土)[ ]エゼ17-19 /[ ]ヘブ10:1-18
11月20日(日)[ ]エゼ20-21 /[ ]ヘブ10:19-39
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哀歌は、エレミヤがエルサレムが滅びることを嘆いた歌です。
しかし、また、これは苦難の中での希望の祈りです。
それは、今も続くユダヤ人たちの祈りです。
そしてエゼキエル書。
エゼキエル書は、主の力強い現れからはじまります。
祭司であったエゼキエルは、ケルビムの上に座しておられる方を見るのです。
そして、御言葉を受け取ります。
皆さん。是非、エゼキエルに語られた主の御言葉を読みましょう。
また、新約聖書はヘブル人への手紙です。
こちらは、お話しの中で見て参りましょう。

では、このヘブル人への手紙の中から、5章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ヘブル人への手紙5章8節-6章6節
・新改訳Up393(贈呈p343、英対p650)
・新改訳Vp429、英対p476(贈呈p390)
・口語訳p347
・新共同訳p406 (贈呈p406、英対p601)
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聖書の朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ヘブル人への手紙5章8節-6章6節
5:8 キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、
5:9 完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、
5:10 神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。
5:11 この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。
5:12 あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするように
なっています。
5:13 まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。
5:14 しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。
6:1 ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。死んだ行ないからの回心、神に対する信仰、
6:2 きよめの洗いについての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえのさばきなど基礎的なことを再びやり直したりしないようにしましょう。
6:3 神がお許しになるならば、私たちはそうすべきです。
6:4 一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、
6:5 神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、
6:6 しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。
++++++++++
では、主題聖句を言いましょう。
++++++++++
【 主題聖句 】
神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。
ヘブル人への手紙5章10節
++++++++++

では、この所から、
「成熟を目指して進もうではありませんか」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

今回の箇所。ヘブル人への手紙。
このヘブル人とはどんな人たちなのか。
旧約聖書を少し見てみましょう。
まず、創世記の14章を見ますとこう書いてあります。
++++++++++
ひとりの逃亡者が、ヘブル人アブラムのところに来て、そのことを告げた。アブラムはエモリ人マムレの樫の木のところに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの親類で、彼らはアブラムと盟約を結んでいた。
創世記14章13節
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ここで、系図においてはイエス様の先祖でもあるアブラム。彼は後にアブラハムと呼ばれますが、彼がヘブル人アブラムと呼ばれています。

また、出エジプト記を見ます。
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1 さて、ヤコブといっしょに、それぞれ自分の家族を連れて、エジプトへ行ったイスラエルの子たちの名は次のとおりである。
2 ルベン、シメオン、レビ、ユダ。
3 イッサカル、ゼブルンと、ベニヤミン。
4 ダンとナフタリ。ガドとアシェル。
5 ヤコブから生まれた者の総数は七十人であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。
6 そしてヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ。
7 イスラエル人は多産だったので、おびただしくふえ、すこぶる強くなり、その地は彼らで満ちた。
出エジプト記1章1-7節
++++++++++
ここを見ると、神様からイスラエルという名前を貰ったヤコブの子孫であるイスラエル民族がエジプトに移住して強くなったことが書いてあります。

ところが、このエジプトで強いイスラエルの民に迫害がはじまります。
いつの時代も、神様がイスラエル人を祝福されるとき迫害が起こる。これは同じです。
いまもその子孫であるユダヤ人が祝福されるとき、周りのものは、それを迫害します。
いや、いまの時代は、困難な中にあるユダヤ人にさらに追い討ちをかけるように迫害がおこります。

私たちは、この聖書の民であるユダヤ人の為に祈りましょう。
また、イスラエル・エルサレムの為に祈りましょう。
そして、この日本に、これらの事を覚えて祈るものが益々増やされるように祈りましょう。

さて、この出エジプトで、エジプトの大臣として働いたヨセフの事を知らない王が立ちました。
すると、この王はイスラエルを迫害したのです。
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8 さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。
9 彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。
10 さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」
11 そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。
12 しかし苦しめれば苦しめるほど、この民はますますふえ広がったので、人々はイスラエル人を恐れた。
13 それでエジプトはイスラエル人に過酷な労働を課し、
14 粘土やれんがの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、すべて、彼らに課する過酷な労働で、彼らの生活を苦しめた。
出エジプト記1章8-14節
++++++++++

ところが、それでも足らないと思った王は、続いて子どもを殺そうとします。
++++++++++
15 また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフラ、もうひとりの名はプアであった。
16 彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」
17 しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。
18 そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼び寄せて言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」
19 助産婦たちはパロに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」
20 神はこの助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなった。
出エジプト記1章15-20節
++++++++++
ところが、このことは、うまく行きませんでした。
助産婦達が、ヘブル人の神様を恐れたからです。

ついに王は、男の子ども達をナイルに投げ込んで殺そうとするのですが、そのようなときにモーセが現れて民を救います。
これが、出エジプトです。

お話しが長くなりましたが、ここで、この民がヘブル人と呼ばれたり、イスラエル人と呼ばれたりしていることがわかります。

厳密にいうと違うのですが、このヘブル人への手紙において、ヘブル人とは誰かというときには、イスラエル人と、ユダヤ人と、ヘブル人は、同じ意味だと思って下さって良いと思います。

パウロはコリント人への手紙第二でこういいます。
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彼らはヘブル人ですか。私もそうです。彼らはイスラエル人ですか。私もそうです。彼らはアブラハムの子孫ですか。私もそうです。
コリント人への手紙第二 11章22節
++++++++++
さて、つまり、この手紙は、ユダヤ人たちに書かれた物だということです。

それはどういうことでしょうか。

ユダヤ人は、旧約聖書を良く知っている人たち。
旧約聖書に書かれている祭壇の儀式について知っている人たちです。

この手紙は旧約聖書を知っている人の為にかかれました。

今回の主題聖句を見てみましょう。
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【 主題聖句 】
神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。
ヘブル人への手紙5章10節
++++++++++
これは、いったいなんの事でしょうか。
さらっと書いてありますが、旧約聖書を知らないとなんのことかわかりません。

皆さん。聖書は、新約聖書だけでなく、聖書全巻を旧約聖書も新約聖書も読まなければなりません。
それによって、聖書全体があなたに語りかけてくるのです。

そのため、聖書は通読するのです。好きなところを読むのでなく、毎日少しずつでも通読します。

通読表にそってでもかまいません。一日一章でもかまいません。
どうしても読めなければ、聖書を開いて一節だけでもかまいません。
毎日聖書を読みましょう。

さて、この箇所でわからないのは、なんといってもメルキゼデクです。
いったい誰? と思う人もいるでしょう。

彼は、旧約聖書に出てくる人です。
このメルキゼデクは、サレムという国の王様で祭司でした。
++++++++++
17 こうして、アブラムがケドルラオメルと、彼といっしょにいた王たちとを打ち破って帰って後、ソドムの王は、王の谷と言われるシャベの谷まで、彼を迎えに出て来た。
18 また、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。
19 彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。
20 あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。
創世記14章17-20節
++++++++++
ここにメルキゼデクの名前が出てきます。

ユダヤ人の先祖アブラハム、ここではまだアブラムですが、彼はあるとき大きな戦いに勝利しました。
それは、アブラハムのおいのロトが住むソドムが敵に攻められ略奪され、おいのロトまでつれていかれたときの事でした。
アブラハムは、この敵を追撃し、ソドムが奪われたものを取り戻したのです。

そして、アブラハムが帰ってきたとき、ソドムの王はアブラハムを出迎えました。ところが、そこにシャレムの王メルキゼデクが出てくるのです。
彼は、パンとぶどう酒を持って来てアブラハムを祝福します。
ここで、メルキゼデクが持ってくるパンとぶどう酒。
皆さん。パンとぶどう酒をお与えになる方は誰ですか?
それは、イエス様です。しかし、このとき、まだ、聖餐式の型である過ぎ越しすら行われていないのです。
そのような時代に、やがて来ることの予表として、メルキゼデクはやってきて、アブラハムを祝福しました。

すると、アブラハムは彼に十分の一の捧げ物をしたのです。

皆さん。礼拝とはなんでしょう。
それは、お話しを聞くことではありません。
私たちは、神様を礼拝しに来ているのですが、それは、捧げることです。
私たちが捧げるものはなんでしょう。
まず、祈りを捧げます。賛美を捧げます。奉仕によって私たち自身を捧げます。また信仰を形にしたものとして献金を捧げるのです。
だから、献金は礼拝です。

アブラハムは、祭司であるメルキゼデクに十分の一を捧げることで主を礼拝したのです。

このメルキゼデクは、シャレムという国の王様。そのシャレムとは平和を意味します。そして後のエルサレムであるといわれます。
彼は、シャレム、すなわち平和の王という名を持っていたのです。
このメルキゼデクについて、ヘブル人への手紙の著者はこういいます。
++++++++++
1 このメルキゼデクは、サレムの王で、すぐれて高い神の祭司でしたが、アブラハムが王たちを打ち破って帰るのを出迎えて祝福しました。
2 またアブラハムは彼に、すべての戦利品の十分の一を分けました。まず彼は、その名を訳すと義の王であり、次に、サレムの王、すなわち平和の王です。
3 父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。
4 その人がどんなに偉大であるかを、よく考えてごらんなさい。族長であるアブラハムでさえ、彼に一番良い戦利品の十分の一を与えたのです。
ヘブル人への手紙7章1-4節
++++++++++
彼の名は、訳すと義の王、そして、平和の王です。

そのようなメルキゼデク。
アブラハムでさえ彼に十分の一を捧げました。また、メルキゼデクは、天地を作られたいと高き神のによってアブラハムを祝福したのです。
彼は、聖書の中に系図の無い、はじめも終わりもない人物で、祭司として、そこにぽつんと出てくるのです。

ですから、キリストの現れであるとも言われます。
また、イエス様は、メルキゼデクの位に等しい大祭司だと聖書はいいます。
++++++++++
【 主題聖句 】
神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。
ヘブル人への手紙5章10節
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律法では、祭司に誰がなるのか、はっきりと書かれています。

それは、モーセの兄アロンとその子ども達です。
++++++++++
13 アロンに聖なる装束を着けさせ、彼に油をそそぎ彼を聖別する。彼は祭司としてわたしに仕える。
14 彼の子らを近づかせ、これに長服を着せなければならない。
15 あなたは、彼らの父に油をそそいだように、彼らにも油をそそぐ。彼らは祭司としてわたしに仕える。彼らが油をそそがれることは、彼らの代々にわたる永遠の祭司職のためである。」
出エジプト記40章13-15節
++++++++++
アロンは代々の永遠の祭司職の為に油を注がれたのです。

ところが、このメルキゼデクやアブラハムは、それよりもおよそ400年も前の人なのです。

ですから、アロンが祭司になるよりも先にメルキゼデクは祭司であり、アロンの先祖のアブラハムでさえメルキゼデクから祝福を受けたのです。
アブラハムをも祝福した祭司、それはすなわちアロンをも祝福した者です。

イエス様は、そのような方だと聖書はいいます。
ところで、イエス様は、もっと後の時代の人じゃないかという方もおられるかも知れません。しかし、イエス様は言われます。
++++++++++
イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」
ヨハネの福音書8章58節
++++++++++
それは、ヨハネの福音書の最初から考えると当然のことです。
++++++++++
1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。

14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
ヨハネの福音書1章1-3、14節
++++++++++
14節で、わたしたちの中に住まわれた、人となられたことばとしてイエス様を表しています。
そして、この神の言葉であるイエス様は世の初めからおられ、全てを創造された方です。
また、永遠に存在するお方なのです。

ですから、イエス様はわたしはいる といわれるのです。
++++++++++
イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」
ヨハネの福音書8章58節
++++++++++
皆さん。この私はいるというのは、いたというのとは違います。
私たちは、さっきまで家にいましたといいます。
しかし、イエス様は、いつもどこにおいても今なのです。
ですから、わたしはいるといわれます。
これは、イエス様が時間と空間を越えておられるということです。
それは、その全てを治めておられる方だからです。

聖書は、イエス様の存在がそのようなものであり、それゆえ、祭司としては、メルキゼデクに等しいというのです。

アロンの子孫が永遠に祭司とされているのですから、それ以降には、アロンの子孫以外の祭司が立つことは出来ません。
しかし、イエス様は、世の最初からおられ、とこしえに祭司とされている方なのです。

詩篇にはキリストについてこう書いてあります。
++++++++++
1 主は、私の主に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」
4 主は誓い、そしてみこころを変えない。「あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である。」
詩篇110篇1、4節
++++++++++
イエス様は、世のはじめから、祭司として立てられ、永遠に祭司としておられるかた。
十字架で、祭司としてご自身の体と血を捧げて、救いの業を成し遂げて下さった方。
三日目に、死を打ち破り蘇られた方、
天にあげられ、いまも、祭司として父なる神様にわたしたちをとりなして下さっておられるかたです。

わたしたちは、この方を信じたのです。

この方を信じたものは信仰によって成長します。
しかし、こう書いてあります。
++++++++++
12 あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようにな
っています。
13 まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。
14 しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。
ヘブル人への手紙5章12-14節
++++++++++
ここに乳と堅い食物が出てきます。

乳とはなんでしょう。
聖書には、御言葉の乳を慕い求めなさいとも書いてあります。

それは、私たちを慰め励まし、成長させてくれる御言葉です。

乳ということをさらに考えると、赤ん坊は、小さな体で生まれてきます。
そして、乳を与えられて成長します。

しかし、その体は、どんどん大きくなります。
乳には、体を大きくするための栄養が入っています。
また、体はその全てを受け止めて成長します。

もし、大人になっても成長するなら大変です。
来週お会いしたとき、皆さんの身長が二メートルにもなっているかもしれません。
普通そんなことはおこりません。

食物のお話しでした。あるていど、体が大きくなると、やわらかなものからはじめて、だんだんに堅いものを食べるようになります。

御言葉を見ると、
++++++++++
13 まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。
14 しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。
ヘブル人への手紙5章12-14節
++++++++++
堅いものは大人のもの、義の教えに通じるもの、経験によって良いものと悪いものを見分ける感覚を訓練された人たちの物と書いてあります。
赤ん坊は乳をそのまま飲み込みます。
しかし、大人は、受けたものを噛み砕いて自分のものにするのです。

そして、6章の1節ではこう書いてあります。
++++++++++
ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。死んだ行ないからの回心、神に対する信仰、
ヘブル人への手紙6章1節
++++++++++
成熟をめざしてと書かれています。

成熟とはなんでしょうか。
エペソ人への手紙にはこう書いてあります。
++++++++++
12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
14 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、
15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
エペソ人への手紙4章12-15節
++++++++++
それは、キリストの姿まで成長することです。

ヘブル人への手紙に良いものと悪いものを見分けると書かれていましたが、ここでも、
人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、と書かれており、
そして、
むしろ、愛をもって真理を語り、
と書いてあります。

私たちは、このキリストの姿へと成長していくのです。
++++++++++
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
コリント人への手紙第二 3章18節
++++++++++
これは、聖霊様の働きによるとも書いてあります。

私たちを成長させて下さるのは聖霊様です。
そして、鏡のように主の栄光を反映させるのです。

皆さん。あそこに光があって わたしがこうやって鏡をもっているとします。
このように反対をむけて光を反射出来ますか。

また、あなたが顔を鏡で見るときに、鏡を反対に向けてみることが出来ますか。
だから、鏡は、光を向かなければなりません。

私たちの目はキリストイエス様を見ていなければならないのです。
++++++++++
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
++++++++++
この方を見るときに何がわかりますか。
それは、辱めをものともせずに十字架を忍ばれ、その結果神の右に着座されたということです。
十字架に架かって罪の購いをなしてくださった祭司であるイエス様。
天で私たちのとりなしをしてくださっておられるイエス様を見るのです。

十字架を忍ばれたイエス様を見るとき、私たちも同じです。
自分の考えを捨て、神様の考えに従いましょう。
神様から自分を守ろうとすることをやめましょう。
よく、神様に従うといやなところにつれていかれるのです。
と、言われる方もおられます。
しかし、神様がなさる以上の最善はありません。

堕落の原因、最初の罪は、神様の言われることを信頼せずに悪魔に従ったことです。
それは、神様のことばより、自分の考え、悪魔の考えが正しいといったことです。

皆さん。自分の考えよりも神の言葉が正しいと、神様に自分から従うのです。
結局、神様が正しいほうに導かれたというのでなく、積極的に神様に従いましょう。
それにより、愛をもって真理を語り成長し、キリストに達するのです。

その愛は、キリストの愛。
互いに愛し合いなさいといわれた愛。
他を赦し受け入れる愛です。

皆さん。わたしたちも、そのように、キリストにあって歩ませて頂きましょう。
お祈りしましょう。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20111113  成熟を目ざして進もうではありませんか
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