礼拝でのお話
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音声ファイル
作成日10/02
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ワーシップ
メッセージ
メッセージの音声ファイルは、原稿と若干違う場合があります。




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シティーチャーチ
メッセージ20111002   
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愛をもって互いに仕えなさい  
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちに自由を与えるために開放して下さった方。
力ある救い主です。この方を覚えて今日も御言葉を開いて参りたいと思います。

さて、いつも、御言葉の前に、被災地の為に祈るのですが、今日はその前にもう一つ祈りの課題があります。
それは、エルサレムの為の祈りです。いろいろ、課題をのせたものを週報と一緒におくばりしました。
全部読むと時間がなくなりますので、それぞれで読んでいただければと思いますが、今日、10月の第一日曜日は世界中で、イスラエルの為に祈る日。エルサレムの平和を祈る国際祈祷日となっています。
この時期、イスラエルでは、新年だそうで、今年は、9月28日の夕方から新年がはじまったそうです。
ユダヤ暦では、今年は、5772年だそうで、一般の西暦とは随分違います。
そのイスラエル、エルサレムについて主は言われます。
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3 エルサレム、それは、よくまとめられた町として建てられている。
4 そこに、多くの部族、主の部族が、上って来る。イスラエルのあかしとして、主の御名に感謝するために。
5 そこには、さばきの座、ダビデの家の王座があったからだ。
6 エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。
7 おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」
詩篇122篇3-7節
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いま、パレスチナの問題もあり、また、テロも頻繁に起こっているようです。
皆さん。祈りましょう。また、日本に祈り人がさらにおこされるように、また、祈り人に主の助けと励ましがあるようにも祈りましょう。

<祈り>
では、次に、いつものように、東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。これ以上災害がおこらないように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、御言葉に入って行きたいと思いますが、まずは、聖書の通読箇所を見て見ましょう。

今週の聖書の通読箇所は、旧約聖書がイザヤ書、新約聖書がガラテヤ人への手紙、エペソ人への手紙です。
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10月2日(日)[ ]イザ19-21 /[ ]ガラ3
10月3日(月)[ ]イザ22-24 /[ ]ガラ4
10月4日(火)[ ]イザ25-27 /[ ]ガラ5
10月5日(水)[ ]イザ28-29 /[ ]ガラ6
10月6日(木)[ ]イザ30-31 /[ ]エペ1
10月7日(金)[ ]イザ32-34 /[ ]エペ2
10月8日(土)[ ]イザ35-37 /[ ]エペ3
10月9日(日)[ ]イザ38-40 /[ ]エペ4
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イザヤ書も、36章では、アッシリヤの王セナケリブが攻めてきたことが書いてあります。
イザヤをはじめとする預言者の預言に聞かない国のリーダー達は、ついに自らの国に滅びをもたらしてしまうのです。

私たちは、そこから何を学ぶでしょう。
へりくだり主に従う。これ以上のことはありません。
そのためにも、聖書を読みましょう。

新約聖書はガラテヤ人への手紙。
その5章を開いて参りましょう。
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【 聖書箇所 】ガラテヤ人への手紙5章13-26節
・新改訳Up339(贈呈p295、英対p565)
・新改訳Vp370、英対p412(贈呈p337)
・口語訳p299
・新共同訳p349(贈呈p349、英対p525)
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聖書の朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ガラテヤ人への手紙5章13-26節
5:13 兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
5:14 律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。
5:15 もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。
5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
5:17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
5:18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
5:24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
5:25 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。
5:26 互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
ガラテヤ人への手紙 5章13節
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では、このところから
「愛をもって互いに仕えなさい」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

今回の聖書の箇所は、13章からですが、その一節を見てみましょう。
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キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。
ガラテヤ人への手紙5章1節
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ここで、束縛を与えるためではなく、自由を得させるためにと書いてあります。

ここで、自由について考えてみたいと思います。

自由というと何でも面白おかしく好き勝手に出来ることだと考えている人がいます。
しかし、それは本当に自由でしょうか。

旧約聖書の中に、サウルという王様が出てきます。
彼は、王様でしたから何でも自由でした。
サウル王は、一人の羊飼いの少年を気に入り、自分の道具持ちにします。
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21 ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。サウルは彼を非常に愛し、ダビデはサウルの道具持ちとなった。
22 サウルはエッサイのところに人をやり、「どうか、ダビデを私に仕えさせてください。私の気に入ったから。」と言わせた。
23 神からの悪い霊がサウルに臨むたびに、ダビデは立琴を手に取って、ひき、サウルは元気を回復して、良くなり、悪い霊は彼から離れた。
サムエル記第一16章21-23節
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それが、ダビデです。
ダビデは、神様に祝福された人でした。
それで、どこに行っても勝利を収めました。
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5 ダビデは、どこでもサウルが遣わす所に出て行って、勝利を収めたので、サウルは彼を戦士たちの長とした。このことは、すべての民にも、サウルの家来たちにも喜ばれた。
6 ダビデがあのペリシテ人を打って帰って来たとき、みなが戻ったが、女たちはイスラエルのすべての町々から出て来て、タンバリン、喜びの歌、三弦の琴をもって、歌い、喜び踊りながら、サウル王を迎えた。
サムエル記第一 18章5-6節
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ところが、この凱旋の中で、女達がこう歌いました。
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6 ダビデがあのペリシテ人を打って帰って来たとき、みなが戻ったが、女たちはイスラエルのすべての町々から出て来て、タンバリン、喜びの歌、三弦の琴をもって、歌い、喜び踊りながら、サウル王を迎えた。
7 女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」
サムエル記第一18章6-7節
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この結果、サウルは大変怒りました。
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8 サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」
9 その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。
10 その翌日、神からの悪い霊がサウルに激しく下り、彼は家の中で狂いわめいた。ダビデは、いつものように、琴を手にしてひいたが、サウルの手には槍があった。
11 サウルはその槍を投げつけた。ダビデを壁に突き刺してやろう、と思ったからである。しかしダビデは二度も身をかわした。
サムエル記第一 18章8-10節
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神様の選びと祝福によって王となったサウルでしたが、いま、主はサウルの元を離れ、ダビデと共におられました。
そのため、さらにサウルはダビデを恐れたのです。
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サウルはダビデを恐れた。主はダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからである。
サムエル記第一 18章12節
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サウルは様々な策をめぐらせて、ダビデを殺そうとします。
しかし、主が時には不思議な方法で、時には周りの人を用いてダビデを守られました。

サウルは、怒りにまかせて、国中を追い回して、ダビデを見つけて殺そうとしたのです。
たった、ダビデ一人の為に、3000人の精鋭を用い、自らダビデを追い回したのです。
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1 サウルがペリシテ人討伐から帰って来たとき、ダビデが今、エン・ゲディの荒野にいるということが知らされた。
2 そこでサウルは、イスラエル全体から三千人の精鋭をえり抜いて、エエリムの岩の東に、ダビデとその部下を捜しに出かけた。
サムエル記第一 24章1-2節
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ダビデは本当に敵だったでしょうか。
そうではありません。
敵はいつも攻めてくるペリシテ人たちでした。
ダビデは、イスラエルを助け、サウルを助ける将軍でした。
ところがいまや、ダビデに対して正気をうしなったために、本来なら、いつ攻め寄せるかわからないペリシテ人を警戒していなければならないのに、もともと自分の部下であったダビデ、自分を裏切ったので無いダビ
デを追い回したのです。

彼は、権力を持っていました。国中動かし、イスラエルの精鋭3000人を率いることの出来る力と権威を持っていました。
しかし、彼は、自分の心を、怒りに燃える自分の心を動かすことが出来ませんでした。

かれは、怒りによって束縛されていたのです。

サウルは、自分は王だから勝手にやっているのだというかもしれません。
サウルは自由にやっているように見えるかも知れません。
しかし、彼は自由ではありません。

彼はダビデに対する怒りという自分の感情に束縛され振り回されていたのです。

アルコール中毒の方などは、自分の自由で飲んでいるのだといいます。
麻薬などという恐ろしいものを例に出すまでもなく、さまざまな依存症、ゲームやギャンブル。
どれも、その本人は、俺の自由だといいます。

しかし、彼は、本当に自由でしょうか。
彼は、自分のやりたくてもやりたくなくてもやめることが出来ません。

私が20歳の頃、肝炎の為、お酒をやめなければならないのに、やめれなかったとき、私は言いました。
自分は好きでやっているのだ。
でも、やめることが出来ないという事を知っていました。
本当はやめたほうがいいのはわかっているけど、やめることが出来ない。
それで、好きでやってる。何か言われると面白くないから、おれの自由だほって置いてくれと言いました。
なんとかやめたいでも、やめれないという内側の戦い葛藤苦しみ。
しかし、そんなとき、会社にいる人が阿蘇聖会にさそってくれたのです。
そこにいけたのは本当に神様の導きだったと思います。
その集会で、主は私に、「もういいよ」と語りかけてくださいました。

私は、自分の中にあった戦いが終わったことを感じました。
不思議でしたが、その次の日から、私はまったくアルコールをほしいと思わなくなりました。
一日に40本吸っていたタバコも同時にいらなくなりました。

主が私に自由を与えてくださったのです。
++++++++++
キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。
ガラテヤ人への手紙5章1節
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キリストが自由を与えてくださいました。
それが、救いでした。
それは、自分からではなく神からの賜物だと聖書はいいます。
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あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エペソ人への手紙2章8節
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このことに関して、私には、なんの努力もありませんでした。

お酒やタバコに対するまったくの自由を主は与えてくださったのです。
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キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。
ガラテヤ人への手紙5章1節
++++++++++
そのあと、またと奴隷のくびきを負わせられないようにと書いてあります。

簡単に言うと、自分から、また、その罪に戻ることのないように、ということです。
しかし、その罪を離れる事の出来るのは、自分の力ではありません。
だから、ちょうど、ガラテヤ人への手紙5章にこうかいてあります。
++++++++++
4 律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。
5 私たちは、信仰により、御霊によって、義をいただく望みを熱心に抱いているのです。
ガラテヤ人への手紙5章4-5節
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義をいただく望み、正しく生きようとすることそれもまた、信仰によるのです。

今日、洗礼式があります。
その洗礼について、ペテロがこのように言っています。
新改訳と新共同約の両方で見てみましょう。
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そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。
ペテロの手紙第一3章21節

この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。
ペテロの手紙第一3章21節(新共同訳聖書)
++++++++++
この洗礼は、体の汚れを取るものではありません。
木津川は泳げるほどで綺麗ですが、帰ってからシャワーを浴びたほうがいいとは思います。

しかし、そういう事ではなく、洗礼は、新改訳では、正しい良心の神への誓いと書いてあります。
もう一方で、新共同約は、洗礼は肉の汚れを除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。
と、書かれています。
私たちの心そのものが、汚れてしまっている。

ここを見ると、良心が正しい状態ではなくなっている。
その良心が、正しくなるように願い求めるのだと聖書はいいます。

私たちが、自分の力で自分の良心を正しくすることは出来ないから、信仰によって誓いを立てる、また、正しい良心を願い求める。
それを公に示すのが洗礼です。

それは、これから正しい歩みをします。という宣言であり、正しく歩ませて下さいと言う祈りでもあるのです。

主はその祈りに答えてくださいます。
それは、主が、私たちを解放して下さったからです。
もう一度見ますが、こう書いてあります。
++++++++++
キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。
ガラテヤ人への手紙5章1節
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キリストによって私たちは自由です。

では、その自由をどう用いるのか。
自由ですから、もちろん、ゲームをしようが、ギャンブルをしようが、お酒を飲もうが自由です。
しかし、聖書はいいます。
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兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
ガラテヤ人への手紙5章13節
++++++++++

自由を肉のため、自分の欲望の為に使うのではなく、愛の為に使いなさいというのです。
この愛は、男女の愛ではありません。
人を大切にするという愛。
それは、キリストが私たちを愛してくださった愛です。

イエス様は友の為に死ぬ以上の愛は無いといわれます。
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人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
ヨハネの福音書15章13節
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イエス様は十字架でその愛を示してくださいました。

そして、その愛は、律法を成就します。
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律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。
ガラテヤ人への手紙5章14節
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そして、父なる神様も、
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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これは、自分のもっとも大切なものを差し出すという愛です。

そのような愛によって私たちは救われ、生かされているのです。

では、私たちが、自分の欲望を離れ、そのように互いに愛し合うために必要なのは何でしょう。
それは、神の御霊、聖霊様によって歩むことです。
++++++++++
17 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
18 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
ガラテヤ人への手紙5章17-18節
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では、肉によって歩むと私たちはどうなるのでしょうか。
++++++++++
19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
ガラテヤ人への手紙5章19-21節
++++++++++
パウロは、このような罪を行っているもの、行い続けるものが、神の国を相続することはないといいます。

この肉に対し、霊の実、神の霊、御霊、聖霊様の実は、何でしょう。
++++++++++
22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
ガラテヤ人への手紙5章22-23節
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そして、キリストにつくものは、御霊によって、自分の肉を情欲や欲望とともに十字架につけてしまったと書いてあります。
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キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
ガラテヤ人への手紙5章24節
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それは、キリストと共に死んだという事です。

今日は洗礼式がありますが、それは、キリストと共に死んだこと、キリストと共に生きることを示す儀式です。
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 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするた
めです。
ローマ人への手紙6章4節
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また、今日は聖餐式もありますが、それは、キリストの御体と血潮を頂き、キリストにつながることを意味します。
どちらも、私たちが、キリストと共に生きることを示しています。
皆さん。私たちが罪を犯しているなら罪の奴隷です。
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34 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。
35 奴隷はいつまでも家にいるのではありません。しかし、息子はいつまでもいます。
36 ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。
ヨハネの福音書8章34-36節
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しかし、キリストにつながるとき主が私たちを本当に自由にしてくださるのです。

お祈りしましょう。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20111002  愛をもって互いに仕えなさい
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