礼拝でのお話
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作成日9/25
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ワーシップ
メッセージ
メッセージの音声ファイルは、原稿と若干違う場合があります。




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シティーチャーチ
メッセージ20110925  
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私は自分の弱さを誇ります 
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちの内におられ、私たちを強くし、導いて下さる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、いつものように、東日本の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。日本中が放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。これ以上災害がおこらないように。
3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、続いて、聖書の通読箇所を開きましょう。
今週の通読箇所は、旧約聖書が、雅歌が終わり、イザヤ書。
新約聖書がコリント人への手紙第二からガラテヤ人への手紙です。
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9月25日(日)[ ]雅歌5-8 /[ ]Uコリ9
9月26日(月)[ ]イザ1-2 /[ ]Uコリ10
9月27日(火)[ ]イザ3-5 /[ ]Uコリ11
9月28日(水)[ ]イザ6-8 /[ ]Uコリ12
9月29日(木)[ ]イザ9-10 /[ ]Uコリ13
9月30日(金)[ ]イザ11-14 /[ ]ガラ1
10月1日(土)[ ]イザ15-18 /[ ]ガラ2
10月2日(日)[ ]イザ19-21 /[ ]ガラ3
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イザヤ書は、聖書の中の聖書といわれるところです。
丁度聖書の真ん中あたりに位置し、また、聖書新旧で66巻と同じ66の章を持ちます。
そして、その中にはイエス様についての預言があちらこちらに書かれています。
是非皆さんお読み下さい。
また、新約聖書は、コリント人への手紙から、ガラテヤ人への手紙、このガラテヤ人への手紙は、信仰について教えてくれる大切な書です。
そのまえに、今日はコリント人への手紙の第二を開きましょう。

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【 聖書箇所 】コリント人への手紙第二 11章1-15、29-30節
・新改訳Up326(贈呈p286、英対p546)
・新改訳Vp358、英対p398(贈呈p326)
・口語訳p288
・新共同訳p337(贈呈p337、英対p508)
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皆さん。
聖書を開いて下さい。

では、朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
コリント人への手紙第二 11章1-15、29-30節
11:1 私の少しばかりの愚かさをこらえていただきたいと思います。いや、あなたがたはこらえているのです。
11:2 というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。
11:3 しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。
11:4 というわけは、ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいはあなたがたが、前に受けたことのない異なった霊を受けたり、受け入れたことのない異なった福音を受けたりする
ときも、あなたがたはみごとにこらえているからです。
11:5 私は自分をあの大使徒たちに少しでも劣っているとは思いません。
11:6 たとい、話は巧みでないにしても、知識についてはそうではありません。私たちは、すべての点で、いろいろなばあいに、そのことをあなたがたに示して来ました。
11:7 それとも、あなたがたを高めるために、自分を低くして報酬を受けずに神の福音をあなたがたに宣べ伝えたことが、私の罪だったのでしょうか。
11:8 私は他の諸教会から奪い取って、あなたがたに仕えるための給料を得たのです。
11:9 あなたがたのところにいて困窮していたときも、私はだれにも負担をかけませんでした。マケドニヤから来た兄弟たちが、私の欠乏を十分に補ってくれたのです。私は、万事につけあなたがたの重荷にならな
いようにしましたし、今後もそうするつもりです。
11:10 私にあるキリストの真実にかけて言います。アカヤ地方で私のこの誇りが封じられることは決してありません。
11:11 なぜでしょう。私があなたがたを愛していないからでしょうか。神はご存じです。
11:12 しかし、私は、今していることを今後も、し続けるつもりです。それは、私たちと同じように誇るところがあるとみなされる機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切ってしまうためです。
11:13 こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。
11:14 しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。
11:15 ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。

11:29 だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。
11:30 もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。
++++++++++

では、主題聖句を言いましょう。
++++++++++
【 主題聖句 】
しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。
コリント人への手紙第二 11章14節
++++++++++
では、このところから、
「私は自分の弱さを誇ります」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

さて、今回の箇所は、非常に重要なところです。

私たち、キリスト信仰とはいったい何を目指しているのか、その答えを教えてくれるところです。

11章の2節でパウロはこういっています。
++++++++++
1 私の少しばかりの愚かさをこらえていただきたいと思います。いや、あなたがたはこらえているのです。
2 というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。
コリント人への手紙第二11章1-2節
++++++++++
私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。

パウロは、熱心にコリントの人々の事を思い、キリストに花嫁として捧げることにしたといっています。
教会にいると、教会はキリストの花嫁であるという事をよく耳にします。

聖歌201にキリスト・イェスを基(もとい)として という聖歌があります。
私は、好きな聖歌ですが、良く見ると、この箇所とあわせて考えるに、少し問題があります。
それは、一番の歌詞にこう書いてあるからです。
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@キリストイェスをもといとして 
  打ち立てられし御教会は 
  君が血をもて  買い給いし 
  花嫁たちの  集まりなり
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ここには、花嫁達と書いてあります。
しかし、パウロの言う花嫁、キリストの花嫁は、花嫁達ではなく、一人なのです。

例えば女性が召天したとして、あの人はキリストの花嫁になるのだとか、キリストと結婚するのだというような、そういう事が言われる場合があります。
しかし、パウロがここで言っているのはそういう事ではありません。
また、聖書を通して聖霊様が語られるのもそういう事ではありません。
この花嫁は、一人なのです。
ですから、私たち教会は、花嫁達の集まりではなく、私たち信じるものの集まりがキリストの花嫁なのです。

ですから、黙示録にはこう書いてあります。
++++++++++
7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。
8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」
黙示録19章7-8節
++++++++++
ここに、小羊と書いてあるのはイエス様の事です。
イエス様は、十字架で血を流して、私たちの救いをなして下さった小羊です。
++++++++++
傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
ペテロの手紙第一1章19節
++++++++++
その小羊キリストが結婚する。
それが、この箇所です。
ここで、花嫁は用意が出来たと書いてあります。その花嫁の身に着けているのは、麻布ですが、それは、聖徒たちの正しい行いによって出来ています。
++++++++++
7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。
8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」
黙示録19章7-8節
++++++++++
すべてのイエス様を信じる者、全てのクリスチャンの良い行いが、一人の花嫁を飾るのです。
ですから、この花嫁は、一人一人の信者ではなく、全ての信者の集まりなのです。

聖書のなかには、こう書いてあるところがあります。
++++++++++
教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。
エペソ人への手紙1章23節
++++++++++
こんどは、キリストのからだと書いてあります。

そして、同じエペソ人への手紙にこうかいてあります。
++++++++++
私たちはキリストのからだの部分だからです。
エペソ人への手紙5章30節
++++++++++
わたしたちは、キリストのからだの部分であり、そして、教会は、キリストのからだです。
それは、単に、一つの教会ではなく、歴史上の全ての教会、この世にある全ての教会、その集まりがここで言っている教会です。
そして、その教会がキリストのからだなのです。

パウロはこうも言います。
++++++++++
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の
御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ人への手紙2章20節
++++++++++
皆さん。いま、私たちの内にキリストが生きておられます。

しかし、私たちは、キリストにあって一つとされて、内におられるキリストをあらわすのです。
それが、キリストの体です。

そして、このキリストのからだについても、エペソ人への手紙にはこうかいてあります。
++++++++++
それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
エペソ人への手紙4章12節
++++++++++
キリストの身体は聖徒たちの奉仕の働きによって建て上げられるのです。

この箇所の前後はこうなっています。
この箇所は、5役者から始まります。
教会には、この5本の指のように、5種類の働き人が立てられます。二本の指ではつかみにくいですが、教会は、5本の指によってしっかりと支えられ建て上げられるのです。
それぞれが、キリストのからだを建て上げるための働き人です。
そして、教会を立て上げるのですが、それは、建物のことではありません。
++++++++++
11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
14 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、
15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるので
す。
エペソ人への手紙4章11-16節
++++++++++
聖徒たちが、完全に大人になり、キリストのからだ全体が、しっかりと組み合わされ、愛の内に建てられる事なのです。

しかし皆さん。これは、人間的な働きによって出来ることではありません。
人の考えや、組織力で出来ることではありません。
なぜなら、これは神の命そのものの現れだからです。
ですから、このことについて、人は何も出来ません。
では、どうすればいいですか?

イエス様は言われました。
++++++++++
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
++++++++++
私たちが実を結ぶために必要なのは、イエス様にとどまることです。
イエス様としっかりと結びついていることです。
ではどうやって結びつくのですか?
それは信仰です。
わたしたちは、信仰によってイエス様に結びつくのです。
では、その信仰は、何からはじまりますか?

++++++++++
そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
ローマ人への手紙10章17節
++++++++++
それは、ただ、キリストについての神の言葉を聞くことから始まります。
そして、さらに御言葉を聞き、祈ることで、信仰は強くされます。

ですから、祈りと御言葉は後回しにしてはなりません。
祈りと御言葉によって、あなたはあなたの人生にキリストの命を受けるのです。

御言葉と祈りについて勘違いしてはならない事が二つあります。
一つは、御言葉の通り行えば祝福されると考える事。祝福を得るために、御言葉を行おうとすることです。
それは、行いによって祝福されようとすること、行いによって義とされようとすることです。
しかし、イエス様を信じた私たちは、すでに信仰によって義とされているのです。
義とされているということは、祝福の中にあるという事です。
わたしたちは、義とされ、神の子であるがゆえに、御言葉を行うのです。

また、もう一つの間違いは、聖書を読み祈るなら、何かご利益があると考えることです。
確かに、結果はあらわれるでしょう。
しかし、それは、ご利益ではありません。
御言葉と祈りにより、キリストの命に触れるから、あなたの霊が成長し、信仰が成長して、神様の祝福を受け取るようになるのです。

神様から良いものを受け取るのはただ信仰だけなのです。
神様を喜ばせることの出来るのも信仰だけです。
++++++++++
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
ヘブル人への手紙11章6節
++++++++++
だから、私たちは、信じているから祈るのです。

そして、それは、天に神様がすでに用意しておられる祝福を受け取るためのものなのです。

さて、花嫁の話をもう少しだけしたいと思います。
パウロは、キリストと教会をさしていっているといいました。

エペソ人への手紙からもう少し引用しますが、
++++++++++
22 妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
23 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
24 教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
27 ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
28 そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。
29 だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。
30 私たちはキリストのからだの部分だからです。
31 「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」
32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。
エペソ人への手紙5章22-32節
++++++++++
妻達よ、からはじまりますが、ここで、長いので後半を見ます。
++++++++++
22 妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
23 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
30 私たちはキリストのからだの部分だからです。
31 「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」
32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。
エペソ人への手紙5章22-23、30-32節
++++++++++
この中で、妻たちよ、夫に従いなさいとあります。
しかし、ここで、妻と夫の関係が教会とキリストの関係と重ねてあることからすると、ここで、教会はキリストに従わなければならないという事を知ることが出来ます。

そして、人は父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。と書いてありますが、パウロはこれを奥義だといいます。
この言葉はどこに書かれているのですか?
それは、創世記です。
++++++++++
21 そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。
22 こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。
23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
25 そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。
創世記2章21-25節
++++++++++
ここで、アダムは、妻エバを得ました。
このアダムと妻の関係、それは、助けでであり、一つでした。
しかし、彼らはどうなりましたか?
エバが蛇の姿をした悪魔に誘惑され、そしてアダムも誘惑され、堕落したのです。

この堕落は、なにですか?
悪魔は何をいいましたか?

まず神様が何をいわれたか見ましょう。
++++++++++
16 神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
創世記2章16-17節
++++++++++
これに対して、悪魔はなんといいましたか?
++++++++++
そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
創世記3章4節
++++++++++
これだけです。
これが、問題なのです。

神様は死ぬといわれました。
悪魔は死なないといいました。

さて、あなたはどちらを信じますか?

神様を信じるなら、あなたは善悪の知識の木の実を食べますか?
アダムとエバが食べたのはなぜですか?
それは、悪魔を信じたからです。

神様に対しては不信仰の罪をおかし、悪魔を信じたのです。
これが、罪です。

原罪といいます。それはなんですか?
それは、神を信じないことです。

その結果、最初のアダムは神様から離れました。
そして、死にました。

しかし、最後のアダムとしてこられた方は、完全に神様に従われたまことの花婿です。

実は、聖書には、花婿についてのほうが沢山書かれています。
花婿が来る。これが、新約聖書の中の大切なことです。花婿それは、イエス様です。
この方は、神様から離れた全人類を神様の下へ戻す花婿としてこられるのです。

皆さん。食べたら死ぬというそのことを、アダムは、神様から聞いて知っていました。
エバは、神様から直接聞いていなかったかもしれません。
しかし、アダムから聞いていたのです。
でも、エバは、その言葉に従いませんでした。
神の言葉は彼女にとっていい加減だったのです。

皆さん。私たちは真剣に神の言葉を聴かなければなりません。

聖書ははっきりといいます。
++++++++++
御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
ヨハネの福音書3章18節
++++++++++
皆さん。わたしたちは、後のアダムとしてこられた方、キリストにしっかりと結びつかなければなりません。

ここで、パウロがこのことを奥義だと言った事を思い出してください。
男と女は一つとなる。これが奥義です。
これは、創世記に書かれている神様の定めです。
神様は、神様から離れた全人類を取り戻すのにこの法則を使われたのです。
堕落より先に定められていたこのことを用いて、キリストと、教会が、黙示録にかかれているように、一つとなるとき、神様は、失われた人類を取り戻されるのです。
これは、歴史のはじめからある神様のご計画なのです。
創世記のはじめに書かれている奥義、それが実現するのはいつですか。
それは、黙示録の花婿と花嫁の結婚です。

それは、神の前から失われた人類が神様のもとへ取り戻されるということなのです。
だからこの奥義は偉大なのです。これが神様の救いのご計画です。
わたしたちは、その神様の壮大なご計画の中に生かされているのです。

ですから、そのことが、今回の聖書箇所のここに書かれています。
++++++++++
しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。
というわけは、ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいはあなたがたが、前に受けたことのない異なった霊を受けたり、受け入れたことのない異なった福音を受けたりするときも、
あなたがたはみごとにこらえているからです。
コリント人への手紙第二11章3-4節
++++++++++
しかし、全てはキリストとのかかわりなのです。
良いといわれるものでも、不思議な霊的な力が働いていることがあります。
それらが、キリストを告白しないなら聖霊様ではありません。するとそれは、悪霊かもしれないということです。
私たちは注意しなければなりません。

さまざまな偽りの教師があらわれるかも知れません。
そして、サタンさえ、光の御使いに偽装して現れます。
++++++++++
12 しかし、私は、今していることを今後も、し続けるつもりです。それは、私たちと同じように誇るところがあるとみなされる機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切ってしまうためです。
13 こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。
14 しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。
15 ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。
コリント人への手紙第二 11章12-15節
++++++++++
人の立派さや、強さ、それらを示そうとするのは何ですか?
創世記を見ます。
++++++++++
あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
創世記3章5節
++++++++++
皆さん。
私たちが、私たち自身を誇りとするなら、それが何を意味するかわかるでしょうか。
パウロはいいます。
++++++++++
もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。
コリント人への手紙第二 11章30節
++++++++++
格好いい言葉だと思う方もあるかも知れません。
彼は、大変困難な所を通りました。キリストの為に死ぬほどの目にあったのです。
なのに、彼はそのことを言いません。
それは、彼が我慢強いから。そうでしょうか。
彼が通った困難なところ、そのとき、主は、共にいて下さったのです。
++++++++++
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の
御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ人への手紙2章20節
++++++++++
ですから、パウロはそれらを誇ることが出来ません。
私も21でイエス様を信じてから、いろんな事がありました。
私にとって、投げ出したいようなこともありました。
しかし、いつも主が励まし導いて下さる。落ちそうだと思うときすでに踏み台が用意してあるようなそんなこともありました。
だから、私も誇ることが出来ません。そして、言います。キリストイエスが私の内に生きておられるのです。
パウロも、そのキリストを体験したからこそ、自分の弱さを誇りますというのです。

また、こうも書いてあります。
++++++++++
だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。
ガラテヤ人への手紙6章3節
++++++++++
天地を創られた神様。神様の偉大さの前で、私たちはその立派さを誇ることなど出来ません。
では、私たちの誇りは何か。
++++++++++
それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行ないの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。
ローマ人への手紙3章27節
++++++++++
ですから、私たちは、神の前で何も誇ることは出来ません。
ただ、神様を信じ、しっかりと神様に結びついていくことだけです。
それは、ただ、神様の栄光が表されることなのです。

皆さん。私たちの内に、キリストが生きておられます。
このキリストの栄光をあらわすこと。
それは、神の栄光をあらわすことです。
そして、それによって御名があがめられること。
それこそが、神様が私たちを造られた目的です。

主の御名があがめられますように。
お祈りしましょう。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20110925  私は自分の弱さを誇ります
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