礼拝でのお話
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作成日9/18
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ワーシップ
メッセージ
メッセージの音声ファイルは、原稿と若干違う場合があります。



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シティーチャーチ
メッセージ20110918
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私は信じた。それゆえに語った。 
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちに御言葉を与え、信仰を与えて導いて下さるかたです。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

では、いつものように、東日本の為に祈りましょう。
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<東日本大震災の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
(・石巻市立湊小学校・女川町立女川第二小学校・石巻市立渡波小学校・南三陸町立志津川小学校)
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続いて、聖書の通読箇所を見て見ましょう。
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9月18日(日)[ ]箴言22-24 /[ ]Uコリ2
9月19日(月)[ ]箴言25-28 /[ ]Uコリ3
9月20日(火)[ ]箴言29-31 /[ ]Uコリ4
9月21日(水)[ ]伝1-3 /[ ]Uコリ5
9月22日(木)[ ]伝4-7 /[ ]Uコリ6
9月23日(金)[ ]伝8-12 /[ ]Uコリ7
9月24日(土)[ ]雅歌1-4 /[ ]Uコリ8
9月25日(日)[ ]雅歌5-8 /[ ]Uコリ9
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旧約聖書が箴言から伝道者の書。そして、雅歌とつづきます。
伝道者の書は、コヘレトの言葉とも言われます。
言語では、ダビデの子コヘレトと書かれています。
これは、内容からすると、ソロモンの作です。
ソロモンが語るこの言葉
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空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。
伝道者の書1章2節
++++++++++
これは、非常に印象深い言葉です。
私たち大阪に住むものとしてゆかりの深い豊臣秀吉もその辞世の句は、
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢 」。
であったといわれます。
自分の人生が、農民から天下を取った出世頭で、晩年なんでも自分の好き事が出来た秀吉ですが、自分の人生が露のよう、夢のようだといいます。

伝道者は、さらにいいます。

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結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。
伝道者の書12章13節
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皆さん。もし、私たちが、神様を離れて歩もうとするなら、どんなに一生懸命がんばっても、どんな実績を築いても、すべては空しいのです。
だから私たちは、しっかりと主に結びついて歩まなければなりません。

これに続く雅歌は、恋愛歌の姿をとっています。しかし、この歌から、私たちは、神様と私たちの関係を知ることが出来ます。
これらのところを皆さん是非お読み下さい。

また、新約聖書は、コリント人への手紙第二こちらは、御話の中で見て参りましょう。
では、本日の聖書箇所を開きましょう。
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【 聖書箇所 】コリント人への手紙第二 4章1-18節
・新改訳Up318(贈呈p279、英対p533)
・新改訳Vp349、英対p388(贈呈p318)
・口語訳p281
・新共同訳p329 (贈呈p329、英対p496)
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では、聖書の朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
コリント人への手紙第二 4章1-18節
4:1 こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、
4:2 恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。
4:3 それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。
4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
4:5 私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。
4:6 「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。
4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
4:13 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。
4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。
4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。
4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
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では、主題聖句を言いましょう。

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【 主題聖句 】
「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。
コリント人への手紙第二 4章13節
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では、このところから「私は信じた。それゆえに語った。」と、題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

さて、今回のところ、このコリント人への手紙第二ですが、その書かれた目的から見てまいりたいと思います。
この手紙の書き出しで、パウロは、こうかいています。
++++++++++
3 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。
コリント人への手紙第二1章3-5節
++++++++++
何回慰めと書いてあるでしょうか。慰め、慰め、慰め、この3節だけで5回です。

パウロは、この手紙で誰かを慰めようとしています。
++++++++++
2 もし私があなたがたを悲しませているのなら、私が悲しませているその人以外に、だれが私を喜ばせてくれるでしょうか。
3 あのような手紙を書いたのは、私が行くときには、私に喜びを与えてくれるはずの人たちから悲しみを与えられたくないからでした。それは、私の喜びがあなたがたすべての喜びであることを、あなたがたすべて
について確信しているからです。
4 私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいか
らでした。
5 もしある人が悲しみのもとになったとすれば、その人は、私を悲しませたというよりも、ある程度――というのは言い過ぎにならないためですが、――あなたがた全部を悲しませたのです。
6 その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから、
7 あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。
コリント人への手紙第二 2章2-7節
++++++++++
それは、前の手紙を受け取って、そのために悲しんでいる人たちです。
前の手紙、それは、コリント人への手紙第一です。
その手紙は、教会に起こった争いと分裂をやめさせ、また、不信仰を悔い改めさせる為のものでした。

コリント人への手紙第一を見ると、こうも書いてあります。
++++++++++
私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっ
しょに食事をしてもいけない、ということです。
コリント人への手紙第一5章11節
++++++++++
そのようなものとは、つきあってはいけない、一緒に食事してもいけないというのですから、非常に厳しい言葉です。
厳しいといえば、コリント人への手紙第一の結びはこうです。
++++++++++
21 パウロが、自分の手であいさつを書きます。
22 主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。
23 主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。
24 私の愛は、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべての者とともにあります。アーメン。
コリント人への手紙第一16章21-24節
++++++++++
これも、主を愛さないものは誰でものろわれよと、先に兄弟と呼ばれるもので、つきあってはいけないといっていたことからつなげると、これまたかなり厳しい言葉です。

しかし、ここに、パウロの主に対する情熱、熱心さ、愛、そして、教会をなんとか守ろうとする思いが伺えます。
またパウロは、主の前で、けっしていい加減に振舞うことは出来なかったのです。

この厳しい手紙を読んで、ある人達は、悲しみ、そして、悔い改めました。
それで、パウロは今回のように次の手紙を書いたのです。
++++++++++
2 もし私があなたがたを悲しませているのなら、私が悲しませているその人以外に、だれが私を喜ばせてくれるでしょうか。
3 あのような手紙を書いたのは、私が行くときには、私に喜びを与えてくれるはずの人たちから悲しみを与えられたくないからでした。それは、私の喜びがあなたがたすべての喜びであることを、あなたがたすべて
について確信しているからです。
4 私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいか
らでした。
5 もしある人が悲しみのもとになったとすれば、その人は、私を悲しませたというよりも、ある程度――というのは言い過ぎにならないためですが、――あなたがた全部を悲しませたのです。
6 その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから、
7 あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。
コリント人への手紙第二 2章2-7節
++++++++++
この文面から見ると、その悲しみのもとになった人は、処罰も受け十分悔い改めたのです。
だから、その人を赦し、慰めてあげなさいといいます。

さらにパウロはいいます。
++++++++++
8 そこで私は、その人に対する愛を確認することを、あなたがたに勧めます。
9 私が手紙を書いたのは、あなたがたがすべてのことにおいて従順であるかどうかをためすためであったのです。
10 もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
11 これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。
コリント人への手紙第二 2章8-11節
++++++++++
このサタンの策略とは、赦さないこと、和解しないこと、争うことです。

そうすると、私たちがサタンの策略に打ち勝つためには、赦すこと、和解すること、平和を保つことです。
その究極は、人間と神様との和解です。

その和解、なかなおりの為に、イエス様は十字架に架かって死んで下さったのです。
和解については、旧約聖書に和解の捧げものの規定があり、細かく定められています。
++++++++++
これは、全焼のいけにえ、穀物のささげ物、罪のためのいけにえ、罪過のためのいけにえ、任職と和解のいけにえについてのおしえである。
レビ記7章37節
++++++++++
レビ記7章にはこのように書かれており、さまざまないけにえがあったのだとわかります。

例えば、罪過のためのいけにえは、このように書かれています。
++++++++++
1 罪過のためのいけにえのおしえは次のとおりである。これは、最も聖なるものである。
2 罪過のためのいけにえは、全焼のいけにえをほふる場所で、ほふらなければならない。 そして、その血を祭壇の回りに注ぎかけなければならない。
3 それから取った脂肪を全部、すなわち、あぶら尾と内臓をおおう脂肪、
4 二つの腎臓と、それについていて腰のあたりにある脂肪、さらに腎臓といっしょに取り除いた肝臓の上の小葉とをささげなければならない。
5 祭司は、それらを祭壇の上で主への火によるささげ物として、焼いて煙にしなさい。これは罪過のためのいけにえである。
レビ記7章1−5節
++++++++++
これは、罪の為のいけにえです。
いま、私たちは、罪の為のいけにえを捧げることはありません。
ヘブル人への手紙にこうかいてあります。
++++++++++
11 しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、
12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
13 もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、
14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。
ヘブル人への手紙9章11-14節
++++++++++
イエス様が、私たちの罪の為のいけにえとなって下さったのです。

ローマ人への手紙の中にも、こうかいてあります。
++++++++++
10 なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。
11 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
ローマ人への手紙6章10-11節
++++++++++
イエス様は、ただ一度死んで贖いをなしとげられました。

ここで、キリストは、ただ一度、罪に対してしなれ、神に対して生きておられると書いてあります。
イエス様は、私たちの為に十字架で死んで蘇られました。
それと同じように信じるあなたも、罪に対して死んだもの、神に対してキリスト・イエスにあって生きた者です。
私たちの行う洗礼式はそのことを表しています。

お話をもどしましょう。
和解のささげものでした。
レビ記の3章にはこう書いてあります。
++++++++++
1 もしそのささげ物が和解のいけにえの場合、牛をささげようとするなら、雄でも雌でも傷のないものを主の前にささげなければならない。
2 その人はささげ物の頭の上に手を置き、会見の天幕の入口の所で、これをほふりなさい。そして、祭司であるアロンの子らは祭壇の回りにその血を注ぎかけなさい。
3 次に、その人は和解のいけにえのうちから、主への火によるささげ物として、その内臓をおおう脂肪と、内臓についている脂肪全部、
4 二つの腎臓と、それについていて腰のあたりにある脂肪、さらに腎臓といっしょに取り除いた肝臓の上の小葉とをささげなさい。
5 そこで、アロンの子らは、これを祭壇の上で、火の上のたきぎの上にある全焼のいけにえに載せて、焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。
レビ記3章1−4節
++++++++++
ここに、なだめのかおりの火による捧げ物と書いてあります。
それは、主をなだめるために捧げられたのです。

また、7章にはこう書いてあります。
++++++++++
11 主にささげる和解のいけにえのおしえは次のとおりである。
12 もし、それを感謝のためにささげるのなら、感謝のいけにえに添えて、油を混ぜた種を入れない輪型のパンと、油を塗った種を入れないせんべい、さらに油を混ぜてよくこねた小麦粉の輪型のパンをささげなけ
ればならない。
13 なお和解のための感謝のいけにえに添えて、種を入れた輪型のパンをささげなさい。
14 そのうちから、おのおののささげ物の一つを取って、主への奉納物として、ささげなければならない。これは、和解のいけにえの血を注ぎかける祭司のものとなる。
15 和解のための感謝のいけにえの肉は、それがささげられるその日に食べ、そのうちの少しでも朝まで残しておいてはならない。
16 もしそのささげ物のいけにえが、誓願あるいは進んでささげるささげ物であるなら、彼がそのいけにえをささげる日に食べなければならない。残った余りを、翌日食べてもさしつかえない。
レビ記7章11-16節
++++++++++
この一番最後のほうを見ると、請願や進んでささげる捧げ物は残った余りを翌日食べてもさしつかえないとあります。
ささげものによってその扱いは違うのです。

そして、罪のいけにえや和解のいけにえが、請願や進んで捧げる捧げ物とは扱いの違うことがわかります。

罪のいけにえや和解のいけにえは、人と神との和解のための大切なささげものです。
そして、それは、傷のないものであり、主をなだめるためのものです。
しかし、いま、私たちは、そのような捧げ物を捧げません。

なぜですか? それは、イエス様がすでにほふられたから。
イエス様がすでに私たちの為に死んで下さったからです。
++++++++++
新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。
コリント人への手紙第一 5章7節
++++++++++
イエス様は、死んでくださいました。

過ぎ越しの小羊として、罪の為のいけにえとして、和解の為のいけにえとして、死んで下さったのです。
ですから、いま、私たちの捧げ物は、十分の一の捧げ物、感謝の捧げ物、請願の捧げ物、進んで捧げる捧げ物です。

しかし、どのような捧げ物も、また、どのような施しも主はいわれます。
++++++++++
与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからで
す。」
ルカの福音書6章38節
++++++++++
みなさん。これは神様の国の法則です。
与えるものに主が与えてくださるのです。

ですから、あなたが持っていないなら、是非捧げましょう。
そうしたら、神様は、豊かに与えて下さるのです。
信じて捧げましょう。

また、いままで見てきたように、私たちは、キリストの十字架による和解、罪のゆるしの中におかれています。
その上で、パウロはいいます。
++++++++++
1 こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、
2 恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。
3 それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。
4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
コリント人への手紙第二 4章1-4節
++++++++++
ここで、パウロは、あわれみを受けて、この努めに任じられているといいますが、それは私たちも同じです。
しかし、パウロの熱心な宣教によっても、福音に覆いがかかっていたと書いてあります。
それは、この世の神が不信者の思いをくらませて、とありますが、
悪魔が、福音の光を輝かせないようにしているのです。

主の祈りには「御名があがめられます様に」と書いてあります。
福音の光が輝けば御名があがめられます。
しかし、それを妨げる闇の力があるのです。
ですから、そのような闇の支配に対し出て行けと命じる祈りと、御名があがめられる事とはセットです。
私も、毎日の祈りで、この地域から、教会のメンバーから、この日本から、イスラエルから、世界から、地球から、宇宙から悪魔が追い出されるように宣言しています。

そしてこうつづきます。
++++++++++
5 私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。
6 「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
コリント人への手紙第二 4章5-7節
++++++++++
私たちは、このキリストの福音を伝えるのです。
それは、自分のことではありません。
また、私たちは、キリスト、その光を、私たち土の器の中にいれているのです。

チョーヨンギ先生がこういう話しをしておられたことがあります。
自分は、以前は知識を持って来ました。しかし、今は、イエスキリストを持って来ました。

私たちは、キリストについての知識をつたえるのではありません。
私たちの内におられるキリストご自身を運んでいるのです。

しかし、そのようにキリストを運ぶ私たちも、いろいろなことがおこります。
++++++++++
8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。
コリント人への手紙第二 4章8-11節
++++++++++
しかし、どのような状況でも、内におられるキリストゆえに、決して滅びることはありません。
死ぬような状況の中でさえ、キリストが私たちの死ぬべき身体に命を与えてくださるのです。

このように、キリストを体験するからこそ、私たちはいいます。
「私は信じた。それゆえに語った。」
++++++++++
12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
13 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。
14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。
15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。
コリント人への手紙第二 4章12-15節
++++++++++
私たちは、信じています。
それは、理屈ではなく、キリストが生きておられるからです。

迫害を受け、語るなと言われたとき、使徒たちもいいました。
++++++++++
私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」
使徒の働き4章20節
++++++++++
体験ゆえに、また信じるがゆえにそれを話さないわけにいかない。
彼らは、信じるゆえに話さないわけに行きませんでした。

ところで、信仰というとき、旧約聖書から一箇所開きたいと思います。
++++++++++
4 すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」
5 そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」
6 彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
創世記15章4-6節
++++++++++
これは、アブラムにまだ子がないとき神様がアブラムを祝福されたときの事です。
神様がどんなに広い土地を与えてくださってもアブラムには子どもがないから、それは奴隷のものになってしまうとアブラハムはいいました。
しかし、それに対して主は、奴隷があとを継ぐのでなく、アブラムから出たものが次ぐといわれました。

子の無いアブラムを神様が外に連れ出し、空の星を見せて、それは、綺麗な中東の空です。
大阪の街中の星空とは違います。

綺麗に星がひかり、天の川もはっきり見えたことでしょう。
天の川など、いくつ星があるのかわかりません。

その星をみせて、数えなさいと主はいわれ、子孫がそのようになるといわれた。
アブラムにはそれが理解できたはずがありません。
納得のいく説明などありません。
しかし、それをされる主を信じたのです。

しかし、このあとアブラムはその証明をもとめます。
すると、主は、当時の契約の習慣である、二つに切り裂いた動物の間を通るという儀式によって、その契約をしようとされます。
そして夜にはそこを燃え立つ火のように主の臨在がとおり、主ご自身が契約されたのです。

しかし、そのとき、一つ覚えておいてほしいことがあります。
アブラムが動物を裂いたあと、その動物を狙って、猛禽、ワシやトビやタカのような鳥が舞い降りてきたのです。
しかし、アブラムはそれを追い払いました。

皆さん。これは何を意味しているでしょう。
その場所は、神様とアブラムの契約の場所、神様とアブラムの関係を築く大切な場所です。
そこに、鳥がやってきたのです。
それは、あなたと神様との関係を邪魔をする悪魔のようです。

では、あなたと神様との関係を築く場所はどこですか?
それは、聖書を読むこと、祈ること、礼拝に出ること、他にもいろいろあるかも知れませんが、特に重要なのはこんなところでしょうか。
あなたが、これらをするのは、神様との関係をしっかりと持つためなのです。
ですから、それを邪魔する悪魔の働きをあなたは、追い払わなければなりません。

しかし、契約をされるのも、それを導き実現されるのも主です。
私たちは、この主の契約の中に生かされ、主を体験して生きることを赦されています。
++++++++++
16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
コリント人への手紙第二 4章16-18節
++++++++++
それゆえ、私たちは、見えるものによらずに生きるのです。
見えるものに目を向けるのでなく、目に見えない主に信仰の目を向けて歩むのです。

お祈りしましょう。
<祈り>
[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。
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シティーチャーチメッセージ20110918 私は信じた。それゆえに語った。
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