礼拝でのお話
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音声ファイル
作成日8/7
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ワーシップ
メッセージ
メッセージの音声ファイルは、原稿と若干違う場合があります。



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シティーチャーチ
メッセージ20110807
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義の奴隷
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は全能者力ある神
王の王主の主です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

さて、本日もまず、東日本の為に祈りましょう。
大きな台風9号は、西へとそれていきました。
主は日本を守って下さっておられます。

しかし、また、次の台風10号が近づいています。
さらに主の守りが日本にあるようにもお祈りしましょう。
前回も書きましたが、私たちの戦いは霊の世界の戦いです。
祈りましょう。
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私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
エペソ人への手紙6章12節
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皆さん。共に祈りましょう。
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<東日本大震災の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
(・石巻市立湊小学校・女川町立女川第二小学校・石巻市立渡波小学校・南三陸町立志津川小学校)
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では、続いて、通読箇所を見て参りましょう。

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8月7日(日)[ ]詩19-22 /[ ]ロマ4
8月8日(月)[ ]詩23-27 /[ ]ロマ5
8月9日(火)[ ]詩28-31 /[ ]ロマ6
8月10日(水)[ ]詩32-35 /[ ]ロマ7
8月11日(木)[ ]詩36-38 /[ ]ロマ8:1-17
8月12日(金)[ ]詩39-41 /[ ]ロマ8:18-39
8月13日(土)[ ]詩42-45 /[ ]ロマ9:1-18
8月14日(日)[ ]詩46-49 /[ ]ロマ9:19-33
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今週の通読箇所は、旧約聖書が詩篇、新約聖書がローマ人への手紙です。
詩篇の言葉は、時に荒々しく、特に美しく、私たちの心に響きます。
そして、この詩篇の祈りを見ていると、私達が、主の前で取り繕う必要が無い、本当に正直でいいのだと言うことを教えられます。
ローマ人への手紙は、信仰による義が大きなテーマです。
共に開いて参りましょう。

では、ローマ人への手紙を開きましょう。
ローマ人への手紙6章です。

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【 聖書箇所 】 ローマ人への手紙6章8-23節
・新改訳Up273(贈呈p240、英対p457)
・新改訳Vp297、英対p332(贈呈p274)
・口語訳p240
・新共同訳p281 (贈呈p281、英対p429)
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では、聖書の朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
6:8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。
6:9 キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。
6:10 なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。
6:11 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
6:12 ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。
6:13 また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。
6:14 というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。
6:15 それではどうなのでしょう。私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。
6:16 あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義
に至るのです。
6:17 神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、
6:18 罪から解放されて、義の奴隷となったのです。
6:19 あなたがたにある肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。あなたがたは、以前は自分の手足を汚れと不法の奴隷としてささげて、不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷としてささげ
て、聖潔に進みなさい。
6:20 罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。
6:21 その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。
6:22 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。
6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
ローマ人への手紙6章23節
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では、この所から、
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義の奴隷
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と題しまして、御言葉を開いて参りたいと思います。

さて、今回の箇所には、罪の奴隷という言葉と、義の奴隷という言葉が出てきました。
奴隷という言葉は、非常にインパクトのある言葉だと思います。
現在では、奴隷が非公式に存在するところはあるのですが、正式に認められている所はありません。
しかし、当時のローマは、奴隷制度が認められていました。
アリストテレスの政治学の中にも、奴隷についてそれが自然なものであると書かれたところがあります。
「生まれつき自分自身の所有物ではなく他人の所有物である人間こそが、生まれながらの奴隷なのです。」
とあり、「奴隷が多くの道具に先立つ一つの道具だ」
とも書いています。

奴隷制度について考える上での大きな出来事として、1863年1月1日のアブラハム・リンカーンによる奴隷解放宣言をあげたいと思います。
この時、「奴隷とされているすべての者は、同日をもって、そして永遠に、自由の身となる。」と宣言され、その結びは、このように書かれていました。
「そして軍事上の必要性に関して憲法で保障された正しい行為であると、心から信じているこの行為に対して、私は、人類の思慮深い判断と、全能の神の寛大なご加護を祈念する。」
そして、この後、1865年に南北戦争が終わり、米国のすべての奴隷が自由の身となりました。
米国のすべての奴隷制度は終わりました。
この前後、各国で奴隷制度は廃止されました。
世界中のほとんどのところにおいて、人権が認められ、奴隷制度は基本的に廃止されています。

しかし、当時のローマにおいては奴隷制度が認められていたのです。
律法の中にも細かな奴隷制度がありますが、それは雇用関係に似ています。
しかし、当時のローマの人々に書かれたこの手紙は、ローマの奴隷制度を中心に書かれていると考えられます。

奴隷は使用人とは違います。
使用人は、主人と雇用の関係にあります。
使用人は、仕事をやめて、自分の意思で主人の下を去ることができます。
これに対して、奴隷は、主人の所有物です。
ですから、奴隷は、自分の意思で主人の下を去ることが出来ません。
また、奴隷は、命令に反対することも出来ません。
絶対的な服従がその条件だからです。
そして、それは、基本的には死ぬまで続きます。

ピレモンへの手紙の中にこういう箇所があります。
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15 彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう。
16 もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟としてです。特に私にとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、肉においても主にあっても、そうではありませんか。
ピレモンへの手紙1章15-16節
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ここで、パウロは、ピレモンへ、オネシモという奴隷のことを頼んでいます。
彼は、ピレモンの元を逃亡した奴隷でした。
逃亡した奴隷というのは、死刑というのが基本でした。
しかし、その奴隷の命乞いをパウロがしているのです。

奴隷は、使用者に逆らうことの出来ない存在です。
それで、イエス様はいわれました。
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イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。
ヨハネの福音書8章34節
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罪を行うものは罪の奴隷である。

このやり取りを少し広げてみてみましょう。
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31 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
33 彼らはイエスに答えた。「私たちはアブラハムの子孫であって、決してだれの奴隷になったこともありません。あなたはどうして、『あなたがたは自由になる。』と言われるのですか。」
34 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。
ヨハネの福音書8章31-34節
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イエス様は、イエス様を信じたユダヤ人に言われました。
「あなたがた自由にします。」
それを聞いたユダヤ人は、自由になれて感謝だといいませんでした。
そうではなく、自分達は奴隷では無いといったのです。

しかし、イエス様は、罪を行うものは罪の奴隷だといわれました。

学校の先生が生徒に注意すると、「俺達の自由だと答えることがあります。」しかし、そういう時は、多くは校則違反など、だいたい悪いことをしている時です。

私が20歳のころ、私は毎日、かなりな量のタバコを吸い、お酒飲んでいました。
身体をこわし、医者からもとめられましたが、それなら何を楽しみに生きるのですか。私の勝手でしょうと、自分の自由をふりかざしました。
でも、わたしは、自由だったでしょうか?
私は、タバコやお酒をやめることが出来ませんでした。

自由とはなんですか?
それは、自分で自分のしたいことを選択出来ると言う事です。

私は、タバコやお酒をやめようと思ってもやめれませんでした。
それで、これは自由だと、自分の勝手だとうそぶいていたのです。

酒やタバコは犯罪では無いかもしれません。
しかし、神様が造ってくださった体を痛めているということにおいて、それは広い意味で罪です。
また、それをやめれないということが、神様と自分との関係を妨げる罪です。

実際に、犯罪なる罪についても、盗み癖といった罪をやめれない人や、大きな犯罪をついやってしまったという人がいます。
カーッとなってついやってしまったなどともいいます。つまり、その人にはその瞬間選択の余地がなかったということです。
その人はその罪をつぐなわなければなりません。しかし、彼は自由ではなかったのです。

皆さん。罪を犯すものは罪の奴隷です。
しかし、あなたが何かをやめれないなら、あなたはその事柄に支配されているのです。
あなたは、その事柄の奴隷です。

それは何でしょう。タバコ、お酒、ゲーム、テレビ、パソコン。
いろいろなものがあるでしょう。
しかし、何にしても、それらの物は、あなたの自由を束縛している場合があるのです。

それらのものは犯罪ではないかもしれない。しかし、それらはあなたを神様から引き離しているのです。

教会にも、タバコやお酒のやめれない方がおられます。
私は、あまり、やめなさいとは言いません。
私も、自分ではやめれませんでした。
私は、このまま酒やタバコを続けたら死んでしまう状態でした。
そのころ、教会に行った私は、神様から、「もういいよ」
という声を聞いたのです。
それで、私は、その日からそれらから開放されました。
私は続けていたら死ぬから神様はすぐにやめさせてくださいました。

まあ、続けておられるかたは、まだ死なないのだと思います。
しかし、健康の為にも、やめれるようにお祈りしています。

前には、ある方が、一年前にタバコをやめましたといわれました。
私は一年間祈っていたのです。
ま、もし、やめたかたは、是非早く教えてください。

罪を犯すものは罪の奴隷です。

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あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至る
のです。
ローマ人への手紙6章16節
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罪の奴隷の行き着く先は死です。

さて、私たちは、キリストと共に死にました。
少し前にこうかいてあります。
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6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。
7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。
ローマ人への手紙6章6-7節
++++++++++
イエス様があなたの罪の身代わりに十字架で死なれた事を信じたら。
その瞬間その人は、イエス様の死と一つにされているのです。

先ほどの奴隷のお話で、奴隷は死ぬまで奴隷だといいました。
では、死んだらどうですか?

奴隷は主人の命令に絶対服従です。
しかし、死んだ奴隷を主人は使うことが出来ません。
命令を受けても動かないのです。

私達が罪の奴隷であったとしても、私達が、死んだら、罪を犯すことはありません。

死んだものは罪から開放されているのです。

またここにバプテスマの意味についても書かれています。
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3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。
4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするた
めです。
5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。
ローマ人への手紙6章3-5節
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私たちの受けるバプテスマは、このイエス様の死とひとつになって死に、イエス様の蘇りと一つになって蘇ることを象徴するものです。
聖餐式もそうです。イエス様の御体をいただき、血潮に与るのは、イエス様と一つとなること、また、イエス様の死と復活を覚えることです。

ローマ人への手紙に戻りますが、こうかいてあります。
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6:21 その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。
ローマ人への手紙6章21節
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皆さん。
私たちの罪の行き着くところは死です。

また、わたしたちが、止めれないでいたことの多くは、私達に良い実を与えているでしょうか?
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6:22 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。
ローマ人への手紙6章22節
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これにたいし、イエス様は、私達を罪から解放してくださり、義の奴隷とし、永遠の命を与えてくださったのです。

先ほどの箇所で、パウロはピレモンへ、オネシモのことを、奴隷ではなく愛する兄弟としていっていますが、イエス様は私達を、友、家族、兄弟といってくださいました。
しかし、ここに義の奴隷とあります。

皆さん。わたしたちは、自由です。
しかし、自由を神に従うために用いるのです。

皆さん。私たちは、イエス様にあって、罪から開放され、神の子とされ、永遠の命を与えられたのです。
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6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
ローマ人への手紙6章23節
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ハレルヤ、主に感謝します。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20110807  義の奴隷
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