礼拝でのお話
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音声ファイル
作成日7/31
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ワーシップ
メッセージ
メッセージの音声ファイルは、原稿と若干違う場合があります。



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シティーチャーチ
メッセージ20110731 
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召された聖徒たち
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私達を選び、愛し、祝福して下さる方です。
この方を覚えて、御言葉を開いて参りましょう。

さて、まず、東日本の為にいのりましょう。
ここには書いていませんが、新潟と福島は大きな水害に見舞われています。
これらの為にも祈りましょう。
祈りは、堤防を作るのにも似ています。
祈りが詰まれて行くことで、守りは強固になり、また、敵の力を打ち破ることが出来ます。
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私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
エペソ人への手紙6章12節
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皆さん。共に祈りましょう。
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<東日本大震災の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
(・石巻市立湊小学校・女川町立女川第二小学校・石巻市立渡波小学校・南三陸町立志津川小学校)
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では、続いて、聖書の通読箇所を開きましょう。

旧約聖書はヨブ記から詩篇、新約聖書は、使徒の働きからローマ人への手紙です。
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7月31日(日)[ ]ヨブ34-36 /[ ]使徒28:1-15
8月1日(月)[ ]ヨブ37-39 /[ ]使徒28:16-31
8月2日(火)[ ]ヨブ40-42 /[ ]ロマ1:1-15
8月3日(水)[ ]詩1-5 /[ ]ロマ1:16-32
8月4日(木)[ ]詩6-9 /[ ]ロマ2
8月5日(金)[ ]詩10-15 /[ ]ロマ3:1-18
8月6日(土)[ ]詩16-18 /[ ]ロマ3:19-31
8月7日(日)[ ]詩19-22 /[ ]ロマ4
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ヨブ記は、ヨブと友人たちの間で繰り広げられる議論の中に、主があらわれ、そして、ご自身がどういう方かをお示しになり、ヨブが、その偉大さの前に悔い改めるというところで終わります。
そこには、レビヤタンという生き物が出てきたり、さまざまな話が出てきます。面白いところです。是非お読み下さい。

詩篇は、イスラエルの神殿で歌われた主への賛美です。
しかし、それは、単なる綺麗な言葉ではなく、心の底から神様に捧げる魂の叫びです。

新約聖書、使徒の働きは、ローマについたパウロが、異邦人へ宣教をはじめるそのことで終わります。
しかし、使徒の働きは終わっていません。いまも、その続きの中に私たちは生かされているのです。
ローマ人への手紙。こちらはお話しの中で見て参りましょう。

では、今日はこのローマ人への手紙の一章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ローマ人への手紙1章1-15節
・新改訳Up265(贈呈p233、英対p443)
・新改訳Vp289、英対p323(贈呈p266)
・口語訳p233
・新共同訳p273 (贈呈p273、英対p417)
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では、聖書の朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ローマ人への手紙1章1-15節
1:1 神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、
1:2 ――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、
1:3 御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
1:4 聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。
1:5 このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためなのです。
1:6 あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。――このパウロから、
1:7 ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。
1:8 まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
1:9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、
1:10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。
1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。
1:12 というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。
1:13 兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げ
られているのです。
1:14 私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。
1:15 ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。
ローマ人への手紙1章7節
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では、このところから、
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召された聖徒たち
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と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。
さて、ローマ人への手紙。
これは、私たちが信じていることがいったい何なのかを詳しく説明してくれている手紙です。

その最初に、まず、福音についてパウロは簡単に説明しています。
福音という言葉は、キリスト教用語で、広くはイエス様の教えをさします。英語では gospelです。
これは、good news とも訳されます。日本語では良い知らせという意味です。
福音とは、良い知らせです。
一般的にもこの言葉は、「この新しい薬は、病気の人への福音」だという使い方もされます。

福音。良い知らせ、良い話。
いい話があるよ。なんて、とんでもない話を持ってくる人もいますが、聖書の良い知らせ、良い話は、真実の神様ご自身からの知らせです。
それは、どんな知らせでしょうか。

今回の箇所の冒頭にはこう書いてあります。
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2 ――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、
3 御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
4 聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。
ローマ人への手紙1章2-4節
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福音とは御子に関すること、御子、すなわち、私たちの主、イエス・キリストに関することだとパウロはいいます。
そして、イエス様は、肉において、ダビデの子孫として生まれ、御霊において、死者の中からの復活により、神の御子として示された方だというのです。

イエス様は、そのように、肉においてはダビデの子孫、御霊においては、神の御子である方です。

この福音とはどんなものでしょう。今回の聖書箇所の続きにはこうかいてあります。
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私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。
ローマ人への手紙1章16-17節
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福音は、救いを得させる神の力。福音には神の義が啓示されている。
その義は人を、信仰から信仰へと進ませる。
義人は信仰によって生きる。

福音は、人に信仰を与えるものです。
では、その中身はなんでしょう。
この福音について、パウロはこういっています。
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1 兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。
2 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。
3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
コリント人への手紙第一 15章1−5節
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福音とは、イエス様が私たちの罪の身代わりに十字架で死んで下さったこと、葬られたこと、よみがえられたことです。
これが、福音です。

この分厚い聖書の中で、ただ、これだけが重要なのです。
沢山のいましめや、教えの書かれたこの聖書のなかで、ただ、このことだけが重要なのです。

これが、良い知らせなのです。

イエス様が十字架で死んで下さった。それが良いことであるというのが、聖書の教えなのです。
なぜですか。
と、問いかけますが、実は、なぜと聞く必要すらないのです。

皆さん。人間はなぜ堕落しましたか。善悪の知識の木の実を食べるなと神様は言われました。
それを食べると死ぬからです。
そして、その理由に対して悪魔が蛇の姿で現れて、食べても死なないといったのです。

でも、考えてください。
神様が食べるなといわれたのです。
ですから、死ぬかどうかは別として、神様が食べるなと言われたというだけで、彼らが食べない理由としては十分だったのです。
しかし、彼らは食べました。

逆に、イエス様を信じたら救われる。それをアーメン。その通りです。と受け止めることは、神様への信仰であり、
御子さえお与えになった神様の愛への応答なのです。
ですから、それを信じるだけで、救いは十分なのです。
その理由付けがなんであれ、神様が信じなさいといわれたことをそのまますっぽりと受け止めて信じる。
それだけでいいのです。

しかし、あえて、何故救われるのか、その理由を考えておきましょう。
イエス様が十字架で死んで下さった。
このことによって、本来私達がうけるはずだった 神の怒りと裁きは、御子であるイエス様の上に下りました。
ですから、それを信じるものは、裁きを受けることなく罪が赦されるのです。
そして、そのこと以外に私たちの罪が赦される方法はありません。

皆さん避雷針を知っていますか。
雷が落ちるとき、避雷針があると、雷は避雷針に落ちて、その下にあるものには落ちません。
避雷針のそばにあるものは守られるのです。

神様からの裁きも、イエス様の十字架のそばにいるならあなたには落ちません。
しかし、あなたが、イエス様からはなれるなら、避雷針から離れたときに雷が落ちるように、落ちるかも知れません。

私たちは、どんなに、正しく行っていても、神様の前では不十分です。
ですから神様の前にへりくだり、したがっていく必要があるのです。
そして、イエス様は十字架で死んで三日目によみがえられました。

イエス様は、悪魔に完全に勝利してよみがえられたのです。

父なる神様は、ただそのことの為に、イエス様を与えてくださいました。
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
ヨハネの福音書3章36節
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父なる神様は、御子を与えることを通して、私達への愛を示されました。
イエス様は、ご自身が十字架で死なれることを通して、私達への愛を示されました。
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私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
ヨハネの手紙第一4章10節
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そして、それを受け取る方法は、信仰なのです。

信仰とはなんでしょう。
それは、神様の言葉への信頼です。
神様は、聖書の言葉を通して、あなたを愛しているといわれます。

そして、その愛を示すために、イエス様をお与えになりました。
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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ここに愛があります。

ですから、この愛に、応答することが信仰だともいえます。

また信仰は、こうも書いてあります。
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信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
ヘブル人への手紙11章1節
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望んでいる事柄、つまり、祈りの答えも、それは、信仰によって得るのです。
ですから、キリスト教という教えではなく、イエス・キリストを信じるのです。

この方は、あなたの為に十字架で死んで、よみがえられました。
そして、この方を信じるものは、すくわれてかみの子とされ天国に行くことが出来るのです。

私たちは今、この希望の中に生かされています。

そして、そのようにイエス様の道を歩むものを主は、聖徒と呼ばれます。
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6 あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。――このパウロから、
7 ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。
ローマ人への手紙1章6−7節
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ここで、聖という言葉が使われます。

それは、よごれ・にごり・くもりなどがなく美しいなどという意味ですが、聖書においては単に綺麗さを意味するのではありません。

神の領域にあること、神の支配下にあることを意味しているのです。

つまり、あなたを、聖徒と神様が呼ばれるのは、あなたが神様のものだということです。
聖徒などというと、どれほどきよらかな存在かと思うかも知れません。
しかし、聖徒とは、神のものであるということです。

皆さん。あなたは、イエス様を信じたときから、聖徒です。
時間をかけて聖徒になるのではありません。

なぜならその代価がすでに払われているからです。

その代価が、イエス様が十字架で流された血です。

皆さん。この福音に力があります。
この福音が人を義とし、聖徒とします。

そして、この偉大なプレゼントを受け取る方法は、ただ、信仰によるのです。
ですから、信仰と福音はセットです。
どちらがかけても、人は救われません。

福音を信じるそのことによって、神の恵みが豊かに注がれるのです。
お祈りしましょう。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20110731召された聖徒たち
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