礼拝でのお話
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作成日5/22
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ワーシップ
メッセージ


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シティーチャーチ
メッセージ201100522  
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 主よ。私は信じます。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、救い主、全能者、罪を赦すため死んで下さった方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

では、まず、東日本の為にいのりましょう。

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<東日本大震災の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
(・石巻市立湊小学校・女川町立女川第二小学校・石巻市立渡波小学校・南三陸町立志津川小学校)
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続いて、聖書の通読箇所を開いて参りましょう。
今週の聖書の通読箇所は、旧約聖書が列王記第一
新約聖書がヨハネの福音書です。

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5月22日(日)[ ]T列王7 /[ ]ヨハ8:48-59
5月23日(月)[ ]T列王8 /[ ]ヨハ9:1-23
5月24日(火)[ ]T列王9-10 /[ ]ヨハ9:24-41
5月25日(水)[ ]T列王11 /[ ]ヨハ10:1-21
5月26日(木)[ ]T列王12-13 /[ ]ヨハ10:22-42
5月27日(金)[ ]T列王14-15 /[ ]ヨハ11:1-16
5月28日(土)[ ]T列王16-17 /[ ]ヨハ11:17-44
5月29日(日)[ ]T列王18-19 /[ ]ヨハ11:45-57
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第一列王記の7章は、ソロモンによる神殿建設、そして、8章で、ソロモンの神殿奉献の祈り、また、ソロモンの繁栄と続きますが、そこにソロモンの罪によって影がさします。
皆さん、是非お読みください。
また、ヨハネの福音書はイエス様のみわざと教えがつづきます。
共に聖書を読んで参りましょう。

では、今日は、このヨハネの福音書から9章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】 ヨハネの福音書9章24-41節
・新改訳Up179(贈呈p160、英対p296)
・新改訳Vp197、英対p220(贈呈p183)
・口語訳p155
・新共同訳p185 (贈呈p185、英対p284)
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司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
9:24 そこで彼らは、盲目であった人をもう一度呼び出して言った。「神に栄光を帰しなさい。私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ。」
9:25 彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」
9:26 そこで彼らは言った。「あの人はおまえに何をしたのか。どのようにしてその目をあけたのか。」
9:27 彼は答えた。「もうお話ししたのですが、あなたがたは聞いてくれませんでした。なぜもう一度聞こうとするのです。あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか。」
9:28 彼らは彼をののしって言った。「おまえもあの者の弟子だ。しかし私たちはモーセの弟子だ。
9:29 私たちは、神がモーセにお話しになったことは知っている。しかし、あの者については、どこから来たのか知らないのだ。」
9:30 彼は答えて言った。「これは、驚きました。あなたがたは、あの方がどこから来られたのか、ご存じないと言う。しかし、あの方は私の目をおあけになったのです。
9:31 神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行なうなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。
9:32 盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、昔から聞いたこともありません。
9:33 もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです。」
9:34 彼らは答えて言った。「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか。」そして、彼を外に追い出した。
9:35 イエスは、彼らが彼を追放したことを聞き、彼を見つけ出して言われた。「あなたは人の子を信じますか。」
9:36 その人は答えた。「主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。」
9:37 イエスは彼に言われた。「あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです。」
9:38 彼は言った。「主よ。私は信じます。」そして彼はイエスを拝した。
9:39 そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」
9:40 パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」
9:41 イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。
ヨハネの福音書9章39節
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では、このところから、
「主よ。私は信じます。」

と、題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

今回の箇所は、一人の盲人の癒しからはじまります。
ヨハネの福音書の9章の1節
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またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
ヨハネの福音書9章1節
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道の途中で、生まれつきの盲人がいるのをイエス様は見られたのです。

ところが、この盲人に対して、弟子たちは考えます。
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「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
ヨハネの福音書9章2節
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皆さん。彼は、そこにいました。
彼は、目が見えないという問題を抱えていました。
しかし、そこで、弟子たちが考えたのは、それはなぜだろうという質問だったのです。

この世界の多くの問題に対し、人々は、何故こうなったのかと考えます。
それは、つぎに問題を起こさないために必要なことかもしれません。
しかし、イエス様の答えはこうです。

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3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。
4 わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。
5 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
ヨハネの福音書9章3-5節
++++++++++

イエス様は、神の業がこの人に現れるためだといわれました。
そして、それだけでなく、イエス様は、その業をなすために来られたこと、それを昼の間、光のある間に行わなければならないことを語られました。
イエス様は、世の中の問題に解決を与える力をお持ちでした。
それゆえ、イエス様は、どうしてかが問題でなく、神の業を行い、神の栄光があらわされることが問題だと言われたのです。

これに似た箇所がヨハネの12章にあります。
++++++++++
35 イエスは彼らに言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわ
かりません。
36 あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」イエスは、これらのことをお話しになると、立ち去って、彼らから身を隠された。
37 イエスが彼らの目の前でこのように多くのしるしを行なわれたのに、彼らはイエスを信じなかった。
ヨハネの福音書12章35-37節
++++++++++
光がある間に歩きなさいと主は言われます。

光は道を照らすともしびです。
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104 私には、あなたの戒めがあるので、わきまえがあります。それゆえ、私は偽りの道をことごとく憎みます。
105 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。
詩篇119篇104-105節
++++++++++
この後半105節は、良く知られています。
しかし、この前半を見ますと、私たちは、主の戒めによって、わきまえがある。そして、主の戒めがあるから、偽りの道を憎むのだとわかります。

聖書の中で、光には沢山の意味があります。
しかし、最後にはそれはイエス様ご自身につながります。

先ほどのところで、
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わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
ヨハネの福音書9章5節
++++++++++
と、書いてありますし、また、
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あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」
ヨハネの福音書12章36節
++++++++++

そして、その光とは、ヨハネの福音書の最初でこう書いてあります。
++++++++++
9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
ヨハネの福音書1章9-12節
++++++++++
これが、本当の光です。

この世界のどんなことにも光を与える力。
それが、本当の光です。

この方を信じた人々に神の子どもとされる特権をお与えになる。
罪によって、神から離れ滅びに向かうこの人類の大問題に解決を与えてくださる方こそが光なのです。

この方は、全ての人を照らす、まことの光です。

この世界は、また、この方によって作られたのに、それを知りません。
元からおられたのにそれを知りません。

しかし、この方を信じるなら、神の子どもとされるのです。

人類の問題にこの方だけが解決をあたえてくださるのです。

それが、イエス様です。

そこで、今回の箇所9章の1節にもどります。
彼は問題を抱えていました。

しかし、その問題を問題とせずに、イエス様は解決を与えようとされたのです。
そして、言われます。
++++++++++
3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。
4 わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。
5 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
ヨハネの福音書9章3-5節
++++++++++
神の業が現れるため。
そのためにイエス様はこられました。

また、ご自身の業によってご自身の光をあらわしておられたのです。

イエス様は、その光によって、全ての人を照らし、信じる人を救われました。
罪を赦し、病を癒されました。

この方は光として世にこられたからです。

前回もいいましたが、ヨハネの福音書の最初の所で、イエス様がどんな方か知ることが出来ます。
++++++++++
1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
ヨハネの福音書1章1-4節
++++++++++
ここからイエス様について知ることの出来るキーワードは、
ことば、神、いのち、光 などです。
この方は、また、はじめからおられたとも書いてあります。

この方は、全ての根源であるかたなのです。
イエス様は、単に立派な人とか、預言者とか、そういうものではなく、全ての根源である方なのです。

そして、このかたのなさる癒しは、単に奇跡ではありません。
イエス様は私たち人間の身体を造られた方です。
そして、この方は、命を与えてくださる方なのです。

同時にこの方は、神の言葉です。
ですから、いま、私たちは、聖書を読むことで、この方に触れることが出来るのです。

私たちが聖書を読むとき、わたしたちは、神の言葉であるイエス様の命に触れ、光に照らされるのです。

そして、この命には、力があります。
この光、この命は、この世界全てを成り立たせている力です。
皆さん。命の無いものには力がありません。
死んだ動物は走り出すことが出来ません。

しかし、それだけではありません。
この世界の全ての物は、原子核の周りを電子が飛び回っていますが、その力はどこから来るのですか?
誰がまわしているのですか?
それは、この世界を創造された神様から来ます。
この方は、エネルギー、光の根源であり、命の根源、力の根源です。

そして、わたしたちは、この力を聖霊様によって受けるのです。
++++++++++
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
使徒の働き1章8節
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その力は、地の果てにまで、主の御言葉を伝えることの出来るちからです。

また、その力は、ヨハネの福音書を見るとこのように現れます。
それは、イエス様が光をあらわすため御業をなされたのと同じです。
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15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
ヨハネの福音書16章15-18節
++++++++++
わたしたちは、この力を受けています。
ペンテコステはこの力である聖霊様が下られたのを記念する日です。

聖霊様を求めて祈ることは、大切です。

さて、目の見えない人の目にイエス様は泥を塗り、それをあらうように言われました。
彼の信仰が働くようにされたのです。
信仰は、その人の内側から出て行動となります。

そして、信仰がなければ、人は神様からのものを受け取ることが出来ません。

信仰は行いによってまっとうされると書いてあります。
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あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ、
ヤコブの手紙2章22節
++++++++++
私たちが信じるなら、私たちは行動します。

例えば、あなたのほしい物が、隣のお店でただで配られていると、誰かに聞いたとします。
相手の人を信じるなら、あなたは行くのではないでしょうか?
でも、その人を信じないならあなたはいかないでしょう。

イエス様をこの目の見えない人が信じた。だから、彼はイエス様の言われるとおり、シロアムの池に目を洗いにいったのです。
彼がイエス様を信じたからです。
彼は癒されました。目が見えるようになったのです。

彼は目が見えませんでしたが癒されました。
ところで、彼に問題がおこります。
人々が、民の指導者たちが、彼について聞きます。
なぜ、見えるようになったのか。

弟子たちのなぜ、見えないのか、が今度は、なぜ見えるのかです。

彼は、イエス様によって見えるようになりました。
その方を見ていません。
しかし、自分を癒された方は、神様の働きをする正しい方だと信じたのです。

それで、彼は追い出されました。

その彼のところにイエス様がこられました。
ここは、私の好きな聖書箇所です。
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34 彼らは答えて言った。「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか。」そして、彼を外に追い出した。
35 イエスは、彼らが彼を追放したことを聞き、彼を見つけ出して言われた。「あなたは人の子を信じますか。」
36 その人は答えた。「主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。」
37 イエスは彼に言われた。「あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです。」
38 彼は言った。「主よ。私は信じます。」そして彼はイエスを拝した。
ヨハネの福音書9章34-38節
++++++++++
彼は、イエス様を信じました。

彼は、見えなかった目をイエス様に開かれて、イエス様を見、そして、信じたのです。
そして、イエス様を礼拝しました。

イエス様は彼を探してくださり、彼はイエス様を信じた。

いま、イエス様は、あなたのことも、探し、愛してくださいます。

さて、彼は、自分の神として、イエス様を礼拝したのです。
そこでイエス様はいわれました。
++++++++++
9:39 そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」
9:40 パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」
9:41 イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」
++++++++++
目の見えない人が、見えるようになりました。
しかし、それに対して、見えるものが盲目になるとイエス様は言われました。
それで、パリサイ人たちは聞いたのです。
私たちも盲目なのですかと。
すると、イエス様は、盲目であったら罪はなかったといわれました。そして、見えると言ってるから罪が残るといわれました。

罪の無いものは神を見ることが出来ると書いてあります。
しかし、人は罪があり、神を見ることが出来ません。

霊的な事柄に目が開かれていると自慢する人もいます。

しかし、本当に霊的な事柄は人をへりくだらせます。
なぜなら、本当に霊の目が開いたとき、わたしたちは、神様を見、自分の小ささを知るからです。

ダビデはいいます。
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主よ。人とは何者なのでしょう。あなたがこれを知っておられるとは。人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。
詩篇144篇3節
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ヨブもいいます。
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人とは何者なのでしょう。あなたがこれを尊び、これに御心を留められるとは。
ヨブ記7章17節
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ですから、私たちは、本当に霊の目が開かれて、神様を知る必要があります。
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17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
20 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
エペソ人への手紙1章17-20節
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この神の偉大さ、そのあらわれの究極はなんですか?
それが、イエス様の十字架と復活です。

盲目であった人の目が開いたように、信じる私たちの霊の目は開かれます。
そして、また、私たちがこの世に向けて開いている目は、閉じられなければなりません。
ただ、主のみに目を向けなければならないのです。

そして、神の偉大さを知るとき、私たちは、神様に、イエス様に、信じます。と言い。
また、イエス様を見た盲人がイエス様を礼拝したように、神様を心から礼拝するものとなるのです。
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彼は言った。「主よ。私は信じます。」そして彼はイエスを拝した。
ヨハネの福音書9章38節
++++++++++
主を信じ、礼拝を捧げましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

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シティーチャーチメッセージ20110522  主よ。私は信じます。
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