礼拝でのお話
テキスト版
画像がある場合は
クリックすると
表示されます
※携帯で表示できない
物もありますので
ご了承下さい
トップページへ


音声ファイル
作成日4/17
(PC用:MP3形式)
ワーシップ
メッセージ


−−−−−−−−−−
シティーチャーチ
メッセージ20110417  
−−−−−−−−−−
ふたりの主人に仕えることはできません 
−−−−−−−−−−

++++++++++
28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、唯一の造り主、私たちの主。
王の王主の主です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

さて、まず、東日本大地震の為に祈りましょう。
今週20日から私も被災地に向かいます。
どうぞ、守りと助けがあるようお祈り下さい。
−−−−−−−−−−
<東日本大震災の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。
2、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
3、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
4、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
−−−−−−−−−−
では、いつものように聖書の通読箇所から見て参りましょう。

−−−−−−−−−−
4月17日(日)[ ]士師20-21 /[ ]ルカ14
4月18日(月)[ ]ルツ1-2 /[ ]ルカ15
4月19日(火)[ ]ルツ3-4 /[ ]ルカ16
4月20日(水)[ ]Tサム1-2 /[ ]ルカ17:1-19
4月21日(木)[ ]Tサム3-5 /[ ]ルカ17:20-37
4月22日(金)[ ]Tサム6-8 /[ ]ルカ18:1-17
4月23日(土)[ ]Tサム9-10 /[ ]ルカ18:18-43
4月24日(日)[ ]Tサム11-13 /[ ]ルカ19:1-27
−−−−−−−−−−
今週の聖書の通読箇所は、旧約聖書が士師記からルツ記、サムエル記と続きます。
また、新約聖書は、ルカの福音書です。

ルツ記は、短いところですが、信仰によって歩んだ異邦人の女性のへの祝福が書かれています。
彼女は、ダビデの系図に名を残し、それは、イエス様へとつながります。

そして、サムエル記。こちらも、サムエル、サウル、ダビデといった人物が出てきます。
是非、これらのところをお読み下さい。

ルカの福音書はお話の中で見て参りましょう。
では、今日は、このルカの福音書から、16章をお開きください。
−−−−−−−−−−
【 聖書箇所 】 ルカの福音書16章1-17節
・新改訳Up135(贈呈p122、英対p223)
・新改訳Vp148、英対p166(贈呈p140)
・口語訳p116
・新共同訳p140 (贈呈p140、英対p216)
−−−−−−−−−−
では、司会者お願いします

+++++++++
【 聖書箇所のテキスト 】
ルカの福音書16章1-17節
16:1 イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。
16:2 主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』
16:3 管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、こじきをするのは恥ずかしいし。
16:4 ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』
16:5 そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか。』と言うと、
16:6 その人は、『油百バテ。』と言った。すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって五十と書きなさい。』と言った。
16:7 それから、別の人に、『さて、あなたは、いくら借りがありますか。』と言うと、『小麦百コル。』と言った。彼は、『さあ、あなたの証文だ。八十と書きなさい。』と言った。
16:8 この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。
16:9 そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。
16:10 小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
16:11 ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
16:12 また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。
16:13 しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできませ
ん。」
16:14 さて、金の好きなパリサイ人たちが、一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた。
16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられる者は、神の前で憎まれ、きらわれます。
16:16 律法と預言者はヨハネまでです。それ以来、神の国の福音は宣べ伝えられ、だれもかれも、無理にでも、これにはいろうとしています。
16:17 しかし律法の一画が落ちるよりも、天地の滅びるほうがやさしいのです。
++++++++++

では、主題聖句を言いましょう。
++++++++++
【 主題聖句 】
あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
ルカの福音書16章13節
++++++++++

では、この所から、ふたりの主人に仕えることはできません。
と、題しまして、御言葉を開いて参りたいと思います。

さて、今回の箇所は、15章から続くイエス様のお話です。
15章は、99匹の羊と一匹の羊、10枚の内の失われた一枚の銀貨。放蕩息子の例えと続きます。
そして、そこから今回の箇所へと入ります。

イエス様のお考えになっているのは、この世の道徳的な事柄ではありません。
どこまでも、天の御国に関することがらです。
そこにしか、救いは無いからです。

まず、今回の箇所の前半は、金持ちに雇われていた一人の管理人のことから始まります。
彼について、主人の金を乱費しているという訴えがなされました。
それで、会計の報告書を出すように言われたのです。
彼は、そこで、仕事を取り上げられると考えました。それは彼の不正が事実だったからです。
もし、報告書を出して不正がないなら、彼は、堂々と報告書を出せたでしょう。
しかし、彼は、そうすることが出来ませんでした。

それで、考えたのです。
主人に借りのあるものたちを呼んで、その証文を書き直させたのです。
ここで、差し引かれた油50バテと小麦20コルは、どちらも、約500デナリに相当するそうです。

一デナリは一日の給料ですから、ざっと一万円と考えると500万円です。
非常に大きな金額を彼は差し引いたのです。

そうするなら、彼らが、自分を家に迎えてくれるだろうと考えたのです。

これでは、罪に罪を重ねているようなものですが、主人はそれが、抜け目なくやったとほめたのです。
私たちには不思議に思えます。

ここで一番注目しなければならないのは、この管理人が自分の最後に対して、必死で考えて、行動したということです。
彼は、主人から言われたときに、自分が不正をしているということを自分で認め、それに対してどうするかを考えたのです。

自分の存在に、将来に、いいかげんになんとかなるとは考えなかったのです。

私たちは、世の終わりに裁きがあることを知っています。
わたしたちは、そのことをどれくらい真剣に考えているでしょうか。

多くの人たちは、世の終わりが来ると聞いても、あまり真剣に考えません。
裁きが訪れると聞いても、何もしません。
それは、ノアの洪水のときのようです。
++++++++++
37 人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。
38 洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。
39 そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。
マタイの福音書24章37-39節
++++++++++
ノアの洪水のとき、人々は、飲んだり食べたり、めとったり、とついだり、普段どおりの生活をしていたのです。
ところが、その日は突然やってきました。

今回の地震も、津波も、突然やってきました。
そして、それは、私たちの考えをはるかに超えた形でやってきたのです。

聖書は言います。
++++++++++
この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
マタイの福音書24章35節
++++++++++
この世界全てが滅びる時が来る。
それが聖書の証言です。

では、その時に向けて私たちはどのように備えたらいいのでしょうか。

この管理人は、主人の財産を使って、人々とのかかわりを持ちました。

イエス様は、別なところでこういわれました。
++++++++++
34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
マタイの福音書25章34-40節
++++++++++
私たちが、他のものにすることは、イエス様にしているのだとイエス様はいわれたのです。

いつも引用するこの箇所も、同じです。
++++++++++
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネの福音書13章34節
++++++++++
そして、持っている富を忠実に用いるということをイエス様は教えておられます。
このもっている富とは、お金のことだけではありません。
あなたの存在全てです。
なぜなら、神によらないものは何もないからです。

この世界の全て、あなたの持っている全ては、神様からのものです。
そして、あなたの持っている賜物もまた、神様からのものです。
わたしたちは、世の終わりに向けて、自分の存在全てを用いて神様の福音を伝えるのです。

お話を戻しますが、ここにある不正の富ということについては解釈の難しいところです。
一つの考え方としては、お金というものは、アダムとエバのときからあったものではありません。
神様がそれぞれに必要なものを豊かに与えてくださったのでそれは必要なかったのです。

イスラエルの民がエジプトを出たときもそうです。
彼らは、マナを食べて暮らしました。
また、靴もすりきれなかったと書いてあります。
++++++++++
私は、四十年の間、あなたがたに荒野を行かせたが、あなたがたが身に着けている着物はすり切れず、その足のくつもすり切れなかった。
申命記29章5節
++++++++++
ですから、彼らは、売買をする必要がありませんでした。
日ごとの食物も買うのでなく主ご自身が天から降らせてお与えになったのです。

ですから、通貨つまりお金が不正の富だという人もいますが、ここでは、管理人は、油や小麦を使っています。
それでもそれらは、不正の富だったのです。

だから、蓄えというものが、本来の富ではなく、不正の富なのだと考えることも出来るかも知れません。
一人の金持ちが多くの財産を蓄えました。
そのとき神様が言われました。
++++++++++
16 それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
17 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
18 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
19 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
21 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」
ルカの福音書12章16-21節
++++++++++
結局、この金持ちの富は、不正の富だったということです。
そして、それは、自分の為に蓄えたものでした。
自分の為に蓄えたものは、神の前で、富とならなかった、それは、正しい富ではなかったのです。

イエス様は言われます。
++++++++++
19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
22 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、
23 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。
24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
マタイの福音書6章19-24節
++++++++++
このことを、お金を乱費するのがよいという意味に取る人はいないと思いますが、私たちの持っているものは、全て神様から与ったものです。
ですから、それらを、主の為、互いの為、神の栄光の為に用いるのです。

しかし、私たちが豊かであることを神様は喜んでくださいます。
こうかいてあります。
++++++++++
彼女は収入がよいのを味わい、そのともしびは夜になっても消えない。
箴言31章18節
++++++++++
私たちの収入が良いのを味わうのは主の御心です。

しかし、それをどう用いるか、私たちは、自分の為だけでなく、主の為に用いさせて頂きましょう。

そして、主はこうも言われます。
++++++++++
25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなも
の、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
マタイの福音書6章25-27節
++++++++++
私たちの存在の全ては主の御手の中にあるのです。

さて、聖書箇所にもどりますが、今回の主題聖句でもあるこの御言葉にが続きます。
++++++++++
しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
ルカの福音書16章13節
++++++++++
ここで、神にも仕え、富にもつかえることは出来ないと書いてあります。
先ほども、このことがマタイの福音書で出てきました。

主人とはなんでしょう。
主人とは、その人を動かすことの出来る人です。
会社においては、社員は社長の命令に従います。
それをしないなら、会社は、その社員を解雇してしまうでしょう。

主人は、使用人に命じて行動させます。

では、私たちは、何に動かされているでしょうか。
この世の多くの人は、お金に動かされています。

お金がなければどうしようもない。
それは、この世界における真実のようです。
人々は、お金をもうけるために働き、お金をつかって食べ物や必要なものを買います。
それさえあれば幸せになれると考える人もいます。

しかし、聖書のある約では、一切れのパンがあって仲のよい方が、ステーキを食べて争うよりよいというようなものがありました。

私はそんなに沢山のお金を持ったことがないのでわかりませんが、沢山のお金をもちながら自殺する人もあり、人生が空しいという人もいます。

それでは、神様に仕えましょうというと、私の自由だほっといてくれと多くの人はいうでしょう。
でも、本当に自分の勝手でしょうか。

本当に、自分の自由で行動しているのでしょうか。
私たちは、自分で自分を見つめなおさなければなりません。
先ほどの箇所でこうかいてありました。
++++++++++
25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなも
の、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
マタイの福音書6章25-27節
++++++++++
皆さん。皆さんの存在は、優れたもの、皆さんのいのちは尊いものです。

パウロは言います。
++++++++++
こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。
コリント人への手紙第一 10章31節
++++++++++
何をするにも。
仕事も、どんなことも、神の栄光を表すためにするのだとパウロは言うのです。
ですから、神様に従うとは、仕事をしないことではありません。
しかし、何をするにも、神様の為に行うということです。

仕事も、学校も、そのほかのどんなことも、私たちの目的は、この世の目的とは違います。
そのところそのところで、神の栄光をあらわすためです。
++++++++++
このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
マタイの福音書5章16節
++++++++++
あなたの人生を通して主の栄光があらわされますように。
あなたを通して主の光が輝きますように。

++++++++++
しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
ルカの福音書16章13節
++++++++++
わたしたちは、人生全てを通して神様に使えさせて頂きましょう。
お祈りしましょう。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・日本宣教センター、キッズ&ファミリー・サポート・ミッションの為に。

−−−−−−−−−−
シティーチャーチメッセージ20110417 ふたりの主人に仕えることはできません
−−−−−−−−−−




最新の音声ファイルはこちら
(MP3形式.PCのみ再生可)
・ワーシップ
http://www.cityc.net/weekly/worship.MP3

・メッセージ
http://www.cityc.net/weekly/message.MP3






INDEX
TOP