礼拝でのお話
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作成日2/13
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ワーシップ
メッセージ


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シティーチャーチ
メッセージ20110227 
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そうまで言うのですか。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は力ある神全能者、王の王主の主です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。
さて、まずいつものように、聖書の通読箇所を見て参りましょう。

今週の聖書の通読箇所は、旧約聖書が民数記、新約聖書がマルコの福音書です。
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2月27日(日)[ ]民11-13 /[ ]マコ6:30-56
2月28日(月)[ ]民14-15 /[ ]マコ7:1-23
3月1日(火)[ ]民16-17 /[ ]マコ7:24-37
3月2日(水)[ ]民18-19 /[ ]マコ8:1-21
3月3日(木)[ ]民20-21 /[ ]マコ8:22-38
3月4日(金)[ ]民22-23 /[ ]マコ9:1-29
3月5日(土)[ ]民24-25 /[ ]マコ9:30-50
3月6日(日)[ ]民26-27 /[ ]マコ10:1-31
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民数記は、前回も言いましたように荒野での記録です。
マルコの福音書は、御話のなかで見て参りましょう。
では、マルコの福音書7章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】 マルコの福音書7章24-37節
・新改訳Up73(贈呈p65、英対p119)
・新改訳Vp79、英対p90(贈呈p75)
・口語訳p62
・新共同訳p75 (贈呈p75、英対p116)
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では、司会者御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
マルコの福音書7章24-37節
7:24 イエスは、そこを出てツロの地方へ行かれた。家にはいられたとき、だれにも知られたくないと思われたが、隠れていることはできなかった。
7:25 汚れた霊につかれた小さい娘のいる女が、イエスのことを聞きつけてすぐにやって来て、その足もとにひれ伏した。
7:26 この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生まれであった。そして、自分の娘から悪霊を追い出してくださるようにイエスに願い続けた。
7:27 するとイエスは言われた。「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」
7:28 しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」
7:29 そこでイエスは言われた。「そうまで言うのですか。それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました。」
7:30 女が家に帰ってみると、その子は床の上に伏せっており、悪霊はもう出ていた。
7:31 それから、イエスはツロの地方を去り、シドンを通って、もう一度、デカポリス地方のあたりのガリラヤ湖に来られた。
7:32 人々は、耳が聞こえず、口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださるように願った。
7:33 そこで、イエスは、その人だけを群衆の中から連れ出し、その両耳に指を差し入れ、それからつばきをして、その人の舌にさわられた。
7:34 そして、天を見上げ、深く嘆息して、その人に「エパタ。」すなわち、「開け。」と言われた。
7:35 すると彼の耳が開き、舌のもつれもすぐに解け、はっきりと話せるようになった。
7:36 イエスは、このことをだれにも言ってはならない、と命じられたが、彼らは口止めされればされるほど、かえって言いふらした。
7:37 人々は非常に驚いて言った。「この方のなさったことは、みなすばらしい。つんぼを聞こえるようにし、おしを話せるようにしてくださった。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
この方のなさったことは、みなすばらしい。つんぼを聞こえるようにし、おしを話せるようにしてくださった。
マルコの福音書7章37節
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では、このところから、
「そうまで言うのですか。」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

お読み頂いた箇所を、もう一度見てみましょう。
イエス様のところに、一人の女性がやってきました。
彼女はギリシャ人でした。そして、彼女の娘は悪霊につかれていました。
彼女は、イエス様に、自分の娘から悪霊を追い出して下さる様に御願いしました。
しかし、イエス様は、すぐには、わかったと言われませんでした。
イエス様はこういわれました。
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するとイエスは言われた。「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」
マルコの福音書7章27節
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ここで、子どもたちとは、約束の民のこと、それはユダヤ人です。
パンといわれているのは、神様の与えてくださる恵みですが、命のパンであるイエス様ご自身ともとれます。

ユダヤ人の王、メシヤ、キリストとして天から下られた命のパンは、まず、約束の民、ユダヤ人の為に与えられたのです。

別な箇所ではイエス様はこうも言われます。
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しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と言われた。
マタイの福音書15章24節
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イエス様は、まず、約束の民、アブラハムの子孫、イスラエル民族の為にこられました。
そこで、イエス様は、このギリシャ人の女性の言葉に取り合われなかったのです。

ところで、その前にこう書いてあります。
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この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生まれであった。そして、自分の娘から悪霊を追い出してくださるようにイエスに願い続けた。
マルコの福音書7章26節
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この箇所から、イエス様が、この女性の願いに、すぐに答えることすらされなかったことがわかります。
なぜなら、願い続けているからです。
しかし、彼女が願い続けているので、イエス様はお答えになりました。
ところが、その答えが、一見すると非常につめたいのです。

しかし、皆さん。このとき、イエス様は、このことを通して大切なことを教えようとしておられます。

この女性は、旧約の観点から見ると、聞いていただくべき立場にありませんでした。
しかし、それでも、願い続けるとき、イエス様はその祈りに耳を傾けられたということです。

どこまでも願い続ける。そのような人が聖書の中には他にも出てきます。
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30 すると、道ばたにすわっていたふたりの盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」
31 そこで、群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめたが、彼らはますます、「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」と叫び立てた。
32 すると、イエスは立ち止まって、彼らを呼んで言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」
33 彼らはイエスに言った。「主よ。この目をあけていただきたいのです。」
34 イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。すると、すぐさま彼らは見えるようになり、イエスについて行った。
マタイの福音書20章30-34節
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ここに出てくる二人の盲人は、叫び続けました。
そして、主から恵みをいただいたのです。

考えてください。イエス様は、全てをご存知の方です。そこに盲人がいることも、彼らが何を求めているかもご存知です。
しかし、イエス様は、自分からすぐに、彼らに近づいて二人の目にふれて癒されたのではありませんでした。
彼らの叫びを聞かれたのです。彼らの信仰を確認されたのです。
私に何をして欲しいかと聞かれましたが、目が見えるようにして欲しいに決まっています。
しかし、イエス様は、彼らがはっきりと自分の求めるものを口で言うようにされたのです。

また、このような記事もあります。
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27 彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。
28 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考えていたからである。
29 すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。
マルコの福音書5章27-29節
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ユダヤの文化の中では、女性と男性は区別されていました。しかも、彼女は、長血で穢れてしました。しかし、彼女は、イエス様に近づき、きっと直ると信じてイエス様にさわったのです。
彼女は癒されました。そのとき、イエス様は言われました。
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そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」
マルコの福音書5章34節
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あなたの信仰があなたを直した。

あるところで、イエス様は言われました。
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それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。
マタイの福音書8章13節
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皆さん。あなたの信じたとおりになるように。
イエス様はいまもそういわれます。
あなたの信じたとおりになるのです。

最初の女性。ギリシャ人の女性、彼女は、イエス様がしてくださると信じていました。
そして、そのようになったのです。

今回の聖書箇所に似た箇所としてマタイの福音書にはこうあります。
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25 しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください。」と言った。
26 すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われた。
27 しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」
28 そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。
マタイの福音書15章25-28節
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ここでは、イエス様は、どこまでも求めた、彼女の信仰に対し、また、主の前にへりくだったその信仰に対し言われます。
「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」

皆さん。イエス様にそのように言われたら、どんなに嬉しいでしょうか。
イエス様は、彼女の信仰をご存知でした。

もし、彼女が信じていないなら、最初に、返事して頂けなかった所で、怒ってしまうでしょう。
まして、子犬だといわれたら、失礼なとかえってしまうでしょう。

しかし、彼女は、イエス様なら治すことが出来ると信じていたのです。
信じて祈る、その祈りに主は答えてくださいます。

皆さん。しかも、イエス様は言われます。
最近開いた箇所ですが、こう書いてあります。
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21 イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、
海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。
22 あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」
マタイの福音書21章21節
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信じて祈るなら、何でも与えられるのです。

とはいえ、皆さん。考えてください。
あの淀川の向こうの天王山や東の生駒山あの大きな山に命じて、それが、淀川や、大阪湾にはいってしまうことを想像することが出来ますか?
とても想像できません。

しかし、皆さん。神様の偉大さを考えてください。
神様は、この宇宙の全てを創造された方です。

天を見上げて見える星々、その一つ一つは、巨大な恒星です。その一つ一つを神様がつくられたのです。
そして、私たちの目にする一番身近な恒星である太陽は、宇宙にある恒星の中で、さほど大きな星ではないのです。
ところが、私たちの住む地球は、その太陽にくらべはるかに小さいのです。
その地球の上にある山、私たちの目には大きくそびえていますが、神様の目にはゴマ粒にもならない。
しかし、それら全てを神様は、無から造られたのです。

その神様の偉大さをわかればわかるほど、私たちは、信仰をもって祈ることが出来ます。
そのために、私たちは、何をしますか? 聖書を読み祈るのです。
聖書を読み祈るとき、私たちは神様の偉大さを知るのです。

そしてこうも書いてあります。
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バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。
マタイの福音書11章12節
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じゃあ、求めたものがちですか? そうです。
求めたもの勝ち、信じたもの勝ちです。

そんな申し訳ないじゃないですか?
救っていただいた上に、何でも祈るなどずうずうしいと考える方もおられるようです。
しかし、それは、自分のことだけを考えています。

皆さん。良く考えてください。
あなたは、自分が神様を信じて救われた感謝だとそう思っておられる。
それは素晴らしい。
で、それで終わりですか?

神様が、何をなさりたいか考えてください。
あなたの人生が豊かに祝福された素晴らしいものになって、それを見た周りのひとも、神様を信じたら、神様はもっと喜ばれるのではないですか?

あなたが、不満だらけの人生を送っていたら、神様は喜ばれるでしょうか。
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あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
ヨハネの福音書16章24節
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求め、受けるのは、私たちの喜びが満ちるためです。
先日、主イエス・キリスト教会での集会に参加させて頂きました。
講師の先生が言われました。
「私が話す。皆さんが笑う。神様が喜ばれる。」
そのかたのメッセージは大変ユニークでたのしいものでした。
皆さん。神様は、私たちが喜ぶことを願っておられます。

そして、こう書いてあります。
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16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
テサロニケ人への手紙第一5章17節
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私たちが、求めて祈り、受けるとき、その喜びが満ちる。
そのことを神様は喜ばれる。

皆さん。そして、この祈りが聞かれる秘訣は、どこまでも求めることです。
ルカの福音書でイエス様はこんな例えを話されました。
++++++++++
1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。
2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
3 その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と言っていた。
4 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、
5 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない。』と言った。」
ルカの福音書18章1-5節
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彼女はうるさく求めたのです。

このことから、主は言われました。
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6 主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。
7 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
8 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
ルカの福音書18章6-8節
++++++++++
ここで、皆さん。一つ注意してください。
選民の為にと書いてあります。
先ほどのお話でも、ギリシャ人の女性は最初願いが聞かれませんでした。

しかし皆さん。イエス様は、私たちの罪の身代わりに十字架で死んで救いの御業をなしとげてくださいました。
それゆえ、私たちは、イエス様を信じる信仰によって神の子どもとされています。
皆さん。私たちは、選民どころか、神の子どもなのです。

選民の祈りを聞かれるイエス様が神様が神の子の祈りをきかれないでしょうか?
必ず聞いてくださいます。
ですから祈りましょう。

神を呼び求め続ける。
うるさくて仕方が無いほどに祈る。

皆さん。
祈りましょう。
やかましく、ひっきりなしに。

聖書は御心にかなう祈りがきかれるといいます。
しかし、それを判断されるのは誰ですか?
あなたが、御心かどうか判断するのではありません。
神様が判断されるのです。
ですから、この祈りしてもいいだろうかどうだろうかと考えるのをやめましょう。
「私をいじめるあのひとを、やっつけてください。」
そんな祈りでもかまいません。

その祈りにどう答えるかは神様がお考えになることです。
そして、神様の答えを、素直に受け取らなければなりません。
どんな結果もそのまま神様から受け取るのです。

そして、祈りを通して、私たちは、神の御心がどのようなものか知るのです。

先ほどの箇所にも書いてあります。
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16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
テサロニケ人への手紙第一5章17節
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全てのことについて感謝しましょう。

そして、ただ、神様に求めるのです。
ひっきりなしに、やかましく、共に神様の恵み、神様の栄光を求めて祈り続けて参りましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。

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シティーチャーチメッセージ20110227 そうまで言うのですか。
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