礼拝でのお話
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作成日2/13
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ワーシップ
メッセージ


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シティーチャーチ
メッセージ20110220 
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三十倍、六十倍、百倍になった。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は全能者力ある神、天地を創造し、治め、豊かな恵みを与えてくださる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

では、いつものように、聖書の通読箇所から見て参りましょう。

今週の聖書の通読箇所は
旧約聖書がレビ記から民数記、新約聖書がマルコの福音書です。
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2月20日(日)[ ]レビ24-25 /[ ]マコ2
2月21日(月)[ ]レビ26-27 /[ ]マコ3
2月22日(火)[ ]民1-2 /[ ]マコ4:1-20
2月23日(水)[ ]民3-4 /[ ]マコ4:21-41
2月24日(木)[ ]民5-6 /[ ]マコ5:1-20
2月25日(金)[ ]民7 /[ ]マコ5:21-43
2月26日(土)[ ]民8-10 /[ ]マコ6:1-29
2月27日(日)[ ]民11-13 /[ ]マコ6:30-56
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レビ記の今回の箇所は、約束の地におけるイスラエルの律法が書かれています。
そして、そこには地の十分の一、収穫の十分の一についても細かに定められています。
それは、彼らの祝福のためです。
ですから、私たちも、私たち自身の祝福の為に捧げましょう。
主は、与えるものに与えてくださる方です。

そして、民数記。こちらは、ヘブル語のタイトルが荒野でとなっており、荒野での出来事の記録。
旅行記といったところです。しかし、そこに、民の人数が最初と最後に書かれており、そのため、民数記と名づけられました。
その中にも、神様の戒めはかかれています。
イスラエルの隊列の組み方、行進の仕方などもかかれていますが、面白いことに、このイスラエルの行進する姿は、上空からみると、十字架に見えるのです。
彼らは、荒野で十字架行進をしていたともいえます。

新約聖書はマルコの福音書。
こちらは、お話の中で見て参りましょう。

では、本日の聖書箇所を開きましょう。
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【 聖書箇所 】 マルコの福音書4章1-20節
・新改訳Up64(贈呈p58、英対p105)
・新改訳Vp70、英対p80(贈呈p67)
・口語訳p55
・新共同訳p66 (贈呈p66、英対p102)
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司会者、朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
マルコの福音書4章1-20節
4:1 イエスはまた湖のほとりで教え始められた。おびただしい数の群衆がみもとに集まった。それでイエスは湖の上の舟に乗り、そこに腰をおろされ、群衆はみな岸べの陸地にいた。
4:2 イエスはたとえによって多くのことを教えられた。その教えの中でこう言われた。
4:3 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
4:4 蒔いているとき、種が道ばたに落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。
4:5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
4:6 しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
4:7 また、別の種がいばらの中に落ちた。ところが、いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった。
4:8 また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」
4:9 そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」
4:10 さて、イエスだけになったとき、いつもつき従っている人たちが、十二弟子とともに、これらのたとえのことを尋ねた。
4:11 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。
4:12 それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため。』です。」
4:13 そして彼らにこう言われた。「このたとえがわからないのですか。そんなことで、いったいどうしてたとえの理解ができましょう。
4:14 種蒔く人は、みことばを蒔くのです。
4:15 みことばが道ばたに蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。
4:16 同じように、岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、
4:17 根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
4:18 もう一つの、いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです。――みことばを聞いてはいるが、
4:19 世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望がはいり込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。
4:20 良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。
マルコの福音書4章8節
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では、この所から、
三十倍、六十倍、百倍になった。
と題しまして、御言葉を見て参りましょう。

さて、この箇所は、イエス様の有名なたとえ話です。
イエス様が、湖のほとりでお話を始められると、おびただしい群集がやってきました。

そこで、イエス様は、船にのり、そこに座ってお話をはじめられました。

イエス様のお話された声は、湖から陸への風にのって人々の耳に届いたのではないかといわれます。

神様が用意された音響効果の整った会場でイエス様が語られる。
聖書の中で、そこにいて見たい場面が私には何箇所かありますが、この場面はその一つです。

そして、イエス様が語られたたとえ話。

今も読んでもらいましたが、これがそのたとえ話です。
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3 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
4 蒔いているとき、種が道ばたに落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。
5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
6 しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
7 また、別の種がいばらの中に落ちた。ところが、いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった。
8 また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」
マルコの福音書4章3-8節
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良く聞きなさい。
これは、イエス様がよく言われる言葉です。

よく聞きなさい。

私たちは、聖書の言葉をいい加減にきいてはなりません。
良く聞かなければなりません。
聖書の言葉は、良く聞いて、真剣にうけとめていかなければならないのです。

ただし、だからといって聖書を通読するとき書かれていることの意味を一度に完全に理解しようとする必要はありません。
そうではなく、書かれていることにアーメンと答えていけば良いのです。

聖書を完全に理解するためには、知らなければならない、背景もあり、そのような学びも必要ですが、
それ以上に必要なのは、祈り、聖霊様の助けを求めることと、聖書全体を何度も読むことです。
聖書は、全体を通して語りかけてくるからです。

さて、この例えは、種まきのたとえといわれます。

イエス様がこの例えを話されたとき、人々はその意味がわかりませんでした。
それで、人々はイエス様に聞きました。

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10 さて、イエスだけになったとき、いつもつき従っている人たちが、十二弟子とともに、これらのたとえのことを尋ねた。
11 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。
12 それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため。』です。」
13 そして彼らにこう言われた。「このたとえがわからないのですか。そんなことで、いったいどうしてたとえの理解ができましょう。
マルコの福音書4章10-13節
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イエス様は、イエス様を信じるものに対し、神の国の奥義が知らされているといって、お話をされました。
しかし、同時に、人々がこのことを理解できないことを指摘されました。
それは、このたとえが、決して難解なものではなかったからです。
しかし、それは、弟子たちには理解されませんでした。

このたとえがわからないのですか。
とイエス様がいわれるこのたとえ。
もう一度見てみましょう。

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3 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
4 蒔いているとき、種が道ばたに落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。
5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
6 しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
7 また、別の種がいばらの中に落ちた。ところが、いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった。
8 また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」
マルコの福音書4章3-8節
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種を蒔く人が種まきに出かけたのです。

種が道ばたに落ちました。
すると、鳥が来て食べてしまいました。
よく、地面におちているものをすずめがついばんでいるのを見ます。
公園で豆などまくと、鳩が来て、全部食べてしまいます。
そのように、道端の種は鳥が来て食べてしまう。

別の種は、土の薄い岩地に落ちました。
目をすぐに出しましたが、日が昇るとかれてしまいました。
アスファルトの上に、少しの土があり、そこに種があるとするなら、その種は、目を出しても、なかなか育つことが出来ないでしょう。
それでも育つ強いものもありますが、普通、すぐにかれてしまいます。

いばらの中におちた種もありました。
すると、いばらが伸びてふさいで、実を結びませんでした。
いばらがふさぐ、何をふさぐのですか?
日光が当たるのをふさぎます。
すると、その種は、しっかりと育つことが出来ず、枯れてしまいます。

しかし、良い地に落ちた種。
それは、30倍、60倍、百倍になりました。

この解説を見てみましょう。
まず、大切なのは、この言葉です。
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種蒔く人は、みことばを蒔くのです。
マルコの福音書4章14節
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同じことが、ルカの福音書にはこう書いてあります。
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このたとえの意味はこうです。種は神のことばです。
ルカの福音書8章11節
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ところで、この種を蒔く人について、マタイの福音書には、こう書いてあります。
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イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。
マタイの福音書13章37節
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これは、毒麦の例えの箇所です。
種蒔く人が良い種をまいたところに、悪者が来て毒麦を蒔いた。

そこでは、イエス様ご自身が良い種を蒔く人として、書かれています。

皆さん。良い種を蒔かれるのはイエス様です。
そして、イエスから受けた種が良い種です。
また、良い種は、神の言葉です。
悪い種、この毒麦は悪魔のもたらしたものです。

私たちは、良い種を受けなければなりません。
しかし、今、そこらじゅうで、悪い種がばら撒かれています。
テレビでも、インターネットでも、悪魔は悪い種をばら撒いています。
私たちは、そのような種を避けなければなりません。

イエス様からの良い種を受けなければならないのです。
それは、聖書を読むことや、教会に集うこと、福音のテレビや信仰書もあります。
そのような良いものを受ける。

そして、また、私たち自身も、イエス様から受けた良い種を蒔かなければならないのです。
私たちは、福音の種を蒔きます。
しかし、その種を本当に人の心に蒔かれるのはイエス様、聖霊様です。
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イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、
どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」
マタイの福音書13章31-32節
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そして、その種は、成長すると大きな木になるとイエス様は言われました。

私たちの聞く御言葉には、天の御国の命が含まれています。
先週、この御言葉をみました。
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まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
ヨハネの福音書12章24節
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イエス様は、豊かな実を見るために死んで下さったのです。

その種は私たちの霊に、植えられているのです。

種蒔く人は御言葉の種をまくのです。

この種は御言葉の種です。

この種が蒔かれたとき、どうなるでしょうか。
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15 みことばが道ばたに蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。
16 同じように、岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、
17 根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
18 もう一つの、いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです。――みことばを聞いてはいるが、
19 世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望がはいり込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。
20 良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」
マルコの福音書4章15-20節
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みことばが道端に蒔かれる。
鳥が来てそれを食べてしまう。
それは、悪魔が来て、その種を取り除いてしまうことです。
悪魔は、私たちがイエス様のことを聞いてもすぐに忘れさせようとします。
関係ない、神様なんかいない、いろんなことを悪魔は頭に入れようとします。

だから、わたしたいは、まかれた種を見張っていなければなりません。
それは、御言葉に目を向けること、イエス様に、その十字架に目を向けることです。

岩地に蒔かれる。
すると、喜ぶが、根をはらず、問題があるとつまづいてしまうと言う事ですが、
岩の上に蒔かれたものは、岩にねを張ることが出来ません。
それは、御言葉をきちんと受け入れていないことです。

教会に来ている、表面的には信じている、道徳的な、いい教えと思っているでも、それで自分の人生を変えようとはしていない。
むしろ、自分の人生をうまくやるために、聖書の言葉を利用しようとしている。
そうであるなら、何か困難があるとすぐ、神様から離れてしまうでしょう。

いばらの中というのは、世のこころづかい、まどわし、誘惑、欲望が御言葉をふさぐので実を結ばないことだと言われます。
いばらは光をふさぎます。
義の太陽であるイエス様からの光が、世の富に対する思いや、欲望で邪魔をされて、届かない。
すると、その木は生長できず、実ることが出来ません。
ときには、豊かにお金を持っていることが、神様など必要ないと思わせ、それで神様から離れてしまう人もいます。
世の心遣いのため、教会にいくことが出来ない、日曜日、友人との約束で忙しく、礼拝出来ない。
そのようなことは、人を神様から離れさせ、なんとかつながっていても、聖霊の実を結ぶことが出来ません。

そして、良い地にまかれる。
それは、御言葉を聞いて受け入れる。
では、なぜ、受け入れることが出来るのですか。
それは、柔らかな土だからです。

私が子どもの頃、母が植物を植えるために、鉢に入れる土をふるいにかけていたのを思い出します。
ふるわれて、さらさらになり、やわらかくなった土に種を植えると、種は芽を出し、根はどんどん伸びていきます。
畑の土も、農家の方は、そのために、なんどもなんども鍬を入れてやわらかくされます。
そして、光をふさぐものを取り除くのです。

しかし、ここまでのことは、イエス様が言われたままを少し解説しただけです。
これだけ聞いているとなぜ、その意味が弟子たちに理解不能だったのかがわかりません。

しかし、さらに言えば、これを見て、イエス様の言われたかった事はいったいなんでしょうか。

イエス様が言われたこの言葉に注目します。
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11 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。
12 それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため。』です。」
マルコの福音書4章11-12節
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これは、こうもかかれています。
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12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。
13 わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。
14 こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。
15 この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』
マタイの福音書13章12-15節
++++++++++

聞くが悟らないと書かれており、また、悟って立ち返り、悔い改めて といった言葉を見てください。

ここにあるのは私たちの聞き方です。それは、御言葉を悔い改めをもって聞くかどうかということなのです。
御言葉は、それによって自分が変わろうとしなければ受け取ることが出来ないのです。
イエス様は聞き方に注意しなさいといわれます。
++++++++++
だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」
ルカの福音書8章18節
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それはどのような聞き方ですか。
それは、悔い改め、であり、立ち返ることです。
私たちが、聴いた言葉で、悔いあらためるかどうか、つまり、私たち自身がかわろうとするかどうかに それはかかっているのです。
++++++++++
12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。
13 わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。
14 こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。
15 この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』
マタイの福音書13章12-15節
++++++++++

ですから、主は砕かれた心を喜ばれます。
岩であっても、それを砕いて、細かくして、砂のようにさらさらになれば、それは豊かに実を結ぶものとなるのです。
ですから、主は私たちを砕こうとされます。

そして、このたねは、豊かな実を結ぶ種です。
++++++++++
イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、
どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」
マタイの福音書13章31-32節
++++++++++

しかし、だれかがこの種を蒔かなければなりません。
イエス様からの受け取った種を、届けなければなりません。
++++++++++
涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
詩篇126篇5節
++++++++++
私たちは、この種を蒔き、収穫の喜びを得ることが出来るのです。
++++++++++
すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。
ヨハネの福音書 4章36節
++++++++++
刈るものも蒔く者も喜ぶのです。

皆さん。収穫の喜びを共に味わいましょう。
こうも書いてあります。
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私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。
コリント人への手紙第二 9章6節
++++++++++
豊かに蒔くものは、豊かに刈り取るのです。

しかし、このことは福音の種、御言葉の種以外の意味も持ちます。
それは、ささげものや施しです。
主は与えるなら与えられるといわれました。
主に豊かに捧げ、主から豊かに受けましょう。

自分のためでなく、主のための、豊かな永遠のいのちをうける人生を刈り取らせていただきましょう。
++++++++++
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
ガラテヤ人への手紙6章8節
++++++++++
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。

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シティーチャーチメッセージ20110220 三十倍、六十倍、百倍になった。
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