礼拝でのお話
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作成日2/13
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ワーシップ
メッセージ

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シティーチャーチ
メッセージ20110213
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わが神、わが神。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は力ある神、全能者、変わることなく私たちを愛してくださる方です。
この方を覚えて、主の御言葉を開いて参りましょう。

先日、食育カーニバルというイベントが枚方市のラポール枚方であり、当日は参加できなかったのですが、前日のお手伝いに行ってきました。
この食育カーニバルのカーニバルはお祭りという意味で使われているようですが、カーニバルは日本語では謝肉祭。
カーニバルそのものの語源は肉を絶つことからきていて、肉を絶つ前に楽しむという意味合いがあり、そのことからすると、食育とはちょっとあわないなあと感じたりしました。
そんなことを話していると、バレンタインデーはどうなんですかと質問されました。
バレンタインデーはカトリックの聖人、聖バレンタインの殉教日に由来するといわれますが、彼は、ある若い男女の結婚の式をしたのですが、この男性は、兵士で結婚を赦されていませんでした。
そのため、バレンタインは、その罪により死罪となり、その処刑の日が聖バレンタンデーというわけです。
チョコレートを習慣化したのは日本人だそうですが、我が家でも、台所がココアパウダーでいっぱいになっていました。
とはいえ、パパチョコより友チョコだそうで、私のところにはあるのでしょうか。

さて、余談はこれくらいにしまして、いつものように、聖書の通読箇所から見て参りましょう。
今週の聖書の通読箇所は、旧約聖書がレビ記。
新約聖書が、マタイの福音書からマルコの福音書へ入ります。
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2月13日(日)[ ]レビ10-11 /[ ]マタ26:47-75
2月14日(月)[ ]レビ12-13 /[ ]マタ27:1-26
2月15日(火)[ ]レビ14 /[ ]マタ27:27-44
2月16日(水)[ ]レビ15-16 /[ ]マタ27:45-66
2月17日(木)[ ]レビ17-19 /[ ]マタ28
2月18日(金)[ ]レビ20-21 /[ ]マコ1:1-22
2月19日(土)[ ]レビ22-23 /[ ]マコ1:23-45
2月20日(日)[ ]レビ24-25 /[ ]マコ2
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レビ記は、祭司の勤めのあり方について書いてありますが、中でも、この10章のはじめは、モーセの兄で、最初の祭司であるアロンの息子たちが主に、異なる火、つまり、主がお命じにならなかった火を捧げたとい
う出来事から始まります。
アロンの子、ナダブとアビブは、神様のお命じにならなかった方法で神様に捧げました。
そのために彼らは死んだのです。
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1 さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。
2 すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。
レビ記10章1-2節
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神の前に勤めをする祭司は、12の宝石のうめこまれた装束を着ていました。
しかし、その勤めは命がけだったのです。
もし、間違った方法で行うなら、主の臨在の中で命を落とすかも知れなかったのです。

ですから、祭司は、神殿に入るときは、足にロープを取り付けていました。
それは、彼が死んだとき、ロープを引いて引きずり出すためでした。

新約聖書は、マタイからマルコの福音書に入ります。
一般に、マタイの福音書は、ユダヤ人に向けて書かれたといわれ、マルコの福音書は、ローマ人に向けて書かれたといわれます。
非常に転回が早く面白く読めるところです。
是非皆さんお読み下さい。

では、今日は、このマタイの福音書の27章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】 マタイの福音書27章33-50節
・新改訳Up55(贈呈p50、英対p91)
・新改訳Vp60、英対p68(贈呈p57)
・口語訳p48
・新共同訳p57 (贈呈p57、英対p88)
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では、司会者お願いします。
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27:33 ゴルゴタという所(「どくろ」と言われている場所)に来てから、
27:34 彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。
27:35 こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、
27:36 そこにすわって、イエスの見張りをした。
27:37 また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである。」と書いた罪状書きを掲げた。
27:38 そのとき、イエスといっしょに、ふたりの強盗が、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。
27:39 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、
27:40 言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」
27:41 同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。
27:42 「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王さまなら、今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。
27:43 彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ。』と言っているのだから。」
27:44 イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。

27:45 さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。
27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
27:47 すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人はエリヤを呼んでいる。」と言った。
27:48 また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
27:49 ほかの者たちは、「私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることとしよう。」と言った。
27:50 そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。
マタイの福音書27章46節
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では、この所から、わが神、わが神と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

今回の箇所はイエス様の十字架の場面です。


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27:33 ゴルゴタという所(「どくろ」と言われている場所)に来てから、
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イエス様は、ゴルゴダという場所で、十字架にかかられました。
どうでもいい話ですが、最近眠気覚ましのガムのコマーシャルに出てくる、ゴルゴサーティーンも、このゴルゴダから名前をとっていますね。
サーティーンの話になりましたのでついでに言いますが、13という数字は、欧米において不吉とされます。
イエス様が十字架に架かられたのが13日の金曜日だったという考えからそれは来ます。

イエス様が十字架に架かられたのが金曜日であるということは、聖書の記述から事実であるといえます。
なぜなら、それは、ユダヤ人の安息日、すなわち、土曜日の前の日だったからです。
そして、イエス様は、安息日を過ぎて次の日、すなわち日曜日の朝に蘇られました。

皆さん、私たちは日曜日に礼拝に来ます。それは、日曜日が休みだからそうしているのではありません。
私たちは、蘇られた勝利の主イエス様を礼拝するために来ているのです。
ですから、私たちシティーチャーチ牧野は、365日24時間礼拝する教会を目指していますが、日曜日の朝の礼拝が特別であることは変わりません。
しかし、私たちは、いつも、礼拝を捧げる事が出来ます。
主は、今も、いつも、生きておられるからです。

さて、そのイエス様が十字架に架かられたのが13日かどうか。
これについては、キリスト教における歴史と伝統を守っているカトリックが、13日の金曜日を大切なものとして礼拝を捧げています。

ではなぜ、その日を不吉と考えるのか、それは、イエス様が十字架にかかられたからだということですが、本来のキリスト信仰、聖書信仰からすればそれは、完全に間違っています。
日本の習慣では、仏の死んだ日を記念して仏滅といって、不吉な日と考えます。
しかし、聖書を信じるクリスチャンにとって、イエス様が死んだ日、イエス様が十字架で死んで下さった日は不吉な日ではありません。

それは、罪の代価が支払われた日、私たちの罪が赦された日、イエス様が、御業を完成された日です。

では、なぜ、そのような素晴らしい日が不吉な日とされたのでしょうか。
まず、私たちが聖書を正しく理解していない無知が原因の一つです。
そして、その無知につけこんで悪魔が、その日を悪いに日してしまったのです。

皆さん。このイエス様が十字架につかれた日が、もっとも不吉であり、悪い日なのは誰にとってですか?
それは、悪魔、サタンにとってです。

なぜなら、悪魔にとって、その日は、自分が、キリストを殺して勝ったと思った瞬間、完全な逆転で敗北を喫した大敗北の記念日だからです。

その自分にとっていやな日が、みんなにとってもいやな日になるように、悪魔は必死で働いたのでしょう。
しかし、イエス様が十字架に架かられた日は勝利の日です。

今月のオリーブにユダヤ教にとっても、13は重要な数字なのだという説明が書かれていました。
興味のある方は是非お読み下さい。
そんな話をしている今日が、13日だというのも面白い話です。

さて、イエス様は、ゴルゴダというところで、十字架に架かられました。
それは、されこうべとも、どくろとも訳してありますが、頭蓋骨と呼ばれるところでした。
一説では、そのところは、山が頭蓋骨の形にみえていたとか言われますが、イエス様はそこで十字架で死んでくださいました。

そのとき、イエス様の身体は、十字架に釘でうちつけられました。
それは、細い釘ではなく、マイクスタンドのこの棒のような太い釘だったと言いますが、両手に一本ずつ、そして、両足を重ねたところにまた一本の釘が打たれました。
そして、イエス様の頭の上には罪状書きがありました。
そこには、ユダヤ人の王イエスと書かれていました。

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27:37 また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである。」と書いた罪状書きを掲げた。
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皆さん、考えてください。
「ユダヤ人の王」というのは罪でしょうか。
頭の上に、「総理大臣」という罪状書が書かれているとして、それは、どんな罪でしょうか。

皆さん、イエス様には書くべき罪がなかったのです。
何の罪も無かったのです。

何か、でっちあげた罪を書くことさえ出来なかったのです。
ヨハネの福音書には、こうかいてあります。
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19 ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには「ユダヤ人の王ナザレ人イエス。」と書いてあった。
20 それで、大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからである。またそれはヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあった。
21 そこで、ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「ユダヤ人の王、と書かないで、彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください。」と言った。
22 ピラトは答えた。「私の書いたことは私が書いたのです。」
ヨハネの福音書19章19節
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その言葉を、ユダヤ人の王と自称したと書き直して欲しいといったものもいましたが、そうはなりませんでした。
また、それは、ヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあり、全世界に向けてしらしめられていました。

世界に向けて、このことははっきりと示されたのです。

クリスマスの出来事を覚えていますか?
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1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
マタイの福音書2章1-2節
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イエス様は、完全に主のご計画の通りにユダヤ人の王として生まれ、そして、ユダヤ人の王として、死んでいかれたのです。

皆さん、神様のご計画はなります。
イエス様が、エルサレムに入られたとき、人々は、イエス様をホサナと迎えました。
弟子たちも、この方が王様になるのだと思ったでしょう。しかし、イエス様が捕らえられ、彼らは終わりだと思ったと思います。
しかし、十字架の上で、イエス様はユダヤ人の王として、掲げられたのです。

ところでその十字架の上で、イエス様は、言われました。
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46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
47 すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人はエリヤを呼んでいる。」と言った。
マタイの福音書27章46-47節
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このことは、マルコの福音書を見るとこう書いてあります。
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34 そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
35 そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる。」と言った。
マルコの福音書15章34-35節
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わが神わが神、どうして私をお見捨てになったのですか。
ある人は、これを聞きまちがえて、エリヤを呼んでいるといいました。
しかし、イエス様は何をいわれたのでしょう。
詩篇の22篇ダビデの賛歌ですが、こう書いてあります。
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わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。
詩篇22篇1節
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そして、この言葉はこう続きます。
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7 私を見る者はみな、私をあざけります。彼らは口をとがらせ、頭を振ります。
8 「主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから。」

16 犬どもが私を取り巻き、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。
17 私は、私の骨を、みな数えることができます。彼らは私をながめ、私を見ています。
18 彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。
詩篇22篇7-8、16-18節
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これを見ると、先ほどの聖書箇所と似ていることに気付きます。

ダビデは、彼の人生で、着物をくじ引きにされたようなことはありません。
ですから、この詩篇は、ダビデがキリストの死を御霊によって預言して書いた詩だといわれます。
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27:35 こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、

27:39 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、
27:40 言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」
27:41 同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。
27:42 「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王さまなら、今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。
27:43 彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ。』と言っているのだから。」
27:44 イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。
マタイの福音書27章
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イエス様が見ておられるその下で、イエス様について預言された詩篇の通りの出来事が成就したのです。

それをみながら、イエス様は詩篇22編を口ずさまれます。
わが神わが神。

先ほどの詩篇は、こう続きます。
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わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。
詩篇22篇1節

25 大会衆の中での私の賛美はあなたから出たものです。私は主を恐れる人々の前で私の誓いを果たします。
26 悩む者は、食べて、満ち足り、主を尋ね求める人々は、主を賛美しましょう。あなたがたの心が、いつまでも生きるように。
27 地の果て果てもみな、思い起こし、主に帰って来るでしょう。また、国々の民もみな、あなたの御前で伏し拝みましょう。
28 まことに、王権は主のもの。主は、国々を統べ治めておられる。
29 地の裕福な者もみな、食べて、伏し拝み、ちりに下る者もみな、主の御前に、ひれ伏す。おのれのいのちを保つことのできない人も。
30 子孫たちも主に仕え、主のことが、次の世代に語り告げられよう。
31 彼らは来て、主のなされた義を、生まれてくる民に告げ知らせよう。
詩篇22篇25-31節
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イエス様は、大会衆の中で、わが神わが神と賛美されました。
主イエス様は、人々の前で、その誓いを果たされました。
それは、神様のご計画であった十字架でした。
イエス様はここで、王権をとられました。
王権を父なる神様のもとへ勝ち取られたのです。
そして、全地が主の下へもどってくる。
そうです。イエス様は、全世界を父なる神様にとりもどすため、全人類を父なる神様にとりもどすために、十字架に架かられたのです。

地の裕福なものも、食べてひれ伏します。
何を食べるのですか?
主の御体です。
イエス様を食べることなしに救いを受けることは出来ません。
全ての者がイエス様の御体に与り、イエス様を伏し拝むのです。

そして、このことは、世代から世代へ、また、全世界へ伝えられるのです。

イエス様は、この十字架の上で、全世界を勝ち取り、全世界を祝福されたのです。

わが神、わが神、それは、十字架の上での、搾り出すような叫びの賛美です。
その賛美をイエス様は父なる神様に捧げられたのです。

みなさん。イエス様は、十字架の苦難のなかでさえ、父なる神様に賛美を捧げられました。
そして、そこで勝利をとられたのです。
あなたにも、困難があるかもしれない、しかし、父なる神様を賛美しましょう。
勝利の主があなたと共におられるのです。

さて、その十字架にイエス様が架かっておられるとき、全地は暗くなりました。
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27:45 さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。
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ルカの福音書ではそのとき、神殿の幕が裂かれたと書いてあります。

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44 そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。
45 太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真二つに裂けた。
ルカの福音書 23章44-45節
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イエス様の体が裂かれた、イエス様が死んで下さった。
イエス様は言われました。
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まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
ヨハネの福音書12章24節
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イエス様は豊かな実を結ぶために死んで下さったのです。


イエス様は十字架に架かられ、そして、全ての技を完了して死なれました。
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イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。
ヨハネの福音書19章30節
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そして、三日目にイエス様は蘇られました。
私たちは、この復活の証人、イエス様の死と復活をのべ伝えるものです。
聖餐式のときもいいますね。

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ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。
コリント人への手紙第一11章26節
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ですから、主のこの素晴らしい御業を告げ知らせましょう。

イエス様は、私たちが実を結ぶために死んでくださいました。
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まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
ヨハネの福音書12章24節
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今、私たちは、このイエス様に留まって実を結ぶのです。

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わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことは
できません。
ヨハネの福音書15章4節
++++++++++
また、私たちは、このイエス様に、とどまって実を結ぶのです。

お祈りしましょう。



<祈り>



[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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シティーチャーチメッセージ20110213 わが神、わが神。
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