礼拝でのお話
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ワーシップ
メッセージ


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シティーチャーチ
メッセージ20110130 
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信じて祈り求めるものなら
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちを愛し、私たちと共にあり、私たちの祈りを聞き、私たちの祈りにこたえてくださる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

さてまず、今週の聖書の通読箇所から開いて参りたいと思います。
本日の聖書の通読箇所は、旧約聖書が出エジプト記、新約聖書がマタイの福音書です。
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1月30日(日)[ ]出エ17-19 /[ ]マタ20:1-16
1月31日(月)[ ]出エ20-21 /[ ]マタ20:17-34
2月1日(火)[ ]出エ22-24 /[ ]マタ21:1-22
2月2日(水)[ ]出エ25-27 /[ ]マタ21:23-46
2月3日(木)[ ]出エ28-29 /[ ]マタ22:1-22
2月4日(金)[ ]出エ30-32 /[ ]マタ22:23-46
2月5日(土)[ ]出エ33-34 /[ ]マタ23:1-22
2月6日(日)[ ]出エ35-36 /[ ]マタ23:23-39
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出エジプト記は、荒野で主が水を出してくださったことや、シナイ山での契約が続きます。
20章には、有名な十戒が書かれています。
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3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
7 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
12 あなたの父と母を敬え。
13 殺してはならない。
14 姦淫してはならない。
15 盗んではならない。
16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」
出エジプト記20章3-17節
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実際、この全部を出すと長くて大変なのですが、そこには、戒めとともに祝福も書かれています。
また、祭司の任命、幕屋の建設の準備など、聖書の基本となるところです。
この出エジプト記、是非お読みください。

また、新約聖書はマタイの福音書。
こちらは、お話の中で見て参りましょう。

聖書を開きましょう。
マタイの福音書21章です。
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【 聖書箇所 】 マタイの福音書21章12-22節
・新改訳Up38(贈呈p35、英対p63)
・新改訳Vp42、英対p48(贈呈p40)
・口語訳p33
・新共同訳p40 (贈呈p40、英対p61)
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では、司会者お読みください。
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【 聖書箇所のテキスト 】
21:12 それから、イエスは宮にはいって、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
21:13 そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」
21:14 また、宮の中で、盲人や足なえがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた。
21:15 ところが、祭司長、律法学者たちは、イエスのなさった驚くべきいろいろのことを見、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ。」と言って叫んでいるのを見て腹を立てた。
21:16 そしてイエスに言った。「あなたは、子どもたちが何と言っているか、お聞きですか。」イエスは言われた。「聞いています。『あなたは幼子と乳飲み子たちの口に賛美を用意された。』とあるのを、あなたがたは
読まなかったのですか。」
21:17 イエスは彼らをあとに残し、都を出てベタニヤに行き、そこに泊まられた。
21:18 翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。
21:19 道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように。」と言われた。すると、たちまち
いちじくの木は枯れた。
21:20 弟子たちは、これを見て、驚いて言った。「どうして、こうすぐにいちじくの木が枯れたのでしょうか。」
21:21 イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動い
て、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。
21:22 あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」
+++++++++

では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。
マタイの福音書21章22節
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では、このところから、
「信じて祈り求めるものなら」
と題しまして御言葉を開いて参りましょう。

今回の箇所は、イエス様のエルサレム入場。
棕櫚の日の出来事です。
少し手前から聖書箇所をみてみましょう。
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17 さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。
18 「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。
19 そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
マタイの福音書20章17-19節
++++++++++
ここで、イエス様は、過ぎ越しの祭りにあわせてエルサレムに上ろうとしておられました。
それは、ご自身が過ぎ越しの小羊となり、十字架で贖いをなしとげるためでした。
そのことを、ここで、イエス様は予め語っておられます。

ところが、弟子たちはこのことの意味をまったく理解していませんでした。
イエス様が言われる事が良くわかっていなかったからこそ、弟子たちの中には、イエス様のもとへ母とともにこんなお願いをしに来ました。
++++++++++
20 そのとき、ゼベダイの子たちの母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て、ひれ伏して、お願いがありますと言った。
21 イエスが彼女に、「どんな願いですか。」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」
マタイの福音書20章20-21節
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ここに出てくるゼベダイの子とは、使徒となったヤコブとヨハネです。
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また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた。すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後に
ついて行った。
マルコの福音書1章19-20節
++++++++++
彼らは、父ゼベダイと共にガリラヤ湖で働く漁師でした。
ここに書いてあることからすると、彼の父は雇い人をも雇うことの出来る立場であり、漁師たちの中では裕福だったとも考えられています。
しかし、湖を職場とする彼らは、イエス様に呼び出され使徒となりました。
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さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
マタイの福音書10章2節
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ここに、彼らの名が書かれています。
筆頭は、ペテロ、彼は一番弟子であり、弟子の中のリーダーであったようです。
また、教会の礎となりました。彼の信仰告白を土台として教会が始まったことは前回お話しました。
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シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
マタイの福音書16章16節
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この信仰告白の上に、私たち教会は立っています。

そして、その兄弟アンデレ。
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さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
マタイの福音書10章2節
++++++++++
彼こそ、ペテロをイエス様に導いた人です。
関西フランクリングラハムフェスティバルにおいて用いたアンデレ活動、アンデレカードは、このアンデレの名から来ています。
自分の周りの一人をキリストに導く、その働きは非常に尊い働きです。

皆さん、フェスティバルは終わりましたが、これからも、自分の周りの人のために祈りましょう。
その祝福のために、救いのために、祈り続けましょう。

続いて出てくるのが、このヤコブとヨハネです。
ヨハネは、ヨハネの福音書、ヨハネの手紙、ヨハネの黙示録を書いたヨハネ。
彼は、イエス様に洗礼をさずけた洗礼者ヨハネ、バプテスマのヨハネとは違います。
そして、ヤコブ。
キリスト教会で最初の殉教者はステパノですが、彼は、使徒の中で最初の殉教者となりました。
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1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、
2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
使徒の働き12章1節
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彼らは、教会の土台として選ばれました。

その彼らが使徒として任命されたことが、先ほどもみたこの箇所に書かれています。
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さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
マタイの福音書10章2節
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この4人はみな漁師です。
イエス様は、彼らを、その働きの場から呼び出し、使徒とされたのです。

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イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
マルコの福音書1章17節
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この御言葉はイエス様が、彼らと同じく漁師であったペテロを呼び出す際に語られたものですが、彼らはまさに、水の中から魚を摂る漁師から、罪の世界から人間をとる漁師にされたのです。

しかし、彼らを使徒とされたとき、イエス様は、セベダイの子らをこう呼ばれました。
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ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
マルコの福音書3章17節
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それは、彼らが雷のように気性の激しい性格だったからだといわれます。
変化の激しいガリラヤの湖の漁師だったからでしょうか。それとも、裕福だったため、我侭だったのでしょうか。

そして、彼らは自分の考えで行動することの出来る人たちでした。
そのような彼らは、十字架を前にしてエルサレムに向かわれるイエス様にお願いしたのです。
++++++++++
20 そのとき、ゼベダイの子たちの母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て、ひれ伏して、お願いがありますと言った。
21 イエスが彼女に、「どんな願いですか。」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」
マタイの福音書20章20-21節
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自分たちがイエス様の御国で右左に座れるように。
それは、イエス様の行かれる十字架の道からすれば、考えようによってはばかげた事です。

しかし、私たちも時として、そのような考えを持ってしまうことがあるのではないでしょうか。
イエス様のご計画、イエス様のお考えでなく、自分の考え、自分の計画、自分の欲によって行動する。
イエス様の御心でなく、自分の考えで祈る。
もちろん、なんでも祈ることは大切です。
しかし、私たちは、キリストが何のためにこられたのか、そのことを忘れないようにしたいと思います。

キリストの御心はなにか、ご計画はなにか、そのことを思い、歩ませて頂きましょう。

とにかく、そのような中で、彼らはエルサレムに向かいました。
そこで、弟子たちは、イエス様に言われてロバの子をつれてきます。
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1 それから、彼らはエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た。そのとき、イエスは、弟子をふたり使いに出して、
2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。
3 もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです。』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」
マタイの福音書21章1-3節
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それは、預言の成就でした。
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4 これは、預言者を通して言われた事が成就するために起こったのである。
5 「シオンの娘に伝えなさい。『見よ。あなたの王が、あなたのところにお見えになる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。』」
マタイの福音書21章4-5節
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ちなみにこれは、ゼカリヤ書に出てきます。
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9 シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。
10 わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶やす。戦いの弓も断たれる。この方は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る。
ゼカリヤ書9章9-10節
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預言の箇所だけなら、9節だけでいいのですが、10節には、この方が、平和を与えてくださる方、その支配は、地の果てに至ると書かれています。
弟子たちは、イエス様の言われるように、ろばの子を連れてきました。

それは、預言の成就でした。
イエス様は、ロバに乗り、この預言された王として、キリスト、救い主として、エルサレムに入られたのです。
また、先ほどの預言によれば、この方は地の果てに至る全てを治める王、王の王です。
++++++++++
6 そこで、弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにした。
7 そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
8 すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。
9 そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」
マタイの福音書21章6-9節
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人々は、上着や、木の枝をしいて、イエス様のいく道にカーペットを作ったのです。これが、しゅろの木の枝だったのでこの日を棕櫚の日と呼びます。

こうしてイエス様は、エルサレムに入られました。
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10 こうして、イエスがエルサレムにはいられると、都中がこぞって騒ぎ立ち、「この方は、どういう方なのか。」と言った。
11 群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエスだ。」と言った。
マタイの福音書21章10-11節
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人々は、預言者だといいました。
しかし、イエス様は、ロバの背にのってこられました。
イエス様は、王の王として、こられたのです。

イエス様がエルサレムに入られると、エルサレムはどういう状況だったでしょう。
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それから、イエスは宮にはいって、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
マタイの福音書21章12節
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そこは、両替人や、商売人がいました。

ヨハネの福音書の2章を見ると、同じような記事があります。
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14 そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、
15 細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、
16 また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす。」と書いてあるのを思い起こした。
ヨハネの福音書2章14-17節
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このヨハネの福音書2章は、イエス様の宣教のはじめのほうです。
これを見ると、イエス様がこのようなことをなされたのは一度ではないようです。
イエス様にとって、その宮を聖める事は、非常に大事なことだったのです。

本来、宮の中は、商売をしてはならない場所でした。
しかし、そこで捧げ物にする牛や羊や鳩をうったり、献金のための両替をするという商売が行われていたのです。
はじめは外でやっていたのかも知れません。
しかし、やがて彼らは、神の宮にまで入ってきたのです。

それは、必要なことだと考えることも出来るでしょう。
祭司たちは、それを見逃していました。

しかし、主の宮の中にそれはありました。
そして、それは主の宮の中にはあってはならないものだったのです。

イエス様は、神の宮を父の家といわれました。
皆さん。あなたの家に誰かが勝手に入って商売をしたら追い出しませんか?
イエス様は、神の宮をきよめられました。

また、今、私たちは、聖霊の宮、神の宮です。
だとしたら、私たちは、私たちの内側を聖めなければなりません。

自分の心の中心に何を置くのか。
そこには、イエス様だけでなければならないのです。
聖霊様に私たちの心の中に入っていただいて、聖めをいただきましょう。

主は、宮を聖め、そして、癒しをなさいました。
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14 また、宮の中で、盲人や足なえがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた。
15 ところが、祭司長、律法学者たちは、イエスのなさった驚くべきいろいろのことを見、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ。」と言って叫んでいるのを見て腹を立てた。
16 そしてイエスに言った。「あなたは、子どもたちが何と言っているか、お聞きですか。」イエスは言われた。「聞いています。『あなたは幼子と乳飲み子たちの口に賛美を用意された。』とあるのを、あなたがたは読
まなかったのですか。」
17 イエスは彼らをあとに残し、都を出てベタニヤに行き、そこに泊まられた。
マタイの福音書21章14-17節
++++++++++
そして、イエス様にはらをたてる祭司や律法学者たちに、ご自身が預言の成就であることをわからせようと語られてから、エルサレムを出てベタニヤにいかれました。

このベタニヤは、エルサレムに近い町ですが、イエス様にとって非常に大切な町です。
++++++++++
この事があったのは、ヨルダンの向こう岸のベタニヤであって、ヨハネはそこでバプテスマを授けていた。
ヨハネの福音書1章28節

さて、ある人が病気にかかっていた。ラザロといって、マリヤとその姉妹マルタとの村の出で、ベタニヤの人であった。
ヨハネの福音書11章1節

イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。
マルコの福音書14章3節
++++++++++
イエス様はそこでヨハネから洗礼を受け、また、親しいマリヤ、マルタ、ラザロの住むところであり、
また、イエス様の葬りの準備のためにひとりの女が香油を注いだのも、ベタニヤのらい病人シモンの家でした。

さて、翌朝、イエス様は、都エルサレムに行こうとされました。
その途中、空腹を覚えられたのです。
そこにはいちじくの木がありました。
しかし、そこには葉しかありません。
それで、イエス様がお命じになると、そのいちじくの木は枯れてしまったのです。
++++++++++
18 翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。
19 道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように。」と言われた。すると、たちまちいち
じくの木は枯れた。
20 弟子たちは、これを見て、驚いて言った。「どうして、こうすぐにいちじくの木が枯れたのでしょうか。」
マタイの福音書21章18-20節
++++++++++
この出来事にいくつかの意味があります。
いちじくという木はイスラエルをあらわしています。

ルカの福音書はこんな記事があります。
++++++++++
6 イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。
7 そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいる
のですか。』
8 番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
9 もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」
ルカの福音書13章6-9節
++++++++++
いちじくの木は、実を結ばないイスラエルでした。
そして、イエス様がこられたときも、実が無いために、枯れてしまいました。

しかし、その木について、イエス様はいわれました。
++++++++++
いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。
マタイの福音書24章32節
++++++++++
枯れたいちじくがまた、芽吹く、それは世の終わりについての預言です。
このことが、今、私たちの前で起こっています。
それは、イスラエルが復興している。また、そこに、イエス様を信じるユダヤ人、メシヤニックジューが起こされている。
いままさに世の終わりの秒読みなのです。

ところで、このいちじくが、実際に枯れたそのことをさして、イエス様は言われます。
++++++++++
21 イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、
海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。
22 あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」
マタイの福音書21章21-22節
++++++++++

信じて疑わないなら。
マルコの福音書では、イエス様は言われます。
++++++++++
22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。
23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」
マルコの福音書11章22-25節
++++++++++
神を信じて、うたがわない。では、神様はどんなことを約束しておられますか。
++++++++++
またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。
ヨハネの福音書14章13節

あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
ヨハネの福音書15章7節

その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。
ヨハネの福音書16章23節
++++++++++
私たちが、しっかりとイエス様に留まっているなら、私たちは何でも求めてよいのです。

不安な時代です。
政府は、どうやって経済を立て直そうかと考えています。
しかし、大事なことは、神様の祝福です。
そして、イエス様は言われます。
++++++++++
31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
マタイの福音書6章31-33節
++++++++++
神の国と義を求める。
日本中が、そのようになるよう、祈り、福音を伝えましょう。

また、神を信じなさいという言葉は、神の信仰を持てとも訳される言葉です。
++++++++++
このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。
ローマ人への手紙4章17節

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
ヘブル人への手紙11章1節
++++++++++
そして、この方を信じる信仰は、目に見えないもの、まだ起こらないことを確信させるのです。

ですから信じましょう。そして、祈りましょう。
主があなたを良いもので満たしてくださいます。

これは、大きな祝福です。
この祝福を、いま日本が必要としています。

そして、それは、イエス様が十字架でなして下さった救いの御業にもとづいています。

ですから、この福音をのべつたえましょう。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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