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ワーシップ
メッセージ


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シティーチャーチ
メッセージ20110109 
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なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、全能者、力ある神、王の王、主の主です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

では、いつものように、聖書の通読箇所から見て参りましょう。
今週の通読箇所は、
旧約聖書が創世記
新約聖書がマタイの福音書です。
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1月9日(日)[ ]創24 /[ ]マタ7
1月10日(月)[ ]創25-26 /[ ]マタ8:1-17
1月11日(火)[ ]創27-28 /[ ]マタ8:18-34
1月12日(水)[ ]創29-30 /[ ]マタ9:1-18
1月13日(木)[ ]創31 /[ ]マタ9:19-38
1月14日(金)[ ]創32-34 /[ ]マタ10:1-20
1月15日(土)[ ]創35-36 /[ ]マタ10:21-42
1月16日(日)[ ]創37-38 /[ ]マタ11
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創世記は、アブラハムへの神様の祝福が、イサクへ、そしてヤコブへと受け継がれていく様子が書かれています。
このなかで、イサクのことはあまり問題なく過ぎて生きやすいのですが、アブラハムによって神様に捧げられたイサクを神様が本当に祝福しておられるその姿を見ることができます。
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12 イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。
13 こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。
創世記26章12-13節
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時にはイサクの行動にも問題があることがわかります。しかし、イサクは、確かに神様の豊かな祝福を受けていたのです。

祝福といえば、創世記には、アブラハムの子孫でありながら、契約と離れたイシュマエルやエサウが出てきます。
彼らが捨てられたものであったかというとそうではありません。
なぜなら、イシュマエルについては、こう書いてあります。
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20 イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。確かに、わたしは彼を祝福し、彼の子孫をふやし、非常に多く増し加えよう。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民としよう。
21 しかしわたしは、来年の今ごろサラがあなたに産むイサクと、わたしの契約を立てる。」
創世記17章20-21節
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そして、いまの中東の人々多くは、その子孫であるといわれます。
いま、その地は石油もあり、豊かで祝福されています。
ですから、神様はそれらの民も祝福しておられるのです。

また、エサウはエドム人の先祖ですが、これがイドマヤ人で、聖書に出てくるヘロデ大王はイドマヤ人です。
ここにも、神様の祝福を見ることが出来ます。

ですから、私たちは、聖書全体をきちんと見て、神様がどういう方かを知る必要があるのです。

新約聖書マタイの福音書はイエス様のダイナミックな御業と教えが続きます。こちらは、お話の中で見て参りましょう。

では、本日の聖書箇所を開きましょう。
本日の聖書箇所は、マタイの福音書8章です
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【 聖書箇所 】マタイの福音書8章19-32節
・新改訳Up12(贈呈p12、英対p21)
・新改訳Vp14、英対p16(贈呈p14)
・口語訳p11
・新共同訳p14 (贈呈p14、英対p20)
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司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
マタイの福音書8章19-32節
8:19 そこに、ひとりの律法学者が来てこう言った。「先生。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります。」
8:20 すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」
8:21 また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」
8:22 ところが、イエスは彼に言われた。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」
8:23 イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。
8:24 すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。
8:25 弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」
8:26 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
8:27 人々は驚いてこう言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
8:28 それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほどであった。
8:29 すると、見よ、彼らはわめいて言った。「神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来られたのですか。」
8:30 ところで、そこからずっと離れた所に、たくさんの豚の群れが飼ってあった。
8:31 それで、悪霊どもはイエスに願ってこう言った。「もし私たちを追い出そうとされるのでしたら、どうか豚の群れの中にやってください。」
8:32 イエスは彼らに「行け。」と言われた。すると、彼らは出て行って豚にはいった。すると、見よ、その群れ全体がどっとがけから湖へ駆け降りて行って、水におぼれて死んだ。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
マタイの福音書8章26節
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では、このところから、
「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」
と題しまして、御言葉を見て参りましょう。

今回の箇所は、イエス様のなされた中で、非常にダイナミックな御業です。
そのころ、イエス様は、人々を癒し、悪霊を追い出しておられました。
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16 夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみなお直しになった。
17 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」
マタイの福音書8章16-17節
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人々は、イエス様の周りに集まってきました。
しかし、イエス様はその中で、向こう岸に渡ろうとされました。
イエス様にとって人々を集めるのが目的ではなかったからです。
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18 さて、イエスは群衆が自分の回りにいるのをご覧になると、向こう岸に行くための用意をお命じになった。
19 そこに、ひとりの律法学者が来てこう言った。「先生。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります。」
20 すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」
マタイの福音書8章18-20節
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そこに、律法学者もやってきて、イエス様についていこうとしたことが書いてあります。
しかし、イエス様は、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」といわれました。

これはどういうことでしょう。
ルカの福音書の17章にこう書いてあります。
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イエスは、彼らを見つめて言われた。「では、『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった。』と書いてあるのは、何のことでしょう。
ルカの福音書20章17節
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見捨てられた石としてのイエス様。
それは、この世に存在の場を持たないという事をも意味していました。

同時にまた、イエス様の国は、この世のものではないということでもありました。
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イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世
のものではありません。」
ヨハネの福音書18章36節
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イエス様の国はこの地上のものではなかったのです。

また、ある弟子にはイエス様はこういわれました。
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21 また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」
22 ところが、イエスは彼に言われた。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」
マタイの福音書8章21-22節
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死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。
これはどういうことでしょうか。
イエス様は言われます。
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まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
ヨハネの福音書5章24節
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ここで、私たちがイエス様を信じることで死から命に移っている。
信じたものはそのようであるのです。

この箇所において、この弟子の父が今死んだわけではないと考えられます。
まず、父が死ぬのを待ち、葬ってからイエス様についていこうとしたということです。
しかし、イエス様は、永遠の命の為に生きることを選ぶように言っておられるのです。

ところで、この命についてですが、こうかいてあります。
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私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。
ヨハネの手紙第一3章14節
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私たちが命にあるかどうか、それは、愛によって知ることが出来るのです。

では、私たちがそうでないなら、どうすればいいでしょう。
それは、キリストに留まることです。
死のうちに留まるなら愛はありません。愛は、本当の命から流れてくるからです。

キリストにしっかりと結びつくのです。
そこから命が、そして愛が流れてきます。

さて、イエス様は向こう岸に渡ろうとされます。
これに似た記事は、マルコの福音書4章とルカの福音書8章にも書かれています。

ここで、イエス様が舟に乗られた、そして、弟子たちも従った。
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8:23 イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。
8:24 すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。
8:25 弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」
8:26 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
8:27 人々は驚いてこう言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
マタイの福音書8章23-27節
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舟の中で、弟子たちは眠っていました。
彼らは、イエス様を起こし、助けを求めました。
そして、主が波をしずめてくださったのです。

ちょうど、この冬、山陰地方の大雪でたくさんの舟が水に沈みました。
油も漏れて大変なようです。普段から雪の備えがありそうな地方だけに、それが、突然でまた非常にたくさんの雪だったのでしょう。

完全に水没した舟をニュースで見ました。

さて、ここでの舟も、湖の嵐で大変な状況となっていました。
いまにも沈みそうな船の中で弟子たちはイエス様をおこしました。

このとき、弟子たちの考えていたことを見てみましょう。
彼らは、イエス様が彼らを助けることが出来ると信じていました。
また、どうも、彼らが死んでもイエス様は助かると考えていたようにも見えます。

しかし、イエス様がどういう方かはわかっていませんでした。
だから、イエス様が湖を静められた時驚いたのです。

三本の木というお話があります。
クリスマスに子どもに話して聞かせたのですが、とてもきれいなお話です。

そこで、一本の木は、王様の舟になりたかった。
また、一本の木は、宝物の箱になりたかった。
そして、一本の木は、誰もが見る高い高い木になりたかった。
その中で、宝の箱になりたかった木は、家畜の餌を入れる箱になり、
王様の船になりたかった木は漁船になり、
誰もが見上げる木になりたかった木は、ほっておかれます。

そして、ある日、家畜の餌入れになった木のおかれた小屋に夫婦がやってきてあかんぼうが生まれ、その餌入れに寝かされます。
そのとき、彼は、一番大切な宝物を入れていると知るのです。
また、漁船になった木のところに人々が乗り込んだとき、大嵐で沈みそうになりました。しかし、そのとき、その船に乗っていた人が声を上げると波が静まったのです。
そのとき、漁船は、いま、王の王、主の主、全ての支配者をおのせしていると知るのです。
そして、ほって置かれた木は運び出され、ある人の方に負わされ、そして、ついには、その人は、その木に打ちつけられてしまいました。
しかし、そのとき、自分が高く上げられ、人々の見上げる木になったことをしるのです。

さて、このなかで、イエスさまは嵐を静めてくださいました。

皆さん。
弟子たちは怖がりました。
しかし、そこにおられたのは、誰よりも権威のある方だったのです。

イエス様は、この権威をもって、向こう岸においても、悪霊を追い出されました。
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8:28 それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほどであった。
8:29 すると、見よ、彼らはわめいて言った。「神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来られたのですか。」
8:30 ところで、そこからずっと離れた所に、たくさんの豚の群れが飼ってあった。
8:31 それで、悪霊どもはイエスに願ってこう言った。「もし私たちを追い出そうとされるのでしたら、どうか豚の群れの中にやってください。」
8:32 イエスは彼らに「行け。」と言われた。すると、彼らは出て行って豚にはいった。すると、見よ、その群れ全体がどっとがけから湖へ駆け降りて行って、水におぼれて死んだ。
マタイの福音書8章28-32節
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そして、悪霊につかれていたものも、平安を得たのです。

別なところでは、イエス様が湖をあるいてこられた記事があります。
そのときも弟子たちは恐れました。
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しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
マタイの福音書14章27節
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しかし、イエス様はわたしだ恐れることは無いといわれました。

この方に平安があります。
ですから、イエス様は言われます。
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わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりま
せん。
ヨハネの福音書14章27節
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イエス様の与えてくださる平安は変わることがありません。

このイエス様の平安それはどんな平安でしょう。

先ほどの嵐の中で眠っておられた平安がイエス様の平安です。
私たちはこの平安をもつことが出来ます。

それをもつなら恐れることはないのです。
目の前の状況がどうであっても、何にも勝る方が、いま、あなたのうちにおられます。

しかし、このかたは、私たちの弱さも知ってくださっておられるかたです。
ですから、もし、私たちが恐れて、イエス様に助けをもとめたからといって、信仰のよわいものは知らないとは言われません。
嵐を静めて下さるのです。

ですから、私たちは、私たちが、主の平安の中を歩めるにしても、そうでなく恐れ、主の助けを頂くにしても、どちらにしても100パーセント主に信頼しましょう。

主はいつも助けてくださいます。

そしてこの方は言われます。
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また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
マタイの福音書28章20節
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この一年も、この主が共におられます。

いつも祈りと御言葉によって主と共に歩ませて頂きましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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シティーチャーチメッセージ20110109 なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。
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